第5話
「ふん、金の斧か」
喜之助氏は平静を装っているが、動揺は見て取れた。
龍作は黙っている。
「お前は、その情報を何処から得たのか知らないが・・・まあいい、龍作とやらに盗まれたのは、確かに偽物だ」
「そうか、そうですか。でも、なぜ・・・偽物を警察に警備させていたのか、私には推測しかねるですが?」
喜之助氏の答えはない。答えたくないと言うのではなく、それについて話す気は全くないように思えた。そこで、
「いつから、偽物のままなのですか?」
初めから偽物だったわけがない。喜之助氏は龍作を睨み、この男何を考えているんだという不審な目をした。
「知りたいか・・・」
「ええ、興味はあります」
と、龍作は答えた。正直に答えるのか、彼にはどっちでもよかったのだが、
「少し前までだ」
「なるほど・・・そうですか。何時から・・・とは、あえて聞きません」
この時点での龍作の推測が正しいのか分からないのだが、筋は通り始めたのである。そして、喜之助氏の前から去る前に、
「私からの率直な忠告です、そう意地を張らずに、心の内に素直になって下さい、息子さんたちに対して、です」
龍作はこれ以上の詮索は、喜之助氏から必要ないとして、沖田の家を出た。
そこへ、錦織警部から、
「今から行きます」
と連絡が入った。電話でもよかったのだが、わざわざやって来てくれた。
以下は、錦織警部に依頼した件である。
「割と早く調べはつきました。由利江の母満里奈は三十四歳の時に結婚し、すぐに由利江を授かったようです。その後、わりと平穏な生活が続いていたことが分かっています。満里奈が四十三の時に夫は病気で死んだのですが、病名は調べたが分からりません。その後、彼女は一人で由利江を育てた。当たり前のことですが、金銭的に相当苦労したようです。ただ、
どんなに生活が苦しくても、彼女は愚痴ひとつ言わなかったと近所の人への聞き込みで分かりました。懸命に働いたのでしょう。だが、満里奈の悲運は、この辺からです。彼女はパートで働いていた工場で倒れたのです。子宮がんでした。満里奈、四十五歳、由利江はまだ十歳でした。これといった親戚もおらず、由利江は児童養護施設での生活をすることになります。そこで、高校を卒業し、沖田喜之助氏の出番となるわけです。
その喜之助氏の過去の素性を明らかにするには、彼が十代まで遡らなければなりません。彼が中学生の頃、彼は自転車で通学していた・・・というより、学校の近くの生徒以外はみんな自転車で通学していた。ただ、沖田の家は学校から結構離れていて、自転車で三十分以上の道程を通学していたようです。根っからの生真面目なのでしょう、その三年間一日も休まずに学校に通ったようだ。ただ、その三年間の内、数か月が空白になっています。
喜之助氏が中学二年の冬のころ、事件が・・・事故が起きます。二月、朝から雪が降り、路面は凍て付き滑りやすい状態だったので、運が悪いと言ってしまえば、それまでですが、後ろから走って来た車にはねられてしまったのです。ひき逃げです。
ここに、彼の悲劇が始まるかに思えたのですが、生い茂った林の中に自転車ごと飛ばされてしまい、運が悪かったのでしよう、彼の身体は道路からは隠れてしまう状態になってしまい、道路からは、彼が見えない状況で、つまり彼は重症でした。立ち上がることも出来なかったようです。十三歳の少年には不安で仕方がなかったのでしようね。声は出せましたが、大声を出す体力は徐々になくなり、俺はこのまま死んでしまう、そんな気にもなったのも無
理はありません。やがて日が暮れて行き、夜になるが誰も彼を探しにくる気配はなかった。冬の中、彼は、ここで死ぬものかと耐えたのでしょう。朝になると、喜之助氏の体力も限界に来ています。
「誰か!」
彼は必死にか細い声で叫びました。すると、何かがやって来るのか、草をガサガサと掻き分ける音がします。この山は、沖田の家のものです。そのせいで、この山には人を襲うような獣はいないのを知っています。人・・・という認識はなかったのですが、
「助けて!」と掠れる声で叫びました。
「そこに現れたのは女でした。彼には、なぜここに現れたのか・・・この際、その理由なんてとうでもよかった。助かった、と喜之助少年は思ったようです。現れた女は、満里奈だったのです。彼女はすぐに助けを呼び、喜之助氏は病院に運ばれ助かったのです。彼女は自分の名前を告げずに、喜之助氏の前からいなくなった記録に残っています。ここからは想像ですが、喜之助氏は女の行方を捜し、時間は掛かったようですが、満里奈を見つけ出したのでしょう。しかし、その時にはもう死の床にいて、生死の境をさ迷っていた状況だった。満里奈が亡くなった後、喜之助氏は娘の由利江を探しました。由利江を見つけ、自宅に呼び寄せたというのが、結論です。すいません、私の推測を話す気はなかったのですが、つい気分が乗ってしまいました。そうそう、喜之助氏を轢いた車は、結局見つかっていません」
「錦織くん、いい推測だね」
