第4話 栞さんが本性見せてきたわ @3
私は今までの人生の中で、吸血鬼として生を受けたことを幸運だと思ったことは一度もなかった。
無意味に与えられた永い時間に何の価値がある?
死ねないことが、何のメリットになる?
それは幾度となく繰り返した自問である。
人は己に死を見るからこそ、限られた生に輝きを灯すのだ。
どれだけ生き長らえようと、生命が放つ光の総量に変わりはない。
故に永遠の寿命によって希釈された、私たち吸血鬼は常に暗がりを共にするのですよ――
「――みたいなこと言ったら、風弥さんの気を引けたりしますかね?私まだ20年しか生きてませんけど」
…………。
真っ暗な影の中で下らない独り言を呟くのは、花ざかりの吸血鬼である私――ヴラド・栞である。
実際のところ、吸血鬼の身体はかなり都合がいい。
長いこと日に当たっていると気だるさを感じたりはするが、基本的に人間に出来て吸血鬼に出来ないことなど無いのだ。
銀製の刃で切り裂かれると致命傷になる……のは事実だけれど、それは人間だってそうでしょうよと。だから弱点と呼ぶのは違う、と私は思う。
吸血鬼には数多の特殊能力があるが、ぶっちゃけ現代においてはほとんど不要である。
特に霧になる理由なんて本当によく分からないし、使う吸血鬼と言えば厨二病の男の子くらいなものだった。
しかし今日この日、私は一つの特殊能力に心の底から感謝することになる。
それは。
「風弥さんの影の中、幸せすぎます……っ」
他者の影の中に入り込む、という能力に対してだ。
影とは即ち、本人の分身である。
つまり影に入るという行為は本人に包まれる感覚に近く、そしてそれは彼氏のシャツを被る行為に相当する幸福度が存在すると言えた。
彼シャツならぬ、「彼影」。
吸血鬼にだけ許された幸せの形とも呼べよう。
「吸血鬼に生まれて本当に良かった……!」
これが私の、心からの本音だった。
風弥さんのスマホに一通りの細工を済ませた私は、配送などの作業を従者の皆さんに任せて、そのまま風弥さんの影に全力疾走。
細工中の尾行に関しては従者に任せていた為、見失うことなくそのまま合流出来たのだ。
「彼影」による幸福指数のあまりの高さに、今にも死にそうな私ではあるが、ふと頭上から風弥さんの声が聞こえたので、どうにか顔を上に向ける。
『――ってホントだ!!凄い!ウインクして見える!か、かわ……めっちゃ可愛い!!』
「は、はぅ……っ!か、可愛いって言われた……っ!!」
とどまることを知らない幸福の波に、私は両足をバタバタと暴れさせて、呻くことしか出来なかった。
☆彡 ☆彡 ☆彡 ☆彡
「なぁ風弥。もうそのスマホ捨てた方が良いんじゃねぇか?」
あまりにも汚染され尽くした僕のスマホを見て、真治はそんな提案を持ち出した。
僕は軽い気持ちでモノを捨てることに抵抗を持つタイプなのだが、しかし今回ばかりは仕方がない気もする。
スマホに施された細工はあまりにも数多く、安全の証明に関して言えば絶望的過ぎた。
「何も無いことを証明するのは難しい」とはよく言うが、僕のスマホはまさにそんな状況である。もう罠は無い、と言い切ることができないのだ。
「そうかもねー……。勿体ないけど、ビクビクしながら使い続けるのも嫌だし」
大学で爆発とかされたら笑えないもんね、と。
それに考えてもみれば、このスマホを買ってから二年ほどが経つ。まだまだ使えはするけれど、丁度いい替えどきではあった。
「……でもさ、残したい写真とか結構あるんだ。僕あんまり機械とか得意じゃないから、データの移行とか不安しかない」
「最近はサーバーに預けとくだけだからクソ簡単だぞ。そんくらい俺がやってやるわ」
「ほんとに?助かるよ」
僕は真治のことを少し見直しつつ、手に持ったスマホを真治に預けた。
僕が機械を苦手とするのも実は理由があって、子供の頃の数年間を複数の異世界で過ごしたことに由来する。当然その間は地球の技術進歩には触れられないわけで、結果として知識が欠けたまま今に至ったのだ。
機械音痴という程のものでもないが、しかし同年代の平均よりも劣っているのは否定できなかった。
スマホを手に取った真治は、リズミカルに僕のスマホを叩いていく。
「アルバムは……あぁ、これか。写真は全部残して良いのか?」
「うん、大丈夫」
「本当に良いんだな?」
「え、なんでそんなに確認するの?」
