第10話 騎士団に欲しい逸材

 運命の扉を激しくノックするかのような恐ろしい重低音。そんな効果音が聞こえた気がしました。辺りがより薄暗くなって、少し肌寒くなったように感じます。それ程に目の前の男性はお怒りなのでした。もちろん、彼の堪忍袋の緒が切れるようなことをしたとは思っております。ですが、想定外のことが一つありまして。




 なぜ、こんなところにいらっしゃるの、お父様?!




 お父様は猛禽類のように鋭い目つきのまま、隠れ家の中をゆっくりと舐めるうに見渡します。短く刈り込んだ髪の毛がいつも以上に逆だっているのも気のせいではないのでしょう。


「お前達、ここで何をやっている!? 着替えたら私の部屋に来なさい」







 言われた通りにメイド服からドレスに着替えると、慌ててお父様の部屋へ集合します。カカオお兄様は、いつも通り男性の服をお召しでした。


 早速ラメーン様以外の全員で、お父様へお詫びの言葉を伝えます。こういう場合、言い訳するよりも潔く頭を下げる方がお説経の時間は少なくて済むのです。続いて、全てを見ていた冷静なパプリカから、事の全容も明らかにされました。お父様は鼻息荒く、どっかりと大きな黒い革張りソファに座って、ネチネチとした視線をこちらへ送っています。


「いつから知っていた?」


 お父様はラメーン様に尋ねました。カカオお兄様が女性だったことについての質問ですね。


「剣術の師としてこちらへ通っていた頃からでしょうか。もう随分経ちます」

「他に誰が知っている?」

「誰も。彼女の秘密を知るただ一人の男でいたかったのです。そうやすやすと他人に話したりはしませんよ」

「そんなこと、信用なるものか」

「信頼は、これからの行いで勝ち得るつもりです」


 ラメーン様はクールな体を装いながらも、瞳だけは挑戦的に輝いています。対するお父様は、眉間のシワをますます濃くしていらっしゃいました。相手はまだ若造とは言え、公爵家の人間であり、騎士団の副団長でもあります。お父様はまだまだ言いたいことがあるようでしたが、苦虫を噛み潰したような顔で押し黙ってしまいました。

 そこで、お父様の怒りの矛先は私に移ります。


「本当に、取り返しのつかないことをしてくれたな。そうは思わないか、ティラミス?」


 あぁ、怖い! あまりにも威圧的で、チビりそうな伯爵令嬢ティラミスです。はい。


「あの、どうしてもシーボウ家との縁談を白紙にしていただきたくて……」

「なんだ、そのことか。あれは内情を探るための政治的判断の一環だ。まさかあの雌豚を本当にパーフェ家に迎え入れようなどと私が考えるわけがなかろう」

「う……嘘でしょ……」


 私はカプチーノから聞いた上辺の情報だけに踊らされていたのです。となると、今回の大罪人はこの私?!


 お父様は今後のことを話し始めました。


 まず、避妊せずに事に及んだことが分かっている以上、通常ならばカカオお兄様がラメーン様のところへ嫁ぐことになります。俗に言う『責任を取る』というものですね。ですが、カカオお兄様を今更女性だと世の中に公表することは、パーフェ家の威信に関わるので不可能とのこと。


「では、カカオお兄様はこのまま修道院行きになるのですか?!」

「お父様……」


 それまで無言を貫いていたカカオお兄様が、私に続いて悲痛な声を漏らします。


 大変! このままでは、お兄様はいつもの発作を起こして、此度の件のショックのあまり寝たきりになってしまうかもしれません。私は慌ててカカオお兄様に近寄って、その白い手をしっかりと握りました。


「お兄様、本当に本当に申し訳ございません。私、お兄様のためを思って様々なことを画策いたしましたのに、全て裏目に出てしまい……」


 いつもならば、そのお美しいお姿を、存在を、纏っていらっしゃる優しい空気を目に焼き付けて身体に染み込ませるようにお顔を拝見するところ。けれど、さすがの私も今は顔を上げることができません。


