第9話 忍び寄る影

「ああっ‼天使の小瓶とママの鏡が……」

 口を押えて目を見張る怜良に、明菜と真里菜が素直に渡さないあんたが悪いと開き直って文句を言い始める。怜良は二人をかき分けて自分の部屋を飛び出し、階下に降りて庭に走り出た。

 怜良が目にしたのは、芝生の上に散らばる鏡の破片とフレームだった。

「ママ‥‥‥」

 跪いてフレームを手にした怜良は、震える指で鏡の破片を拾い、フレームの上に置いていく。怜良の後を追ってきた明菜と真里菜がその様子を見て、あてつけがましいと文句を言うのが聞こえた。


 目の前が滲んでぽとりと涙が落ちた先に、涙とは違う光るものが視界に入り、怜良が目を向けると、なんとそこには、クリスタルの小瓶を咥えた一羽のカラスがいた。

 びっくりして固まった怜良に、カラスがぴょんと跳んで近づき、まるで小瓶を差し出すように伸びをしながら首をあげる。

「割れてない。あなたがキャッチしてくれたの?」

 怜良が涙のついたまつ毛を瞬かせながらカラスに聞けば、カラスが胸を張ってウンと頷く。怜良の泣き顔がパッと笑顔に変わり、かわいらしい声でありがとうとお礼を言うと、カラスが照れたように軽く羽ばたきをした。


 カラスの動作に微笑んでいる怜良の腕を、ツンツンと突っつく者がいる。今度は何だろうと怜良が振り向けば、信じられないことに、シラサギがくちばしに鏡の破片を咥えて差し出してくる。あまりのことにびっくりして目を見張った怜良が、おずおずと両手を出すと、片方の手に小瓶が、もう片方の手に鏡の欠片が載せられた。

「あ、ありがとう。鳥さんたち」

 はとこの姉妹からとんでもない仕打ちを受けた後の鳥たちのやさしさが胸に沁みて、両方の掌を交互に見つめた怜良の瞳から、大粒の涙が滴った。


 途端にびくりと震えた鳥たちが、ギャーギャーと騒ぎ始めた。

「カァ~ッ。カァ~『おい、おい、俺たちは手伝ってやったんだ。何で泣くんだ?』」

 慌てて怜良の周りを飛び跳ねだしたカラスに同調するように、シラサギも羽をばたつかせ、カラスと一緒に回りだす。


 その様子に、あっけにとられた怜良の涙は引っ込んだが、泣いたことで鳥たちを慌てさせたのだということに気が付き、先頭を跳ねるカラスを宥めようとして抱きついた。


「ギャッ!」

 不意打ちでカラスが硬直すると、カラスに回した怜良の袖をシラサギがぐいぐいっと引っ張ってくる。その姿は、まるでカラスを離すようにと言っているようだ。


「ごめんね、驚かせて。2羽さんともありがとう。最近辛いことばかりだったから、嬉しくて泣いちゃったの」

 言葉が分かったように2羽が頷くのを見て、怜良は心が温かくなった。


 その時、離れて様子を覗いていた明菜と真里菜が、すぐそばまでやってきてはやしたてた。

「鳥相手におしゃべりするなんて気持ち悪い子。しかもカラスなんかを抱かえるなんて信じられない!」

新出シンデ怜良レイラの名前にぴったりじゃない。おとぎ話の中でもネズミが友達だったんでしょ?」


 二人が大笑いするのを見て、カラスが威嚇するように鋭い声をあげる。怜良が止めるのも聞かずに、バタバタともがいて怜良の腕を掻い潜り、空に舞い上がった。シラサギも後を追って舞い上がるが、直後カラスのとった行動に地上の三人が目を見張った。


 明菜めがけて急降下したカラスが、突っつくかと思いきや、その頭上で糞をしたのだ!

