23話 ベイビーアイラブユー
完全に完璧な救済など、他人には不可能である。
いつだって人はきっかけさえあれば、きっかけさえなくとも勝手に自分で解決したり、問題自体を忘れる事もある。初めから最後まで起承転結に収まる事など、現実ではまずあり得ないし、ハッピーエンドもバッドエンドも同じように、存在しない。
そもそも人生を物語と呼ぶ事がまず相応しく無い。あまりにも長過ぎて、退屈過ぎるし、何処を区切っても綺麗な始まりも終わりも無い。一貫性も誠実さも、善悪も無い。辻褄も合わない。それほど人間には欠陥があって、矛盾している。
とそんな文句を垂れ流しながら、さてさて、またまた一人。
「はぁ……夏取ちゃん、今頃何してっかなー」
どういうわけかさっさと帰る気にもなれず、俺は気が付けば校内を徘徊しながらボソボソ呟く不審者と化していた。
昨日降っていた雨や、雷鳴が見る影も無いほどに夕日が差し込んだ校舎。虚しく響く上履きの音──なんて一人で思っていると、そういう気分に浸れて、幾らか内心はマシになる。
結局俺は、何かを変える事が出来たのだろうか。
無駄に怪我をしただけで、何を得たのだろうか。
こうして一人歩いている俺は、何を成したのか。
まるで失恋した際に恋愛ソングを聴いて感情移入して気持ち良くなっているみたいな独白をしながら、やっぱり寂しく校舎を巡っている。歩いて歩いて、巻かれた包帯の内側が痒くなっていて、もしかして夏取が居るんじゃないかって、もし居たらどんな言葉を掛けようかなって妄想しながら、
無意識の内に、俺は教室の前に立っていた。
扉が目の前にあっても、それでも歌は聞こえない。開いても、そこには彼女の姿は当然無い。
「……あー、死にたい」
無人の教室、窓を開くと涼風が入ってカーテンが揺れる。寄り掛かってみると、ここで歌っていた彼女の気持ちが少しだけ理解出来た気がする。こうしていると彼女がひょこっと、教室に入って来るんじゃないかって思って、だけどもやっぱり誰もいないのだ。
「死にたーい、死にたーいよー、太陽ー」
なるほど、確かに歌ってしまいたくなる。
「……しかし、歌詞は出てこないもんだな」
そして静まり返る教室。見ているだけで気が滅入ってくるので慌てて視線をグラウンドに向けた。全力で白球を追いかける野球部、適度にサボっている生徒がちらほら。
吹奏楽部の新入生が調子外れの音を出していて、どこからか合唱部の発声練習が聞こえて来る。
「いーまーワタシのー」
聞こえて来る。
というか、かなり近くから。
「ねがーい、ごとがー」
というか、と思って振り向いた。
そりゃもう凄まじい勢いで、首を捻じ切らんばかりの力で振り向いたのは、聞き覚えのある歌だったからじゃない。
聞き覚えのある声で見知った顔が、教室に入って来たから。
「かなーうーなーらばー、つばーさーがー、ほしーいー」
見慣れた笑顔で彼女は歌いながら、後ろに手を組んでこちらをじっと見ていて、視線が切れなかった。
「このぉうおーぞらにぃ、つ、ば、さを広げぇーい!! とんでー、いきたーい、ヨイヨイヨぉーイ!!」
あの時みたいな、俺がふざけて歌っていたみたいな──夏取が、目の前に居る。
「良い歌だしやっぱお前、上手いな」
「えへへ……知ってる。折上くんの歌もちゃんと聞こえてたよ」
彼女は微笑んで、隣の窓にもたれた。
「ここに来ればきっと会えるって思ってたんだ。でも全然来ないから、せっかくだし待ち伏せしちゃった」
てへへ、とそんじょそこらの男子生徒なら一発で恋に落ちてしまいそうな台詞を口にする。しかし、俺はそこらへんの馬の骨ではない。一体今まで何度フラれた経験があると思う? だから大丈夫、まだちょっと夜眠れないくらいときめいてるだけで。
「丁ね、今日一杯お話ししたよ。胸を張って『友達だ』って言えるくらい、ありのままで」
知ってるよ。見てたから。
「そっか」
「折上くんとも話したくて、それならここだ、って。ワタシ達が出会った初めての場所だから」
「……何を話したい?」
「どうして丁を助けたの?」
食い気味で聞かれて、思わず言葉に詰まった。まさか『お前の事が好きだから』とは言えず……あれ、そもそもなんで好きになったんだっけ?
