ヒロインからの逃げ方講座

孔明ノワナ

第1話 僕は主人公をやめました


 僕はいたって普通の男子大学生である。


 勉強も運動も中の中。

 やや素行不良の烙印を押されてはいるものの、講義自体は真面目に受けているから、目をつけられているという程でもなく。

 要するにありがちな大学生活を、ありがちな品質を保ちながら、ありがち程度に頑張っているのが、僕という人間なのである。


 しかしどんな人にも、大なり小なり何からしらの特徴がある訳で、その例に漏れず僕にも一つの変わった特徴があった。


 それは。


「――貴方が私のマスターか?」


 変わった人たちが時折目の前に現れて、僕を主人公として巻き込もうとする、というもの。


 聖女様とか魔法使いとか、明らかに違う世界の住民も混ざっているため、ぶっちゃけ冗談にはなってない。

 彼ら彼女らの一言目の種類は幅広く、「やっと見つけましたわ勇者様!」から「あの機体を動かせるのはキミだけなんだ……っ!」まで、各々が無限の世界観を押し付けてくる。


 因みに今回は青い服を来た騎士王みたいな女性が、光り輝く魔法陣と共に現れたパターン。いつも通りにとんでもない美少女だが、僕としては慣れたもの。


「人違いですね」


「え?しかし貴方からは膨大な魔力の気配を感じる」


「今日の朝食カツカレーだったんで」


「カツカレーにそんな効果が……?」


 綺麗な人だなぁと彼女を目の保養にしながら、僕は脳死した回答を述べていった。

 僕の思考はすでに、「早く帰って欲しい」が半分以上を満たしている。


「騒がしいな……。有路之あるじの、お前また美少女を呼んだのか。今は授業中だから帰って貰いなさい」


 ふと正面から、椀力わんりき教授の注意が聞こえてくる。


 今は物理の授業中。

 辺りには黒板をチョークで叩く音だけが響き、同じ教室で授業を受ける友人たちは、誰一人として口を開かない。


 唐突な魔法陣の出現にも関わらず、一切のリアクションが無いのは、彼らもまた僕の特性に慣れきった歴戦の猛者である証だった。


「あの、そういう訳なんでお引き取り頂けます?」


「いえ、どういう訳でお引き取り願われているのかまるで分からないのですが……」


 彼女は泣きそうな表情を浮かべながら僕を見つめるが、しかしこちらの答えは決まっている。


 これは望まぬ主人公体質として生まれてしまった僕が、あらゆるヒロインの要望を蹴り飛ばしていく物語。







☆彡 ☆彡 ☆彡 ☆彡








「聞いたぞ風弥ふうや。お前また変わった女の子に絡まれたんだって?」


 無事に物理の講義を終え、どうにか迎えた昼休み。僕は一人の友人と歩いていた。


 彼の名は藤戸とうど 真治しんじ。そこまで長い関係ではないのだが、なんだかんだと一番の悪友として、共に過ごしている相手である。


 顔を上げると、真治が揶揄からかうような笑みを此方こちらに向けていることに気づく。


「うん。金髪の綺麗な人だったよ」


「ほう、金髪。悪くねぇな。その人は今どこに居るんだ?」


「さっき唐揚げ食べさせてあげたら、『私の願いは叶いました。満足です』って消えていった」


「軽すぎんだろ」


「凄い幸せそうだったし別にいいかなって」


 あそこまで美味しそうに食べて貰えれば、きっと唐揚げも満足だと思う。あんなにキラキラと輝く瞳はそう見れるものではないし、たったの数百円であの笑顔を拝めるなら安いものだろう。


