死神の厚意

西乃狐

死神の厚意

 痛い


 痛い


 痛い、痛い、


 痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛っ!!!


 まるで全身の骨から無数のとげやいばが生えて、内側から肉や内臓を切り裂かれているかのようだ。


 だ、誰か、いないのかっ!


 助けてくれ!


 誰かっ!


 誰か、いないのかっ!  


 意識が戻ってからというもの、病院特有の匂いは感じられるものの、身体は動かず、声を上げることも、指一本はおろか、目蓋まぶたを開くことすら出来ない。音も微かに聞こえるから、機能しているのは聴覚、嗅覚と痛覚だけのようだ。


 何で全身が麻痺してるのに痛覚は生きてるんだよ!


 医者は何をしてるんだ!

 この病院にはヤブ医者しかいないのかよ。

 医者ならこの痛みを何とかしろ!

 出来ないなら——、


 出来ないなら、いっそ俺を殺してくれっ!!


 内心でいくら悪態をいたところで誰にも伝わらない。この堪え難い痛みを訴えることも、のたうち回ることすら出来ない。


 誰か、この痛みを分かってくれる奴はいないのか。

 もうこれ以上、一秒だって我慢出来ないんだ。


 誰かっ!


 その時——


 不意に痛みが和らいだかと思うと、目蓋まぶたの内側に亀裂が入り、めくれるように左右に開いた。そしてそこから醜い男が顔を覗かせた。


「久しぶりだな」


 銀色の髪に尖った耳。吊り上がった目。高く歪んだ鼻に、血のように赤い唇。細く割れた顎——。いやらしい笑みを浮かべたその醜怪しゅうかいな顔には見覚えがあった。


——お前は、あの時の。


 あの夜、俺はネオン街の片隅の暗がりで、無様に横たわっていた。金を巻き上げてやろうと因縁を付けた相手から返り討ちに合ったのだ。


 すぐに誰か他のカモを見つけ出してやり返さなければ気が済まない—— 自分の血の味を味わいながら、やり場の無い屈辱と憤怒に身体からだを震わせていたところに、妙な笑い声が聞こえてきた。


 声のする方へ顔を向けると、この男が立っていた。手足が細長く、目の錯覚かと思うほど身体のバランスがおかしい。着ているものが上から下まで黒尽くめなのに対して、見えている肌は異様に白かった。


「何だ、おっさん」


 男はひとしきり笑った後、耳障りなしゃがれた声を発した。


「みっともない姿だな」


「何をっ、痛てっ!」


 俺は身体を起こそうとしたが、痛みが酷かったので諦めた。


「お前はもうすぐ死ぬ」


「何言ってるんだ。いい加減なことを言うな」

 

 喧嘩や暴力の経験は豊富だから自分のダメージくらいは分かる。この時も強い痛みこそあれ、死ぬほどの怪我ではないのは明らかだった。


「私は死神だ」


「はん? そんなひょろひょろした身体で何が出来る。それを言うなら俺の方がよっぽど死神らしいぞ」


「確かにな。お前はこれまで随分と人を死なせてきた。そのおかげでノルマが達成できる。だから特別に来てやったんだ。有難ありがたく思え」


「ノルマ?」


「あの世へ送る魂の数だ」


「馬鹿馬鹿しい。とっとと失せろ」


「死にたくないなら、聞いて損はないと思うがな」


 この世に未練などない。望みがあるとすれば、楽に死ぬことくらいだ。


「お前の人生はあまりに業が深い。未練があるのは、お前のせいで死んだ人間達の方だろう」


 否定はしない。自覚はある。自覚はあるが、罪悪感はない。それが俺という人間だ。自分のことを人間のクズなんだろうなとは思うが、その一方で、だからどうしたとも思うのだ。