「九割が栞さんの写真だから」
「なんですと」
慌ててスマホ画面を横から覗き込むと、確かに一面が栞さんの姿で埋まっていた。
画面の端から端まで、余すことなく栞さんである。
「……おうふ。ここまで来ると圧が凄いね」
「そうだな。しかも元々撮り溜めてた写真だ。コート着てる写真に、水着姿の写真まである」
「わ、ホントだ。……なるほど水着ね、これがB88 W58 H86の威力」
「お前バカのくせに、こういうときだけ記憶力いいよな」
「うっせ。どうせお前も覚えてただろ」
僕は揶揄うように真治の顔を見るが、しかし相変わらずの澄まし顔だった。
「…………あ?」
だが突如、真治の顔色が変わる。目を見開き、まるで何か信じられないものを見つけたかのような表情の変化だ。
何事かと思い、僕も真治の視線の先を追いかける。
すると、そこにあったのは――
「……風弥、お前これ……。この写真、なんだ?CGか?」
――ドラゴンに跨る、僕の写真だった。
「あ、懐かしい。『グリム』だ」
「……グリム?」
「うん。僕が初めて異世界に連れて行かれたときに、一緒に冒険してくれたドラゴンだよ。コイツのお陰で魔王のところまでは行けたんだ」
「…………。へぇ、そうか」
「え、もしかして疑ってる?」
「いや、100%本当だってことは理解してるよ。……理解してはいるんだが、脳が勝手に有り得ねぇって拒否すんだわ」
それは難儀だな。
改めてスマホに目を向けると、僕が勇者として呼ばれた世界で撮影した写真が、集まって並んでいるのが見える。
かなり前の携帯で撮影した写真であるため画質は荒かったが、そこには確かに僕の冒険の思い出が残っていた。
真治にとってはこれらの写真が衝撃的だったのか、頭痛に耐えるように頭を抱える。
「……てか、なんだ?じゃあ風弥は魔法とか使えんの?」
「無理だよ。この世界には魔力が無いし」
世界を跨げば、学んだものに意味は無くなる。
どれだけ必死に覚えた魔法も、使えるのはその世界でだけなのだ。
剣を振ったことによる単純な筋トレ効果くらいは残るが、しかし「身体強化魔法」が使えない以上、異世界と同じようなことは決して出来ない。
今写真で見ている、僕が救った三つの世界のうち一つ――『グレイシア』。
そこは断トツで
正直『グレイシア』みたいな世界ばかりなら、積極的にヒロインを助けるのもやぶさかではないのだが――
「…………っ」
――しかし三つ目の異世界での光景が、二度と見たくない地獄として僕のトラウマに残っていた。
「風弥?何ぼーっとしてんだ。大丈夫か?」
「……ん?いやさ、よくよく考えたら栞さんは僕を異世界に連れて行かないだけ、大分優しめなタイプだなって」
一度心が折れた僕にはもう、主人公の資格はない。
助けられそうなヒロインだけ助ける、なんて都合の良い選択肢が許されるはずもなかった。
「……ところで風弥。この写真に写ってる、超可愛い子二人とイケメンは誰だよ」
僕は真治に向けられたスマホを見る。
『グレイシア』にて撮影した写真の中で、超可愛い子とイケメンと言われ、思い当たるのは彼らしかいない。
スマホに映っていた写真は、予想通りの一枚だった。
「あーそれね。仲間だよ仲間。所謂、勇者パーティって奴」
「勇者パーティ……。勇者?お前が?」
「うん。大怪我は何度もしたけど、なんだかんだで結構楽しか――――ぶべら。……おい真治、今なんで殴った?」
「いや、勇者ならこれくらい余裕かなって」
「本音は?」
「横に美少女二人とかめちゃくちゃムカつくだろ」
「風・神・脚ッ!!!」
「ちょ、あぶ……っ!?……てか今の何だ!?カッケェ!」
元々必殺技にしていた攻撃手段の一つだが、今のは見た目だけそれっぽい普通のキックである。
真治は恐々としていたけれど、それなりに運動神経のある人なら普通に身につけられると思う。
「それにしても真治、ホント懐かしい写真を見つけたね。僕ってば撮ったは良いけど、あんまり見返さないからさ」
「分かる……って言いたいとこだが、異世界の写真は見返すだろ流石に」
「そう?」
思春期の大半を異世界で過ごしたせいか、もしかすると僕の感性は少しおかしいのかもしれない。
「因みにこの写真の三人はどんな連中なんだ?やっぱり姫様とかなのか?」
「うん。姫はその銀髪の子だね」
「あっけらかんと……。他の二人は?」