 しかし真治は何か納得いかない様子で僕を見る。


「毎度思うんだが勿体なくねぇか?風弥ほど、美人との出会いに恵まれてる奴なんてそうそう居ないぞ。お近付きになりたいとか思わねぇの?」


「いや無理でしょ。真治、可愛い子と仲良くなる為だけに世界救える?めっちゃ死ねるよ」


「それはそうだがなぁ……」


 それに僕の代わりなんて幾らでもいるだろうし、一々付き合ってられるほど暇じゃない。

 まぁ実際のところ暇か暇じゃないかで言えば暇かもしれないが、しかし僕には「(普通の)彼女を作る」という目標があるのだ。


 合コン飲み会に部活動。チャンスはしっかり探っていかないとね。


「でもお前モテねぇし。そのヤバげな子たちとしかチャンス無くね?」


「え、何?急に喧嘩売ってくるじゃん。殴っていい?」


 唐突なディスに拳が疼く。


 真治は僕よりも身長が高く、フィジカルも遥かに及ばないが、しかし開幕で一撃入れれば十分に勝機はあるだろう。


 股間→顎→股間のワンツースリーで沈めてやるよ。


「まぁ落ち着けって。俺はお前をバカにしてる訳じゃなくて、ただ事実を述べているだけ――って危な!?今お前マジで振り抜いたな!?」


「殴っていいか聞いたよ」


「殴っていいなんて言ってねぇだろ!日本語分からんのか!?」


 はは、返事し忘れただけかと思ったわ。真治ってば忘れっぽいからね。対話するにも相手がこれじゃあな、というのが僕の結論である。


「大体さ、僕にモテないとか言うけど真治だってそうでしょ。彼女いないの何年目?」


「ちょうど21年目だな」


「僕はまだ20年と半年だけど?僕の勝ちじゃないこれ」


「それ自分で言ってて悲しくないか?」


「……」


 こういうのを自爆と呼ぶのか。誰も救われないし誰も報われない。

 流石の僕も反省せざるを得なかった。


「今の発言は聞かなかったことにするが……、しかしそれはそれとして、お前が俺よりモテると思ってるのは気に入らねぇな」


「事実だし」


「は?ならルール決めて白黒つけようじゃねーか」


「ほう、いい度胸だね」


 真治をボコして奴の顔の原型を無くせば、相対的に僕の勝利にはなるが、しかしそんな手段を使うほど僕も鬼じゃない。感謝しろよ。


「それで、どんなルールで決めるのさ」


 どんなルールだろうが、僕の方がイケメンであるという事実は変わらないけど、不正を挟まれる可能性は排除したい。


 あまりにも不公平なルールであれば、断らざるを得ないが――


「簡単だ。次に見つけた女の子に『俺らのどっちがイケメンですか?』って聞けばいい」


「正気かお前」


 恥とか外聞とか何処に置いてきたの?幼少期の情緒形成に失敗してるよ絶対。そんな訳分からん奇行に走ったその日には、学科内での居場所が無くなるわ。

 少なくとも彼女を作れる可能性はゼロに落ち着くだろう。


 僕の中で「コイツと縁を切った方が彼女できるんじゃね?」という疑惑が生まれつつあったが、しかし横にブサイクを置いた方が僕がイケメンに見える説もあるので、利用価値で言えばプラマイゼロかギリギリプラス。


「何を悩んでるんだ?」


「うん?これからも真治とは仲良くしたいなって」


「へへっ、よせやい」


 嬉しそうに鼻下を擦る真治だったが、別に喜ばれるような理由ではなかった。


「ふーむ」


 さてと話を戻すが、真治の提案は当然ボツとして、一体どんな手段で僕の顔面の方が優れていると証明すべきだろう。


 どうしたものかと悩んでいると――


「きゃぁぁぁぁぁ!!退いてください!!!!」


 ふと、空から女の子の叫び声が聞こえてきた。


「……え、上?」


「お、出会いが降ってきたぞ。物理的に」


 あまりにも唐突過ぎる出来事に一瞬頭が真っ白になるが、すぐに「いつもの奴」だと理解する。

 

