38話 妹と妹の部屋にて

 折上八おりがみはち──妹は、俺にとって妹であり、犬のような名前であるが、しかし妹以外の何者でもない。


 まるで友人みたいな関係性とか、特別に愛情を注いでいるとか溺愛しているという事もない。いがみ合っている瞬間も無いし、お互いに何かしらの意識も介在しない。俺にとって妹は妹というだけであり、またそれ以外の何者かに変化する事を許さない。しかしそれは、妹にとっても恐らく同じであり、妹は俺が兄以外の何者かに変わる事を決して許さないと思う。俺が俺であり続ける事を心から願い、強要してくるのだ。


 折上八──妹は、俺にとって女性ではないが、確かに美少女らしい。

 

 だが妹の容姿を説明するとなると困難を極める。世間から『異常なまでに可愛い』と評判の顔面は、俺にとっては見慣れ過ぎたものであり、何を言っても、そんなつもりなど毛頭無いのに、自動的に身内贔屓な目線になってしまうからだ。また髪型や服装について語る事も難しい。妹は大層な飽き性で、髪の長さも色も月に一度は変えるし、服装の趣味に関しても飛び抜けたものから、没個性的なスタイル、近未来、ミリタリー、ポップキュートクールゴージャス、と日によって様々過ぎる。


 つまり、妹をどういう人物かと聞かれた場合、俺が返せる言葉は──『異常なまでに可愛い顔をした、自分の妹である』という第三者の意見と事実に基づく曖昧な印象を告げる以外、手段がないのである。


 しかし、とはいえ、今目の前にいる妹の様子を敢えて伝えるとするなら、


「私は今凄く機嫌が悪い。それはどうしてか、兄貴に分かる?」


 動物を模した着ぐるみパジャマに身を包む妹は、椅子に座ってふんぞり返り、足を組んでこちらを見下している。中学3年生で受験生のくせに自覚がないのか、髪色は金髪に染められていて、豪勢にウェーブした毛先がフードから覗いていた。


「分からん」


 母曰く、容姿は自分と似ていないらしいがまあ確かに、俺よりも目は大きくて丸くて、鼻は高くて、唇は生々とした色をしていると思う。何がどう、と言えることは無いがとにかく整っている、らしい。それ以外に妹の顔面の造形は形容が出来ないくらいに。


 晩飯のカレーをお腹一杯食べ終えた後の、20時40分頃。


 風呂から上がった妹に、俺のそれよりもずっと両親からの愛情が感じられる、何もかもを与えられた、恵まれた部屋に呼び出されていた。


 そして現在、俺は突き刺さる視線を受け流しつつ、兄貴らしく妹のベッドに横たわって、兄貴らしく妹の話に耳を傾けている。妹もまた妹らしく、そんな兄貴に内心呆れつつ、内心見下しつつ話を続けているようだった。


「兄貴がまた悩んでいる様子で私の家に居て、しかもそれを、私に相談しようともしてなかったでしょ。陰気な空気は嫌いなの。しかもそれを兄貴が纏っているのは、もっと嫌」


 そう一切の感情を排した表情で、焦点もどこに絞っているのか分からず、しかしまるで悪霊にでも取り憑かれたんじゃ無いかと思えるくらい軽快に語る妹は、噂によるとこれでも学校一の人気者らしい。一体どんな猫を被っていたらこの表情筋ゼロのアンドロイドが如く妹が人気者になれるのか、一度授業参観に出て確認してみたいくらいだ。


「私の家っていうか、俺の家でもあるんだけど」


 と、そう考えて実際、妹の中学校に突撃したことがある。すると妹は出会い頭に『え、お、お兄ちゃん!? どうしてここに?』と至って普通の反応をした後、『えへへ、嬉しいなあ。もしかして私に会いに来てくれたの?』と微笑むもんだから、俺はもう脳が破壊されかけて逃げ帰ったのはつい1年前の苦い思い出だ。しかも一番怖かったのは、その後家で顔を合わせても、そのことに一切触れられなかったのだから、もうホラー通り越してちょっとサイコである。


