第2話 栞さんが本性見せてきたわ @1


 今日の空は晴れていた。

 見上げればそれだけで視界の九割は青に染まり、その青を隠す僅かな白雲も流れも落ち着かせている。


 快晴微風に湿度も適度。

 外を駆け回るには最適な一日だと言えるだろう。


「もう……っ、もう無理……!これ以上は走れない……っ!」


「はぁっ……、はぁっ……。……つーか、なんで……俺まで走らされてんだ……っ」


――とはいえ、死ぬ気で走りたいとは言ってない。


 流石は「吸血鬼」と言うべきか、栞さんの身体能力はあまりに凄まじく、何処まで逃げても僕らを追いかけてきた。


 幸い僕らの方が大学の構造を深く理解しており、また街に対する土地勘も優れていた為、どうにか彼女を撒くことは出来たが、しかしギリギリだったのは間違いなかった。


「な、何者なんだよ栞さんは……っ!本当に人間なのか!?」


「……し、知らない方が良いと思うよ。……どうしても知りたいなら、教えるけど」


「……。やめとくわ」


 それが賢明だ、と僕は思う。


 吸血鬼の存在を知った真治がどんな目に遭うかなど、考えたくもない――というか吸血鬼の存在を知っちゃった僕は、どんな目に遭うのだろう。

 

 僕らは小一時間の逃走劇の果てに、遂に我が家へと辿り着いた。


 一人暮らしの小さなアパートではあるが、大学との距離や買い物などの利便性を考えるとそれなりに良質な物件だ。

 生活に使える部屋は一つだけれど、四人程度ならゆったりと過ごせる広さはあるので、手狭に感じたことはなかった。


 僕は玄関の鍵を開け、真治を家へと招く。


「さ、入っていいよ。この中は安全だからゆっくり休もう」


「おう、サンキュー。……てかよ、さっきも言ったがなんで俺まで走らされたんだ?俺は関係ねぇよな。追われてるの風弥だけだよな」


「さ、入っていいよ。この中は安全だからゆっくり休もう」


「その笑顔やめろ。ぶん殴るぞNPC野郎」


 いや、だって「最悪真治を足止めに使ってやろうと思ってました」なんて言えんだろ。

 僕は真治という人型バリアを信頼しているんだ。こんなところで失うわけにはいかない。


 真治は不満げな表情だったが、僕は気にせず部屋へと進んで行った。


「はぁ……。やっと休めるね」


 しっかりと鍵を締めたことを確認した後、深く息を吐いて座り込む。

 家に逃げ込んだことで無意識に安堵してしまったのか、溜まっていた疲労がどっと表に現れるような感覚を覚えた。


「それでお前、これから栞さんのことどうするんだ?」


「どうするって言われてもね。栞さんが僕に飽きるまで逃げ続けるしかないよ。関わるのはゴメンだし」


 栞さんとの出会いを無かったことにする、なんてチート能力でもあれば話は別だが、残念ながらにそんな力は無い。

 