 頭上を見上げると、そこには超速で落下してくる黒髪ロングの女性がいた。当然の如くスーパー美少女ではあるのだが、漂うポンコツ臭が鼻を突く。


――なるほど、これ特に関わっちゃダメなタイプだ。


 僕はあらゆるヒロインと出会ってきた為に、その特徴を一瞬で見抜くことが出来る。それこそ例え落下中だろうとも、そして落下の影響で滅茶苦茶パンツが見えていようとも、である。


 むしろパンツさえ見えれば性格の七割が掴めると言っても過言ではない。


 やや高級感のある白のレース。

 恥ずかしがり屋のお嬢様ってところか。

 マフィアに追われてる最中と見た。


「真治、あのパンツはヤバいよ!」


「頭打ったか?」


 焦って言葉選びを間違えたわ。これは僕が悪い。


 いや待て、巫山戯てる場合ではないぞ僕。彼女の落下コースが僕に向かって一直線なのは言うまでもなく、接触までの時間はもう長くない。

 

 彼女とは心底関わりたくないが、流石に落下死を見て見ぬふりするのは良心が痛むし一旦助けるしかないだろう。

 ささっと助けてすぐ退散、これが今回の最適解だ。


 かかって来やがれ死に物狂いで受け止めてやる。


「よっしゃこぉぉぉぉい!!!」


「マジかお前行くのか!?死ぬぞ!?」


 真治が物凄い顔で絶叫しているが、気にするほどの余裕はない。


 僕は足腰に全力で力を入れ、そして――――


「ふんぬぅぅぅう!!!」


「きゃっ!!」


――どうにか、彼女を受け止めた。


 僕の両足を中心にしてコンクリの地面にはヒビが入り、凄まじい衝撃音が響き渡る。

 若干足が痺れて視界に光が走るが、騒ぐほどのダメージではなかった。


「風弥、お前……すげぇな……」


「主人公補正舐めんな」


「主人公補正ってそういうのなのか……?」


 僕は喧嘩が強いわけでも何でもないが、しかし大体のことはなんだかんだでなんとかなる。


 どうにか危機を乗りえた僕は、腕の中に収まる美少女に目を向ける。パッチリとした瞳に、長い睫毛。大人しげな雰囲気と合わせて、一目で育ちの良さが分かった。


 少なくとも一般人でないのは明白。即時退散せねば。


「さて、と。怪我は無い?無いよね?うん良かった良かった。それじゃ真治、早く次の講義に行こうぜ!遅れたら大変だ!」


「こんにちは、綺麗なお嬢さん。いきなりの質問で申し訳ないのですが、俺とコイツのどっちがイケメンだと思います?」


「バカもうお前ホントにバカ」


 本当に聞く奴があるか。

 絡んじゃダメなんだってマジで。


 僕は真治にだけ聞こえるように、声を抑えながら怒鳴りつける。

 

「(見て分からないの!?この子はヤバい子なの!最悪真治も死ぬよ!?)」


「(いやいや待てよ。そりゃ魔法陣とかオーバーテクノロジーで現れた女の子なら分かるけど、この子は落ちてきただけだぞ?ワンチャンあるって)」


「(ねぇよ)」


 つーかなんだよ「落ちてきた」って。普通の女の子は落ちてこねぇんだよ、異常事態に慣れすぎだボケ。

 ああクソ真治が下手に会話を振ったせいで、逃げるに逃げられなくなってしまったではないか。


 僕は真治の耳元に口を近付けたまま、目線だけを件の美少女に向ける。

 あわよくば偶然にも余所見をしていて、真治の声が届かなかった、なんて奇跡を期待したかったのだが――


「……っ」


 何故かメッチャ僕の方を見てた。

 頬を赤く染めながら。

 とても恥ずかしそうに。


 しかも僕が彼女と目を合わせた途端、慌てたように視線を逸らすのだ。


「そ、其方の……私を受け止めてくださった方が……わ、私の好み……です」


 で、このセリフ。

 さてはお前チョロインだな?


