39話 世界のどこかにいる私

 5月14日。金曜日、放課後。


 人生の大きな岐路であり、最後の1日。だというのに、俺の脳内は妹との対話によってリセットされていて、相変わらず何の考えもありはしない。


 授業が終わり、部活へと向かう生徒や帰宅する他人に紛れながら、第二図書室を目指していた。廊下に響く声や足音が、目的地に、校舎の端に近付くにつれて遠くなっていく。


 世界から隔離されたような静けさを纏っている頃には、もう目の前。


 そうして扉を開こうと伸ばした手を見て、ここへ初めて来た時を思い出していた。


 どんな美少女に会えるのだろうと胸を躍らせていたあの日の事、どんな悩みを抱えた少女を相手するのか緊張していたあの時間を。そしてそんな自分は、もう欠片程しか残っていない。扉の金属部分に指先が触れて、温度に触れて、今日で失ってしまうと理解してしまった俺には。


「失礼しまーす!! 倉主ちゃんいるー!? いえーい!!」


 だから、そんな切なさを吹き飛ばすように、俺は声を上げて入室した。


「あれ」


 だがしかし、そこには誰もいなかったのである。


「……え、がち?」


 返って来たのは虚しいやまびこだけでいくら見回しても彼女の姿は無く、カウンターにも棚の隙間にも掃除用具入れにも長机の下にもどこにもかしこにも、奥の奥まで本だけの図書室しかない。本しかない図書室なんて何の意味があるんじゃ全く。


 だけども、呼び付けようにも連絡先すら知らない俺は、兎にも角にも頭を捻る以外の選択肢が無い。


 1、何か意味があって今ここにいないのか、2、単純に遅刻か、3、そもそも学校を欠席しているのか。考えられる可能性の3つを彼女の性格に照らし合わせると、1番の方がしっくり来る気がする。


 となると、もう説得は始まっているのだろうか。


 この場所にいない理由を見つける事が最初の関門、そう思いたい。せっかく意気込んで来たのだから、少なくともただ風邪で休んでいるとか先生に呼び出されているなどという原因ではないと祈る。


「……だとすると」


 倉主が何を思って、図書室から姿を消したのか。彼女なら何を考えて、何をするのか。そしてそれを考える事を、俺はどうやら強要されて、期待されていると仮定した。何せ今日が期限なのだから、事情があって遅刻している可能性を完全に排除するのは後で良い。


「倉主が考えそうなこと、か」


 まず初めに、この場所に来た事は間違っていないと思う。これは確実だ。倉主が何処か他の場所にいるという事実は確認出来たし、となると、俺は集合する場所から間違えている? 倉主は俺が現状から何を導き出す事を期待している?


 俺に見つけてもらう事を望んでいるなら、何か手掛かりを残す。


 という風に、俺が考えると倉主は考えていて、倉主なら何をどこに残すかを俺が考えて、そうする事を倉主はウンタラカンタラなんたらあーだこーだ。


「あぁッもう面倒くせぇッ!!」


 という状態になることを倉主は


「いやそれはもう良いって言ってんだろ!!」


 そうして俺は自分自身の思考に自らツッコミを入れつつ、『側から見たらやべえ奴そのものだな』と自分を客観視して項垂れつつ、仕方が無いと──漁ったのは本棚だ。


 だってもう、目当ての列はもう決まっている。


 彼女の考えそうな事なら、多分そうだろうと。


「いかにも文学少女な倉主ちゃんなら……」


 一番端の、海外文学が並んだ、ジャンル別で一番量の少ない棚。日焼けした背表紙を指先でなぞって、取り出した一冊。倉主が俺に手渡した、たった一冊。彼女が読んでいないと言っていた文庫。


「……やっぱり」


 開いてページを捲って、思わず呟いてしまう。見覚えのある字の羅列の間に挟まれた一枚の、花柄の可愛らしい紙には、


 鮮麗された文字で『この世界のどこかにいる私を見つけて下さい』と書かれていたからだ。


「あの野郎、完全に俺で遊んでやがる」


 文学好きのロマンチストがやりそうな連絡手段、在り来たりな方法、月並みな演出。そしてそんな周りくどさを倉主が選ぶと、俺が理解している事も彼女は考慮済みだったらしい。


 他に何か手掛かりはないかと文庫を見てみると、また一枚の、同じような紙がひらりと床に落ちた。


「ん、今度は……」


 期待して拾い上げて、しかし『グッドラック』と書かれていたもんだから、それでいて文章の最後に『チュっ』とキスマークらしきものがついていたもんだから、怒りに任せて握り潰して、もう一度床に叩き落としてやった。


「よし、見つけたらとりあえず一発揉ませてもらおう」


 と思い、そう言えば──キスマークか、と考えて落ちた紙を拾い、ポケットに入れて決心を固める。


 しかし、これを早めに発見出来たのは大きいな。下手すれば一生ここで足止めを食っていたところ、やはり彼女は業腹にもしっかりヒントを残していたらしい──それから、倉主が『読んでいない』と言っていたこの文庫には、栞代わりに備え付けられた紐がちゃんと、最後のページに収まっていた。


「……本当に幼稚な奴」


『私もちゃんと読みましたよー先輩』と、そんな彼女の間延びしていて、優しく穏やかな声が聞こえて来そうで。


「やっぱり……見つけたらおっぱい揉んで、頭でも撫でてやろうかな」


 元の列に本を戻してやると呟いて、気が付くと駆け出して、俺は廊下に飛び出していた。それがこの世界のどこかにいる後輩を見つける為なのか、破滅から逃げたい自分の為か、どこを探せば良いかも分からぬまま、


 一歩目を踏み出した自分が、どこへ向かっているかも知らないまま。

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失恋マスター折上くん 咲井ひろ @sakui

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