「俺は確かに人間のクズだかもしれん。だが人間のクズで何が悪い?」


「悪いとは思わんよ。私には何の興味もないからな」


「はん、舐めてんのか⁈ まぁそんなことはどうでもいい。おっさん、金くらい持ってるだろう。有り金全部置いて行けよ」


 男は短く鼻で笑った。


「お前は小学生の時から何の理由もなく同級生をいじめたり甚振いたぶったりして、不登校に追い込んだりしてきただろう」


「だからどうした? 言っとくがな、あんなものは遊びの延長だ。虐めでも何でもない。あの程度のことでおかしくなった奴らのことなんか、俺の知ったことかよ」


「お前にはどうでもいいことだろうがな、その中の二人は自ら命を絶った。精神を病んで未だに回復出来ない者も多い。その中の更に二人がこの先、同じように自ら命を絶つ予定だ」


「予定ってなんだよ」


 既に自殺した二人だって俺が直接手を下したわけでもない。勝手に死んだのだ。そこにすら何の責任も感じないというのに、今後の予定などと言われても何の感情も湧いては来ない。


「お前は人の道を大きく外れ過ぎていて、もう真っ当な道には引き返せない。そのターニングポイントになったのは妹で、そのきっかけは妹が飼っていた犬だったろう」


 憶えている。確か中三の夏だ。高校生の不良グループといざこざがあって虫の居所が悪い時だった。それなのに妹の可愛がっていた犬が、キャンキャンキャンキャン鳴き止まなかったのだ。あまりにもうるさいからいらついて蹴り飛ばしたら、呆気あっけなく動かなくなった。それだけのことだ。


「ふん。そして、妹だ」


 犬が死んでいるのを見つけた妹は俺が殺したと泣きわめき、いくら知らんと言っても聞かずにののしり続けた。あまりにしつこいので黙らせてやろうと思って押さえ付けて犯してやったら、翌朝、部屋で首を吊って死んでいた。レイプされたくらいで死ぬことはないだろうに。

 

「レイプだけでも死にたくなるには十分だろうがな。お前の数々の悪行のせいで、妹は既に限界だったのだ」


 知ったことか。


「次は妹の親友だ」


 妹の通夜にやって来た同級生の中に、ずば抜けて可愛い女の子がいたのだ。酷い泣きようだったので慰めるふりをして話しかけてみると、妹とは親友だったと言う。適当な理由を付けて妹の部屋に連れ込んで犯してやったら、その直後に車に轢かれて死んだ。自殺かもしれないが、事故として処理されたはずだ。事故ならば尚更俺の責任ではないだろう。


「一連の経緯を知った母親までも、妹と同じように首をくくって後を追った」


 そうだ。男の言う通りだ。

 だが、世の中どこを探してみたところで、完璧な人間などいやしない。


「誰だって何かが欠けているはずだ。俺の場合はそれが罪悪感だったというだけのことだ。世の中で俺だけが特別なわけじゃない」


 食わねば腹も減るし、殴られれば痛い。いい女を見ればりたくなる。至って普通の人間だ。


「その後も——高校時代も、高校を中退してからも、お前は多くの人間を甚振いたぶり、傷付け、その中の何人かを直接間接に死に追いやってきた。今度はそんなお前に死ぬ順番が回って来たのだ」


「そりゃよかった。俺は別に反省も後悔もしていないがな、それでもこんな人生はもううんざりだったんだ」


「では、こんな人生でなければ、どうだ? 例えば、あの男」


 男は視線と顎で明るい通りの方を指し示した。その先では、高そうなスーツに身を包んだイケメンが、美しい女の腰を抱いて歩いていた。よく見ると知っている男ではないか。


「お前の元同級生、九槍健吾くやりけんご。九槍家の跡継ぎだ。見た目も性格もいい。スポーツも学業も申し分ない。彼には何が欠けていると言うのかね?」


「恵まれた家に生まれただけだ。俺だってあんな境遇に生まれてりゃ、誰も死なせずに済んださ」


 それにしてもいい女を連れている。いや、待てよ。あれは——。

 女の方にも見覚えがあった。


「気づいたか。お前の初恋の相手、南澤茜みなみさわあかねだ。九槍健吾の婚約者だよ。彼はお前が欲しかったものを全て持っているということだ」


「馬鹿にしたいのか」


「そうじゃない。彼の人生をやろうと言っている」


「はん?」


「お前はもうすぐ死ぬ。その死後、お前を彼に転生させてやろうと言っているのだよ」


「何で?」


「お礼だよ。人間界と同じでな、ノルマはぎりぎり達成するくらいが丁度いいのだ。超過達成なんかしたら次のノルマが大変になるだけだからな。お前の蛮行のおかげで、予定していたよりも多くの魂が集まることになった。だからお前の魂は必要なくなったのだ」


