第26話 闇の中

 怒りに満ちた無数の瞳がラルド王子を見下ろしている。彼らは一様に鈍く光る刃を持っている。


「よせ! よせ! 止めろ! 俺を、この俺を誰だと思っている!?」


 王子である自分にこのような下民どもが危害を加えていいわけがない。そのはずだ。そのはずなのに彼らは止まらない。彼らの怒りは今更王子がどのような懇願をしたところで消えることはなく、そしてその怒りを向けられるだけのことを王子はしてきたのだ。


 そして一切の慈悲なく刃が振り下ろされる。


「やめろぉおおおおお!!」


 ラルド王子の悲鳴が周囲に響き渡った。


「…………はっ!? こ、ここは?」


 彼は暗闇の中で目を覚ました。


「ふふ。成功ね」


 闇の中から聞こえる艶かしい声。目を凝らしてみれば彼の正面に褐色の肌の、それはそれは美しい女が立っていた。


「相変わらず凄まじいものだなエルフの秘術と言うものは。これはある意味死者蘇生と言えるのではないか?」


 闇の中からもう一つ声がした。目の前に立つ女のあまりの美しさに見とれていた彼はビクリと震え、とっさに叫んだ。


「だ、誰だ!?」

「いいえ、ネクロマンシーはあくまでも死者を操る術であって蘇生させる方法ではありませんわ。彼の肉体は死んで間もないので今はまだ生前の記憶に少しだけアクセスできるようですが、それも今だけの話。だって死者に脳は必要ないのですから」

「なるほどな。まぁ、こっちとしては王子の外見さえ保っていればなんでもいい。むしろ馬鹿なことをしでかさない分、死者の方がずっとマシだな」


 無視をされた。しかも侮られている。それが分かった彼は怒りに促されて叫んだ。


「この俺を無視するとは何事だ! 俺を誰だと思っている!? 俺は、俺は……あ、あれ?」

「どうした? 自分が誰だか言ってみるが良い」


 暗闇から男が姿を現した。髪に白いものが混じっている壮年の男。しかし肩幅は広く、身長もある。そこいらの若者と組み合ったとしても余裕で組み伏せそうな体格の人物だ。


「お、お前……知っているぞ。確か……確か……」


 彼は必死に記憶を探る。だがあと一歩というところでどうしても手が届かない。自分の名前にも、目の前の男の正体にも。


 彼は自分の中の何かがおかしいことに気がついた。だが何がおかしいのかが分からなかった。


「ふん。死してもその間抜け面は変わらんな。土地をやるから娘との婚約破棄を認めると言う話には承諾してやったが、まさか勝手に隣国に嫁がせるとは思わなかったぞ。その上プリラを婚約者に指名したあげく、逃げられるとは。最後の最後でやってくれたな。長年の仕込みがパァだ。その間抜けさのまま、戦争を起こしてくれればよかったものを」

「そうですね。既に王子の間抜けぶりは両国に知れ渡っておりますから、王子の死を利用して戦争を起こすのも難しいでしょう」

「だからこそこいつにサムーラ王国の第一王子ロビン・サムーラを暗殺させるのだ。二大祭の最中、言い訳できない状況でな」


 何かとんでもないことを言われた気がしたが、何がとんでもないことなのか、停止した脳では理解することができなかった。


「後は民衆を上手く焚き付けられれば戦争はなるでしょう。唯一の気がかりはプリラです。聖女をうまくこちらに抱き込めれば良いのですが。ねぇ、あなた」


 女の姿が変わる。褐色の肌は陶器のように白く、銀に輝いていた髪は金色に、そして尖っていた耳は一般的な丸みを帯びた。


「その為にはカレンを抱き込むのが一番だが……まぁやってみるか」

「ふふ。期待していますわよ」

「それはこっちのセリフだな、ダークエルフ」


 もう用はないとばかりに自分に背を向ける二人。彼は何か大きな存在に見放されるような、そんな不安を覚えた。


「待て! 待ってくれ!! 俺は、俺はどうなる!? どうなったんだ!?」

「ふふ。答えが知りたいなら思い出すといいですわ。最後の瞬間を、心ゆくまで」


 パチン! と女が指を鳴らした。その途端ーー


「なっ!? よせ! やめろ! や、やめ……ギャァアアアアア!!」


 再び自分に向かって振り下ろされる無数の刃。ラルド王子だったものの悲鳴が誰もいない闇の中に響き渡った。そしてそれは日を跨いでも消えることはなかった。

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