Dive to Witch's world ―5
『百度参り』というものをご存じだろうか?
色々とかいつまんで説明すると、百日間、毎日欠かさず同じ神社にお参りをし、祈願することで、その願いが成就する可能性を高めようとする民間信仰である。
当時もはや色々と極まってしまった私は、それをすることにした。
近所の神社に連続百日間、百度参拝する。
そして、『どんな形でもいいのでカトレアさまルートが作成されること』を神様に願う。
当時の私はもうこれしかないと思い込んだ。
それ程までに恋に狂い、募る想いは行き場を失って暴走していた。
実家の近所にある神社は、そこそこ険しく長い石段があることでそれなりに有名なところだった。
それを百日間、毎日欠かさずというのは中々の苦行と評していいものだろう。
しかし、そうであるからこそ、むしろ私には都合が良かった。
肉体的な苦痛を伴う行いであるほど神様がその努力と熱意を認めてくれるものだと無根拠に信じ込んでいたし、カトレアさまへの愛のために自分がこれほど大変なことをしているという自己犠牲の精神に酔っていられたからだった。
行き場なく抑えつけられ、発散することの出来ない恋心ほど恐ろしいものはない。
まあ、とにかくそんな風にほとんど気が触れる寸前のようだった私は、その狂気に駆り立てられるかのように百度参りを開始した。
最初は本当に、その苦痛を言葉に出来ないくらいに、途方もなく辛かった。
これまでの人生で運動は大の苦手というほどではないものの、決して得意な方でもなかった。
運動系の部活に所属していたわけでも、継続的に打ち込んでいるスポーツ競技があるわけでもない。運動の習慣なんて欠片も身についていない、典型的な文化系オタク女子である。
そんな人間が、かなりの長さを誇る石段を毎日登っては頂上の神社に参拝し、また同じだけの石段を降りてくるのである。
最初の一週間は身体がバラバラになるのではないかと思う程の全身筋肉痛に襲われた。
しかも、私は苦行の上にさらに苦行を上乗せすることでより心願の成就に近づくようにということで、『石段は出来る限り走って登る』という制約をセルフで自分に課してしまっていた。身体がぶっ壊れそうになるのも当然と言える。
百度参りの序盤も序盤から早くもそんな制約を後悔していたが、一度自分で決めたことを途中で投げ出すわけにはいかなかった。
もはやそれを辞めてしまうとこの百度参りも成立しないのではないかという強迫観念が生まれてしまっていたからだった。
まさしく精神的に錯乱しまくっていた。それほどの限界状態にあったのだろう。
しかし、それでも私は歯を砕けるのではないかと思うほどに食いしばり、血と汗と涙を出し尽くしながら、何とかその苦行をきっちりと毎日繰り返し、耐え続け、途切れることなく継続していった。
そして、継続は確かな力となっていく。
二十日を越えた頃から筋肉痛はなくなり、三十日目には初めて途中でバテて休憩することなく全部の石段を走って往復することが出来ていた。
五十日目には物足りなくなり、神社までの道のりすらランニングして行くようになった。
そして、七十日目にして異変に気づく。
最初は二時間かかっていた行程が、三十分程度までに縮まっている――。
修行を積み重ねるとはこういうことなのか、爽やかな疲労と共にそう思いながら、私は代わりに本殿で祈る時間を三十分増やした。
そして、遂に迎えた百日目――。
私はもはや余裕綽々といった調子で行きの石段を登りながら、この百度参りが終わった後には、たとえどんな形であれ、きっと何かが報われるという妙な確信に包まれていた。
最後ということで、これまでで一番丁寧に本殿で祈りを捧げた後で、"やり遂げた"という充足感を胸に石段を下り始める。
やがて石段の中腹辺りで、他の参拝客とすれ違った。
手すりを持ちながらゆっくり登るおばあさんと、その孫娘だろうか、おばあさんよりも数段先の方を登りながら後ろを振り返って早く早くと急かしている小さな女の子。
