第5話 栞さんが本性見せてきたわ @4


「「――――ゑ?」」


 裏返った声が、もう一度裏返った後に裏返り直したかのような。

 僕は無意識にそんな声を洩らしていたらしい。


 何故か、気がつくと、いつの間にか。

 修飾語を付け出したらキリが無いが、とにかく僕らの隣には栞さんが座っていたのだ。


 一瞬で駆け抜け飛び去って行った修飾語たちは、そのまま僕の疑問とも呼べよう。


 何故、ここにいる?

 どうやって、現れた?

 いつから、聞いていた?


 全くの同タイミングで出現した問いは、あっという間に僕の脳に対してメモリ不足を訴えかけた。


 あぁなるほど、脳がショートするとはこういう感覚を言うのだな――と新しい発見に感動しかけるが、残念ながら感動してる余裕とかどこにも無いんだわさっさと仕事しろよポンコツ脳みそ。


 泳ぎまくる僕の瞳が、栞さんの表情をギリギリ捉えた。

 

「あれ?どうしたんですか、風弥さん」


 栞さんが、笑っている。

 いや、笑った顔をいる。


「さぁ、私のことなど遠慮せず続きをどうぞ」


 目が、笑ってないのだ。

 口が、裂けて見えるのだ。


 それは壊れかけの人形のようで。


 ただ無機質な、紅色の硝子玉が、僕を見る。


「はて?どの女の子が、可愛いんでしたっけ?」


 ケタケタと。

 がらんどうの持つ空洞が。


 近づいてきた。









「――――私にも、教えてくださいよ」





 あ、僕これ死んだわ。





☆彡 ☆彡 ☆彡 ☆彡






「…………」


 どうして僕は、正座しているのだろう。

 誰に強要された訳でもないのに――まして何か悪いことをした訳でもないのに、僕はそれ以外の姿勢など許されない気分になっていた。


「風弥さん」


「……はい、なんでしょうか」


 不意に口をつく敬語。

 雰囲気のせいか、何故かしっくりと来る。


「実は私、少し遠慮したんですよ」


 何の話だろう、と疑問に思う。

 しかし口に出して聞く勇気は無いので、取り敢えず全力で考えた。


「風弥さんも男性ですからね。写真アプリを勝手に覗くのは、流石に可哀想かな……って」


 女の子に見られたくないような、えっちな画像とかあるかもしれませんし、と小さく聞こえた。

 その言葉を聞いて、僕はあれらの写真が無事であった理由を理解する。


 だが、理解したという感覚は栞さんと目を合わせた瞬間、恐怖の波に押し流された。


「――もしかして、それも全部消した方が、正解でしたか?」


 …………。


 栞様が大層怒っていらっしゃるぞ。

 如何いかがすればよろしいのか、拙者全く分からんでござる。


 僕は助けを求めるように、横に座る真治に目を向けた。

 このピンチは僕一人で立ち向かうには、推奨レベルが高すぎると判断したのだ。

 

 するも真治は僕の視線に気づいたようで、さり気なくアイコンタクトで僕に合図を送ってくる。

 余裕溢れる真治の表情……もしかしてこれは「俺に任せろ」という意味だろうか?


 流石だぜ真治、お前ならやってくれると信じてた。


 僕は頼りになる友人に、心からの感謝を送ろうと――


「――彼女が呼んでるんで、俺はこの辺で帰ります」


「待てや」


 自分でも驚く程に、低い声が出た。


「いやマジでめっちゃ呼んでんの。ほら見ろよ着信履歴ヤバいだろ?ほらこの『紗夏さなつ』って女の子」


「嘘つけお前彼女いねぇだろうが。どうせ迷惑系の何かだろ」


 さては僕を見捨てる気か。

 絶対に逃がさねぇからな。

 

