一月 実は…肉食?

 新年あけましておめでとう。僕は人生史上最高の正月を迎えている。


 なにしろ、あのちょっと不器用で、ぱっつんロングの黒髪がよく似合って、普段無表情な分たまに見せる笑顔がキュン死級に可愛い、あのユウカさんが、僕の彼女になってくれたのだから。


                 ◇


 初詣。それは付き合って間もないホヤホヤなカップルにとって、鴨が葱を背負って来るぐらい有難いイベントだ。例年なら前夜の歌番組のせいで日も高くなってから起き、家族と一緒にお雑煮を食べ、正月のくだらないテレビで初笑いを済ませ、やおら一家で向かうところの、初詣。それが今年は一転、初日の出の上った富士山頂の清冽な空気のごとく新鮮なものとなる。元旦の早朝、家を出て都心の神社を目指す非日常感に、僕は胸をときめかせていた。


 都心部にもかかわらず、広大な森を有するその神社には、既に前夜から形成された長蛇の列が伸びていた。押し寄せる人波の中で、必死にユウカさんの姿を探す。当初は駅で待ち合せるはずだったのだけれど、ホームから改札にかけて、あたかも最密充填のごとく人が連なっていたので、僕は仕方なく神社入り口の大鳥居に、集合場所を急遽変更したのだった。


 あたりを見回していると、ちょうど鳥居の柱に寄り添うように立つ、ユウカさんの姿が目に入った。暖かそうなニットのセーターにロングスカート、その上から紺色のコートを羽織っている。未だに高校生の私服のような服装が目立つ同級生の女子たちとは対照的に、大人びた服装をすることの多いユウカさんなのだけれど、今日は新年という特別な環境も相まって、もう社会人として働き出したかのようなオーラを、彼女は漂わせていた。


「ユウカさん、あけましておめでとう。今年もどうぞ、よろしくお願いします」


 かしこまって頭を下げる。ユウカさんも、微笑んで「あけましておめでとうケイくん。こちらこそ、どうぞよろしく」と歯切れよく挨拶した。そして、僕の手を取ると「それじゃ、行きましょう。ケイくん」と参道へ歩き出す。この時点で、顔には出さないものの、動悸が速まる。ユウカさんと自然に手を繋げるようになるまでには、まだ少し時間がかかりそうだと、僕は改めて認識するのだった。


                 ◇


 突然だが、渋滞学という学問を知っているだろうか。交通渋滞をはじめ、渋り滞る世の中のあらゆる事象を対象とする分野だ。その渋滞学における大きな発見の一つに、交通渋滞の原因は車間距離にある、というものがある。適切な車間距離を保ち、一定の速度で走る車列に渋滞は発生しない。しかし、誰かが先を急ぐあまり、前の車と距離を詰めすぎると、その後ろの車も距離を詰め、そのまた後ろの車も、というように、車同士の距離が不自然に詰まりすぎてしまい、最後には道路に横たわる大蛇のごとき、重厚長大な渋滞が完成する。


 ユウカさんと僕が直面した状況は、まさに渋滞学のセオリー通り、先走る人の心が逆説的に生み出した静止状態だった。四方を見渡しても人また人、満員電車と見紛うほどの人込みに、僕は少し中てられたような気分になったが、ユウカさんは学校の売店に並んでいるかのように、涼しい顔で現状を受け流していた。


「ユウカさん、勝手にインドア派だと思ってましたけど、意外と人込みもいけるんですね」

 

 左斜め上から僕を覗き込むように、彼女は振り向く。目が少し怖い。


「今年から敬語はやめるって言ったでしょ。さん付けも禁止。いきなり正月ボケかますのはやめてよね?ケイくん」


「はい…じゃなくて、分かった。ユウカ…ごめん。こんなに混んでるとは、僕も流石に予想していなかったよ」


「いいのよ。混めば混んだだけ、私がケイくんに密着できる時間が増えるんだから。ケイくんも、遠慮しないでもっと私に体をくっつけなさい。温めてあげるから」


 蠱惑的な笑みにどきりとする。ユウカさん、大人しそうに見えて本性は結構肉食だったりするのか。それとも、僕をからかっているだけか。いずれにせよ、寒空の下で立ちっぱなしで体が冷えていたのは事実なので、お言葉に甘えてユウカさんに寄り添う。ふわり、と髪の匂いがして思わず手に力が入った。


「あらケイくん。もしかして柄にもなく緊張してる?そんなに私に密着できて嬉しい?嬉しいなら素直に言いなさい。ちなみに私は嬉しいわ。どのくらい嬉しいかというと、いつも自販機で品切れになってるコーンスープが、久々に買えた時ぐらい胸が高鳴っているわ」


 …僕はコーンスープと同等もしくはそれ以下か。


「それにしてもユウカ、今日はやけに口達者だけど、何かいいことでもあったのかい?普段は、なんというか、もっと寡黙なキャラだったような気がするんだが」


「何のことかしらケイくん。私はいつでも饒舌で、毒舌で、超絶な美人さんなのよ。まぁ今日は、だーいすきなケイくんと一緒に初詣に来られて、少しばかり舞い上がっているというのは事実なのだけれど」


 赤裸々な告白に、僕は耳まで赤くなる。ユウカさんは、そんな僕を覗き込んで、ふふっと悪戯っぽく笑った。


                 ◇


 雑談に興じながら参道を少しずつ進み、僕たちはついに神社の拝殿に辿り着いた。いかつい顔をした二頭の狛犬に挟まれた拝殿には、太いしめ縄が渡され、参拝客が次々に賽銭を投げ入れては手を合わせていた。


 僕が財布から五円玉を取り出していると、ユウカさんが茶々を入れてきた。


「ケイくん、私とのご縁が末永く続くようお願いするために、わざわざ新しい五円玉を取っておいてくれたなんて、甲斐甲斐しくて涙が出るわ。お返しに私も、神様に全力で、それはもう土下座する勢いでケイくんと未来永劫離れないことを誓うしかないようね」


 誓うって、もはやお願いですらないのでは。


 そう思ったけれども、もとより僕の願い事もユウカさんと同じだ。賽銭箱に五円玉を放り込むと、僕は手を叩いて目を瞑った。


 ユウカさんと、これからもずっと、一緒にいられますように。


                 ◇


 目が覚めると、枕元の時計が、元旦の朝10時を指していた。深夜まで歌番組を見ていたツケが回ったようだ。午後から、ユウカさんと初詣に行く予定を思い出し、僕は急いで寝床から這い出る。


 それにしても、妙に生々しい夢を見た。ユウカさんが、あんなに積極的になるとは考えられないが、心の片隅で思ってしまう。


 正夢に、なったらいいな。

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バイト先のちょっとコミュ障なお姉さんが、たまに見せる笑顔が最高にかわいい ユーリカ @eureka512

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