その日は平日の午前中ということもあって参拝客はまばらで、石段にも私とそのおばあさんと孫娘の姿しかなかった。
その時、私は特段何も考えないまま、少し脇に避けてその二人を通り過ぎようとした。
もう少しその光景の危うさに注意を向けていれば、もしかしたら違う結果になっていたのだろうか。
たとえばそう、女の子があまりにも元気いっぱいにはしゃぎすぎていることに、もっと早く気がついていれば。
そして、女の子とおばあさんの距離が、どちらかに何かあった時に咄嗟に行動を起こすには離れすぎていたことに気を向けていれば。
そして、石段を駆け下りてくる私を見た女の子が、自分もそんな風に石段を駆け登ってみようと思いついて行動に移すかもしれないことを予測出来ていれば。
今となっては全部が"たられば"でしかないが、もしもそう出来ていれば、今現在の私にはなっていなかったのかもしれない。
駆け下りていく私と、駆け登ろうとする女の子がすれ違おうとする瞬間のことだった。
女の子の小さい足で駆け登ろうという無茶のせいか、その足が目測を誤り、石段を踏み外すのが見えてしまった。
それを見た私の心臓がドクンと嫌な跳ね方をしたのと、そこから目に映る光景がスローモーションになるのは同時だった。
女の子がバランスを崩して、ゆっくりと後ろに倒れていく。
ここが平らな地面だったなら、それでも大泣きするくらいのちょっとした怪我で済むかもしれないが、最悪なことにここは長い長い石段の中腹だった。
つまり、後ろに転けたらそのままこの固い石の階段を下まで転げ落ちていく。
どう考えても“ちょっとした怪我”では済まないどころか、八割方死ぬレベルの事故だった。
「あぶっ――」
そりゃ、当然、咄嗟に手を伸ばすだろう。
何をどうすればいいかなんて冷静に考える前に、反射で身体が動いていた。
目の前で人が死にかけているのを黙って見過ごせる人間なんていないはずだ。
幸い、女の子の手をギリギリのところで何とか掴むことは出来た。
だが、すぐさまもう一つの問題が発生した。
「――――!?」
結構なスピードで駆け下りていく途中だったせいか、私自身の足の踏ん張りがきかない。
勢いがつきすぎていて、女の子を後ろに引っ張らなきゃいけないのに、それとは逆ベクトルに身体が動き続けている。
つまり、今度は私自身までもが石段で転けかけていた。
女の子の手を掴めたのはいいものの、このままでは二人揃って転げ落ちるだけだ。
「――――ッ」
だから、何とかその最悪の結果だけでも回避するために、ありったけの力で私は上半身だけを後ろへと捻る。
女の子の手を掴んだ腕を、そのまま後方へ振り上げようとする形。
幸い、女の子の体重が自分よりもずいぶんと軽かったおかげで、なんとか後ろに倒れていこうとする女の子をその動きで引っ張り上げることは出来た。
しかし、その後のことまで気にしてあげられる余裕はもう、ない。
女の子を引っ張り上げたと確信した瞬間、私はすぐに掴んでいた手を放した。
そうされた女の子が放り投げられるような形で石段に軽くぶつかり、倒れ込んだものの何とかそこで止まるのが見えた。少なくとも石段を落ちていくことはないだろう。
良かった。少しだけホッとする。
そして、自分にそれが見えているということは、私は今完全にその女の子の方を向いていて、石段を下りる方に背を向けていることになる。
つまり、女の子が落ちていく勢いを“助けること”と交換で全て引き受けた私は、もう自分の体勢を回復させる余裕がない。
背中から思いっきり、どうしようもなく地面に――石段へ向けて倒れていくのを感じる。
最後に、倒れたままの女の子と目が合ったような気がした。
……ああ……まあ、この女の子を助けられて良かったな。
素直にそう思う。
大したことない人生だったが、人助けで締められるのは悪い気分じゃない。
やり残したことは大いにあるけれど、それは、もしあるとするならば“来世の自分”に――――
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