「(おい風弥。この子、男を見る目がないから普通の女の子だぞ)」


「(謎の基準持ち出すのやめろ。この子の美的センスは正確かつ一般的だ。あと絶対に普通の子ではないからね)」


 普通の女の子は、こんな一瞬で誰かに惚れたりしない。


「(じゃ幾つか質問してみようぜ。それでハッキリするだろ?)」


「(いや、そんなことしてる場合じゃ――)」


 チョロイン相手の場合、脱走は時間との勝負なのだ。話せば話すほど事態は悪化していき、後戻りが出来なくなる。


 しかし真治は僕の言葉を気にも止めず、早速とばかりに質問を始めやがった。


「お嬢さん、名前はなんて言うんです?」


しおりです。……苗字は、言えません」


「(ほら見ろ真治!苗字が言えない一般人なんて居てたまるか!!)」


「(いやまだ分からんだろ!離婚やらで複雑な家庭事情なだけかもしれん!)」


 なんで!?なんでそんなムキになってんの!?

 もういいじゃんさっさと逃げようぜ!


「……あの、其方の……貴方はなんというお名前なのですか?」


 栞さんが、もじもじと僕を見ながら問うてきた。

 徐々に逃げづらくなっていくのを感じるが、しかし僕はまだ諦めない。ここは少しでも親密度が上がらないようにしよう。


「……実は僕も、苗字が言えないんです」


「そうですか、貴方も複雑な環境にいるのですね。……では、下のお名前だけでも」


「……下の名前も、秘密なんです」


「もしかして私よりも複雑……っ!?」


「こいつ有路乃 風弥って言います。因みに俺は藤戸 真治ですよろしく」


「おっと手が滑って拾っちゃった石で死ねぇぇぇえ!!!!」


「い、石はやめろ……ッ!」


 僕は全力で手を滑らせるが、しかし真治はまるで僕のこの行為を予想していたかのように受け止める。

 なるほど、コイツ僕が襲いかかるのを承知の上で名前をバラしやがったのか。ちくしょう足も滑らせるべきだった。


 真治は僕の腕を押さえつけたまま質問を続ける。


「栞さんもこの大学の生徒なんですか?」


「はい、そうですよ。法学部です」


「(……ん?ってことは普通なんじゃねぇか、風弥)」


「(確かにこの学校の生徒ってなると、一応その可能性も出てくるけど……)」


 この学校の生徒ということは、この辺りで長く生活しているのだと判断できる。

 異国とか異世界からの来客がメインである僕からすると、僅かではあるが同じ大学所属というのは安心の材料に――


「……昨日から」


「(昨日から!?今ぼそっと昨日からって言ったよこの子!入学式三ヶ月前なんだけど!?)」


「(編入って可能性も有り得なくはないだろ)」


「(いやいや絶対に変な権力とか関わってるって!アウト!もうアウト!)」


 偶然にもタイミング良く昨日編入してきた?そんな訳あるか、どう考えても僕の特性に引っ張られてるだろ。

 もう確定、明らかにこの子は「ヒロイン」として現れた少女である。議論の余地など残らない。


 故に僕のこれからの行動に選択肢などなかった。


「ごめんね、栞さん。僕ら本当にそろそろ次の教室に向かわないと遅刻しちゃうんだ。また今度会ったら改めてよろしくね」


 僕はさっと手を振り、返事も聞かずに歩き出した。


「……え、待って――」


 寂しそうな声が微かに届く。


 でも聞こえなかったフリをした。

 栞さんの主人公は僕じゃない。

 きっと彼女が惚れるべき相手は別にいて、彼女を助ける人だって別にいる。だから僕は関わらない。


 僕らはすれ違っただけなのだ。街中で数多の人と交差するように、偶然少し触れただけ。


「……良いのか?泣きそうな顔してたぞ、あの子」


「良いんだよ別に。大した話もしてないじゃんか」


 いつの間にか、真治は僕の横に並んでいた。僕が本気で嫌がるラインを越えない辺り、僕のことをよく理解しているなと思う。


 あそこが本当に限界なのだ。

 何度も繰り返す中で、何となく分かるようになった引き際。分水嶺。関わらざるを得なくなる臨界点。


