5

 まず始めに暗闇があった。

 それから、遠くから走ってくるトロッコが見えた。トロッコは青いペンキで塗られていて、所々剥げかけている。中は遊園地のジェットコースターのように三人掛けの椅子が四つ並んでいて、その椅子には若い女たちが空席なく腰を掛けている。十二人の女たちはみんな着物を身につけ、髪の毛を上で纏めて、かんざしを挿していた。

 女達の顔は、よく見れば生気が感じられない。漂白した紙のように真っ白で、その顔には喜怒哀楽から来る皺がなにも刻まれていなかった。目は開かれているものの、中空を見つめているだけで、なにか情報を得ようとはしていなかった。もしかしたら、義眼なのかもしれない。

 そして女たちはトロッコの中で少しも身動きをしなかった。手を膝において、みないちように同じ所を見つめているのだ。同年代の女が同じ乗り物に乗り合わせているのだから、多少は姦しくなりそうなものなのに。彼女らは知り合いや友人同士ではないのかもしれない。いや、それにしても――

 女達が乗ったトロッコは、暗闇の中にあっても尚、その姿を示していた。姿を照らす明かりは何もないのに、私は自然とそれらを視認できた。あるいは、私が見ようとしているから、それらが見えているのかもしれない。

 トロッコはゆっくりと私のほうへ近づいてくる。車輪をごろごろと転がし、その姿を私に見せつけるように。じきに私の前を通りかかる、と思ったとき、私は女達の様子がおかしいことに気づく。

 女達は全員、トロッコの椅子に、その体を縛りつけられているのだ。

 私は目を擦って、前髪をかきあげてその状況をしっかり見ようとする。私の見間違いかもしれない、と思ったからだ。しかし何度見ても変わらない。女達は、全員トロッコの椅子に縛り付けられている。細く頑丈な紐で腹背中をくくりつけられている。よく見れば二の腕から胸、その向こうの二の腕にも紐でくくりつけられている。その紐はうっ血を心配するくらいきつく巻かれていた。細い紐は視認しづらく、近くまでこないとそのことがはっきりと分からない。だからその分、私はそのことに気づいたときに背筋に寒気を覚えた。

 ここに彼女たちの自由意志はなく、そしてまた、女達は諦めているのだとも悟る。私が助けるべきだとも思ったが、私に実体はないため、手出しできそうになかった。ただ、目の前の事実を享受し、行く先を見ているだけだ。

 私の目の前をごろごろとトロッコが転がっていく。その不必要なまでの遅さは軍の行進を思わせ、私に女達を見せつけているようでもあった。

 見せつけているようでもある?

 私はそのことで、ようやくひとつのことに思い至る。そうか、彼女らはこれから売られていくのだ。そうであれば、生死の区別が付かない女達の様子も、そして彼女らが縛り付けられていることの説明も付く。これらは人間ではなく、人間という荷物を運んでいるのだ。

 私はトロッコの行く末を見ようと、足元に敷かれた線路を目で追った。それは私から見て左の方向へまっすぐ伸びていき、しばらく進むとぐるりと円を描いていた。円は地に沿って書かれているのではなく、中空へ昇り、そしてまた地上に戻っていた。ループコースターになっているのだ。

 私は線路をループ状にした意図が掴めず、困惑する。あのような設計は遊園地で見かける類いのものであって、これから売られる女を乗せたトロッコには不要なものであるはずなのに。

 トロッコは速度を緩めず、線路を順当に辿ってループ状になっている箇所にさしかかる。トロッコはガタゴトと音を立てて、ゆっくりと円を回る。女達の体も逆さになり、まとめた髪の毛も逆さになる。

 そのとき、ループ状になった線路の下目がけて、重さのあるものが落ちていった。トロッコの中から重力に耐えきれず落ちたのだろう。女の手荷物かと思い、私はそれに近づいてみる。しかし、それは手荷物なんて優しいものではなかった。

