第28話兄さん

 遠州灘を一望できる海岸沿いの街道を、雷次郎と勝康は歩いていた。

 速度は勝康に合わせているが、雷次郎に迷惑をかけないよう、かの若君は必死で歩みを急いだ。


 そのけなげな姿に無理をするなとは言えない雷次郎。辺りを警戒しつつ「勝康は得意な得物があるのか?」と話しかけた。


「得意な、得物ですか……剣術は一応習っていますが、下手の横好きですね……」

「ふうん。ま、仕方ないな」

「雷次郎殿は、私ぐらいの年には強かったんですか?」


 雷次郎は「強いってほど強いわけじゃない」と彼にしては謙虚な物言いをした。

 どこから話そうかと考えてから、雷次郎は過去の話をした。


「小さい頃に京の吉岡道場で稽古して、そこからは自己流で剣を修めた。いや、修めたって程度じゃねえな。人並みに振れるってだけだ」

「自己流、ですか。それは凄い」

「凄いって言えば雪秀のほうだな。あいつ剣術を習っていなかったのに、俺より強かった」


 勝康は信じられないという顔で「冗談でしょう?」と問い返した。

 雷次郎は空を見上げた。数日前の雨が嘘みたいに晴れ上がっていた。


「名将、真柄雪隆の息子だからな。血筋だと思うぜ。初めて出会ったときは……そりゃあ酷い目にあった」

「酷い目?」

「あいつの父親の最期、知っているよな?」


 勝康は黙ってしまう。

 会ったことのない祖父の命令で命を落としたと聞いているからだ。


「お前さんが責任を感じる謂れはない。俺が言いたいのは、あいつは……荒れていた。荒んでいたと言い換えてもいい。とにかく、父親がいないことをいたく気に病んでいた。だから俺との初対面で、いきなり殴りかかってきた」

「主家の後継ぎを……雷次郎殿は、許したんですか?」

「有楽斎様に教育された後だったし、気持ちがよく分かったから。だけど、あいつは望んでいなかった……」


 雷次郎は言葉を切って、切なげに海を見た。

 青く、どこまでも続いていく海。

 勝康は急かすことなく、雷次郎を待った。


「本当は殴り合い……いや、触れ合いを求めていた。人との関わりを求めていたんだ。それに気づいた俺は、とりあえずあいつを簀巻きにして川に流した後、逆さ吊りにして説教してやった」