 絶対に越えてはならない一線がある。


「それにしても可愛い子だったな。俺もあんな子を彼女にしてみてぇもんだ」


「そうだね。僕もそう思う」


「まさに理想の美少女って感じ」


「ホントに」


「清楚系の極地を見た気がするわ」


「それな」


 僕は真治の言葉に頷いていく。

 その返事に嘘はない。本心だ。


 だがそれでも僕は、決して彼女と関わらない。

 ヒロイン達と深く関わったその先にあるのが地獄だと、僕は身をもって知っているから。


 腕が千切れた記憶がある。

 腹を焼かれた記憶がある。

 己の内蔵を見せられた記憶がある。

 

 思い出したくもない記憶の山が、僕の根底には埋まっていた。

 だから僕は、絶対に振り向かないと決めたのだ。


 しかし。


「そういや栞さん、首元に変な痣があったよな。気付いたか?」


「……は?首に、痣……ってお前、それ――」





――それ首吊りに失敗した跡じゃね?、と。





 つい、振り向いてしまった。


「……っ」


 そこには複数の男に囲まれ、俯く栞さんの姿があった。


 先程までの何処か楽しげな色は微塵も見えず、ただ薄暗い絶望と失意だけが僕のところまで伝わってくる。

 あの男たちに捕えられることが、栞さんにとってどんな意味を持つのかは分からない。どういう状況なのかも分からない。


 ただ俯瞰することで、改めて気づけることはあった。


「そもそも……」


 ……栞さんは、何故空から落ちてきたのだろう。


 誰かに追われて、慌てるがあまりに足を滑らせた?

 それとも落ちても死なない算段でもあったのか?

 

――自殺、しようとしたのではないか?


 真治の言う、首についていた跡とやらだってそうだ。

 首吊り以外に何が思いつく。


 自殺。自殺。自殺。


 彼女は、自殺せねばならない程に追い詰められているのか?

 それほど苦しい環境に置かれているのか?


 ならば、あの男どもに捕まったとき、栞さんはどんな目に合うのだろう。


「なんだよそれ……ッ!!」


 気付かなければ、こんな葛藤など必要なかったのに。


 間違えるなよ、僕。一時の情に目を眩ませるな。

 地獄を見るのは僕だ。苦しむのも僕だ。真に何かを救うには代償がいる。痛みがいる。

 

 そしてそれを払うべきは、僕じゃない。

 誰か他の主人公だ。


「関係ない。僕は関係ない」


 自分に言い聞かせるように、小さく、呟く。


 早く逃げよう。

 こんな場所にいる意味は無いだろ、と。


「…………っ」


 なのに、彼女と目が合ってしまった。






 僅かに顔を上げた栞さんの表情は、今にも壊れそうで。

 僕の中の優先順位が分からなくなった。


 天秤の傾く音がする。

 心の軋む音がする。


 頭を掻き毟って、思い切り溜め息を吐いて、そして、そして、そして。

 

 ずっと守ってきた分水嶺が、崩壊した。


 



――助けなきゃ。





「お忙しいところ申し訳ないです、お兄さん方。少しこの子をお借りしますね!」


「……え?」


 すっと脇から、彼女の手を引き寄せた。

 栞さんは驚いた顔で僕を見つめる。


 立ち位置的に、彼女の顔が僕のすぐ横にきた。

 あぁめっちゃ可愛い。超好み。間違いなく絶世の美少女だ。それは否定しない。

 でも絶対に関わりたくなかった。


 どうしようもない事情のヒロインなんて幾らでも居る。むしろ事情を知れば、助けてあげたいと思う女の子ばかりだ。


 だから僕は、何も聞かず何も知らないまま縁を切る。

 知ってしまえば戻れなくなると分かっていたから。


「何のつもりだ?」


「いえ、可愛い子を見かけたのでナンパしようかなと」


「……貴様、巫山戯てるのか」


「まさか。むしろ巫山戯てるのは皆さんの方ですって。ヤリチンだらけの大学構内にこんな美少女放り出して、何も起こらないなんて本気で思ってたんですか?そりゃ正気の沙汰じゃないですね!」