 線路のすき間に落ちていたのは、腕だった。それも、血色が悪く、腐って落ちた腕だ。それが五、六本。私はそれを数えると、もうすぐループの終わりにさしかかっているトロッコの方を見た。そうすると、この腕の持ち主であろう女の着物の右袖が、茶色い体液で濡れていた。おそらく、長い時間紐で縛られたせいで血液が通わなくなり、生きたまま腕が腐り、それが落ちたのだろうと思われる。自らの腕が落ちたのに女は絶望の悲鳴をあげず、ただ以前よりもほんの少し大きく目を見開きながら、淡々とトロッコに揺られていた。片腕だけが落ちた女もいれば、両腕が落ちた女もいる。両腕が落ちていない女もいた。しかしどの女も平等に紐で縛られているので、おそらくどの女の腕もうっ血していて腐敗しているはずだ。遅いか早いかの違いがあるだけで。

 トロッコは線路を切り替え、地上には戻らず、再びループ状になった線路へ戻る。そして再び頂上にさしかかったとき、ぼとぼとと音がして肉塊が落ちていく。今度は四本の腕。しかし女達は何も言わない。叫ばない。というよりも、絶望に飽きたという表情をしている。ここに来るまでに幾多の諦めと肉体的な苦痛を乗り越えたことが見て取れた。それらは彼女たちから人間らしさというものをすっかりそぎ落とすことに成功したんだろう。

 トロッコは何度も何度も、ぐるぐると三百六十度の回転を続ける。そのたびに腐敗した腕が落ちていく。その光景を見ながら、私は、これはすべての腕が落ちるまで行われるのだ、ということを知る。

 これは彼女たちに与えられた罰なのか?

 しかしトロッコに乗せた女達は、感情こそ見ることはできないが、罪人のようには見えなかった。自分の意志以外の何かに強いられて一張羅を着て、トロッコに詰めこまれ、縛られ、その腕を腐敗させられているように見えた。

 私は、彼女たちに害を為す者でもなければ、救いを与える者でもない。

 ただ、腐って腕が落ちていく様子を眺めているだけだ。

 私はふと、自分の両腕のありかを確かめたくなって、腕を持ち上げようとする。


 そんなところで、目を覚ました。

 私は大きく目を見開く。さっきまで見ていた女たちと同じように、眼窩の筋肉を目いっぱいに使い、自分の眼球が前へせり出していると錯覚するぐらいに目を見開いた。

 次に、大きく深呼吸をする。大げさなぐらいの動きで瞼を上下させ、何度か瞬きをする。

 さっきまで見ていたのは、夢なんだ。

 そう気がつくまでに時間が掛かった。湿った布団の中で忙しない呼吸を整えていると、下着を含め、寝間着が汗でじっとりと濡れていることにも気づき、ますます暗い気分になる。

 私は布団の暗闇のなかで寝返りを打ち、手の平を持ち上げてそれぞれの二の腕をさする。それらはしっかりとそこに存在していて、うっ血もしていなければ変色もしていない。

 ひどい夢を見た、と思う。いったい日頃から何を目にして、何を考えていればこんな夢を見るんだろう、という夢だった。女たちが椅子に縛り付けられ、腕が腐り落ちるまで、トロッコで円環を回り続ける、そんな夢。ここ数日で恐怖映画を見た記憶もないし、遊園地に行ったわけでもない。

 私は布団から顔を出し、窓の外がかすかに明るくなっていることを知る。それは救いのように思えた。少なくとも、真っ暗であるよりはずっといい。

 私自身はトロッコに乗せられる予定もなければ、この四肢を腐らせる予定もない。

 今までもこんな風に、わけのわからない、残酷な夢を見ることがあった。大抵は無抵抗な人間に害を与えている。

 そして目覚めた後に、自分は被害者でも加害者でもないことに安堵するのだ。

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