1-4「少女」
村人たちがやっとの思いで貯えた食糧を、オークたちが食らいつくしていく。
オークたちの食べっぷりはすさまじく、そして、荒々しくて汚い。辺りには貴重な食糧の食べこぼしが無造作に飛び散り、村人たちが丁寧に使っていた家の中はどんどん荒らされていく。
オークたちの蛮行の音を、少女は暗闇の中で聞いていた。
まだ10歳になったかどうかという、小さな女の子だ。
少女は、この村で生まれて育った。
他の子供たちと一緒になって野山で遊んだり、親や、近所の大人たちからいろいろなことを教わったり。
田舎の村の子供として、生きて来た。
少女は幼かったが、オークという言葉を知っていた。
少女がいたずらなどをすると、よく、両親から「オークが来ますよ! 」と叱られていたからだ。
他の村人と同じ様に、少女は、本物のオークなど、見たことが無かった。
だから、オークなんて、大人たちが子供たちを叱りつけるためにでっち上げた、作り話だと思っていた。
この地方には、長い間、オークは住み着いていなかった。
この辺りはオークの様な、魔物と総称される、暗黒神テネブラエの眷属で、光の神ルクスの民たる人間族に害をなす様な生き物たちは、ほとんど見かけることが無かった。
20年ほど前から、各地で徐々に魔物の目撃例と、魔物たちによってもたらされる被害についての報告が増えてきているらしいというのは、少女も知っていた。
街へ出かけて帰って来た大人たちが、そう噂話をしていたのを聞いたのだ。
だが、村の周りは穏やかなままで、つい数日前までは魔物の気配なんてどこにもなかった。
村は、安全だったはずなのだ。
現実は、少女が思っていたものと違っていた。
オークたちは本当にいて、村人たちが必死になって作ったり集めたりした食糧を食らっている。
これでは、村は冬を越すことはできないだろう。
これから村は冬を迎え、深い雪の中に閉ざされることになる。
運よく野生の動物を狩ることはできるかもしれないが、オークたちにこれほど食糧を食い荒らされてしまっては、とても春の訪れまで待つことができない。
少女にはもちろん、そんな難しい話は理解できなかった。
ただただ、オークたちが怖かった。
恐ろしかった。
少女は、怯えていた。
村人たちがどうにか築き上げた防衛線が簡単に突破され、オークたちがなだれ込んで来た時、ほとんどの村人は隠れていた家々から逃げ出した。
少女の母親も、他の兄弟たちを連れて逃げ出したのだが、少女は隠れていた家の竈(かまど)の中から動くことができず、はぐれてしまった。
とにかく、怖かったのだ。
身体が震えて、動くことができなかったのだ。
竈(かまど)の中に隠れる前に、弟と一緒にトイレを済ませていなければ、今頃はきっと粗相をしてしまっていたことだろう。
幸いなことに、少女の家にはまだ、オークは入ってきてはいなかった。
少女の家は谷の奥の方にあって、オークたちは入って来た谷の出入り口に近い建物に我先にと入って行ったから、ここまではまだ来ていない。
だが、竈(かまど)の中に隠れて、身体を丸め、震えながら必死に息をひそめている少女には、今なら逃げ出せるなどということは少しも思い至らないことだった。
村中に、オークたちの不気味なうめき声と、食糧を食らい続ける音だけが響いている。
中には、人間の大人たちが隠していた酒を見つけて、それを樽ごとガブ飲みし、上機嫌になっているオークもいる。
竈(かまど)に隠れている少女からは、そんな、外の音だけが聞こえてくる。
村中がオークによって埋め尽くされている様な気がするのだ。
だから、少女は動けない。
動きたくない。
悪いことをしているとオークが来ますよ、と母親から叱られた時に、少女は、「オークが来たら、どうなるの? 」とたずねたことがあった。
その時、母親は、「悪い子は、オークに食べられてしまうんだよ! 」と、少女に言った。
それが、嘘か本当のことなのか、少女には分からない。
だが、もしも、本当のことだったら。
この狭くて暗くて、外からは見つかりにくい竈(かまど)の中から逃げ出して、運悪くオークに見つかって、捕まってしまったら。
自分はきっと、オークに、おやつみたいに頭からバリバリと食べられてしまう。
そう思うと、やっぱり、怖くて動けない。
少女はこのままオークたちがこの家に入り込んできませんようにと、創造神クレアーレ、光の神ルクス、地母神テラなど、聞いたことのある神様にくり返し、くり返し、祈り続ける。
だが、足音が近づいてきて、少女ははっとして、竈(かまど)の外へ視線を向ける。
何も、見えない。
家の中には怖がる子供たちを落ち着けるために母親が灯した蝋燭(ろうそく)の明かりがあるだけで薄暗く、ほとんど見えない。
それに、家の窓という窓は、鎧戸でしっかりと閉め切られている。
他の家族が大慌てで逃げ出して行った時に扉を締め忘れて行ったので、その扉だけは開いていて外の様子が見えるはずなのだが、少女の位置からは扉の様子は良く見えない。
母親が、少女がいないことに気がついて探しに戻って来てくれたのだとしたら、どんなに良かっただろうか。
だが、少女には、それが母親の足音では無いと、分かってしまった。
足音は、のっし、のっしと、近づいてくる。
人間よりもずっと大きくて重いものが歩いてくる足音だ。
やがて、少女が隠れている家の扉の前に、巨大な影が落ちる。
オークが、やって来たのだ。
少女は思わず悲鳴をあげそうになり、慌てて自分の口を両手で覆った。
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