1-5「服を着たオーク」

 少女の祈りは、叶わなかった。

 少女の家の前に立ったオークは、のそり、と身体をかがめて、少女の家の中へと入って来てしまったのだ。


 それは、他のオークたちとは、少しだけ雰囲気の違うオークだった。

 オークたちはみな、せいぜい腰布を身に着けていればいいくらいの姿だったが、そのオークは、人間の様に上半身にも服を身に着けている。

 もっとも、それは元々人間用の服であったようで、オークの巨体を布で覆いきることはできず、しかも、所々破れて穴の開いたボロだった。


 少女は、慌てて、竈(かまど)の奥へと身体をよせた。

 元々竈(かまど)の一番奥に隠れていたのだが、できるだけ身体を小さくして、竈(かまど)の外から見えない様にする。


 それが、少女に出来る、精一杯のことだった。

 今から竈(かまど)から逃げ出しても、少女がいくら小さくてすばしっこくても唯一の出口がオークによって塞がれているし、捕まってしまったら、自分はきっと、食べられてしまう。


 外からは、今でも、オークたちが食糧を貪(むさぼ)る音が響いて来ている。

 中には食糧を袋ごと、樽ごと食べているオークもいる様で、頑丈なはずの麻布や、木が、オークの強靭な歯によって噛み砕かれている音が聞こえてくる。


 少女のまだ成長し切っていない細い骨だって、簡単に噛み砕かれてしまう!


 少女が生きのびる方法は、このまま、オークに見つからないことだけだった。

 逃げ出すこともできないし、オークと戦って倒せるはずが無い。

 大の大人たちが何人も束になって戦ったのに、それでも、村はオークによって蹂躙(じゅうりん)されてしまっているのだ。

 少女の細く非力な腕で何かできるはずが無かった。


 家にはまだ食糧がそのまま残っていた。

 オークの意識が、その食糧の方へと向けば、少女に気がつかずに立ち去ってくれるかもしれない。


 少女は、オークたちが満足して引き上げるまで、竈(かまど)の中から1歩も動かないぞと、固く決心した。

 目の前までオークがやって来て怖くて仕方が無かったが、できるだけ身体が震えない様に、声が漏れないように、息も殺して、じっと少女は身をひそめる。


 少女の家に入って来たオークは、その豚鼻をひくひくとさせて、家の中を探っている様だった。

 元々家の中は薄暗くて良く見えなかったが、オークという種族の視力はさほど良くないから、嗅覚で家の中に何があるのかを探り出そうとしているのかもしれない。


 やがてオークは、少女の家の床板を数枚、取り除く。

 その床板は元々外せるように作られていたから、オークの怪力を使うまでも無く、簡単なことだった。


 板がはがされた床下には、穴が掘られていた。

 そしてそこには、家族が冬を越すための貯えとして、少女の父親が隠しておいた食糧が隠されている。


 麦などの穀物の他に、ジャガイモなどのイモ類、そして、壺(つぼ)に詰め込まれた野菜のピクルス。

 中には、貴重な家畜の肉から作った、塩漬け肉もある。


 お肉は、少女の大好物だった。

 だから、オークに食べられてしまうのは、とても悔しいことだった。


 だが、オークがそれを食べるのなら、早く食べて欲しいと、少女はそう祈っていた。

 何故なら、オークによって自分が食べられることになってしまうよりは、その方が何千倍も、何万倍もマシだったからだ。


 オークは、その食糧に手をつけようとはしなかった。

 それどころか、指が太いために細かい作業などできるはずがない手を使って、床板を元の様に戻してしまったのだ。


 少女は、そのオークの行動を、目と耳と、全身の感覚を使って、じっと観察している。

 他のオークたちだったら、床下から出て来たご馳走に夢中になってかぶりついているはずなのに、このオークは何だか様子が違う。


 少女は不思議に思うのと同時に、嫌な予感がしていた。

 何故なら、オークは再び鼻を使って嗅覚で周囲を探り、そして、少女の方へ顔を向けて、動きを止めたからだ。


 少女は、悲鳴をあげそうになる自分の口を、必死で抑え込んだ。

 見つかったら、お終いだ!


 オークがとうとう、目の前にまでやって来て、その不気味な顔で、少女が隠れている竈(かまど)の中を覗き込んでも、少女は悲鳴をあげなかった。

 怖くて、怖くて、今すぐに大声で悲鳴をあげたかったのだが、オークは目が良くないから、もしかすると少女を見つけられないかもと、そう思ったからだ。


 だが、少女の期待は外れてしまった。


「へぇ、オレを見ても悲鳴をあげないのか。なかなか、肝のすわったお子様じゃないか」


 服を着たオークは流暢(りゅうちょう)な人語でそう言うと、口元をゆがめる。

 どうやら、笑った様だった。


 少女はもう、悲鳴をあげようとは思わなかった。


 あまりの恐怖で、そんなことを思う様な感覚が、どこかへ行ってしまったからだ。


「た、食べないでっ」


 少女は、震えた声で、どうにかそんな言葉を絞り出す。


「食べる? お前を? 何を、バカなことを」


 服を着たオークはそう言ったが、少女には、オークを信じることなどできなかった。


「で、でもっ、お母さんは、オークは子供を食べちゃう、って」

「フッフッフ、誰が、お前みたいなチビで痩せっぽちなんかを食うものかよ。それに、俺は鹿の肉の方が好きなんだ」


 オークはそう言うと、少し優しい声で少女に語りかける。


「チビ、オレはな、サムって言うんだ。安心しな、お前みたいなチビを食おうだなんて思わないし、むしろ、助けてやろうと思ってるんだ」

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