第5話 悪魔と天使と新出怜良
「ママ、ママ。目をあけて!誰か助けて!」
パタパタと足音がして、怜良が庭に飛び出してくる。御影とアンジェはすぐに姿を消したが、まだ未熟な蒼夜と天真はあたふたとしている間に、怜良に見つかってしまった。
普段なら不審人物として警戒されるだろうが、余裕のない少女は、目の前にいる蒼夜と天真の腕にすがった。
「ママが……ママが急に……お医者さんを呼んで。助けて」
蒼夜と天真は顔を見合わせて頷き、少女を連れて家に入る。ベッドの上を見ると、怜良の母は天使の小瓶を握り締めたまま、息をひきとっていた。
ママを助けてと泣きじゃくる怜良の目から、大粒の涙が零れ落ち、蒼夜は真実を告げることを躊躇い、答えを求めて横をみると、天真も首を振って蒼夜の言葉を止めている。
どうしたもんかと蒼夜が部屋を見回した時、四角い箱が目に入った。蒼夜は地底界で、いずれ人間と接する機会があるときに困らないように、人間の生活や言動などを少しずつ学習している。それが今回は役に立ったようだ。
「電話。そうだ、君のパパに電話で知らせるんだ。他に誰か面倒を見てくれる人はいないのか?」
蒼夜が聞くと、怜良が庭に面する道の向こう側に建つ古いアパートを指した。
「ママの従妹の美智子おばさんがあそこに住んでるの。今日は土曜だから、おばさんはパートでいないけど、真里菜ちゃんと明菜ちゃんはお留守番していると思う。でも二人とも小六と中一で、私より二、三歳年上なだけなの」
「子供同士じゃ意味ないな。お父さんはどこにいるか分かるか?」
「お父さんは、ここから車で三十分くらい行ったところの会社で働いているわ」
「分かった。君のお父さんに連絡するんだ。一応救急車も呼んだ方がいい」
蒼夜と天真には、怜良の母を病院に連れて行っても、助からないということは分かっていた。でも、怜良に悔いを残させないように、手を尽くしたと思わせてやりたい気持ちから口にした蒼夜のアドバイスに、天真は何も言わなかった。
怜良に電話をさせると、母親の状態を心配していた父親の浩史が、早退して家の近くまで来ているらしい。そのまま去ってもよかったが、電話口で不安を押し殺し、一生懸命に状況を説明する怜良を放っておけなくて、蒼夜は少女の薄い肩にそっと手を置いた。大きな目に涙を一杯ためて、蒼夜を見上げる怜良に胸が締め付けられ、何とか慰めたい気にかられて、救急車か怜良の父のどちらかが来るまで、話し相手になってやろうと思った。
最初、管理する人間に姿を見られて焦った天真も、かわいそうな怜良のために役立とうとして、母親の手から小瓶を外し、ベッドに転がった蓋を締めると、優しい微笑みを浮かべながら怜良に手渡した。
「これは怜良ちゃんのママが怜良ちゃんにプレゼントしたものだから、大切にもっていてくださいね。願いが叶った時に消えてしまうものだけど、怜良ちゃんが迷った時や困った時に、ママがお願いした天使に伝わって助けてくれるかもしれないから……」
「そうなの?困った時には天使が助けてくれるの?私は一人じゃないの?」
天真だけに良いところを持っていかれまいと、蒼夜が横から口を出す。
「天使だけじゃなくて、怜良ちゃんが悪い奴に絡まれたりしたら、悪魔もそいつらをやっつけて、怜良ちゃんを守るからな」
「そうなの?悪魔は悪者じゃなくて、ヒーローなの?」
「う~んと、いつもじゃないけど、怜良ちゃんは特別。天使と悪魔の味方がついてるから、心配せずにプリンセスになる努力をするんだぞ」
「うん、分かった。怜良は勉強もダンスも語学も頑張って、お姫様になる」
「その意気だ!」
蒼夜と天真が頷いた時、救急車のサイレンが近づいてくるのが聞こえた。ほぼ同時に、駐車場に車がとまり、怜良を呼ぶ男性の声が聞こえる。その声にパッと顔を輝かせた怜良が、お父さんと叫びながら玄関に駆け出したのを機に、蒼夜と天真はカラスとシラサギに変身して、窓から空へと飛び立った。
「なぁ、天真」
「何ですか?」
「怜良ちゃんって、かわいいな。お前と一緒に、見守ってもいいかな?」
「そ、それは……僕は心強いですけど、もし願いが叶ったら、蒼夜君にとっては、まずいんじゃないですか?悪魔でいられなくなりますよ」
「じゃあさ、願いが叶いそうだと分かった時点で、お前に全部任せて、俺だけずらかるのはどうだ?」
「そうですね。それならギリギリセーフになるかも……」
「お前変わってるな。天使だったら、俺が悪魔のままでいることを良く思わないんじゃないか?なのに人間になることを心配するなんて、ほんとおかしな奴」
「ほんとだ!そういえばそうですね。でも、どうして心配したんだろ?蒼夜君が聞いている悪魔と違って、優しいからかもしれません」
天真の言葉を聞いて、突然蒼夜が飛ぶスピードを落としたので、天真も急ブレーキをかけるために身体を起こして羽を風に対して垂直に立てる。空中で羽ばたいて一点に止まった天真に、突っつくような勢いで、蒼夜がけたたましく鳴きながら抗議した。
「はぁ?お前、悪魔が悪事を働くのは、人間が俺たちに頼んだことを叶えるためだって知ってるか?自分で悪だくみをしたくせに、危なくなると、悪魔にそそのかされたと嘘の言い訳をして、神に助けを求めるのも人間だ。そのせいで俺たちは悪者扱いにされるけどな」
「そうなんですか……知りませんでした。一方の話しを聞くだけでは、ずいぶん内容が歪められることもあるのですね。手助けした内容によっては納得できないこともありますが、どっちが正しいかなんて、その立場の見かたによって、ずいぶん意味合いが変わるものなのですね」
「何難しいことをごちゃごちゃ言ってるんだ。ほら行くぞ!」
「あっ、はい。……蒼夜君は、お兄さんやお父さんが好きですか?」
「ったり前よ!」
「ですよね?じゃあ、蒼夜君が悪魔でいられるよう、途中で必ず、管理人の役目を放り出すと約束してください」
「分かった。約束する。ぶっちするのは得意だから任せとけ!」
カラスとシラサギが笑うように鳴くのを見て、鷹の深影とオオハクチョウのアンジェが、屋根の上でため息をついた。
「あってはならない同盟が結ばれたな」
「そのようですね。二人は幼過ぎて、事の重大さが分かっていないのでしょう」
「だが、我々はそれぞれの稼業に徹して、弟たちが元の姿を失くさぬよう気を配らねばならない。こちらはこちらのやり方で弟を守るゆえ、そちらのルールに従えなくても悪く思うな」
「分かっております。今は仲間意識が生まれても、しょせん混じり合うことも適わない水と油の存在です。いずれ別れがくるまで、今少しの間、戯
たわむ
れを許してあげましょう」
「うむ、ではこれで……」
バサッと羽を広げ鷹が大空に舞い上がる。その後を追って、カラスとシラサギが、まるでじゃれ合うように、場所をくるくる変わりながら飛んで行く。
「悪魔とて、元は天使。問題を起こしていない悪魔を、憎めという方が難しいでしょうね」
憂いを込めた眼で三羽を見上げていたオオハクチョウが、後を追うように大きな翼を広げてバサリと羽ばたき空中に舞った。小さくなりつつある三羽の影に一羽が加わり、やがて空の彼方に消えていった。
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