第13話 あのね。なんでもないけど。 File 5

「猫ねぇ……」

ちょっとあきれたように麻衣は言った。


「ところでさぁ、麻衣ほんと何かいいことでもあったんでしょ」

「えっ、そうぁ、あああああ、分かっちゃう? そうかそうだよねぇ」

だ、大丈夫か此奴? でも相当いいことあったみたいだね。


「で、そのいいことって教えてくれないのかなぁ」

「訊きたい? 訊きたいのぉ?」

「あのね、そんなにもったいぶるんだったらいいよ別に」

「ええええ! ねぇねぇ、訊いてよぉ!!」

まったくどっちなんだよ!


「あのさ、この前、お父さんと会ったんだよ。ちゃんと顔見れたんだよ」

お父さんと? ああ、そっかぁ麻衣はお父さんラブだったんだ。

「でさ、一緒にご飯も食べたんだぁ。公園のベンチで、コンビニのサンドイッチだったけど」

公園のベンチでコンビニのサンドイッチ……。麻衣にとっては場所や、食べた物なんて関係ないんだね。父さんと一緒にいれたことが一番のご馳走だったんだね。


「久しぶりに会ったお父さんどうだったの?」

「変わっていなかった。あ、でもちょっと老けたかなぁ。でもさ、変わっていなかったよ」

「……そっかぁ」

「で、さ、私、来年高校卒業するじゃん。高校卒業したら私、家出ようと思うんだ。お母さんとは別れて暮らそうって。でね、まだはっきりとしたことは決めていないんだけど、どこか別なところに、お父さんと一緒に行くこと相談したんだ」


「どこか別なところって……もしかして、そこで一緒に暮らすって言う事なの?」

「あ、分かっちゃった。そうなんだよ。ようやくお父さん、ううん彼と一緒に暮らせる日がやってくるんだよ」


「そっかぁ、良かったね。でも大丈夫なの、お母さんとか、いろんなところ」

「多分ね。それにさ、お母さん。今付き合っている人いるんだよ。お母さんも、もしかしたらその人と結婚するかもしれないし……いいんじゃないのかなぁ。お互い自分の道に進め始めているんだから」


自分の道かぁ。そうなんだ、麻衣も自分自身の道をこれからお父さん……ううん、麻衣の彼と一緒に歩んでいくんだね。

私は笑顔で麻衣に「おめでとう」と言った。


「うんありがとう」


麻衣は私に抱き付きそう言った。ぎゅっと麻衣の力が私の躰をちょっと締め付ける。

なんだろうスッと全ての力が抜けていく感じがした。

静かにゆっくりと瞼が閉じていく。とても心地いい。

なんだかどこかに帰っていくような感じがした。


「美愛」

彼女の。ううんこの子の躰を優しく撫でてやる。


「大分無理しちゃってるね。躰ボロボロじゃない。このまま行ったらあなたもう長くないよ」

そう言いながら小さくなったこの子の躰に私の手が触れている。

ドクンドクンと心臓の鼓動が手に伝わって来る。


辛いよね。でも、それを望んだのは、あなたなんだもの。私は言ったはずだよ。そんな事をしたって、あなたの想いは通じないって。

例え奇跡が起きて、あなたの想いが彼に通じたとしたって、最後に待つのは悲しみしかないんだよって。

それでもあなたは言う事を訊かなかったんだよね。


あなたはそれで幸せなの?

「にゃぁ」

そうか、それでいいんだ。


せっかく生まれ変わって来たのに、もっと好きなように生きられたのに。

それほどあなたの想いは大切な想いだったんだね。

本当に彼の事が好きなんだね。

でもよかったね。彼に拾われて……ううん。そう仕組んだのはあなただったのよね。

もう少し、頑張りな。

多分、あと少しだから……。


あなたと、彼女の願いが共に叶う日がもう少し先にあるんだから。

あなたの願いが叶ったらゆっくりと休んでいいんだよ。


ゆっくりと休んでね。


偶然の出会いかぁ。

偶然の出会いなんてないんだと思う。多分、どこかで繋がっているんだよ。

でも、そのきっかけが起きるのは偶然という物かもしれない。

そのきっかけが、導くんだよね。それぞれの想いを持って。


ごめんね。私にしてあげられることはもう何もないよ。

後はあなたが頑張るしかないんだよ。あなたとあの子のために。

今しかできないことを。

あなたが……。


なんだかとても温かくて、心地いい。ずっとこのままでいたいな。そんな気がした。

ゆっくりと瞼を開けると、私は自分のベッドの上で裸で寝ていたのに気づいた。

「あれぇどうして私裸なんだろう?」

そう言えば麻衣は? 麻衣の姿がない。

とりあえず、パンツは履かないと……。ん? 

えっ! 嘘。 私……”した”?


何となく、ぐったりとした体の重み。それにこの脱力感。

あああああ、麻衣と”やっちゃんだ”ぁ―……久しぶりに感じるこの感覚。

最近ご無沙汰だったからなぁ。


て、麻衣だ! どこ行ったんだろう。

部屋を出るとベランダからふわっと優しい風が吹き込んでくる。

そのベランダの方を見ると、麻衣がポケッと、空を眺めながら煙草を吸っていた。


「麻衣……」


私の声に気が付き、ゆっくりと振りかえり私を見つめる麻衣。

「あ、美愛。お目覚め。よく眠れた?」

にっこりと微笑んで私に問いかけた。


「テーブルの上片付けておいたよ」

テーブルを見ると朝食の後そのままだった食器が綺麗に片付けられていた。

「ありがとう」

「なんのなんの。それよりさぁ、今日はホント天気いいよね」

麻衣につられるように私もベランダに出て空を見上げた。

綺麗な青空が広がっている。

その空を見ていると心が和む。


そんな私の横で、麻衣が問いかけた。

「美愛、あなたは今、幸せ?」

少し恥ずかしかったけど……素直な気持ちを私は麻衣に返した。

「幸せだよ……とっても」


自然と涙が溢れ出て来た。

幸せだけど、とても悲しい涙が溢れ出る。

「あれぇ、変だなぁ。どうして涙が出ちゃうんだろう」


本当は辛いんだよ。

本当は物凄く悲しんだよ。



私はこの想いを、あの人に届けることは出来ないんだから。

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