第2話
今、沖田昇平は湖の側の大きな石に座っていた。緩やかな気持ちいい風が吹いていたが、湖の湖面は波打ってはいない。この湖は沖田家所有の山の中にあり、昇平の好きな場所だった。その山に沿うように川が流れていた。龍作は、
「いいかね、今日から毎日この湖にやって来るんだ。そうすると、君には嬉しいことがある。いいかね」
と、昇平を励ました。
昇平は呆然と目の前の男を見つめている。この男が何を言っているのか、彼には理解し兼ねた。
「信じないのか?まあ、いい。少しだけ教えてやろう。この湖の中から一人の妖精が現れ、手には、お前の家から盗まれたという金の斧を持っている。お前は、その金の斧を持って家に帰り、父である家主に渡せばいい。分かったか!」
(確かに・・・)
沖田の家は豪勢な邸宅だった。土地も広く、庭は芝生に覆われていて、きれいに整備しれている。背後に小高い丘があり、その丘を覆うように多くの樹林が生え揃っていた。すべてが沖田家の土地なのだろう。とても、普通の者には住めない。
「ニャ、ニャー」
龍作はビビの首を何度か撫でる。黒い毛並みが五月の陽光に映えて、美しい。
「いい子だ。それにしても、すごい家だな.さあ、この家をいろいろ調べてみようか。大体の所は昇平くんから聞いた。彼を信じないわけではないんだが、自分の目で確かめ、事件の真実を解き明かさなくてはいけない。事件には違いない。解決しなくてはならない。そのために、やって来たんだからな」
確かに奇妙な出来事・・・事件と言っていい。この仲田家にとって、金の斧は先祖伝来の宝物であったに違いない。何でも江戸時代初期のもののようだ。二人の息子にはまだ詳しい伝承の由来は知らされていなかっただろうが、喜之助氏は知っているはずだ。何時頃から偽物に変わってしまったのか分からないが、おそらく喜之助氏には、今ある金の斧が偽物と変わった理由を知っている筈。それとも・・・喜之助氏が・・・!」
それを知らずに忍び込み盗んだ龍作もさることながら、喜之助氏が、警察に警備させたことも理解に苦しむ。
(まあ、いい)
「行こうか、ビビ」
「まず、昇平くんの弟に会って見よう。昇平君は弟の昌美を相当嫌っているようだ。どんな弟か、会って確かめてみよう」
ビビは,龍作の腕の中で背伸びをした。
「大丈夫だ.そんなに緊張しなくていい」
ヒノキ造りの門を入り、しばらく庭を散策しながら歩き、母屋の裏に回ると、騒がしい音が、離れの平屋から聞こえて来た。今はやりの音楽のようだが、龍作にはその音楽の良さが、よく分からなかった。
「さあ、中に入るぞ」
龍作はビビの首を撫でた。ビビはうっとりとした目をしている。
母屋とは少し離れているから、ちょっとした騒がしい音でも母屋には聞こえないだろう。
龍作は何も言わずに、強引に中に入った。男が三人いた。一人だけ少し離れて、窓の外を見て、何やら考えている風に見えた。昇平の弟沖田昌美だろう。さすがによく似ている。他の二人は、昌美より若い。
「誰だ・・・?」
昌美がいう。
すぐに龍作が反応した。
「昌美くんだね、私は、昇平さんの友人で、盗まれた金の斧を探してくれ、と頼まれたものです」
昌美は突然入って来た男を不審な目で見た。
八畳ほどの部屋にはこれと言って高価な家具も置物もなかった。真ん中にソファがドカッと置いてあるだけだった。昌美が、
「兄貴が、本当にそんなにことを言ったのか?」
軽蔑した目で、昌美はいった。
龍作は頷いた。
「兄貴、何処にいるの?家からいなくなって、半年は経つのかな」
「昇平さんは、元気ですよ。安心して下さい」
「心配なんか、していない」
昌美は感情を顔に出さない。ただ、兄の名前が出て、不快な目をした。
「金の斧を探しているあんたが・・・何をしにここに来たの?言っておくけど、ここには金の斧はないからね」
昌美は睨み反す。冷たい目だ。
「探す前に、調べたいことがあるのでね。しばらくやっかいになるよ。昇平さんに了解を得ているから、よろしくな」
「何を調べる?」