「きゃ~っ!汚い!何するのよ、このアホガラス」


「アホ~ッ。アホ~ッ」

 カラスが笑うように鳴いてから、シラサギに向かって命令するように、首をくいっと振った。

「えっ?僕も?」

 シラサギが空中で羽ばたきを忘れて、一瞬高度が落ちたが、カラスに追い立てられて真里菜の上に飛び、仕方なくビシャッとお見舞いを食らわせる。


「何よ!あんたたち!何で怜良の見方するのよ!焼き鳥にしてやるから!」

 き~っと甲高い声で喚く二人を信じられない思いで見ていた怜良が、突然身を震わして笑い始めた。そんな怜良を、明菜と真里菜がキッと睨んだが、再び頭上に来た鳥たちに怯え、額にまで垂れてきたお見舞いをギャーギャー言いながらぬぐうと、自分たちのアパートへ逃げて行った。


「ああ、可笑しい!すっきりした~っ!鳥さんたちありがとう。私もいつまでも泣かないようにする。弱みに付け込むような人たちには、やり返せるくらい強くなるからね~」

 飛び去っていくカラスとシラサギに向かって手を振りながら、怜良は大声で叫んだ。 


 遠目に見てもぱっちりとした目が愛らしい怜良がぐんぐん下方へ小さくなっていくのを、いつまでも惜しむように見つめる蒼夜に、天真が幅寄せして注意を促す。


「前を見て飛ばないと危ないですよ」

「見てるよ。それに天真がいるから。俺はよそ見しても大丈夫なんだよ」

「やっぱり、よそ見してるじゃないですか。怜良ちゃんがいくら可愛くても、悪魔の魅力で落としちゃ駄目ですよ」

「分かってるよ。怜良はプリンセスにならなくちゃいけないんだろ?願いごとが叶わなかったら願ったことの反対の境遇になっちまう。お前だって女の子が好きそうなキラキラ感満載なんだから、横からかっさらうなよ」

「さらいませんよ。守護者がそんなことしたら、羽をもがれます」

「だな。安心した。王子以外の男からは、俺が絶対に守ってやるんだから」


 真剣に話す蒼夜に優しい眼差しを注いでいた天真が、心強い守護者ですねと褒めながら、でも……と水を差した。

「忘れないでください。蒼夜君は最後まで手伝っちゃだめですよ。悪魔でいられなくなってしまいますから」

「ダメ、ダメってうるさいな。ダメ出しはあの高木母娘に言ってやってくれ」

「口でダメ出ししなかったけど、行動に移したじゃないですか。僕あんなことしたの初めてです。でも、あれで怜良ちゃんに構わなくなるといいのですが……」


 ほんとにな、と相槌をうった蒼夜と天真の願いもむなしく、アパートに逃げ帰った明菜と真里菜から事の顛末を聞いた美智子は、二人に大目玉を食らわると、泣いている二人を連れて新出家に連れていき、浩史と怜良の前で謝らせた。

 浩史がもういいと言っても美智子は許さず、母親だけで育てたのがいけなかったと自分もウソ泣きをして、同情を買う作戦に出た。

 明菜と真里菜の仕打ちで、二人がどういう性格か知ってしまった怜良は、美智子を始めとする三人のわざとらしい仕草に眉をひそめたが、妻を亡くしたばかりの浩史はすっかり同情してしまったらしい。

 母親がいない怜良の方に目を向けるべきところを、男手がなく経済的にも不自由な高木母娘を不憫に思い、浩史は怜良と過ごす休日に高木母娘も誘って外出するようになった。


 悪鬼がそそのかしているのではないかと心配になった蒼夜と天真が、深影とアンジェに相談して一緒に見張ってみたが、力の大きな助っ人を恐れた悪鬼は、表面上は姿をみせないでいる。

 多忙な深影とアンジェは自分たちの世界に戻っていった。

 強力な力を持つ二人を再び呼び寄せることがないよいうに、悪鬼は蒼夜と天真にも見つからないようにして、ひっそりと高木母娘の中に根付いていき、美智子の悪だくみに手を貸していた。


 その結果、美智子のあれやこれやの女の手管に絡めとられた浩史は、怜良の反対を押し切って三年後には美智子と結婚することになるが、今の時点では誰も知る由もなかった。



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