第10話 護身術トレーニング

 怜良の母親が亡くなってから六年、父の浩史と美智子が結婚して三年の月日が経ち、怜良は高校生になった。

 中高一貫のお嬢さん学校に通っていた怜良は、美智子が義母になってから、義姉たちが普通の中高に通っているのに、差別になるからという理由で、公立の共学の学校に転校させられた。


 それまでは女子校だったので、蒼夜も天真も日中は自分たちの世界で天使と悪魔の修行に励んでいたが、日に日に怜良のかわいさが増していき、周囲の男の子が放っておかなくなったことから、変な虫が付かないように監視するため、人間の姿で同じ学校に通うようになっていた。

 神と魔王が公的な情報と関係する人間を操ったので、怜良と蒼夜と天真は同じクラスのまま中学校を終え、高校に入ってからも同じクラスになり、三人を知る同級生たちをどれだけ強い腐れ縁なんだと驚かせた。


 日中忙しくなった蒼夜と天真は、高校が始まる前の早朝と、終わった後に修行を行う。時々気配を感じる悪鬼のことが気にかかった蒼夜は、魔術の他に、いざというときに怜良を護れるよう深影から戦う術を教わることにした。

 悪魔は二十歳までは人間と同じ成長をするが、それを過ぎると外見を若いまま保つことができるばかりか、あらゆる年齢に化けられる能力を得ることができる。


 今年一六歳になる蒼夜は、六年前とは見違えるように、ぐんと背も伸びて百八十㎝を超え、すらりとした身体は、実戦用に鍛え抜かれて無駄な筋肉がなく、動きも敏捷だった。


 早朝とはいえ、既に蒼夜は戦闘モードになっていた。鬱蒼とした魔の森の中で、一本の大木の木の枝に立った蒼夜が、耳をそばだてている。


 来る! と思った瞬間に身を翻した蒼夜は、元いた場所にシュンと電光が弾けるのを視界の端に捉えた。

 しなった枝の反動を利用して、反転しながら空中に跳び、隣の枝へと足が届いたとき、その枝が光の刃で断ち切られ、バランスを崩した。バサッと黒い大きな羽を広げ、大木の影に隠れた蒼夜が周囲を窺う。


 いた! 直観を信じて、蒼夜が身に付けたばかりの電磁波を角から送り、相手を動けなくしてからその木に飛び移ると、背後に回り込んで羽交い絞めにする。

 勝った! 喜びの声をあげようとした時、大きな片手で喉を締めあげられ、深影の幻覚術で騙されたことを知り、蒼夜は息苦しさに身を捩って呻き声をあげた。


「その幹は抱き心地がいいか?」

「ううっ‥‥‥チッ!もう放せよ。兄貴!」


 言うが早いか、打ち込んだ肘鉄も空振りするが、喉に回った深影の手を掴んだままの蒼夜が、後ろ向きに電磁波を送り、兄が動けなくなったのを見計らって、深影もろとも頭から地面に向かってダイブした。


「うわっ、蒼夜、やめろ!」


 ついに深影の手が蒼夜の首から離れた。その手を掴んだまま、にやりと笑った蒼夜が、深影に向き合うように身体を反転させ、バサッと翼を開いて落下速度を落とす。そのまま空中で羽ばたいて枝に着地し、深影を枝に下ろすと、念のために近くの枝に飛び移って距離を取り、様子を窺った。


「ふぅ‥‥‥やられた!強くなったな蒼夜」

「う~ん、でも、まだ十戦中三戦しか取れないんじゃ、褒められても素直に喜べないな」


 深影が鼻を鳴らし、ちぎった葉っぱを硬く変えて、蒼夜に投げつける。

「悪魔の中で一、二の力を持つ俺に、3割も勝てたら上出来だ。贅沢を言うな!」


 蒼夜がふふんと笑いながら、強風に変えた息で向かってくる葉っぱの礫を吹き飛ばすと、思いがけず下の方から、痛っと呻く女の声がした。

 誰だ?と覗き込んだ深影と蒼夜の前に、女悪魔の愛楽あいらが、頭を擦りながら飛んでくる。


 切れ込みの深いボディコンワンピからは、大きな胸の谷間がのぞき、きゅっとくびれたウエストから盛り上がるヒップラインは極上ものだ。思わず唾を飲み込んだ蒼夜には目もくれず、深影に向かって一直線に飛んできた愛楽が、ぱぁっと顔を輝かせた。