「その内、分かるよ」
昌美が、ふん、と首を振った。
「権田太くん、松田二郎くんもよろしくな」
ソファに寝転がっていた二人は、自分たちの名前を呼ばれて、慌てて起き上がった。それまで黙っていた昌美が、
「もう一度訊くけど、兄貴は今何処にいる?あんたに、そんなことを頼んでおいて、のんきに何をしている?」
昌美は、そんな兄貴が気の食わないようだ。続けて、
「半年前に家を出て行って、何の連絡もない。どういうつもりなんだ?」
と言った。余程兄の昇平が嫌いのようだ。それとも軽蔑をしているのか。
「お兄さんは責任を感じて、今も金の斧を探しています。おそらく、もうすぐに金の斧を持ってここにやって来るはずです」
「なんだって。あの兄貴が九鬼龍作という輩から金の斧を奪い返せるわけがない。そんな馬鹿な。お前が探すんじゃないのか?」
「もう、私が探す必要がなくなったんです。少し前に入った情報によると、どうやら妖精から金の斧は昇平さんに渡されたようです。昇平さんは、その金の斧を持って、もうすぐやって来ます、ええ、金の斧を持ってです」
男三人は互いに顔を見合わせ、苦笑した。
「お前、何を言っているんだ?」
龍作はまだ苦笑している。
「ところで、何やら真剣に話し合っていたようだけど、何かな?」
と聞くが、
「お前には関係ない」
と、昌美は不機嫌な顔をする。龍作は怪訝な顔で、ふっ、一息付き、
「私が昇平さんから聞いていたんですが、由利江という女が、ここには、いる、と?」
三人は互いに顔を見合わせた。どうやら、彼らもその由利江のことを話していたようだ。
権田と松田は互いに顔を見合わせたが、何も言わない。代わりに、昌美が、
「ああ、あの女は突然いなくなったんだ。それで、いつの間にか、家に来なくなった、それだけのことだよ」
「いつから・・・」
「あれは、金の斧が盗まれた次の日、かな」
「何処へ行った?」
「そんなこと、俺には分からんよ」
龍作が口元を引き締めた。
「その女、何者の?」
龍作の腕の中に、ビビはいない。いつの間にか、龍作の腕の中から飛び出して行ったようだ。今ごろは、昇平と一緒にいて、ことの成り行きを見届けているに違いない。
(ビビ、頼むよ。それにしても、昇平君は驚くだろうな・・・まあ、いいか)
龍作は苦笑し、彼らの返答を待った。三人は互いに見つめ合い、権田と松田は沖田昌美に焦点を合わした。
「俺か・・・俺は知らんよ」
「だって、お前?」
権田は不機嫌に反論する。
「そうさ、あの女は、あの人の知り合いなんだ。俺にはそれ以上のことは知らない」
昌美はこの屋敷の持ち主、彼の父を、あの人と呼んでいるようだ。
「ふん!」
昌美の顔から不機嫌な表情は消えない。
龍作はそんな昌美を見て、
「・・・」
何も言わない。そして、
「君たちは、どうしてここにいる?何も仕事はしていないのか?」
三人は互いに見合わせ、
「俺たちは、俺と二郎だが、高校の時の同級生さ」
松田がこたえた。すると、龍作は、
「君たちはクズが!」
と語気を強めた。
「何ぃ・・・」
二郎と太が立ち上がった。突然やって来た奴に飛び掛かろうとする。だが、
「待て、何もするな」
どうやら次男の昌美が、この二人を頭目のようだ。龍作は、そう見た。間違いないだろう。
「そうそう、ここに来た理由はもう一つある。沖田喜之助氏に会わなくてはいけないんだ。今、おいでになるかな?」
太と二郎が昌美を見た。
「いるよ。呼んでも、ここに来るわけがないから、母屋に行くといい。秘書がいると思う」
「秘書?」
「そう、秘書の中村。喜之助さん、そんな人を置いているんだよ。ここは全くの田舎だけど、あの人・・・どうやら、この家・・・誇りがあるようなんだよね、この家にも、この町にも。俺はあの人に気にいられているから、余りあれこれ言わないようにしているんだ」
「そうか、行って見るよ」
龍作は、三人のいる離れの平屋から出た。
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