第5話:遅刻はダメ!

 街の声が小さく響き、朝日が差し込む頃。エリスとジルはベッドの上でスヤスヤと眠っていた。


 三年にわたって看病を続けたエリスは、ようやく昨日、心身の負担から解放されたばかり。久しぶりに熟睡して気が緩みすぎたこともあって、弟の体温を感じたまま、起床時間が過ぎても眠っていた。


 ようやく目が覚めたと思っても、ムニャムニャと口を動かし、「うーん、もう朝……。あとごふんだけ……」と、ジルを軽く抱き締め、五度寝である。もう一度言おう。二度寝ではなく、五度寝である。


 一方、闘病生活が終わったジルは、三年前と同じ幼い子供のまま。昨夜はちょっぴり姉に緊張しながら布団へ入ったものの、姉以上に爆睡。人恋しい年頃なのか、ただ姉に甘えたいだけなのか、エリスに寄り添って眠っていた。


 その結果、二人はとても幸せな夢の中へ旅立っている。そして、ついには街の時計台に備え付けられている鐘がゴーン、ゴーン……と、七回も鳴り響く。


 これは、エリスが毎朝家を出る合図にしているものであって……。


「はへぇ~。鐘が鳴ってるから、ギルドへお仕事に行かないと……」


 無意識に反応するものの、寝ぼけて思考能力の低下している状態では、現状が理解できない。呑気にジルの頭に頬をスリスリして、ジルのニオイがする~、なーんて呟いているのである。


 ただ、少しずつ冷静に考えられるようになってくると、理解できるわけであって……。


 ガバッ! と、一気に布団をめくり上げて、エリスは上体を起こした。顔からサーッと血の気が引いた後、火山が噴火するような勢いで焦りが爆発する!


 やってもた~~~! である!


「ちょっとジル、早く起きて! 遅刻! 遅刻するから!」


 ユサユサユサ! と、猛烈な勢いで揺すり、ジルを起こす。


「う、う~ん。エリスお姉ちゃん、揺らしすぎ~……」


「呑気なことを言ってないで! もう家を出る時間が過ぎてるの! 早くしないと怒られるから、ちゃんと起きて着替えておいてね。私も急いで支度してくるから」


「もう……、僕は怒らないと思うんだけどぉ……」


 まったくもって、その通りである。


 部屋を飛び出したエリスがドタバタと動き回り、急いで自分の部屋へ向かう。錬金術ギルドの制服に着替え、洗面所で顔を洗って寝癖を直し、朝のパンを二枚トースターにセット。


 ノソノソと着替えて起きてきたジルを担ぎ、寝癖だけパパッと直すと、チーン! とパンが焼き上がる。慌ただしく動き回り、二枚のパンにバターを塗ったエリスは、ジルに一枚手渡した。


「私はいつも早めに出社してるから、これくらいの寝坊なら巻き返せるの。でも、朝ごはんをのんびり食べる暇はないわ。急いで食べる時間があるだけよ」


「それって、時間がないんじゃ……」


「グズグズ言わないの! 食べる時間があるんだし、実質余裕みたいなものよ。全然大丈夫、自分を信じて、エリス。うん、ありがとう」


 パニック状態に陥っているエリスは、自分で励まして、自分にお礼を言っていた。


 四人で暮らすような大きな家で、寝たきりの弟を一人で看病していたエリスは、寂しさを和らげる方法として、一人二役で会話する癖がついている。寂しさがなくなるわけではないけれど、塞ぎ込んだまま家の中で一人だけ……というよりは、マシだったのだ。


 たまに職場の錬金術ギルドでやってしまい、変な目で見られることもあったが。


「ちょっとくらい遅刻しても大丈夫だよぉ……。一緒に謝ってあげるから」


「子供と大人では状況が変わるの! ジルのポーションだって、錬金術ギルドを経由して手に入れてたんだよ? 色々お世話になってるんだし、必要以上に迷惑はかけられないの」


 それなら急がないとダメか……と考え始めたジルは、妙な違和感を覚えた。


 昨日ジルが目覚めたのは、昼下がりの午後。錬金術ギルドの制服に身を包んでいたエリスが、昼間から一緒に話し込むほど時間が取れるはずもない。自分のために無理やり仕事を抜けてきたとすれば、すでに迷惑をかけているかもしれない、と考えてしまう。


 昨日自分が話し込んでいたせいで、エリスはギルドに戻れなかったのではないか、と。


 ――どうしよう、すっごい迷惑をかけてる気がする。急いで食パンを食べないと!


 今までゆっくり食べていた姿が嘘のように、ジルは猛スピードでパンを食らう。小さなほっぺたがプクッと膨らみながらも、もっと入ると言わんばかりに食パンを詰め込む!


「ジ、ジル!? 無茶をしない程度に急いで。喉を詰まらせたら、シャレにならないから」


「ふぁいぼうぶ。ふぁんとはむはら」


「ちゃんと噛むから大丈夫なのね。今のジルの言葉、よく理解したわね、エリス。任せてよ、弟のことなら何でもわかるわ。すごいよ、エリス」


 この後も一人で会話を続けたエリスは、ジルよりも遅く食べ終わるのだった。


***


 朝ごはんを食べ終えた二人は、戸締りをチェックした後、家を飛び出していく。時計台の時間を確認したエリスは、これなら歩いても間に合うと判断して、ホッと安堵するようにため息を吐いた。


「遅刻はしなさそうだから、ギルドまで歩いていくよ。途中でお腹が痛くなっても大変だし」


「よかった、間に合うんだね」


 エリスよりもホッとしたような表情を浮かべたジルは、焦っていた時には気づかなかった周りの景色が、ゆっくりと見え始める。


 三年ぶりに家の外へ出た街並みは、なんとなく見慣れた光景が目に映るけれど、違和感が生まれるほどには変化していた。


 何もなかった場所に家が建っていたり、木が生えていたり、知らない人ばかりが歩いていたり。まるで、知らない場所に迷い込んでしまったような感覚になったジルは、エリスの服をつまむ。


 エリクサーでスッカリ元気になったものの、ジルはまだまだ幼い子供のまま。弟の懐かしい人見知りっぷりを見たエリスは、仕方ないなーと思い、手を繋いで歩くことにした。

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