 私は最愛のお兄様のことだけを考えていたはずなのに、結果としてはお兄様の人生を棒に振った張本人となったのです。お父様のお怒りが今頃になってはっきりと理解できるようになってまいりました。


「ティラミス、泣かないで。ティラミスの気持ちは十分に伝わっているよ。もしティラミスが今回のお膳立てをしてくれなかったら、ボクは一生ラメーン様に抱いてもらうことはできなかっただろう。一晩だけでも夢を見られた。それでいいんだよ。だから、ありがとう」


 恋人同士のようにラメーン様に腰を抱かれたままのお兄様は、私の頭を柔らかく撫でます。撫で回します。私、今回の罰として猫になる魔法をかけられることを所望いたします。そして一生お兄様の愛玩動物としてお仕えするのです。でもこの世に魔力はあれど、魔法なんてございません。しゅんっ。


「そんなぁ」


 ココアも涙目になっています。ココアも私程ではありませんが、お兄様のことをお慕いしております。もしこれを機会にお兄様が屋敷を出ていくことになったらどうしようと、気が気ではないのでしょう。


 そこへ、お父様が重々しい口調で話し始めます。


「皆よく聞け。カカオの修道院行きは無い。今回は誰も見なかった。誰もこんな事件を起こさなかった。そういうことにするのだ!」


 お父様から、一気に魔力が放出されました。お父様の魔力は宵闇のような藍色をしていて、大変強力です。有無を言わさぬ力技。私も魔力を出して身を守ります。身体に襲いかかるお父様の怒り。問答無用との強い意志。私だってお父様のお立場を鑑みればそのようなことをおっしゃる意味は分かります。でも……でも!!


 その時、私は体内が急激に熱くなるのを感じました。これまで経験したことのない躍動を感じます。マグマのようにぐつぐつと煮え立つもの。これをそのまま放出しては危険だと直感が告げています。でも私はココアのように制御が上手くありません。


「んぁっ、もうダメ!!」


 そしてついに、壊れた水道栓から勢いよく吹き上がる噴水のように、私の魔力は大量に溢れて一気に拡散しました。私が大切に思っているカカオお兄様、ココア、そして第二のお兄様であるラメーン様。彼らには私の魔力が彼らを保護する形で働いています。ですが、お父様には……


「こら、何をする!!止めなさい!いつの間に鍛えたんだ!?」

「鍛えるって何を……」

「ティラミス、魔力は鍛えれば強くなることを知らなかったのか?」


 そんなこと、お嬢様教育のカリキュラムには入っておりませんことよ! 心当たりがあるといえば、最近冒険者のお兄様方にまとまった量をお渡ししましたし、ココアが用意した隠れ家が崩壊しかけた時にもたくさんの魔力を使いました。そして今も、感情の赴くままに魔力を放出し続けています。もしかすると、こうやって自然と鍛えてしまったのかもしれません。お父様へは、かなり強い攻撃となってしまっているようです。


「騎士団に欲しい逸材だな」


 ラメーン様はあくまで冷静。私、騎士団に入団するぐらいなら、お兄様専属の護衛になりたく存じます。さて、視線を戻すと、お父様は私の魔力に耐えきれず、辛そうに顔をしかめて身体を小さく丸めていらっしゃいました。


 よし。今がチャンスです!


 今度こそ。今度こそ、お兄様のために、私ティラミスが一肌脱ぎましょう!!


「お父様、お苦しいのですか?」

「ティ……ティラミス……」

「お父様、条件があります。お兄様は下半身の欲望に正直すぎて貞操観念に問題があるラメーン様のことをうっかり好きになってしまいました。私自身不本意なところもありますが、今後も二人が正式に結ばれるよう応援する所存です。お父様もお二人のことを認めてくださるのならば、この魔力を解きましょう」

「う……分かった! 分かったから早く止めてくれ!」


 言質は取りましたわよ、お父様? 私は魔力を緩めました。お父様の表情も少しリラックスしたものに変わります。


「ただし、私からも条件がある」

「何ですの?」

「カカオをラメーン様にくれてやる場合、次期当主はお前ティラミスということになる。できるな?」


 わ、私?!

 私が後継に?!


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