「それで俺を死なせずに、健吾として生かしてくれるってのか」


「そうだ」


 茜も俺のものになるということか。

 だが、そんな旨い話があるだろうか。


「何か裏があるんじゃないのか。例えば転生した後、健吾もすぐに死ぬとか」

 

「転生後は百歳までの生存保証付きだ。誤解するなよ。私はお前の生き方を責めるつもりなど毛頭無い。これは私の純粋な厚意だ」


「そうかよ。まぁ長生きなんかしたくもないが、あいつの人生なら生きてみる価値はありそうだ」


「では契約成立だ」


 気づけば男は消えていた。


 勿論そんな話を本気にしたわけではない。ヤバい薬でもやっているヤバい奴なんだろうくらいに思っていた。だが、今度は目蓋の裏に現れた。そして、俺は今まさに死の淵にいるらしい。男が本当に死神なのだとしたら、俺はもうすぐ健吾として生まれ変われるということか。


——おい、痛くてたまらないんだ。早く死なせて転生させろ。


「まあ慌てるな。私と話している間は痛みも感じずに済んでいるはずだ」


 それは男の言う通りだった。


「思い出せ。列車の事故だ。お前が乗っていた列車が脱線して大勢が命を落とした」


 かすみがかった記憶に、薄っすらと光が射した。

 満員電車の先頭車両。突然、大きな衝撃と共に歪んだ世界——。


「思い出したか」


 そうか。それでこんな身体になってしまったのか。


——分かったよ。分かったから、早く転生させろ。


 あの痛みをまた味わうなど、到底我慢できない。一秒だって無理だ。


「馬鹿め。お前はもうとっくに転生している」


——何?


「同じ列車に九槍健吾も乗っていたのだよ。二人とも即死のはずだったが、お前の魂だけは約束通り彼の身体に移してやった。身体を動かす機能はほぼ完全に失われてしまっているようだがね。そもそも即死したはずの人間の身体だ。仕方あるまい」


——嘘だろ?


「失敬だな。私は嘘なんかつかんよ。ここは九槍家の息がかかった有名病院だ。お前を回復させることはこれっぽっちも出来ないが、今の状態を長く維持できるように最善を尽くしてくれるようだ。もっとも仮にどんなに雑に扱われようとも、生存保証の百歳までは死なないがね」


——冗談じゃない。だったらもういい。転生なんかいらん。すぐに死なせてくれ。


「無理を言うな。契約は既に成立し履行されている。今更反故ほごになど出来んよ」


——頼む! せめて痛みだけでも感じないようにしてくれ。


「それは管轄外だ。しかし、そう後ろ向きにばかり考えるな。これも死神の管轄ではないが、未来には希望を持ったらどうだ。もしかしたらお前が百歳になる迄に医療技術が飛躍的に進歩するかもしれないぞ。そうしたら百よりももっと長く生きられるかもしれないじゃないか。せいぜい新たな人生を楽しんでくれ。じゃあな。次、死ぬ時にまた会おう」


——待て! 待ってくれ! 待ってくれよ! おい、死神! 待て、行かないでく、ああっ痛いっ! 助けてくれぇっ! 痛いんだぁ、あぁ痛いぃ、痛いよぉ、誰かぁ、、、助けてくれぇ、、、痛い、、、誰か、、、助けてくれぇ、、、





『死神の厚意』 ——了——


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

死神の厚意 西乃狐 @WesternFox

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