第4話 これからのこと

早坂は自分の体に戻れなくても困っていないが、滝本は困っていた。

自分の心の世界に魂を閉じ込めたせいで現実の世界で亡くなってしまうのではないかと思ったからだ。だからこそ、些細なネットニュースやSNSを利用して情報を集めることに余念がなかった。


早坂が滝本の心の中にやってきてから2週間が経った。 

早坂は推し作曲家の心の中での生活に慣れ始めていた。


滝本は早坂に小屋を建ててやった。

自身の心の中といえ、誰かを芝の上で過ごさせるわけにはいかなかったからだ。簡易なベッド、テーブルと椅子が2つ。


心の中ではお腹は空かないうえに、睡眠を取らずとも生きていける。ただただ、推し作曲家の美しい世界に浸っていられる。死ぬ時は推し作曲家の曲を聴きながら死にたいと思っていたので、推しの世界で死ねるのならば本望といえよう。


「こんなに幸せでいいのだろうか……」


そう一人で呟きながら、心の世界に鳴り渡る音楽を聴き、美しい夕日を眺める。


              〇


それから数日ぶりに滝本が会いに来た。


「お久しぶりですね!滝本さん!」

「君は変わらずだね」


目を輝かせながら走り寄ってくる姿に慣れた滝本は、呆れながらも挨拶をする。


「最近はお忙しかったのですか?」

「いや、そういうわけじゃないけど…その、なんというか」

「あ、私がいるから気まずいですよね、すみません!」


早坂が勢いよく90度に体を折り曲げて謝るので、滝本は両手を振って弁解する。


「そうじゃなくって、その…前に君の前で泣いちゃったから恥ずかしくて」

「前ってことは星を見た時ですよね?…私星空に夢中になって気づいてないかもしれません」

「えっ」

「えへへ、なんだかすみません」


恥ずかしがって早坂を一人にしてしまったことを申し訳なく思う。


              〇


そういえば…と滝本はずっと疑問に思っていたことを質問した。

「私が滝本さんの音楽を何で好きかですか?」


聞き返してからしばらく考え込む早坂。難しいことを聞いたかなと早坂の言葉を待つ。

「なぜ好きかを語るにはなぜ好きになったかを聞いてもらう方がいいかもしれません。ちょっと長い自分語りになるんですがいいですか?」

「君さえよければ聞かせてほしいな」

「わかりました」


そう言って話し始めたのは自身の身の上を話し始めた。


早坂は一人っ子だが、両親から望まれた子ではなかったために愛情を受けずに育ったことや、そのせいで他人への無関心を気味悪がられたり、いじめを受けた話をした。


「いじめられても他人への期待値が低いせいで、そんなもんかと受け流していたらいじめが悪化して入院するほどの怪我を負わされたこともありましたね。今思えば警察沙汰になってもおかしくないなって。それから、いじめられる私を面倒な子だと言われ、さらに親から見放されて。そうして、生きることも面倒くさくなって、そろそろ死のうかなと思っていた時にたまたま耳にしたのが滝本さんの曲だったんです」


ずっと遠くを見ながら話していた早坂は滝本の方を見て笑った。


「何にも関心のなかった自分の心に温度を初めて感じた瞬間だったんです。灰色の世界が色づいたってよく聞きますがそんな感じで。初めて人間の温もりを感じた瞬間といったらいいのか。気づいたら涙が出てて、何も感じなかった心に痛みを感じました。ああ、私って生きているんだなって。それからこんなに素晴らしい曲を作る方に興味が出て、滝本さんの曲を漁っていたらこうなりました」


早坂の目は輝いていて、本当に自分の曲を大切にしてくれる子なんだなと滝本は嬉しくなった。


「あの日からは他の人にも興味が出ていろんな人と交流できるようになりましたし、親ともそれなりの関係を気づけるようになったんですよ!滝本さんのおかげで上手く息を吸えるようになったので、滝本さんの曲がないと死んでしまうんです!」

「そっか、僕の曲が君の助けになったのか。よかった」

「はい!本当にありがとうございます!直接お礼が言えたんですから本望ですよ」


滝本は膝を抱えて顔をうずめてしまった。早坂はニカっと笑って滝本の心の世界に酔いしれたのだった。


                〇


それから数時間経った頃だったか、滝本が再び早坂に質問する。


「君は僕の最近の曲についてどう思う?」

「最近の曲ですか?うーん、不安や迷いを感じる曲だったかなと。いつもの綺麗な世界というよりは現代に寄り添ったのかなって思いました」

「それは…僕らしくなかった?」

「…これは私の感想でしかないのですが、私は滝本さんの曲って知らない世界に連れて行ってくれる扉のように思っていて、聴けばワクワクするし、新たな経験をしたように感じるんです。それくらい不思議なもので、魔法のように未知なものなんです」


早坂は言い淀むが、間を置いて続ける。


「そう思っているんですが、最近の曲で感じるのはどちらかというとこの世界に生きている人の気持ちというか、特に不安な気持ちや絶望を感じている人が浮かんできて…」

「分かる人に分かるってことだよね」

「だからって滝本さんの曲が嫌いってわけではないんです!本当ですからね!」


慰めではない本心からの言葉に滝本はまた涙が出そうになる。最近は自身の曲を好きになれない時が多い。誰かに指示されて作る曲はこんなにもひどい物かと。作る時もただただ辛く、趣味でつくっていた時のような楽しさがない。だから、聴く人にどう思われるか不安で、自身への絶望感を彼女に悟られたようで嫌だった。僕の世界を綺麗だと言ってくれて、生きる糧にしてくれた人だからこそ、綺麗な世界を見せ続けたいと思った。


「ありがとう…本当にありがとう」

「感謝されるようなことは何もないですよ。むしろ私が感謝したいんですから」

「いや、君のおかげで辞める決心が付いたんだ」

「え、曲作りをやめるってことですか!?」

「ううん、個人で曲を作ろうと思ってね。自分の好きなように作りたいんだ。僕の曲でいろんな世界に連れていきたいからね」

「わぁ、楽しみにしていますね!」


滝本が決心した時、早坂の体が輝きだし、だんだんと体が透けていく。


「えっ、戻るの?今!?」

「早坂さん、本当にありがとう!僕頑張るよ」

「滝本さん!こちらこそありがとうございました!私は死ぬまであなたのファンです!!いつも素敵な音楽をありがとうございます!!!大好きです!!!!!」


早坂の声だけがこだまし、消えていった。彼女の消えた先には朝日が昇っている。綺麗だ。


               〇


あれから早坂は病院で目が覚めた。1ヶ月近く目を覚まさず、医者も原因がわからないのでお手上げだった。覚悟を決めねばならないだろうと思われた時に、無事帰還を果たした。気持ちの良い朝だった。


そして、滝本は所属していた会社を辞めた。個人の作曲家として再出発することにしたのだった。


               〇


早坂は滝本が個人で活動を始めてからすぐに手紙を送った。彼女にとって初めてのファンレターだった。あの出来事が夢であったとしても、もう一度滝本に想いを伝えたかったのだ。貴方の音楽に救われたこと。これからも応援していること。封筒ギリギリの枚数に気持ちをのせて。



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流行りの異世界転生ではなく推し作曲家の心に転生しました! 月白藤祕 @himaisan

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