 僕は一体何をしているのだろう。

 気づけば作戦も無くがむしゃらに飛び出して、馬鹿みたいなことを叫んでいる。


 せめて一言目くらい、しっかりと考えてから突撃するべきだったか。


 僕のことだから、最終的にはきっとなんとかなる。

 警察が来るか、はたまた彼女を落下から救ったときのように神がかり的な奇跡が起こるか。

 それが僕の特性だ。

 

 でもそれは、僕が最後まで足掻き続けた場合の話。

 その奇跡が起こるまで一欠片の諦めも持たず、僕の出来ること全てをやり尽くした果てに辿り着く境地なのだ。


 初めから奇跡を祈ることは許されず、例え骨が折れようが内蔵が破裂しようが血を吐こうが爪が禿げようが四肢が消えようが脳を奪われようが関係ない。

 ただ死に物狂いで死にかける程に死ぬまで抵抗して、足掻いて足掻いて足掻いて足掻いて足掻ききった先に、勝利が約束されているだけのこと。


 今の僕は決して強くないし、賢くもない。

 ただ死力を尽くせば、どこかで願いが叶うのだ。


 極端に軽い代償で済むこともあるし、或いは地獄の底を見せられることもある。


 本っ当に、主人公補正なんてクソ喰らえだ。

 最初から最強の力をくれればいいのに、何故血反吐を吐くまで苦労させられねばならないのか理解に悩む。


「……やっちゃったなぁ」


 目の前にいる男たちは、一人一人が明らかに常識の枠を超えた強者である。所謂バトル漫画で出てくるような、一般アスリートとは次元の異なる達人みたいな連中だ。


 でも知ったことではない。

 出来ることを探せ。


「風弥、さん……」


 僕のすぐ後ろから、栞さんの声がする。

 

 それは、心細そうな声――――




「ナ、ナンパということは……わ、私たち、両想いなのでしょうか……?」


――ではなく。


 鼻息の荒い、何やら興奮した様子だった。


「……んん?」


 僕は自分の置かれた状況に違和感を感じ始める。栞さん貴女、自殺するほど追い込まれていたのではなかったか。


「栞様、その方はお知り合いなのですか?」


「……。ええ。お付き合いを前提についさっき知り合ったみたいな感じです」


 お付き合いを前提についさっき知り合った、って日本語的に無茶だろ。とんでもないパワーワードな気がするが。


「お、お待ちください栞様。お父上様の許可もなく交際などと仰られても困ります」


「いや、その前に僕の許可なく交際を前提にされると困ります」


「栞様に何かご不満でも?」


「理不尽が過ぎる」


 なんだこれ。僕が悪いのか?模範解答が無いタイプの問答は止めろよ。


 というか、それよりも今の状況が掴めない。一体ここで何が起こっているというのか。

 助けに入った筈なのに、明らかに僕だけ浮いている。


 なんだよお前ら早く争えよ。


「お父様の許可など知りません!私は風弥さんとお付き合いすると決めたのです!」


「あの、え?僕の意思は……おおん?何これ」


 蚊帳の外というか、どちらかと言うと蚊帳の中に閉じ込められてフルボッコにされている感覚。斬新ですねもう帰っていいかな。


 しかし栞さんと付き人(?)っぽい彼らの会話は、僕を放り出して過熱していく。


「なりません栞様!然るべき手順を踏んで頂く必要がございます!」


「嫌です!邪魔立てするというのなら――――私、自殺の頻度増やしますから!!!」


 自 殺 の 頻 度 増 や し ま す????