「おはよう愛楽。やけに早いお出迎えだな」

「だって、目が覚めたら、隣に深影さまがいらっしゃらなくて、寂しかったんですもの」

「明け方まで寝かせてやれなかったから、起こすのはかわいそうで黙って出たんだ」


 まぁ、と言いながら赤くなった頬を両手で覆った愛楽を見て、恥ずかしいのはこっちだと蒼夜は深影に文句の一つも言いたくなった。ムスッと黙り込んだ蒼夜を気遣いながら愛楽が深影に話しかける。


「レッスンはもう終わられました?」

「ああ、愛楽。終わったよ。今日は蒼夜にやられてしまった」

「それにしては、嬉しそうですね。いつも弟君を優先してかわいがられるのですもの、妬けちゃいます」


 口を少し尖らせ、拗ねたように軽く睨んだ愛楽を抱き寄せ、深影がふっと笑った。

「蒼夜、今日はここまでだ。愛楽の機嫌を取ってくる」

 蒼夜より一回りも大きな黒い翼を広げ、そこいらを闇に飲み込むような威厳を持つ深影が、甘い笑みをこぼして愛楽と共に魔宮へと飛び去った。

「この激しいバトルの前にも愛楽と一戦、後にも一戦交えるって、俺との戦いは骨休めかよ?兄貴の体力は底なしだな」


 感心して見送る蒼夜の視界に、ふと黒い影がよぎり、蒼夜は解いた緊張を再び呼び戻して構えた。


「蒼夜君、み~っけ!」

 声を聞いた途端、弛緩した蒼夜の身体に、飛んできたサキュバスの惑香まどかが腕を伸ばして絡みつこうとする。

「何だお前か……くっつくなよ。暑苦しい」

「ひどいじゃない。蒼夜君をずっと探していたんだから、ちょっとは優しくしてくれたっていいでしょ?ねぇ、深影さまも愛楽とデートにいくみたいだし、蒼夜君も私と出かけない?」


 惑香がサキュバス特有のフェロモンを出して蒼夜を誘惑するが、蒼夜はキッと惑香を睨んで別の枝へと飛び退った。

「やめてくれ!お前にかかったら死ぬまで精を搾り取られるって話だ。俺は若死にしたくない」

「あら、人間の場合は弱っちいから欲に溺れて衰弱する人もいるけれど、悪魔のエネルギーなら、私は一、二回で満足できるわよ。試してみない?」

「俺はごめんだ!他を当たってくれ」


 蒼夜が羽を広げて飛び立つと、惑香はジャコウアゲハに変身して蒼夜の羽に取り付いた。羽にチリリとした感覚を覚え、蒼夜は惑香の存在に気が付いたが、そろそろ人間が活動する時間なので急がなければならない。


 魔城からも人間界の屋敷へと簡単に移動できるが、飛ぶことが好きな蒼夜は、監視も兼ねて空から向かうことが多い。ぐんぐんスピードを上げ、魔戒と人間界を繋げる渦巻く雲の中に飛び込んでいった。


 当然のことながら、魔界のものが人間界へ飛び出していけないように、通路となる雲の中にも結界が張ってある。人間が悪魔の力を利用しようとして呼び出さない限り、悪魔の中でも上位のものしか人間界へは出られない。それを知っている惑香は、蒼夜と一緒にいれば何とかなると思い、必死で蒼夜の羽にしがみついていたが、途中で結界の網にかかり蒼夜と引きはがされ魔界へと落ちていった。


「蒼夜君のばか~~~」

「あっ?俺は忙しいんだ。お前の遊び相手をする時間なんてないんだよ」


 惑香は確かにセクシーで男にとってはたまらない魅力があるが、蒼夜の目にはまだ開花する前の硬い蕾の怜良の方に気がいっている。というより、気がかりだ。

 結界の先に眩しく広がる地上の入り口が見えてきた。空間が歪むような圧力を受けた瞬間、蒼夜は悪魔の姿からトンビに変身して怜良の家に急いだ。


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