第33話 あなたの下僕
翌朝、カプチーノに手伝ってもらって身支度を済ませ、食堂へと向かおうとした時でした。窓をコツコツと叩く音が聞こえます。白い小鳥がその嘴でノックしていたのでした。もしかしてこれは……でも、まさかね。そんな気持ちで窓辺に歩み寄ってみると、瞬く間に窓が開いて、私は誰かに羽交い締めにされていました。
キャッ!と叫び声をあげるカプチーノ。その直後、「私、可愛らしい声を出せたかしら?」と明後日の方向の心配さえしていなければ、完璧な乙女でしたとも。
私は両手を上にあげられて身動きできなくなったのですが、ふっと見にまとわりついた香りに覚えがございました。こういう類の感覚は上手く言い表せないのですが、どこか安心できる空気をまとっているのです。
「ソーバ?」
「当たり!」
何度となく私のピンチを救い続けてきてくれた彼の臭いは、私の中で安全の象徴であります。
「あ、あなたはこの前の!!」
ようやくカプチーノが侍女として復帰しました。ビシッと指を指して、ソーバを睨みつけています。そんなことより、この人を私から引き剥がしてくれないかしら? 一応これでも嫁入り前の娘ですのよ?
「あら、カプチーノもソーバと会ったことがあるの?」
「えぇ、しばらく前にちょっと……」
カプチーノが何やら言い淀んだ理由は気にかかりますが、せっかく本人が自らやってきたのです。私は本題を切り出しました。
「ソーバ、はるばるいらっしゃい! 私のメッセージが石板に届いたのかしら?」
ソーバはようやく私を自由にします。そこへ、またカプチーノが割り込んできました。
「え?! 庶民なのに石板持ってるんですか?! それ一つだけで、私の好きな本が一億冊ぐらい買える価値があるんですよ!」
さて、一億冊でも足りないぐらいなのではないでしょうか?これは遺跡から発掘されたもので、今の技術では到底再現できない優れものなのですか。けれど、カプチーノの指摘は最もです。ソーバの存在は騎士団や王城、果てはオクラ王子にまでよく知られたものであり、あちこちに顔が利くようではありますが、羽振りが良すぎるように思われます。こんなもの、一介の庶民が手にできるようなものではありません。
ソーバは何かを誤魔化すように少し笑ってみせると、上着の内側から数冊の本を取り出してカプチーノへ投げて寄越しました。一瞬チラリと見えた本のタイトルとカプチーノの感極まった表情から、内容は完全に確定です。
「カプチーノさんにあげる。それでも読んで待っててね」
「はい! かしこまりました!」
カプチーノは、私が聞いたこともないような良い返事をすると、そのまま部屋の隅へ移動して早速読み始めてしまいました。「うへへへ」と夜中には聞きたくないような奇妙な声が漏れ出ています。あなた侍女でしょ。仕事なさいな?
どうやって一晩で王都からここへやって来れたのかや、なぜあんな本をソーバが持っているのかも気になるところですが、まずは仕切り直しましょう。私は居住まいを整えて一歩ソーバに近寄ります。ソーバも表情を引き締めました。
「賢者の正確な居場所は案外有名なんだ。でも」
「でも?」
「賢者は会う人を選ぶ。だから住処の周辺には罠だらけだし、賢者の『お願い』に応えられなければ会えないと言われているな」
メレンゲ様の話ぶりでは気さくなオジ様という印象だったのですが、世間一般のイメージは随分と異なるようですね。
「あら、そうなの? でも罠が多いならば、空から近づけばいいだけのことではなくって?」
「ティラミス様は空も飛べるようになったみたいだけど、普通の人間は無理ってことを忘れてない?」
なるほど。私も旅の後半は全て空の上でしたので、完全に感覚が麻痺しておりました。
「それに、住処に近づけたとしても、会ってもらえるかどうかはまた別の話だし」
うむむ。やはり相手が変わり者となると、真っ当な伯爵家令嬢であり、か弱い乙女であるこの私には、少々荷が重いかもしれません。
「でも、そういう話があるってことは、実際に会ったことがある人もいるのでしょう? そういった人達にご協力いただくのも一手よね」
「そうだな。オレみたいに面識のある奴が一緒なら、アイツも会ってくれるかもしれない」
「ぅぇええっ?!」
びっくりしすぎて声がひっくり返ってしまいました。でも、どうせ相手はソーバなので気にしないことにいたしましょう。
「もうっ! 何でそれを早く教えてくださいませんでしたの?! ソーバ、王都の治安維持なんて別の人に押し付けて、私の部下になりなさい!!」
「かしこまりました。喜んであなたの下僕(しもべ)となりましょう」
ソーバの都合も構わず、はたまた無茶ぶりしてみた私。なのにソーバは王に忠誠を誓う騎士のように私の足元に跪くと、腰に差していた立派すぎる剣をこちらへ掲げて頭を下げたのでした。
その時、少し離れたところでようやく目を覚ましたモモちゃんが、そんなソーバを見た瞬間泡を吹いて失神したのに気づいたのは数秒後のこと。その正確な理由に気づいたのは、ここから数ヶ月後のこととなります。
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