第29話雪秀の過去

「なんや。伯父貴の思い通りになっとるやないかい」

「それには俺も業腹だ……親父はどこまで見通しているんだろうな」


 遠江国の袋井宿にて、雷次郎たちは休息を取っていた。

 本来ならば浜松宿に着くはずだったのだけれど、勝康の体力や今後のことを話し合うために休むことにしたのだ。


 現状の確認も必要だった猿の内政官の孫たち。

 勝康は足を自分で揉みながら黙って聞いている。


「尾張国にいることは、雷次郎くんも知っていたんや。伯父貴も当然知っとる。せやけど、有楽斎のじいさんがそれ知って、競茶会出そうなんて、想像できるか?」

「それが真実なら、親父の描いた絵図は途方もないな」


 要するに、雷次郎が家督を継げなかったのは様々な意図があるのではないかと二人は勘ぐっていたのだ。

 意外にも二人はそうしたややこしいことを考えるのは嫌いではない。

 しかし自分たちが巻き込まれているとなると話は別だった。


「どないなっとるんや……まあええ、とりあえず雪秀くんと合流目指そうか」

「一足先に浜松宿に向かったと思う。おそらく……」

「死闘が待っとるんやな。そら楽しみやで!」


 嬉々としてはしゃぐ霧政に「戦うことが好きなんですね」と勝康は苦笑いした。

 霧政は「当たり前や」と笑い返した。


「喧嘩ほど楽しい瞬間なんてあらへんわ」

「相変わらずだな、浅井の兄さん」

「長可のおじさんも同じこと言うたで」

「長可……森長可様ですか?」


 長可という名に勝康は素早く反応した。

 霧政は「ま、徳川の坊ちゃんなら知っとるか」と認めた。


「せやで。あん人は俺の師匠の一人や。一番厳しかったなあ」

「は、はあ。そうなんですか……」

「ちなみに、尾張国にいたんは長可のおじさんと道場破りしとったからや」


 勝康は唖然として「な、なんでそのようなことを……」と呟く。


「看板懸けへんと本気出してくれへんもん。でもな、そん後門人を鍛え直したからええやろ」

「五年前よりもっと強くなったんじゃないか? 浅井の兄さんは」


 雷次郎が横になって言うと「まあな」と霧政は短く返す。


「せやけど今、浅井二槍流を名乗っとるけど、まだ完成しとらん。いや……俺の代では無理かもしれんな。俺の目標は俺の流派を後世まで伝えることや」


 その考えは先日の古田織部と真逆で、金森重近が唱えたきれいで寂びた茶道と似ているものだった。

 雷次郎は「難しいけど、兄さんならできそうな気がするぜ」と身体を起こして言った。


「しかし、どうやって継承していく? 口伝や直接指導には限度がある。書に残すのにも限界がある」

「せやねん。それを模索中なんや……ええ考え、ないか?」


 勝康はしばらく考えた後「二槍流を体得するには」と口火を切った。


「まず初めに何をするべきか――基礎をしっかりと確立して、それから徐々に難しいことを段階的に習得させていくのが、遠回りですけど一番早いと思います」

「それは考えた。うーん、そろそろ弟子でも取るか……?」


 こうして三人、楽しく話しているのだが、勝康以外は油断していなかった。

 いつ襲撃に遭っても良いように、備えている。

 しかしそれは無意味な警戒とも言えた。

 何故なら、黒脛巾組は全員――雪秀たちを追っていたからだ。



◆◇◆◇



「はあ、はあ……一先ず、撃退は出来たか……」


 雪秀は刀を納めて辺りを見渡す。

 足元には十人から二十人ほどの黒脛巾組の忍びが倒れていた。

 たった一人でこれだけの相手を気絶させたのは凄まじいと言えるが、そのせいで光と凜とはぐれてしまった。


「二人は無事だろうか……」


 今、雪秀がいる場所は山道である。

 そこに誘い込まれてしまったのだが、雪秀にしてみれば望むところだった。

 遮蔽物や狭い道があるため、彼の小柄な体格を十二分に活かせる環境でもあった。


「やはり、忍びの戦い方は好かぬな」


 山道を歩みながら独り言を言う雪秀。

 彼の父親は忍びによって命を落とした。