「……飽きるまでか。そうすると風弥の家がバレたら終わりだな」


「そうだね。……それだけは全力で隠さなきゃ」


 万が一にも僕の住所がバレたらと思うと寒気がする。


 栞さんが、紅く濁った瞳で「風弥さぁぁぁぁん!!」って突撃してくる姿は、僕の悪夢フォルダに鮮明に残された。

 それが我が家にまで襲いかかるなど、想像するだけで震えが止まらない。


「まぁ流石に当分はバレねぇよ。気楽に行こうぜ」


「う、うん……だよね」


 少なくとも大学卒業までは隠し通したい、と僕は思う。

 卒業さえしてしまえば引越しも容易いし、なんなら旅に出ることだって出来るのだ。


「……よし」


 第一の目標は「大学卒業まで住所を隠しきる」こと。

 明確な段階を想定することで、栞さんから逃げ延びる為のビジョンが固まっていくのを感じた。


「ねぇ真治、悩んでも仕方ないしゲームでも――」


 と、僕が真治に提案しようとしたときである。



――ふと、インターホンが鳴った。


「……ん?誰か呼んでたのか?」


「……いや。今日は誰とも約束なんてしてないよ。そもそもスマホぶっ壊したから誰とも連絡取れないし」


「あぁ、そうだったな。……マジで容赦無く踏み抜いてたもんなお前」


 僕にとってもスマホは大事だが、命には変えられない。


 一体誰だろうと思いながら立ち上がると、ちょうど玄関扉の奥から声が聞こえてきた。


『宅配便でーす』


「なんだ、ただの荷物じゃねぇか」


「……?注文なんてしたっけ」


 僕もAmazunはよく利用するが、しかし今日届くような何かを頼んだ記憶はない。

 僕は不安に思いながらも、とりあえず玄関の扉を開いた。


 そこに居たのはいつもお世話になっている宅配のお兄さんである。

 特に変わったこともない、普段通りの光景。


 僕は「杞憂だったかな」と心の中で呟きつつ、受け取りを済ませると、何事もなく玄関の扉を閉めた。


「……なんだこれ」


 そして受け取った荷物は、小箱程度の小さなダンボール。

 送り主の名前は何処にも書いておらず、中身も全く分からない。


「親からの仕送り……ではねぇよな?」


「わざわざこんな小さい箱で送ってこないでしょ。……大体、送り主が書いてない時点で有り得ない」


 僕にも思い当たる節がなく、床にポンと置かれたその箱は静かに不穏な空気を放つ。

 しかし放置する訳にもいかず、僕らは恐る恐る開いてみることにした。


「……っ!」


 その、中身は――


「お、おい。これって確か……」


「…………なんで、こんなところに」





――壊した筈の、スマートフォンだった。



 沈黙。


「……」


「……」


 いや、おかしいだろ。


 僕のスマホは、逃走開始地点のすぐ側に落ちている筈である。ただの鉄くずとして捨てられていた筈である。


 なのに、手元に戻ってきた。


「……しかも直ってるし」


「……あれから二時間も経ってねぇぞ」


 つまりはたったの二時間で僕のスマホの修理を済ませ、この家に送りつけた人間が存在するということだ。


「……ねぇ真治。犯人、誰だと思う?」


「栞さん以外に有り得んのか?」


「だよね」


「つかもう住所バレてんな」


「それな」


 第一目標、一分も持たずに崩れ落ちたんだけど。

 どうすんだよこれ。


「……あぁ、なるほど」


 いま思えば、僕らが栞さんから逃げ切れたこと自体が有り得なかった。

 きっと彼女は途中から僕らを捕まえるのではなく、尾行することへと目的を変えたのだろう。


「栞さんてば手段選ばなすぎて草」


「お前もう詰んでるぞ」


「うるせぇ」


 どうやら僕は、栞さんを舐めすぎていたらしい。

 流石は吸血鬼のお嬢様といったところか。


「……まぁ仕方ない」


 失ったものは失ったとして前向きに考えよう。

 我が家という安置は消え去ったが、代わりにスマホが戻ってきたのだ。つまりは助けを呼ぶ、という選択肢が生まれたとも言える。


 脳裏に知り合いの顔を並べながら、僕は帰ってきたスマホを手に取った。


「データも無事なら助かるんだけどね」


 LINEで繋がっている友人に関しては問題ないが、LINEをやっていない人達も幾らかいるため、電話帳が消えるとそこそこ困るのだ。


 データが無事なのであれば、壁紙もそのままの画像になっている筈だけれど、さてどうだろう。

 ちなみに僕はスマホの壁紙に、実家で飼っている柴犬の写真を設定している。


 要するに、壊れる以前と同じように愛犬の画像が映ればデータはセーフ。初期画像が映ったのならデータはアウトということだ。


 そして、祈りながら電源を入れると――


「…………」


「…………」


――ロック画面に、栞さんの笑顔がどアップで映った。


 ピースしてる。可愛い。


「……健気で良いじゃん。付き合ってやれば?」


「他人事だからって調子乗んなよ」


 憎らしい真治の言葉につい拳に力が籠るが、今の僕に真治の相手をする余裕はなかった。


 何故なら壁紙を変えられた、ということはロックナンバーを当てられたということであり、中身を弄られた可能性が高いからだ。

 弄られたのが壁紙だけであれば問題ないのだけれど、彼女がそれだけで済ますとは到底思えない。


――この中には一体何が……?


 僕は震える手を押さえつけながら、ロックを解除するのだった。

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