「くっ、帰るっつってんだろ……ッ!いいから、俺の肩から手を離せ……ッ!!」


「僕には分かる、真治も本当はまだこの家でゆっくりしたいんだろッ!?黙ってお茶でも飲んでけや……ッ!!」


 もしこの場から真治が消えて、僕と栞さんの二人きりになったらどうなるのかなんて想像したくもない。

 相手は気楽に自殺する吸血鬼だぞ?殺されるだけで済むのかも怪しい。


 この男だけは、意地でも道連れに――


「――風弥さん」


「はい」


 ピシッと。

 真治の肩から手を離し、直立不動に姿勢を正す。


 真治は僕の拘束から解放されるが、しかし真治もまた栞さんの方へと目を向けたまま、彫刻のように固まっていた。


「彼女のことは、大切にすべきでは?」


「はい。僕もそう思います」


「彼女が会いたいと言えば、会うべきですよね?」


「その通りです」


「分かって貰えて嬉しいです。……行っていいですよ、藤戸さん」


「え、でも真治のそれは嘘――……い、いや何でも無いです」


 こんなの無理だよ。

 だって魔王より怖いもん。

 もう家に帰りたいよ……って、あぁここ僕の家か。


 栞さんの言葉を聞いた真治は、今まで見たことの無い機敏さで立ち上がると、軍隊のような歩行で出口の扉まで進んでいった。


 めっちゃ膝が震えてるけど。


「それではこれにて失礼します。ささやかながらわたくしめも栞様の恋愛成就を応援しておりますので、何かお力添え出来ることがあれば、いつでもお声掛けくださいませ。……御機嫌よう」


「はい。また明日、お会いしましょう」


 なんか真治も恐怖で壊れてたわ。


 もう訳分からんけど、とにかく真治を逃がしてしまったという事実は変わらない。

 先の綺麗な真治はあまりにも気持ち悪かったが、それすらもどうでも良くなるほどに、僕の本能は警報を掻き鳴らしていた。


「これで、二人きりですね」


「そう、ですね」


「ドキドキしますか?」


「はい。それはもう」


 勿論、恋愛的な意味ではない。

 生命の危機に対してである。


 栞さんは朗らかに笑うと、ゆっくりと右手を差し出した。


「そうですね。取り敢えず、その女の子が写っている写真を見せていただいてもよろしいですか?」


「え、あ……この、スマホの、ですか?」


「勿論です」


 僕は焦る。


 真治の言っていたサーバー?とやらとは別に、これらの写真のバックアップは取ってあるから、消されたとしても問題はない。


 だがそれはそれとして、写真の内容が不味かった。


 冒険を共にした女の子二人についてだが、彼女らは僕に告白を断わられたことで、吹っ切れてしまったのだ。

 もうフラれたし何しても良くね?全力アピ行こーぜ、と叫びながら。


 無論僕の努力により、友人として許される接触で抑えたが、しかしそれでも「写真を見せたら状況が悪化する」という確信があった。


「どうかしましたか?」


「あ、や……いや……」


 ヤバい正解がない。

 どう転んでも破滅にしか行き着かない。


――これ詰んだ?




 と、僕の思考がフリーズする瞬間、ふと聞こえてきたのは栞さんの溜め息だった。

 不満とか怒りとかを吐き出すような、負の溜め息だ。

 

 いつの間にか床を見つめる自分に気づいた僕は、恐る恐る顔をあげる。

 

 すると。


 ゴキンッ、と何かの砕ける音がして。

 首をから上を、力なく垂らす栞さんを見た。


「……ひっ」


――彼女は、自分の首の骨をへし折っていた。


 正座した少女が、正座したままに、両手で己の首を折る。

 その瞳に光はなく、僕には”それ”が死体にしか思えない。


 しかしそれはほんの一秒足らずの光景。

 瞬きの後には元の可愛い姿に戻った栞さんが、僕を見つめていた。


「ごめんなさい風弥さん。私イライラすると――つい死にたくなるんですよね。……いえ、死んではいないんですけど」


「…………っ」


――吸血鬼ヤバい。マジでヤバい。異世界に連れて行かれるよりマシ?何言ってんだ?


