9-5「伏兵」

 その魔王軍の伏兵は、丘陵の稜線(りょうせん)の向こうにあって、連合部隊の側からは認識できない位置にいた。


 どうやら魔王軍は大規模な予備兵力を準備しており、攻勢をかけるために、連合部隊からは見られない様に密かに移動させていたようだった。


 そして、その目の前に、突出した部隊と、パトリア王国軍はのこのこと出てきてしまったのだ。


 魔王軍の伏兵部隊は、少なくとも数で4万はいそうだった。

 パトリア王国軍の全軍と、突出して出てきてしまった部隊の全軍を合わせても、その半分程度にしかならない。


 このままいけば、包囲されて、壊滅させられてしまう。


 だが、退却命令を出そうにも、難しかった。

 兵士たちの多くはまだ稜線(りょうせん)の向こう、魔王軍の伏兵を視認できない位置にあって、魔王軍と交戦するべく丘を登ってきている状態だったからだ。


 すでに戦闘が始まっていることもあり、退却を命じても、スムーズにそれを実行できる状態ではなかった。

 魔王軍にも攻撃され、混乱の中で多くの被害が出てしまうだろう。


 こういう状態で、指揮官が発することのできる命令は、単純なものに限られる。

 1つは、進め。

 もう1つは、守れ。

 そして、退却せよ。


 しかし、状況は、退却することを許さない。

 そもそも、これ以上進んで敵中に深入りすることは論外だ。


「守りを固めろ! 防御態勢を取れ! 伏兵がいるぞ! 」


 アルドル3世はそう大声で命じ、伝令の兵士を走らせ、その命令をくり返し叫ばせた。


 前進するために隊列を乱していたパトリア王国軍は、その伝令の叫び声を聞き、訳も分からないまま各部隊で集結して隊列を整えなおし、盾と槍を装備した兵士でぐるりと壁を作り、その中に弓兵と弩兵を置く防御態勢を整えた。


 魔王軍の伏兵が突撃を開始したのは、その直後だった。

 大きく強力だが移動の遅い魔物たちは、その伏兵が迂回して連合部隊の側面を攻撃しようとしていた性格上ほとんどいない様子だったが、野戦陣地の無い状況では、ゴブリンやオーク、リザードマンといった魔物たちは恐ろしい敵だった。


 魔物たちは雄叫びをあげながら丘の斜面を駆け上り、部隊ごとに防御態勢を取ったパトリア王国軍の兵士たちへと襲いかかった。


 パトリア王国軍と先に突出していた部隊は、魔物たちの波にのまれ、波間に漂う孤島の様な状況となってしまった。


「サム殿、ティア! 私たちの近くから離れるな! 」


 騎乗した騎士を中心とする集団の中にあったアルドル3世と一行は、他の騎士たちと共に円陣を組み、魔物たちを迎え撃った。


 騎士はその重量と速度で強烈な突撃力を発揮する強力な戦力だったが、今の様に数百程度の集団で分断され、周囲を敵に囲まれて満足に速度を発揮できない状況では、思う様に戦うことは難しかった。

 騎士たちは馬を巧みにあやつり、魔物たちの中を何とか駆けまわっていたが、速度が出せない状況では魔物たちに捕捉され、上質な全身鎧を身に着けているにもかかわらず、次々と犠牲となって行った。


「馬を捨てろ! 歩兵となって、他の兵と連携して戦え! 」


 アルドル3世はそう叫ぶと、自身も馬から降り、馬は逃がして、他の歩兵と一緒になって剣を抜いて魔物たちと戦った。


 幸いなことに、もっとも敵陣に攻め込んでいたアルドル3世と一行は、ドワーフの戦士団と合流することができていた。

 ドワーフは勇猛な戦士であり、上質な鎧と盾、武器を持っている。

 この様な状況でもドワーフたちの戦意は衰えず、隊列を組み、剣と盾で壁を作り、魔物たちにひるまずに反撃している。


 そのドワーフたちと合流し、協力して戦えば、長時間でも持ちこたえられるはずだった。


 しかし、後続していたパトリア王国軍の兵士たちは、そうではない。

 アルドル3世の素早い判断でどうにか防御態勢を取ったものの、兵士たちからすれば突如として出現した魔物の大群に対し、兵士たちは混乱し、ただただ生き残るために必死になっている。


 魔法の支援を受けられない兵士たちは、悲惨だった。

 人間が用いる武器はオークなどの防御の固い魔物にはまず通用せず、近くに魔術師のいなかった部隊は苦戦し、犠牲が多く出始めている。


 乗馬による機動力を封じられた騎士たちも、勇敢に戦ってはいたが損害を増やしつつあった。


「ふんばれ! 増援が来れば、盛り返せる! それまで頑張れ! 」


 アルドル3世はそう声を張り上げ、兵士たちを鼓舞して回ったが、その声は魔物たちの雄叫びと兵士たちの喚声(かんせい)にかき消されて、ほとんど伝わらなかった。


 そんな状況で、サムたちの一行は、自分たちにできることを必死に考えていた。


 一行は冒険者として長く旅をする中で身に着けた実力を持っていたが、10名にも満たない人数では、万単位の軍勢が衝突する戦場ではそれほど大きな活躍はできない。

 乱戦の中では落ち着いて魔法の呪文を唱えることもできず、強力な魔法を使いたくても思うようにはいかないのだ。


 そんな中で、サムは、自分が勇者であるということを思い起こしていた。


 もし、この乱戦の中で、少しでも状況をよくできるものがあるとすれば、それはようやく力を取り戻した聖剣マラキアだった。


 サムは聖剣の柄(つか)に手をかけると、それを引き抜き、天高く掲げた。


 イルミニウムによって作られた刀身は、その身に宿した魔法の力で光り輝き、天から降り注ぐ陽光を浴びてまばゆい輝きを放った。

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