「猫耳の女の子は、獣人の国で異端児として捨てられたところを助けた感じ」
「よくある展開」
「横のイケメンは精霊騎士って奴だね。腹立つくらいにモテるから、三日に一回は顔面に蹴り入れてた」
「なんで仲間にしたんだ?」
「性格は合ってたんだよ、ただイケメンなだけで。イケメンじゃなければ最高の仲間だった」
「私怨しかねぇな」
そりゃ黄色い声援だけ横に流れていったらムカつくでしょ。僕も頑張ってるのに。
「だが……他の写真を見る限り、仲間の女の子二人にはお前が好かれてるように思えるが。かなりベタベタくっ付いてるし」
「それは、まぁ。……へへっ(鼻こすり)」
「お前の顔ってサッカーボールに似てるよな。――風・神・脚ッ!!!」
「ほぁ危な!?え、てか一目見ただけでもう出来るようになったの!?真治お前天才か!?」
まさか僕よりも勇者の才能ありそうな奴が、こんな身近に居るなんて。
「どうしてだろうな。……風弥に攻撃を仕掛けるときだけは、どんな不可能でも可能に変えられる気がする」
「対僕決戦兵器かよ」
勇者向き?全然違うわ。
むしろ敵役としての適性が高すぎて、もし異世界に真治(四天王)が居たらワンチャン負けてたかもしれない。このクソ野郎ってば、何故か僕に特攻効果持ってるみたいだし。
「……で、話は変わるが風弥さんよ」
「ん?なにさ」
ふと真治は、僕を諭すように話しかけてくる。
「正直に話せよ」と目で語ってくるそれは、まるで合宿夜の就寝直前に現れる、あの恋バナのノリだった。
「HeyHey、この子らとはどこまで行ったんだい?付き合ったりはしたんだろ?」
なるほどそういう質問か……と理解した僕は、ニヤリと笑みを浮かべて意味深な雰囲気を作り出す。
真治の謎テンションにはやや腹が立つが、しかし僕は比較的ノリが良い方だという自負がある。ちゃんと空気だって読めるし、その場のテンションにも合わせられるのだ。
「……ふふん、どうだったかなぁ?少なくとも告白は何回もされたけど」
「おいおいマジかよぶっ殺すぞぶっ殺すわ」
「急にガチトーンに戻るのやめろよ。ノリに合わせた僕がバカみたいじゃんか」
なんだ今の。合宿フェイント?器用なことすんじゃねぇよ。
因みに何度も告白されたのは本当だが、二人と付き合ったことは一度もない。
最初から最後まで地球に帰る気満々だった僕は、彼女らに無責任なことは出来ないと考えて断ったのだ。
「クソが……。テメェばっかりモテやがって」
「いやでも、僕の場合は『そういう子』だけだし……。むしろさ、勇者になって世界を救っても尚、普通の女の子には一回も告白されなかったんだよ?そっちの方が絶望的じゃない?」
「確かに世界救ってもモテないなら、もうどうしようもねぇな。それはそれで可哀想だ……」
世界救う以上に何しろってんだろう。
少なくとも僕には何も思いつかないな。
「にしてもそうか。……風弥も告白自体はされてんのか」
「まぁねー」
風弥”も”という言い回しが少し気になるが、まさかそんな訳ないかーと僕は気にしないことにした。
「ぶっちゃけ、告白されてどんな気分だったよ」
「そりゃ嬉しかったよ。二人とも凄く可愛いし」
「普通そうだよな。……あー妬ましい」
結論付き合うかどうかは別にしても、好意を向けられること自体に不快感を覚えるはずもない。
僕も男ですし。
「ところでお前さ、もし栞さんにこの会話聞かれてたら結構ヤバイよな。他の女に告白されたとか、その子らを可愛いだとか言ってよ」
「聞かれてる訳ないでしょ。ここ僕の部屋だよ?」
防音バッチリとかではないけれど、それでも僕にとって一番安全な場所はここである。
万一にもこの部屋での会話が筒抜けだなんて事態になれば、僕はもう大学辞めて旅に出るだろう。
「冗談だっつーの。真に受けんな」
「やめてよ。想像したら寒気したじゃんか」
「ははっ、マジで鳥肌立ってやんの」
「あぁ本当ですね。風弥さん、もし寒いのであれば毛布をご用意しましょうか?」
「毛布だってよ。どうする風弥」
「何言ってんのさ真治、今は7月だよ?毛布なんていらないに決まってるでしょ」
「それは失礼しました。私、まだ日本の気候についてよく分かっていなくて」
全く栞さんは、しょうがないなぁ。
「「――――ゑ?」」
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