このゲームを百合ゲーとするっ!

このゲームを百合ゲーとするっ! ―1

 その後は、血相変えてやってきた院長先生に診療所に連れて行かれ、幸い頭を強く打ったものの外傷はなく、大きなたんこぶが出来たくらいだとサレナは診断された。


 診療所でいただいた氷嚢でたんこぶを冷やしながら孤児院に戻ると、いつもは外まで聞こえるくらい騒がしいくせに、その時ばかりは心配と不安で世界の終わりが来たかのように静まり返っていた弟妹達が、その姿を見た途端に泣きながら次々と突撃するようにサレナへ抱きついてきたので、また後ろへひっくり返ってしまうところだった。


 弟や妹といっても、本当にサレナと血の繋がりがあるわけではない。みんな身寄りがないところを孤児院に保護された子供達だ。

 しかし、それでも本当の家族同然の絆があった。

 特に、今の孤児院で最年長にして、心優しいサレナは子供達みんなから素敵なお姉ちゃんとして慕われていた。

 だからこそ、サレナの怪我が相当衝撃的だったのだろう。

 サレナが診療所に行っている間、子供達全員が心配でいても立ってもいられなかったらしい。

 それ故に、その無事がわかって全員が泣き出したというわけだった。

 サレナが助けた小さな弟も普段のやんちゃっぷりはどこへやら、本当に心の底から深く反省して、泣きながら何度もごめんなさいと謝ってきた。

 サレナはそんな弟の頭を優しく撫でてやりながら、みんなに心配かけてしまったことを申し訳なく思う。

 思いつつも、まあこれが薬になって、もう少し大人しくなってくれたらいいかな、などということも少しだけちゃっかりと思いつつ――。


 結局その後はいつも通り。

 サレナは孤児院の仕事の手伝いに戻り、合間に弟妹達の面倒も見てやり、そうこうする内に日が落ちて。

 それからみんなで夕食を取ると、こんな孤児院で夜に出来るようなことも少なく、全員が早々に床についた。

 そして――。





「…………」


 全員が寝静まった真夜中、眠るふりだけをしていたサレナがむくりと身を起こした。

 そして、物音を立てないように気をつけつつ寝床を抜け出し、すぐ横にある机に向かうとランタンの灯りを点ける。


「さて……」


 椅子に座り、控えめに絞られたランタンの灯りに照らされる机の上、そこに置かれた鉛筆と帳面ノートに向き合いながら、サレナは思う。


 まずは、現状を整理せねばなるまい。


「…………」


 その思いと共に、サレナは黙ったままで思考を開始する。

 とりあえずは、現状最大級の衝撃の事実について。


 生前、現代日本に生きる二十一歳学生のオタク女であった"私"は、どうやら現在生前にハマっていた乙女ゲームである『Knight of Witches』の世界に、そのゲームの主人公である『サレナ・サランカ』として転生してしまっている――。


