8-10「人間」

 サムにとって、人間に戻ることは、オークに姿を変えられてからの20年間、ずっと忘れたことの無い願いだった。


 オークに変えられた当初は、とにかく、何でも思いついたことを試してみた。

 だが、どれもうまくいかず、人間の魔術師たちに助けを求めようとしても、オークにしか見えないサムは敵視され、攻撃され、命からがら逃げだすことしかできなかった。


 そんなサムは、いつしか人間に戻る方法を探すことを止めてしまった。

 自分には、もう、どうすることもできない。

 そう思い知らされて、諦めてしまったのだ。


 自分は、オーク。

 醜い、豚の怪物。

 魔物。


 サムはそう思うことにして、現実を受け入れようと努力した。


 だが、表面的にこの事実は受け入れることができても、内心では、いつでも人間に戻りたいと願ってきた。


 オークには、オークの良いところもあった。

 その身体は強靭で、サムはこの旅の中で何度も、オークの強靭さに助けられてきた。


 だが、それでも、戻れるものならば、人間に戻りたい。

 それは、勇者の力を取り戻して、この世界を救うということだけでなく、オークの不自由な手足、粗野な暮らしにはどうしても慣れることができなかったからだ。


 何より、人間の社会での楽しい暮らし。

 雨風をしのげる家があり、食べるために畑を耕し、時にはお祭りを開いたり、温泉に入りに行ったりした、貧しくても良い思い出ばかりが思い出される生活。

 サムにとっての故郷はすでに完全に消滅してしまっていたが、それでも、もう一度あんな風に暮らせたら、と、思わずにはいられなかった。


 リベルの手がサムに触れた瞬間、サムは、自身の全身を何かが駆け巡った様な感覚を覚えていた。

 それは、サムの全身をリベルの魔力が流れていく感触だった。


「……なるほど、魔族の、しかもとても高度な魔法ですね」


 やがてサムのことを調べ終えたのか、リベルはサムから手を離した。


「ど、どうだったんですか? 」


 サムは緊張しながら結果をたずねたが、しかし、リベルはその問いかけには答えず、代わりに「シニス、おいでなさい」と、誰かに呼びかけた。


 部屋の中に通じている、一行が通って来たのとは別の扉が開くと、そこからは1人の女性のエルフが姿を現した。


 首の上で、耳元が見えるほどに短く切りそろえられた銀の髪と銀の瞳を持つ、褐色の肌の、妖艶な雰囲気を持つエルフだった。

 その顔の左側には、デクスと同じ様に刺青(いれずみ)が彫(ほ)られていて、その左耳には切れ込みが2つ作られている。


 シニスと呼ばれたそのエルフは、デクスの助けを借りながら再び椅子へと腰かけたリベルからサムのことを確かめる様に言われると、サムの前へとやって来て、サムのことを上から下まで眺めた。


 冷たい視線だった。

 何というか、「命令だから、仕方なくやる」といった感じで、自分から進んでサムのことを見ようというつもりはない様子だった。


 シニスが両手をサムの方にかかげると、再びサムの全身を魔力が駆け巡った。

 だが、リベルの魔力とは、かなり感覚が違う。


 リベルの魔力は暖かく、優しい感じのするものだったが、シニスの魔力は何というか無性に恐ろしいような気分になるもので、少しも落ち着かず、何故か不安になってくる様なものだった。

 サムは、ゾワゾワとした不快感を全身に覚えていたが、黙って我慢(がまん)した。


 やがて、シニスによる、サムにかけられている魔法についての調査も終わった様だった。

 シニスはサムに向けていた手を下ろすと少し難しそうな顔を作り、それからリベルの方へと戻って、再び眠る様に椅子に腰かけていたリベルの耳元に口を寄せ、小声で調べた結果を報告した。


 その報告を聞いたリベルは、その表情を曇らせる。


 サムは、この現実を信じたくなかった。

 だが、まだすべてが決まったわけでは無いと、そう自分に言い聞かせ、どうにかその場に立ち続けた。


「そ、それで、ど、どうなったんです? 」


 これ以上、何も聞きたくない。

 だが、聞かなければならない。


 サムは、震える声で、結論がどうなったのかをたずねた。


「結論から、申し上げましょう。……サム殿、あなたを人間の姿へと戻すことは、我々エルフの力をもってしてもできません」


 リベルは、申し訳なさそうに、伏し目がちになりながら、だがはっきりと、簡潔にその事実を突出た。


 サムは、自分の目の前が真っ暗になった様な気がした。

 ショックのあまり身体から力が抜け、もう、立っていることさえできない。


 その場に膝をつき、両手を床の上についたサムを、他の仲間たちが心配そうに囲んでくれた。

 自分が1人きりであったら、サムはショックで気を失っていたかもしれなかった。


「これをお話しするのは酷なこととは承知していますが、お話しなければなりません」


 リベルは、悲しそうな声で説明をする。


「サム殿、あなたにかけられている魔法は、魔族が使う魔法です。我々エルフが使う魔法とも、人間が使う魔法とも性質が異なります。ですが、この者、シニスは魔族の魔力を自身の身体へと取り入れた者、ダークエルフ。ですから、魔族の魔法を、自在に操ることもできます。我々エルフからすれば大罪人ではありますが、優秀な魔術師です。しかし、そのシニスをもってしても、サム殿、あなたを人間に戻すことは難しいのです」


 それからリベルは、後の説明をシニスへと譲(ゆず)った。

 シニスはリベルにかしこまってうなずき、前に出ると、ガックリと膝をついているサムを前にしても冷徹な口調で、サムが人間に戻れないという訳を話し始めた。

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