第7話 気配

 静まり返ったホールに取り残された蒼夜と天真は、お互いの種族の間に、見えている壁以上の隔たりを感じたせいで言葉もなく二階を見上げていたが、沈黙に耐えかねた蒼夜が、ふぅ~と息を吐きだし、天真の顔を覗き込んだ。

「なぁ、いつかあの壁を壊して、俺たちがずっと一緒にいられるようになればいいな」

 無邪気な言葉につられて天真が笑いながら、そうですねと頷く。

「昇進試験が終わっても、僕は蒼夜君とずっと一緒にいたいから、神様に頼んでみるつもりです。蒼夜君もお父上の魔王様に頼んでみてください」

「うん、分かった。兄ちゃんを味方につければ大丈夫だと思うから、俺、兄ちゃんのご機嫌を取るようにする。そうだ、人間はそろそろ起きて活動する時間だろ?怜良を見に行かないか?」

「今日は休日だから、まだ眠っているかもしれませんよ。でも、ここから、あの家までの空路も完全に覚えたいし、行きましょう」

「よし、競争だ!超飛行で怜良の家に行くぞ」


 ボンとカラスに変身した蒼夜に続き、天真が慌ててシラサギに変身する。羽ばたこうとして、いつもの城と違って開いている窓が無いことに二人が気が付き、あたふたとしていると、階段下の両開きの扉が開き、執事のスケルトンがカクカク関節を鳴らしながら走ってきた。

「ぼっちゃま。玄関ホールの西側に扉があります。風よけがついていて、外からは見えないので、これからはその扉を出てから変身なさってください」

 そう説明しながら、西側の扉を開けて蒼夜と天真を外へ出してくれた。

「カァ~『ありがとう。行ってくる』」

 スケルトンに挨拶をすると、蒼夜は力強く羽ばたいて一気に上昇する。森に遮られていた風が木を越すと途端に強く吹き付ける。まだ、三月の気候は肌寒く上昇するほど、空気は冷たくなるが、川に差し掛かると、土手に咲いている花が春の色を散らしていた。


 ほどなく天真が追いついてきたので、蒼夜も負けじと羽を動かす。普通はシラサギの方がカラスより身体が大きいが、天真はまだ変身の術を身に着けたばかりで、子供の体格に見合った小ぶりのシラサギだ。同じ子供でも、蒼夜は、城から出て外を見たいばかりに、早くから変身の術を身に着けたので、大型のカラスに変身することができ、二人の大きさはほぼ同じだった。

 天界と地界の間に壁はあっても、地上の空間には二人を隔てるものはない。飛びながら顔を見合わせ、自由の声を思いっきり上げる。そうこうするうちに、あっという間に怜良の家の屋根が見えてきた。


 ところが、怜良の家と道を挟んで建つ二階建てのアパートの一室の窓から、良からぬ気配が立ち込めているのを二人は感じ取り、何が起っているかを確かめるために、「高木」という表札がかかった部屋の屋根に着地した。

 二階の真ん中辺りにある窓は閉められているが、壁の薄い造りなので、住人の声は駄々洩れだ。複数の女性の声の中に怜良という名前を聞き取って、蒼夜と天真がベランダにそっと降り、レースのカーテン越しに中を覗いた。


「お母さん、うちは貧乏なのに、どうして怜良と浩史おじさんの朝食を毎朝作ってもっていくわけ?」

 中学生くらいのふっくらとした女の子が口を尖らせて、朝食をパッキングしている女性に文句を言っている。


「怜良ちゃんのお母さんは私の従姉だったのよ。お母さんを亡くしたばっかりの怜良ちゃんを、明菜は可哀そうだと思わないの?」


「何を聖人ぶっているの?お母さんはいつもあのおばさんと自分を比べて、私の方がきれいだとか、上品ぶって何もできない女と、甘やかされた世間知らずの娘って悪く言っていたじゃない。今更ころっと態度を変えたって気色悪いだけよ」


「お姉ちゃんの言う通りよ。毎朝早くから起きて手伝わされる私たちにはいい迷惑だわ。私は朝が弱いんだから、休日ぐらいもう少し寝かせてよ」


 ふっくらした姉とは対照的にガリガリに痩せた妹が、神経質そうな顔を更に不機嫌に歪ませながら、姉の援護射撃を開始する。すると母親の美智子が末娘をギロリと睨み、本性を現したように口調を一変させた。


「真里菜。あんたはすぐに顔に出るから作戦がバレないように言わないつもりだったけど、仕方がないから教えるわ。男の人を落とすには、胃袋を掴めって言うことわざがあるの。意味分かるわね?」


 明菜と真里菜が顔を見合わせ、意地の悪い笑みを浮かべた。

「つまり、これは餌付けなのね?」

「そうよ明菜。こんな狭いアパートに住んで、あんたたちを育てるために安い賃金でパート勤めをするなんてうんざり。あなたたちも、自分だけの部屋が欲しいでしょ?」


 楽し気な様子で頷く二人に、分かったのなら……と、美智子がしっしっと野良猫を追い立てるように手を振りながら娘たちを急かす。

「文句ばかり言ってないで、協力しなさい。真里菜も早く着替えて!揃って朝食をもっていくわよ」

「分かったわ。そういうことなら、早く起きるように努力する」


 真里菜が自分たちの部屋へパタパタと音を立てながら走っていく姿を見て、蒼夜と天真は怜良の家の屋根に移動した。


「蒼夜君。どうしましょう。あの人たちの周りに、悪だくみとは別の禍々しい気配が漂っています」


「天真にも感じられるんだな。あれは低級の悪鬼が集まっているんだ。アジア地区に住んでいる魔族で、悪い人間の気配に敏感で、人間をそそのかして大事を起こすことがあるらしい。俺たちは人間からの依頼で動く悪魔だけど、あいつらは自分本位で人を貶めるのを楽しんでいるんだ。俺たちの悪魔社会に入ろうともしない厄介者だって兄ちゃんが言っていた」


「じゃあ、僕が聞いている悪魔の悪い噂の中には、悪鬼の悪行も入っているかもしれませんね。あっ、高木母娘おやこが出てきました。こっちに来るけど追い払いますか?」


「う~ん、朝食の配達は毎日続けているみたいだからな……怜良の親父がその気にならなければ何ともないんじゃないか?あんな性悪女に簡単に引っかかったりしないだろう?」


「それもそうですね。あの姉妹も怜良ちゃんと二、三歳しか違わないのに、相当擦れてますからね。父親がいないから苦労して大人になったんじゃなくて、あれは元から性根が悪そうです」


「アハハ……天真も言うな。まっ、俺たち子供にも分かるくらいだから、大人の男が騙されることはないだろう」

 しばらく様子を見るということで、二人の意見は一致した。


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