まあいいや。しかし『先生に頼まれたから』とも言えなくて。
「昨日のこと、夏取ちゃんは覚えてる?」
彼女は少し躊躇いがちに『ううん』と首を横に振って、
「真っ暗になってからはぼやぼや……でも、折上くんの声は覚えてる。それにその怪我も……丁のせいだっていうのは分かってる」
そうして目を伏せて、表情に翳りを落とした。
「俺が勝手に首を突っ込んだだけだ。先生からの頼まれ事だったし」
そんな顔を見てしまって、だから言葉に詰まった理由の片方を告げる決心も固まってしまう。
「お前を助けてやれって」
俺が言うと夏取は目を見開いて首を傾げる。信じられないと驚いて、どういうことと、そういう顔をしていた。
「夏取ちゃんの進路希望を見たぜ。『死んだお母さんに会いたい』っていうのも、一度書いて消した『友達が欲しい』ってやつも。あんまりにも可哀想でさ、ついお節介を焼きたくなってこのザマ」
こんなこと言わなきゃそれで良いのに、彼女がまた自分を責めそうになっているから、そんな姿が純粋過ぎて、半分くらいは吐き出さないと気が収まらなかったのである。本当に俺ってやつは馬鹿野郎であります。
「そう……だったんだ」
「お母さんはまだいるか?」
「……もう、いないよ」
夏取は悲しそうに言った。
「友達は欲しいか?」
「……もう、いるよ」
夏取は寂しそうに言った。
「そうかそうか。その様子ならもう大丈夫」
やっぱり彼女は全部理解していたんだろうな、と思う。
「誰もお前を理解しないって言ったけど、ありゃ嘘。不思議なもんで、どっかしらには運命の相手って奴がいるかもしれないし、いないかもしれない。もう出逢ってるかもしれないし、もう会えないかもしれない。だからお前にも、いつかきっと現れる──かもしれないと思うよ、そーいう奴が」
見ていられない、それにこの場にこれ以上居たくなくて、俺は寄り掛かった腰を外す。このまま振り返らずに歩いて、教室を出てしまえば多分、もう二度と話すことはないだろうと分かっていながら、思ったよりもずっと簡単に足は動いた。
「まー、だから俺の言ったことは全部適当だと思って忘れてくれって、そんだけ」
「……」
「じゃ」
「待って」
と、怪我をしていない左腕の袖口を掴まれ引かれる、という胸キュンアクションをかまされ動きを止められた。
「へ?」
「どこに行こうとしてるの?」
「いやどこっつーか……良い感じのことも言ったしカッコよく去ろうかなって」
「丁、折上くんとお話ししたいって言ったよね?」
「えぇ、俺の話聞いてた?」
「聞いてたよ?」
「あ、あのな? 俺は先生に頼まれて、全部事情を知った上でお前が可哀想だから興味本位で近付いて、言うなれば騙してた形なんだけど」
「それが?」
「……嫌じゃねーの?」
「まあ確かに勝手に見られちゃったのはちょっと嫌だけど……知っていても、丁に触れようとしてくれたのは、今までで折上くんだけだった」
そうして彼女は笑った。
「折上くんだけは知っていても、丁を『友達だ』って言ってくれたんだね」
笑っていて、それはとても良い表情で。
でも、やっぱり友達なんだ。
「変なやつ」
「あはは、折上くんにだけは言われたくなかったなぁ」
夏取は言うと、俺の左手を持ち上げて、その掌に何かを握り込んでいて、ちょこんと乗せた。
きっかり1グラムの、使い道の分からぬ一枚の硬貨、1円玉。
「……これは」
「丁のはもうあるから、これはワタシから折上くんへ」
彼女はポケットからもう一枚取り出して、『お揃いだね』と笑う。
「これから始まったから、これからも友達でいるために、持っていて欲しいんだ」
そうしてどこまでも残酷に、告げるのだ。
対して俺が『好きだ』と告げるには、彼女はあまりにも純粋過ぎていて、割り込む隙間も無いほどに完結しているように見えてしまって、心に入り込むには俺はあまりにも臆病で──ただ一言、『好きだ』って言えば終わる筈なのに、どうしてもその一言だけが、喉を通らなかった。
夏取丁は、俺が好きでいられるような人間ではなかったと、そう思ってしまって、納得してしまったのだ。
「ああ……ずっと持ってるよ。約束する」
こうして俺の、長いようで短い恋は終わりました。
なんてことはない、ただ数ある失恋話に新しいレパートリーが加わっただけのことだし、全然悲しくなんてないし。これからも高校生活は続くし出会いもあるし。
だけどまあ、家に帰ったら──泣いても良いよね。
完、
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