 そんな変人が我が妹、折上八。


「兄貴にとっては兄貴の家、でも私にとっては私の家。家族でスペース共有するけど、過ごしやすさを妥協したくない」


「お前は相変わらず屁理屈を……少しはツンデレとかヤンデレとか、そういうテンプレな妹キャラクターを演じてみたらどうだ?」


 すると妹は突如腕を組み、僅かに顔を背けて、


「フン、お兄ちゃんなんかただのゴミクズとしか思ってないんだからっ、勘違いしないでよねっ。ほんと死んで欲しいくらい憎い……だから……ねえ……私を残して、勝手に死んで?」


 表情豊かに言った。それから『どう?』と首を傾げて感想を求める妹は、既にいつものゼロに戻っていて、なるほどこれが人気の秘訣なのだろうと、しかし関心はしなかった。


「いやツンデレとヤンデレっつーか、ツンとヤンしか感じられなかったんだけど」


「そもそもツンデレとかヤンデレとか古くてキモい概念をドヤ顔で取り出す辺り気持ち悪い。というか私が兄貴を部屋に呼んだのはこんな下らないことをする為じゃないし、話を逸らさないで」


「お前もノリノリでやってたじゃん」


「兄貴さ、まだでしょ?」


 妹は俺の仕返し的なツッコミを華麗にスルーすると、突き付けて来たのは鋭い視線と主語のない言葉。


「……やってるって、何を?」


 そう疑問を返してはみるが、妹が何を指して言っているのかは理解出来ていた。問題はの事かだけ。


「人助け遊び。兄貴ももう高校2年生なんだから良い加減にしたら?」


「別に遊びでやってんじゃない。善意と偽善の半々くらいボランティアな気持ちだ。募金では解決出来ないからな」


「それが遊びだって言ってる」


 その時、妹の焦点が、真っ直ぐ自分に向けられた。


「優越感に浸りたいだけの、自分がまともで良い人間だって確かめたいだけの、相手を幸せにするだけの、周囲の関係が円滑になるだけの、そんな周りを見て自分が気持ち良くなるだけの遊び」


「後半は良いこと尽くしじゃねえか」


「相手に感謝された? 感謝はどれくらい続いた? 兄貴はそれで何を得た? 何か変わった?」


 妹はまだ、続ける。


「人を見て悩みを見て、傷を覗いて弄って抉って、兄貴は何を失った?」


 まだ続ける。


「誰かは幾つかを失って何かを得たけど、兄貴は何も失ってないし何も得てない。そんな虚しい一人遊びの何が楽しいの?」


 まだ。


「空っぽのふりをしてる空っぽ」


 続ける。


「でも、私はそんな兄貴が良い。例え何を解決しようとも、成長も革新も後退も衰退もしない兄貴が、私にとって兄貴だしそのままでいて欲しい」


 最後に、こう締め括った。


「だから、悩まないで?」


 そうして僅かに微笑んだ、


 ように見えて、それから『もう言いたいことは言った』と、部屋からの退出を促すように口を固く閉ざされてしまって、俺は呆気に取られたまま、部屋を去るしか無かった。


 今までの努力を全て否定する言葉を突き付けながら、そのままを肯定する。全く、我が妹ながら恐ろしい程に自分勝手で理解不能のようで、しかし我が妹であるからその意図は、恐ろしいことに伝わってしまっていた。結局何が言いたいかも理解出来ぬまま、させないままで、結局本当に自分が言いたいことだけを言い切って、するともうすっかり相手に興味を失ってしまうような、折上八とはそんな妹である。


 しかし敢えて、妹が俺の悩みに対して何か助言を与えたとすれば、それはやはり『悩まないで』という事なのだろう。直面している問題に対しての具体的な回答とは程遠いが、寧ろ悩んでいるのは俺ではなく倉主の方なんだけども、


「そうだよなー……ほんと」


 何故だかそれは心にスッと落ちる言葉で、自分の部屋に戻るまでの間何度も何度も、無意識に噛み締めていた。

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