 こんな人型種族は何処にもいなかった。

 魔獣ですらこんな一瞬じゃ再生しなかった。


 ……。


「お、お納めください……」


 僕は栞さんの指示通りに、スマホを渡すことにした。


 言う通りにしよう。

 正直に話そう。

 許して貰えるまで謝ろう。


 僕ら付き合ってないから、浮気でもなんでもないけどな。


「わぁ、ありがとうございますっ」


 つい先程の恐怖映像のギャップと相まって、彼女の笑顔には物凄く安心させられた。


 しかし本当の恐怖はここからである。

 あの数々の写真を見て、栞さんは一体どんな反応をするのだろうか。


「……。あぁ、この子たちですか」


 僕の身体がビクリと震える。


「確かにお二人とも可愛いですね」


「で、です……よねー……?」


 そして沈黙が続き、スマホに触れる音だけが響く。


 スマホの画面を横に擦られる度に、僕の心臓が跳ね上がる。次の一枚へと進むごとに、閻魔に裁かれるような気分だった。


 果たして何分が経ったのだろう。

 普段からスマホで時間を確認する僕の部屋に、掛け時計は置かれていない。故にスマホを栞さんに預けた今、時間を確認する術は僕には無かった。


 一瞬とも無限とも取れる時間の中で、僕は冷や汗を垂らし続ける。


 まだこの時間は終わらないのか?……なんて問いを、心の中で幾度となく繰り返して。


 そして、遂に――





「あの、風弥さん」


――静寂を破る、栞さんの声が聞こえてきた。


「は、はい」


 気分は死刑宣告を目前にした囚人のそれである。

 

 僕は、ハーレム気取りの主人公みたく告白の返事を先延ばしにしたりも、鈍感気取って好意に気づかないフリもしていない。


 男らしく、ちゃんとハッキリ断った。

 だからせめて、命だけはお助け下さい。


 僕は震えて耳を澄ます。




 そんな中、聞こえてきた言葉は。


「……もしかして、私が怒っていると勘違いしてませんか?」


「え?」


 激情とは程遠い、優しく落ち着いた声だった。


「……怒ってないの?」


「まさか。私は昔のことを気にするような女ではありませんよ。大事なのは、"今この瞬間"、風弥さんが誰に魅力を感じているかです」


「し、栞さん……っ!」


 僕は不覚にも、涙を零しそうになってしまう。

 恐怖から解放された安堵のせいか、或いは彼女の言葉に感動してしまったのか。


 僕の中で、栞さんの好感度がグングンと上がっていくのが分かる。

 

「ふふっ、お隣失礼しますね」

 

  僕らは向かい合って正座をしていたのだが、栞さんは立ち上がると、僕のすぐ横に座った。

 どういう意図かは分からないけれど、兎に角これで二人一緒にスマホの画面を覗ける位置関係になる。


「どうしたの?栞さん」


 いきなりの接近に驚きはしても、僕はもう栞さんを恐れてなどいない。彼女は優しい女の子なのだと知ったのだ。


「いえ、大したことではないんですけど、風弥さんに一つ聞きたいことがありまして」


「うん、なんでも聞いてよ」


 僕らは長閑のどかに笑い合う。

 そうだよ、これこそが友人としての正しい形じゃないか。


 聞きたいことってなんだろう?と首を傾げる僕に、栞さんがスマホの画面を見せてくる。

 そこには件の二人の少女が、大きく映っていた。


「……今この瞬間の話を教えてください」


 僕は笑顔で頷く。


 「今この瞬間」――なんて素晴らしい言葉だろうか。

 過去のことなど気にせずに未来を見よう、と。


 やはり人間はそうあるべきだよな!!











「――この二人と私。誰が一番可愛いと思いますか?」


 ねぇやっぱり怒ってるじゃん。

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