 これは、まず疑いようのない事実であるようだった。

 俄には信じがたい。到底すぐには受け入れられそうにもないはずの、荒唐無稽な出来事。

 そもそも"ここ"が本当にそんなゲームと同じ世界なのかというところから疑ってかかるべきだろう。

 しかし、今のこの体には生前の"私"の記憶と同時に、この世界で十二年間『サレナ・サランカ』として生きてきた記憶も備わってしまっている。

 その記憶から与えられるあらゆる情報が、この世界が紛れもなく『Knight of Witches』の中のそれであると訴えてきている。

 自分自身の記憶ばかりは疑いようもない。

 ひとまずそのことについては、原因は何一つわからないが"そういうことになった"として、観念して受け入れるしかないようだった。


「ハァ…………」


 深い溜息を吐きながら、用意していた大きめの手鏡で改めて自分の顔をじっくりと眺めてみる。

 サラサラとした、艶やかで長い黒髪。美人系ではないが、可愛らしく整った、美少女と評していいような顔立ち。


 何度確認してみても、生前何度も見たことのあるナイウィチの主人公――サレナのビジュアルそのものだった。


 とはいえ、今のサレナは十二歳。ゲーム本編のサレナは十六歳だったので比べると若干幼い風貌となっているが、まあそんなことはどうでもいい。


 大事なことは、今現在この世界に生きている自分自身が間違いなくあの『サレナ・サランカ』本人であること。

 そして、それによって生じる目下のところの問題は――。


「……特にないわね……?」


 呆気にとられたような気持ちで、思わず口に出して呟いてしまう。


 少なくともナイウィチのゲーム本編でよほど変な行いプレイをしない限りは、サレナが不幸になったり、死を迎えたりするということはない。

 この世界の主人公サレナとして生きていく上では、絶対に回避すべき危険な運命というものは存在していないと言える。


 そして、"私"自身も今のところはサレナに転生してしまったことに対して不満に思ったり、拒否反応があったりするわけじゃない。

 何というか、「そっかぁ」という感じで、非常に大らかにこの事態を受け入れてしまっている。


 生前の自分や不運な死というものにも大した未練がない。

 あんな年齢で先立つという親不孝をしてしまった両親には若干申し訳なく思うが、死んでしまったものは仕方ない。不可抗力だ。

 そこら辺については未来ある女の子を身を挺して救った功績に免じて許して欲しい。


 そんな風に暢気に思えるのは、生前の自分を思い出したことで消えてしまったわけではない"サレナ"自身のこれまでの人生の記憶というものも影響しているのかもしれない。

 少なくとも十二年間、私は"私"ではなく"サレナ"としてこの世界で生きてきた。

 そのおかげなのか、自分は根本的にはこの世界で生きている存在であるという意識が定着してしまっている。

 基底ベース自体が入れ替わっているので、記憶は魂ではなく単なる記憶でしかない。そのせいで以前の肉体と世界に対しての帰属意識が薄まってしまい、それが妙な精神の安定に繋がっているのかもしれない。


 ……いかん、自分で考えててよくわかんなくなってきた。


 とにかく現在の私は、記憶が甦ったことで急速に生前の“私”に戻ったわけではなく、サレナとしての私に生前の記憶が程良く混ざり合って安定した新しい自分ということだ。


 これまでの私でもあって、これまでのサレナでもある。

 言うなればどちらでもない存在としての『新・サレナ』。


 そういうことにしておこう、うん。


「さて……」


 そんな風に自分を定義してみたところで、次に考えなければならないのは、やはり"これからどうするのか"ということになるだろう。


 "私"は『Knight of Witches』の世界の『サレナ・サランカ』に転生してしまった。それはいい。

 それで、これからどうする?


「……そんなの、決まってる」


 サレナは我知らず、力強くそう呟く。


 このまま、これまで通りに"ただのサレナ"として生きていくのか?


 ……そんなことするわけがない。


 これは『運命』だ。

 あるいは千載一遇の『僥倖』。


 人生の全てを捧げる勢いでハマりこんだゲームの世界に、私は主人公わたしとして生まれ落ちた。

 だったら、そんな"私"の取るべき選択肢は一つしかない。


「この世界で、主人公わたしがカトレアさまと結ばれてみせる――」


 "私"の選ぶべき道とはまさしくそれだ。それに他ならない。


 生前あれほどに恋い焦がれ、全てを捧げる勢いで愛した女性と、どういった運命の悪戯か、同じ世界に生を受けることが出来た。

 文字通り生きる"次元"が違うせいで一生出会うことなく、交わることのなかったはずの人。

 その人と、私は現在、"同じ次元"の"同じ世界"に生きている。

 これを『運命』と、あるいは『僥倖』と呼ばずして何と呼ぼう。

 いや、もしくは。


「――『奇跡』、か……」


 思い出すのは、"私"が死ぬまでの、ひたすらに願掛けを繰り返した日々。


「まさか、『百度参り』の結果がこんな形で実ることになるとは……」


 呟きながら、サレナは思う。


 あの時ひたすらに願ったのは、『どんな形でもいいのでカトレアさまルートが作成されること』だった。

 果たしてその願いはきちんと聞き届けられ、叶えられた――と、言ってもいいのかどうか。


 確かに今、自分の目の前に『カトレアさまルート』は存在している。


 ただし、それはゲームとしてシステム的にフラグ管理され、ある程度設定されたルートに沿って進んでいけるようなものではない。

 誰かが始まりから結末までを考え出して、書き上げた一本の"物語シナリオ"という形ですらない。

 "空想フィクション"でもなんでもない――何のヒントも情報も確証もない、全てがまっさらで予測不可能な"現実リアル"の中で、自分自身の力のみで彼女と結ばれる道を新しく切り開いていかなければならない。


 "私"にとっての『カトレアさまルート』は"そういうもの"として叶えられ、与えられてしまった。


 それはつまり、誰に正解や結末を決められてもいない、自分で考え出した行動と選択だけで、二人の物語を"私"自身が書き上げなければならないということで――。


「――――」


 思わず武者震いをしながら、サレナは何かに挑みかかるような笑顔を作ってみせる。


「……上等じゃないの」


 呟きながら、思う。


 今までは自分では全くどうしようもない、万に一つの可能性も見えない暗闇の中にいるようだった。

 それを思えば、何の確証も保証もない道とはいえ、自分自身の行動次第でそれを掴み取ることが出来るかもしれない――それだけでもこの状況はよっぽど上出来だった。


 ……望むところよ。


 サレナは、固く決意する。


 そうとなればこの世界を、女と男が予定調和に結ばれるような"乙女ゲームのそれ"なんかにさせはしない。それだけは、何としても脱却してみせる。

 そして、他の誰でもない、主人公わたし自身の手で――。


 ぎゅっと、固く両拳を握り締めながら、心の中でそれを宣言する。



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