7-5「故郷」

 諸王国の惨状と、人類の危機という事態を考えれば、一行にゆっくりしていられる時間は無いはずだった。


 一行は準備ができ次第、すぐにでも出発するつもりでいたが、アルドル3世は準備に「数日はかかる」と言い、一行に部屋を用意してそこで休む様にと言った。


 これは、実際に準備に時間がかかるというだけではなく、苦しい旅を続けてきた一行に、少しでもまとまった休息を与えたいというアルドル3世たちの配慮だった。

 一行は成果のあがらない旅を続けてきたし、これからも、それを続けなければならない。


 一行には、常に罪の意識があった。

 自分たちならできる、そう思い上がって魔王城へと向かい、そこで聖剣マラキアを失って、現在の状況を作るきっかけになってしまったという事実がある。


 休めるチャンスがあっても、一行の精神状態ではとても、自分たちから休もうなどとは言い出せなかった。

 そんな一行に対し、アルドル3世たちは「休まなければならない理由」を作ってくれたのだ。


 ティアがアルドル3世とステラの実の娘、つまりは王族であるということもあって、一行のために用意された部屋は、これまで宿泊したどんなものよりも豪華で贅沢なものだった。


 上質なベッドが人数分、複数のベッドをくっつけることでサムも手足を伸ばして眠ることができるものが用意されていた。

 さすがに1人1部屋ではなく、2人ひと部屋だったが、旅のさなかでは野宿同然のことが多かった一行にとっては、天国の様だった。

しかも、食事もきちんと、アルドル3世たちが食べているのと同じものがつくし、毎日お風呂に入ることさえできるのだ。


 パトリア王国の王都へと到着したその日、一行は部屋に案内されたあと、すぐに風呂へと向かった。


 これまでも水浴びなどをしたことはあったが、そう頻繁にできるようなことではないし、せいぜい、身体を水で濡らした布で拭くというのが精いっぱいだった。

 だから、温かいお湯が張られた湯船につかることができるのは、本当に嬉しいことだった。


 お風呂と言うのは、豊富にお湯が湧き出てくる温泉地でもない限り、贅沢(ぜいたく)なことだった。

 入浴にはお湯がたくさん必要になるし、そのお湯を作るためにはたくさんの水と燃料が必要になる。

 そして何より、巨大な風呂桶(ふろおけ)が必要になるのだ。


 驚いたことに、アルドル3世たちは、サムの様なオークが入ることができるくらい大きな風呂桶(ふろおけ)を持っていた。

 このような日のために特注させたというわけでは無く、元々は軍馬などを療養目的で入浴させるために作られたものであるらしく、それを運び込んでくれたのだ。


 風呂場では、サムのことを数名の使用人たちが待ち構えていた。

 醜い豚の怪物であり、全身を毛皮で覆われたサムを奇麗にするために派遣されてきた使用人たちだった。


 サムは、生まれて初めて、誰かに全身を洗われるという体験をした。

 何というか、こそばゆいというか、恥ずかしい気持ちだったが、それでも石鹸を使って泡だらけにされ、巨大な桶にくまれたお湯で何度も洗い流されると、サムはこれまでにないほど奇麗で清潔なオークへと変貌していた。


 どれだけ汚れていたかは、洗い流され、排水溝へと向かって行く水が茶色く濁っていたところから容易に想像ができるだろう。

 サムも気がつかないうちに毛皮の中にはいろいろなものが紛れ込んでいたのだが、詳しい描写はしない方がよさそうだった。


 そして、ようやく湯船につかると、サムはうっすらと涙を浮かべてしまった。


 サムは、これまでの人生で数えるくらいしか風呂に入ったことは無かった。

 オークたちはそもそも風呂に入るなどという習慣を持たなかったし、サムが人間だったころも、貧しい農村の生活では風呂というものは無縁の存在だった。


 それでも、サムの生まれた村の近くには温泉が湧き出ているところがあり、農閑期などに家族で入りに行ったことがある。

 それは、とても楽しい記憶だった。


 サムは、家族のことを少しだけ思い出して、懐かしく、悲しい気持ちになったのだ。


「はぁ、お風呂は、いいですねぇ。何度入っても、不思議な気持ちになります」


 サムの隣に用意された人間用の湯船につかりながら、バーンが心地よさそうな声を漏らした。


「ああ、風呂ってのは、いいもんだぜ」


 サムもバーンと同じ様な声を出して、湯船の中に深々と身体を沈め、首の辺りまでお湯につかった。

 2人は、それ以上会話をすることもなく、久しぶりのお風呂を満喫する。

 おしゃべりも楽しいが、今は、この極楽をじっくりと味わいたかった。


 男2人が黙って風呂を楽しんでいると、壁一枚隔てた向こうから、何やら楽しそうな少女たちの声が聞こえてくる。

 くぐもっていたよく聞こえないものの、どうやら、水のかけっこでもして遊んでいる様だった。


 サムは、少女たちが両親と再会した時にもそう思ったが、やはり、年相応に幼いというか、無邪気なところもあるんだな、と思っていた。


 同時に、しみじみと、自分たちのしてしまったこと、そして、やらねばならないことを考えさせられてしまう。


 サムは、お湯の中から自分の手を出して、それをじっと見つめた。

 そこには、毛むくじゃらで、ごつごつとしていて、太くて不器用なオークの手がある。


 もう、サムには、自分が人間だったころ、そんな手をしていたかを思い出すことができなかった。


 サムは、オークだった。

 それでも、サムは勇者、光の神ルクスによって魔王を倒すという役割を与えられている。

 サムはどうにかして、人間に戻って勇者の力を取り戻さなければならなかった。


 これから向かう、エルフとドワーフが住む場所で、全てが解決されるのだろうか。

 自分は、人間に戻ることができるのだろうか。

 サムは、不安を打ち消すように、全てがうまくいくようにと必死に願った。

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