第30話日向の道へ

「ここに居れば一先ず安心だろう。浜松まで目の鼻の先だ。ゆっくり休める」

「…………」


 光と凜は山小屋に潜んでいた。

 火も点けずに暗闇の中で寄り添うように休む――いや、休んでいない。

 凜は辺りを警戒して立ち膝でいた。

 光は三角座りをして怯えていた。


「心配するな。周りを風魔衆に警戒させている。夜が明けたら浜松城へ向かい、若様と合流すれば――」

「雪秀は、無事なの!?」


 落ち着かせるために言ったが、余計に不安を煽ってしまったようだ。

 凜は「若様なら大丈夫だ」と光の背中を擦る。


「あのお方は強い。不愉快な雷次郎よりもな」

「雷次郎も、無事かしら……」

「…………」


 雷次郎の消息は不明だったため、凜は口を閉ざした。

 ただ背中を擦るのはやめない。

 光は母を思い出してほんの少しだけ安堵した。


「私の、せいよね……」


 顔を俯かせてますます縮こまる光。

 自責の念が強くなっていた。

 凜は「責任を感じることはない」と彼女にしては最大限の気遣いを見せた。


「私は任務で行なっている。若様も雷次郎も主命だ。命じた者が責任を持つことだ」

「……凜。私の事情のこと、詳しく知らないわよね?」


 光のか細い小声。

 凜は「ああ、そうだ」と頷いた。

 暗闇の中、外はびゅうびゅうと風だけが鳴っている。


「私の父は――奥州の大名、伊達政宗なの」

「…………」


 心を開いた――わけではないと凜は悟った。

 抱えるのが耐えきれなかったのだ。


「母は口に出せないほどの高貴な出の人。父が強引に奪って妻にした」

「……そうか」

「大きな屋敷の中で、ずっと閉じこもって暮らしていたの。外なんか出歩けなかった」


 ぽつりと語り出す光を、凜は遮らなかった。

 話したいのなら、話せばいいと思っていた。

 だから相槌だけ打つことにした。


「ある日、伊達家の家老――小十郎と名乗っていたわ――が屋敷にやってきて。雨竜家の当主に『百万石の陰謀』を話すように言ってきたの」

「百万石の陰謀?」

「うん。実は――」


 光は百万石の陰謀を語り出す。

 それらは般若の男が雷次郎に語った内容と変わりなかった。

 徐々に明らかになる企みを聞いて凜は顔を歪ませる。


「家老の人は伊達家が滅びるのを止めたいって言っていた。だから屋敷の者を連れて、雨竜家の当主、雨竜秀晴様に会いに行って、全て話してほしいと。そうすればなんとかなるって言っていたの」

「その小十郎なる男は、自身では動けなかったのか?」

「疑われているらしくて。それにいくら何でも、娘の私を殺したりしないって。だけどね、黒脛巾組……伊達家が抱える忍び集団は、私を殺そうとした」


 静かに、物静かに。

 光は涙を流し始めた。


 凜は忍びの頭領だ。

 その涙が演技か本物か分かる。

 だからこそ、凜は光に同情を覚えた。


「酷いよね……私の人生……実の父親に殺されそうになって。一緒にいてくれた屋敷の使用人たちは、私を守るために、殺されて……それで今、私を守ってくれた、雷次郎や雪秀は、生きているのか、どうか……分からない……」


 ぽろぽろ、ぽろぽろと、着物を濡らすほどの涙を流す光。

 凜は頬の雫を指で拭ってやる。


「そう、だな。普通よりだいぶ、悲惨だな」

「う、うう……」

「自分のために、誰かが死ぬ。それに耐えられる人間など、そうはいない」


 凜は不器用ながら光を慰めようとする。


「自分の人生が悲惨だと思う……それは淋しいことだ。あるいは悲しいことだ。そして未来もそうであると思い込むと、生きることすら、できなくなる。何もかも、嫌になる」


 光は泣きながら凜を見た。

 自分のために、言葉を選んでいる。

 忍びの頭領で、雪秀以外に関心を持たないと思われていた、あの凜が――


「だけど、影があるように、きっと日の当たる道はあるはずなんだ。眩いくらいの日向があるはずなんだ。忍びの私が言うのもおかしな話だけど……きっと、光なら歩めるさ。その道を」