龍作は頷き、友人の警部に信頼を寄せた。
しばらくして、一人の髪の長い長身の女が立っていた。女の髪はしっとりと濡れていて、こんな時期に、どんな所で泳いで来たのか勘繰りたくなった。
「ご苦労でした」
どうやら龍作は、その訳を知っているようだ。
「余りいい気分ではないようだな」
龍作は女の労をねぎらった。
「大丈夫です。昇平さん、危うく腰を抜かしそうになりましたよ。もうすぐ金の斧を持ってやつてくると思います。そうそう、最後の仕上げをありますから、この辺で」
「そうか」
「私はここにいない方がいいてすね」
「そうだな。大変だろうが、頼むよ。太郎も五郎も元気そうか」
「いたって、元気です」
「昇平君は、喜之助氏との対決をしなくてはいけない。彼は、その闘いを自分でやるだろう。その方が、昇平君のためだ。奥さんと子供も同じに来ているのかな?」
「ええ、確認済みです」
「最後の仕上げも君に頼むことになりそうだ。いいかな?」
「もちろんです」
女はこう言うと、龍作の前から去った。
九鬼龍作にはまだやるべき仕事があった。やがてやって来る昇平がどのような闘いをするのか確かめなくてはならい。でないと、この先の計画がすべて無駄になってしまうからである。やがて、
「来たな」
若い男女がやって来た。昇平と水田明美である。明美は両手で赤ん坊を抱いている。男の子だ。昇平は紙袋を持っている。その中には、例の金の斧が入っている筈である。
龍作は門塀の角に隠れた。
これでいい、と龍作は自信を抱いた。そう抱かせるほど、昇平の表情は、自信に満ちていた。
「行くよ、付いておいで」
昇平は明美に声を掛けた。
明美は頷いた。彼女の顔は少し不安そうに見えたが、それでも昇平を信じ切っている目をしていた。
昇平は秘書が出て来る前に、明美と共に家の中に入って行った。しばらくして、龍作も入った。どうしても事の成り行きを見届けなくてはならない。
すぐに喜之助氏がやって来た。
「お父さん、留守にしてすいません」
昇平の表情は硬い。
「・・・」
喜之助氏は無言だ。
「これ」
とだけ、昇平は言って、紙袋を差し出した。
「何だ!」
「金の斧です」
「そうか・・・そんなものは、いい」
喜之助氏は、明美の抱いている子供が気になるようだった。声を掛けようとするが、彼は躊躇しているようだ。そんな父を見て、昇平は、
「お父さん、これを・・・どうぞ」
と金の斧を差し出した。
「いい、そんなものはどうでもいい。そこに置いておけ」
喜之助氏はテーブルを指さした。
昇平は憮然たる表情をしている。自分がせっかく持って来た家宝の金の斧なのに・・・何かを言いたそうであった。
少し・・・静寂があった。
離れた場所から、この様子を眺めている龍作は、昇平がこの先どう言うのか注目をした。少し前から龍作は、秘書の中村に気付いていた。龍作と同じように、昇平の様子を窺っていた。やはり・・・そうか、と確信した。こいつ、金の斧を狙っているのか・・・中村の目は昇平が持っている金の斧が気になるようだった。それなら、こいつに金の斧をやるか!龍作は、こんなふざけた遊びを考えていた。
「見逃してやるか。俺も盗人だが、あいつは粗悪な泥棒。あいつを脅して、ことを荒立てる必要はあるまい。何を狙っているのか知らないが、喜之助氏はそこいらの美術品が一つや二つ無くなった所で、慌てる人ではないはずである。あいつは金の斧を狙っているのか・・・その方が・・・おもしろいのだが」
「お父さん、私もこの子に父親になりました。私はダメな男ですが、この性分は直そうにも直せません。でも、この子に父としてりっぱになります」
喜之助氏は黙って、昇平が話すのを聞いている。
昇平は持って来た金の斧を、テーブルに置いた。
「私は弟の昌美に比べ、へまばかりしている愚か者です。父には本当に申し訳なく思っています。私も一生懸命なのです。けっしてふざけているなんかいません。でも、でも、これからは違います。この子に父親です。この子に親として認められる親になるように努力しようと思います」
喜之助氏は何も言わない。だが、彼の頬が微妙にピクピク動いている。
「名前は・・・?」
喜之助氏は呟いた。
「えっ、あぁ、喜信です」
「よしのぶ・・・」
喜之助氏はゆっくりと立ち上がった。そして、水田明美の方に近付いていった。そして、赤ん坊の顔を覗き込んだ。
「いい・・・顔をしている」
というと、また元の場所に戻り、ソファに座った。
その頃、妖精になった女は、また湖に戻って来ていた。
「準備してくれる」
こう合図をすると、大型トラックはバックで湖の近くまで入って来た。よく見ると、荷台に載っていたのは大きな水槽で中では何やら大きな生き物がバシャバシャと騒いでいた。運転していた男二人は荷台に乗り移り、中を覗き込んだ。
「太郎、五郎、待っているんだよ、もうすぐ暴れさせてやるからね」
と声を掛けたのは、妖精の女だった。
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