「はあ。それは……ええええ!? いきなり何しているんですか!?」


 勝康が大声で驚くのは無理もない。

 雷次郎は「解放したら『もう逆らいません』って泣かれてしまった」と笑った。


「まだ有楽斎様の教育が終わっていなかった時期の話だ」

「……教育前はどんな子供だったんですか?」

「お前さんよりタチが悪かった。それだけ言っておこう」


 そんな会話をしながら街道を歩く――不意に雷次郎が止まった。

 勝康は遅れて気づく――目の前に迫る五人の忍びに。


 周りに遮蔽物はなく、堂々と正面から挑んでくるしかない。

 雷次郎はわざとそのような道を選んでいた。

 そうすれば黒脛巾組も襲ってこないだろうと踏んでいた。


 しかし手段も場所も選ばないとは思わなかった。

 相当、雪秀と凜にしてやられているなと雷次郎は刀を構えながら考えた。


「勝康。俺から離れるなよ」

「は、はい……」


 黒脛巾組が関わっていると聞かされていたが、実際に襲撃されると震えが止まらなくなる勝康。

 扇状に雷次郎に迫る黒脛巾組の忍びたち。

 忍び刀や鎖鎌、苦無を各々構えている。


「こりゃあ不味いな……」


 雷次郎は遮蔽物のないこの場で襲われるのを不味いと考えた。

 多数対一の場合は周りの環境を利用するのが定石である。

 それが不可能となると――


 一人の忍びが棒手裏剣を放つ――雷次郎は即座に反応して打ち落とす。

 だがその行為は雷次郎の怒りを買った。

 狙いが雷次郎ではなく――勝康だったからだ。


「躊躇なく、子供を狙うか……!」


 怒りに任せて忍びたちと戦うほど、雷次郎は愚かではない。

 しかし勝康を狙われながら、自身を守りつつ、忍びたちを『無力化させる』のは難しい。

 この期に及んでも、命を奪わない信条を守るつもりらしい。


 じりじりと忍びたちが迫ってくる。

 勝康が息を飲むのを感じる。

 どうする――


「きゃはは。絶体絶命やんなあ――雷次郎くん」


 その男は海岸のほうからやってきた。

 深緑に紅色で朱雀があしらわれている着物。

 背丈は雷次郎より少しだけ大きい。

 中肉中背で髪を月代ではなく、ざんぎりにしている。


 蒼い長槍を肩に担いで、赤い短槍を腰に差している。それらには穂鞘が付けられていた。

 顔は頬がこけていて目がギラギラとしている。

 勝康は雷次郎殿に似ているなとぼんやり思った。


「……出所を狙っていたのか? 俺らの窮地のときを狙いすまして」


 雷次郎が安心した顔と声になる。

 二槍の男は「当たり前やんか」と笑った。


「そっちのほうが劇的やろ? てかめっちゃ危ないやんかこの状況。なあ、雷次郎くん。助けてほしいか?」

「ああ。助けてほしいね――浅井の兄さん」


 浅井、という名と二槍を持つ姿で、忍びたちは動揺する。

 勝康も「まさか……」と息を飲む。


「天下に名を轟かす、二槍遣いの――」

「お。君も知っとるか。ならご挨拶しとこ」


 長槍を振りまわして、格好良く構える二槍の男。

 まるで歌舞伎の役者のように見得を切る。


「槍天下一の二槍遣い、浅井霧政とは俺のことや!」


 忍びたちは顔を見合わせて、二人が霧政に襲い掛かる。

 鎖鎌を持った忍びが鎖をぶんぶん回して、分銅を投げつける――霧政は横に避けた。

 そこに苦無が二つ投げられた。しかし槍で打ち払ってしまう。


「行くでえ――嵐雲」


 長槍の真ん中を持った霧政は忍びに近づき、横薙ぎを放つ。

 忍びたちとの間合いは遠い――と彼らが思うのと同時に、横腹に槍先が当たる。

 二人は後ろに吹き飛んだ。もしも穂鞘がついていなければ即死だった。


 いつの間にか真ん中に持っていたはずの手が、槍の石突を握っていた。

 横薙ぎにした瞬間、握った手を緩めて、石突まで滑らせてから握り直したのだ。


「きゃはは。大したことないなあ」


 けらけら笑う霧政。

 三人となった忍びはどうしたものかと考えている。


「さっさと逃げたらよろしいやん。見逃してやるでえ」


 霧政は手を振って促した。

 雷次郎は兄さんらしいなと笑った。


 三人の忍びたちはこの場から逃走した。

 霧政が現れたことを報告するほうが重要だと踏んだのだ。

 残された二人の忍びは既に服毒していた。


「ひゃあ。危なかったなあ。雷次郎くん」

「浅井の兄さんが来なかったら死んでたな」


 槍を肩に担ぎ直して、雷次郎に近づく霧政。

 勝康は「どうしてあなたがここに?」と問う。


「雷次郎殿とどのような関係なのですか?」

「うん? ああ、従兄弟なんや。俺と雷次郎くんは」

「い、従兄弟……」

「そんで君は誰?」


 勝康は心を落ち着かせて「徳川勝康と申します」と名乗った。

 霧政は「はあ? 徳川?」と不思議そうな顔をした。


「俺はてっきり、女の子を大坂城まで送り届けるって聞いたけど。雷次郎くん、どないなっとるんや!?」

「事情が変わったんだ。とにかく、会えて良かった。手紙も無事に届いたようだな」

「尾張国にちょうどいてな……てか知っとったか」


 勝康は改めて二人を見る。

 まるで兄弟のように似ている。顔立ちもそうだが、雰囲気がそっくりだ。


「浅井の兄さん。少し手伝ってくれ。事情も話すから」

「ええで。雷次郎くんとは付き合い長いし」


 勝康は慄いていた。

 浅井家の後継ぎが天下一の槍遣いで『浅井二槍流』という独自の流派を立ち上げたことは聞いていた。

 その伝説の男と行動するなんて……


「あの。従兄弟ということは、伝説の内政官の……」

「ああ。孫やで」


 興味なさそうな霧政。

 どことなくそれ以上訊かれるのは嫌なのだと、勝康は感じ取った。


「そんじゃ、行こか」

「ああ……って浅井の兄さん。そっちは逆方向だ」

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