「どうして……? だって、今まで……」

「不愉快だけど、雷次郎がいるからだ」


 凜はそこで実に嫌そうな顔をした。

 あの男に頼るのは心底嫌だと言わんばかりだった。


「あの雷次郎は、若様を救ってくれた。触れれば傷つけるような、狂犬のような若様を、まともにしてくれた。それだけは感謝している。不愉快なことには変わりないけど」

「凜さん……」

「私はきっと、光を救うことはできない。私も影の道を歩いてきたから。でも、あの雷次郎なら……おそらく道を示してくれるだろう。もしくは明るい道まで案内してくれるかもしれない」


 凜は光の手を取った。


「私が雷次郎までの道を先導してやる。もちろん、そのまま立ち止まってもいい。だけど、光の望むなら――同じ歩幅で歩んであげる」


 光は思いがけない凜の優しい言葉に心を打たれた。

 優しくて力強い言葉に感謝した。

 だから泣きながら、光は言う。


「うん。ありがとう――凜さん」



◆◇◆◇



 夜が明けてすぐに、雷次郎たちは宿屋を出た。

 一刻も早く浜松へ向かうためだ。


「ふわああ。せやけど、こないに早う出る必要あるか?」

「勘だな。早いほうがいいって言う」

「雷次郎くんの勘はよく当たるからなあ」


 先ほどから欠伸を連発する霧政。

 勝康は油断してていいのかなと思った。


 それと勝康は不思議に思っていることがあった。

 二人は猿の内政官――雨竜雲之介秀昭のことを話さないのだ。

 偉大な祖父のことぐらい、話してもいいはずなのに。


 唯一出たのは霧政の母、かすみの話題だった。

 最近、ますます口うるさくなったと霧政が辟易していた。

 雷次郎の母、なつさんが羨ましいと霧政は言っていた。雷次郎は母のことを『俺が何をしでかしても文句を言わないが、褒めることを滅多に言わない』と愚痴っていた。すかさず、霧政が褒めることをしとらんやないかと言う。


 勝康はなんとなく、雲之介について二人に聞いてはいけないと感じていた。

 雷次郎のほうはなんとなく許してくれそうだけど、霧政は嫌がるだろう。

 徳川家の次期当主として身に着けた、あるいは徳川家代々の嗅覚で感じ取れていたのだ。


「なあ、勝康。浜松まで着いたら、お前さんはどうする?」

「どうする……とはどういうことですか?」


 街道を歩いている途中だった。

 往来する旅人はちらほらいる。

 雷次郎は真後ろを振り返って訊ねた。

 急に話を振られたので戸惑った勝康。

 雷次郎は「決まっているだろ」と続けた。


「俺が面倒を見るのはそこまでだ。お前さんの旅はそこでおしまい。だからどうすると聞いている」


 勝康は「まだ、父上が望んだようにはなっていません」と自分の未熟さを答えた。

 雷次郎は「自分が分かっているじゃないか」と誉めているのか分からないことを言う。


「だがこれ以上、一緒にいても危険なことばかりだ」

「足手まとい、ですよね」

「この旅が終わったら、お前さんのところを――」


 そのとき、一番早く反応したのは霧政だった。

 素早く「雷次郎くん!」と呼びかけた。

 次に反応したのは雷次郎だった。

 しかし雷次郎は避けられなかった。

 何故なら、避けたら後ろにいる勝康に当たるからだ。


 すぶりと音がした。

 よろよろとたたらを踏む――


「ら、雷次郎、殿……?」


 衝撃を受ける勝康。

 雷次郎はどたんと仰向けに倒れた。

 わき腹に矢が刺さっている。


「……ちくしょう!」


 周りの旅人が逃げ惑う中、霧政は二槍を取って矢が射られたと思われる場所へ走る。

 一人残された勝康――はっとして雷次郎の傍に寄る。

 雷次郎は口から血を流していた。

 顔も真っ青になっている。


「う、嘘ですよね――雷次郎殿ぉ!」


 必死の呼びかけにも関わらず。

 雷次郎は返事をしなかった――

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