 風魔衆ですら嫌悪の対象だった。


「そんな私が、凜と協力して戦うとはな――」


 皮肉に思いながら口元を歪ませる。

 そしてなんとなく、昔のことを思い出した。



◆◇◆◇



 雪秀は小田原城城主として期待される立場だ。

 それは今も昔も変わらない。

 変わったのは心構えだ。


『お前さんは――いい男だ』


 そう語る少年――青年と言っても良かった男は、逆さまに見えていた。

 否、自分が逆さまに吊るされているのだと雪秀は気づいた。

 きつく縄で縛られていた――身体が冷たいのも分かる。簀巻きにされて川に流されたのを思い出す。


『てめえ! 解けゴラアアア!』


 今と違って狂犬のように礼儀を知らなかった雪秀。

 じたばた暴れていもしっかりと結ばれているので、無駄な行ないだった。


『お前さんの親父が見たら、酷くがっかりするだろうな』

『父上だと? 会ったこともねえ野郎なんか、知ったことか!』

『俺は会ったことがある。よく遊んでもらったよ。お祖父さんのことも語ってくれた』

『……なんだと?』


 雪秀はその言葉に過剰に反応した。

 目の前の男は、いかにも傾奇者といった様相で、なのに自分を雨竜家の後継ぎだと吹聴していた。だから思いっきり殴ってやった。本物であるが偽物であろうが、雪秀にとってみれば雨竜家は憎しみの対象だった。


 自分の父を奪って、母を悲しませる、存在。

 雨竜家の当主である秀晴を庇って死んだと聞かされていたが、本当に庇うほど価値のある男なのかと疑ってもいた。その理由は自分たちに謝罪がなかったからだ。


『親父が謝らないのは――家臣に示しがつかないからだ』


 淡々とその男は語る。


『主君のために命を落とした家臣は大勢いる。家老とはいえ、特別扱いすることはできない』

『そんな理屈、知るか!』

『ああ。俺もくそくらえと思っているぜ――だから、責任を取りに来た!』


 そう言って男は雪秀の頬を張った。

 ぐらぐらと揺れる不愉快な感覚よりも、張られたことに怒りを覚える雪秀。


『何しやがる!』

『お前さん、俺の弟分になれ』

『はあ!? 何言って――』


 男は『面白れえもん、一杯見せてやる』と笑った。

 爽やかな笑みに雪秀は見惚れる。


『小田原城に引きこもっているより、母親の言うことを聞いているより、数十倍面白れえもん、一杯見せてやるしさせてやる。毎日愉快で楽しいことをしようぜ。雨竜家に対する恨みを忘れるくらいにな』


 男の言っていることは滅茶苦茶だった。

 殴ったと思ったら、簀巻きにして川に流されて、逆さ吊りにされている状態で、弟分になれと言う。

 だけど、強制的ではなく、上からの物言いではなく。

 本当に楽しいから一緒に行こうと、本心から言っているのが分かった。


『俺と一緒に来たら――痺れるぜ』


 これが――雷次郎との出会い。

 雪秀が元服前の幼名、雪丸と呼ばれていたとき、そして雷次郎が日の本一の遊び人と呼ばれる前の話だ。



◆◇◆◇



 結局あのとき、雪秀は誘いを受けてしまった。

 そこから彼の苦労が始まった。

 あるいは人生が始まったと言える。


 誘いを受けた理由は、雪秀自身分からない。

 このままの自分ではいけないと心のどこかで思っていたのかもしれない。

 しかしそんなことよりも、心に思ったのは。

 雷次郎と一緒に行けば、きっと楽しいことが待っていると分かったからだ。

 雷次郎の弟分になれば、きっと痺れることが待っていると分かったからだ。


「とはいえ、痺れることが多すぎますね」


 雪秀は山道を進む――前方から迫る足音。

 刀を抜いて戦いに備える。


「さて。雷次郎様はともかく、凜と光は無事なんでしょうか……」


 自身の心配などしない。

 彼もまた雷次郎の影響を受けている。

 つまり――単純にお人よしだということ。

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