 何言ってんだこの子は。止めてくれ、これ以上僕の脳ミソで遊ばないでくれ。


「――ッ!!そ、それはご勘弁くださいませ!後処理に奔走する我々の身にもなって頂きたい……っ!」


 なるほど、この状況を理解出来てないのは僕だけか。付き人っぽい連中が全員ふためいている様子を見るに、彼らは「自殺の頻度を増やす」という謎ワードに抵抗がないようだ。


 僕だけが理解出来ていないことは理解出来たが、ここから先に進める気がしない。


「…………?」


 しかしポカーンとしていると、唐突に栞さんが僕の腕に抱きついてきた。


「風弥さん!これから長いお付き合いになると思うので、自己紹介をさせてください!」


「え?じ、自己紹介?」


 腕に伝わるおっぱいの感触が凄まじく、頭のキャパの半分が奪われていたが、僕はどうにか返事を口にする。

 いきなり会話の中心にぶち込まれて困惑以外の感想など無いけれど、謎だらけの現状に終止符を打つ、このチャンスを見逃す訳にも行かなかった。


 僕は彼女の言葉に、必死に耳を傾ける。


「これ、本当は誰にも教えたらダメなんですけどね?」


「う、うん」


 返事をしてから、僕は己のミスに気づく。

 これ聞いたら後戻り出来なくなる奴だ、と。


 僕は慌てて栞さんの口を塞ごうとするが――


「私、吸血鬼のヴラド・ 栞と申します。趣味は自殺で、好きなものは痛み。最近ヨーロッパの方から逃げてきたばかりですが、生まれは日本なので日本語はペラペラです!」


――遅かった。


 吸血鬼で、自殺が趣味。つまりは全部が全部、僕の勘違いだったということになる。

 挙句、ヨーロッパから「逃げてきた」だと。恐ろしい程に面倒事の匂いしかしないじゃないか。


 ダメだ、この子との関係はデメリットしか生まない。


「へ、へぇー……。でも吸血鬼だと、僕と仲良くするのは難しいかもね。僕の好物はニンニクだからさ」


「私もニンニク好きですよ?」


「……っ。僕、私服のお洒落ポイントとして十字架入れるのが生き甲斐なんだ。もう十字架背負わなきゃ生きていけないよね」


「別に気にしません」


 クソ、弱点どこいった吸血鬼。


「ふふっ、大丈夫ですよ風弥さん。そういうのって、吸血鬼を怖がる方々が勝手に作った迷信ですから。私は苦手なものなんてありません」


「くっ……」


 不味い、確実に逃げ道が消えていく。

 というか、秘密を知ってしまった以上逃げ道なんて存在するのか。


 分からん、もう何も分からん。

 というかもうどうでもいいや。


「……風弥さん?どうしたのですか、急にクラウチングスタートの構えを取って――って、ちょ、お待ちください!!!どうして逃げるのですか!?風弥さん!風弥さん!?」


 さよなら、栞さん。

 僕は(力づくで)、君と二度と会わないと決めた。


「走るぞ真治ぃぃい!!!ここは戦場だと思え!!!」


「はぁ!?いきなり栞さんとこ行って、いきなり騒ぎ出したと思ったら、今度はいきなり走るのか!?なんだお前忙しいな!?」


「うっさいわ良いから足回せ!!!」


 僕らの出会いは一期一会。

 というか一期一会にしてみせる。


 幸いこの大学は広いのだから、会わないように気をつければ何とかなるだろう。


「ま、待ってください風弥さん!!連絡先を!連絡先だけでも教えてください!!」


「おっと間違えてスマホ落として踏んづけちゃったぁ!!しまったもう誰とも連絡取れないや!!!」


「そこまでやるのか風弥!?」


 ははっ、僕はやると決めたらどこまでもやり切るんだよぉ!


「絶対に逃がしませんよ風弥さん……ッ!」


 どうする!?どうやって逃げ切る!?

 僕は必死に頭を回しながら、ただ全力で駆け抜けて行った。

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