第17話 あのね。なんでもないけど。 File 9
「嘘!」
それからは、あっという間だった。
全ての手紙を読んだ。最後まで読み切った。
パパとママは本当は結婚する前に別れていた。
別々な人生を歩み進んでいく。その中には私の存在はない。
だけど、今、私は現にここに存在する。
これは二つの想いが重ねって出来た世界の残像……。だとすればこの世界はもうじき無くなってしまうんだろうか。
手紙には「多分ね、今頃二人の仲がギクシャクし始めている頃じゃないかなぁって思うんだ」
なんか当たっている様な……ううん、多分そうなんだと思う。
パパとママの間に今、何か冷たい氷の壁の様なものが立ちはだかっているような気がする。
美愛さんは、どうしてそんなことまで分かるの?
あなたは未来の事も全て見えていたの?
この世界は本当にはなかった世界になるの?
訊きたいことが湧き出てくる。
それに……どうして美愛さん。あなたは今いないの?
もし本当にあなたの存在があるのなら、私が生まれてから、あなたとの接点がないというのは何故なの。
それについては何も書かれていない。
最後の方に書かれていた美愛さんからのお願い。
今、パパとママの中に問題があるのなら、多分それは美愛さんがやり残してしまった事の代償だと。
二人をこのままにしておいてはいけない。
それは、この作り上げた世界が崩れ始めている。ううん、この世界が生まれなかったことになる可能性もあるんだと。
だから、今度は「愛美さんが二人を救ってほしい」。
このままだとやっぱり、パパとママは別れてしまうんだ。
それは嫌だ!
私は、パパとママがいたから生まれた。
私はパパとママがいるから、いつも傍にいるから生きてこられた。
二人の愛を感じながら。
「愛美さん、あなたの想いを二人に届けてください。未来は変えられる。想いがあれば未来を変えることだって出来てしまう。その想いを信じて、この世界を繋いでほしい。私の想い、そして美愛ちゃんの想いを込めたこの世界をつなげてほしい」
「生きて! 闇に飲み込まれることなく、自分の想いを信じて未来をこの世界をあなたの想う世界に……お願い」
どうすればいいんだろう。
私にそんなこと出来るの?
静まりかえった部屋、私の部屋のベランダから、ことりと小さな音がした。
ふと見ると、一匹の猫がじっと私を見つめていた。
まだ少しあどけなさが残るその猫は、ゆっくりと私の方に近づいて「にゃぁ」と一言鳴き声を上げた。
優しい目をしていた。綺麗な躰に、ピンと立張る耳、短く少し黒味かかったグレーの毛並み。スタイリッシュで華やか装いを感じさえる猫だった。多分ロシアンブルーという種類の猫だと思う。ご近所で飼われているのだろ。たまに私を見つめている猫だ。
その視線はいつも温かく感じる。
そしてもう一度、
深い、とても深くて何もない世界に。
コンコン。
「愛美、まだ起きてるの?」
あの子ったら、電気点けっぱなしで寝ちゃったの?
ゆっくりと部屋の戸を開けると、愛美は机の上に覆いかぶさるようにして寝ていた。
「もう、窓も開けっぱなしで、風邪ひくじゃない」
愛美、起きて。
愛美……。愛美…………。
起きて! 愛美。
さっきからスマホが鳴りやまない。
まだ仕事は終わる気配すら見えていないと言うのに、香からだ。すでに5回も着信があった。
また、俺に当たり散らした電話だろう。
出るに忍び難い。いや出る気さえも湧かない。
こっちだって、必死なんだ。
寂しいのは分かる。俺だって本当はこんな仕事放り出して、お前らの元に今でも帰りたいんだよ。
でもやらなきゃいけねぇんだ。
すでにマナーモードに切り替えてあるスマホは、そんな俺の気持ちなど無視するかのように鼓動し続けている。
電源を切ろうかとスマホを手にした時、なんとも言えない胸騒ぎが俺の胸の中で沸き起こった。
仕方なく通話に切り替えると。
「ああ、ようやく出てくれた」
泣きじゃくる様な濡れた声に、俺が電話を取ってくれた安ど感の様な香の声が即座に聞こえた。
「どうしたんだ?」
「愛美が。……愛美が……」
香はそれ以上の事を声に出すことが出来ない様な振るえた声で俺に言う。
「落ち着け香。愛美がどうしたんだ!」
その一言が彼女の声を戻してくれた。
愛美の意識が突如失われた。
何の反応もないと。
数秒間俺はスマホを握り絞め呆然としていた。
「あなた……。雄太……」
香から名前で呼ばれるのは何年ぶりの事だろう。
ハッと我に返り、俺は病院へと向かった。
地下駐車場に収納されてある車が出庫されるまでの時間がもどかしい。
ようやく出庫された車に飛び乗り、発進させた。
今の時間なら渋滞はさほど気にしなくても大丈夫だろう。
飛ばせるだけ飛ばし病院へと向かった。
「はぁ、はぁ、」息が切れる。もう少しだ。
ようやくたどり着いたガラス張りの異様なこの空間に一体俺は今どこにいるのかと自問自答していた。
ICUという表示がその疑問を現実の事態に引き戻す。
お父さんも、お母さんもすでにその病室の前の椅子に座りうなだれていた。
そんな俺の姿を香りが目にして「雄太」と一言だけいい、俺に抱き着いてきた。
「愛美が……愛美が……」
ただ娘の愛美の名を繰り返し声に出す事しか出来ない香。
「いったいどうしたんだ、愛美に何が起こったんだ」
ガラスの向こうのベッドに寝ている愛美の姿を目にしながら、その現実を理解しようと必死になる。
「雄太君、原因は分からないんだ。命には別状はないらしい……今のところは」
お父さんがゆっくりと俺の方に語り掛けてくれた。
「ただ意識がないだけなんだ。何処にも今のところは異常は認められなかった」
ただ寝ているだけ。
意識がないだけ。
ガラス越しに見る愛美の姿は、本当にただ寝ているだけの様にしか俺にも見えなかった。
ここから俺たちの長い時間が始まる。
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