18話 そして始まる狂気のラブコメ

 夏取の語る母親の存在。


 仮定その1、実在する。この場合はお手上げだ。どこかそういう専門の、ゴーストバスター的な業者に依頼しよう。


 仮定その2、実在しない。今回のケースはこちらだと思う。俺がオカルトに対して懐疑的なのはさておき、夏取がを演じているのだから絶対こっち。いや幽霊の憑依の具体的なシステムとか知らんけど。


 とにかく、夏取の母親は死んでいるんだから、あんな芝居はすぐにでも辞めさせなければならない。今でこそ絶妙な均衡が取れていて、何とか日常を送れているようだけれど、その内絶対破滅する。


 しかし、問題を解決するのなら、傷を抉り出す必要が、その均衡を崩す必要があるのだろう。


 悲しい事に、その為のトリガーとなるキーワードは、凡その検討が付いている。


 ただ『お前の母親はもういない』と、そう言うだけで良い筈なのだ。


 あとはそれを実行するかどうか、出来るかどうか、したいかどうか。恐らくは見て見ぬ振りが一番安全であり、彼女の平穏を保つにはそれが良いのだろう。実際、これは長い時間を掛ければ自然に解決すると思うから。


 だが、その前に夏取が破損しないとも限らない。本来ならば真っ先に医者に診せたいところだけど。


 彼女の話から、父親の教育放棄が確認出来た。家族ならではの手厚い加護が期待出来ない状況。最早虐待だ、だとするとまずは保健所に連絡するか? まともに取り合ってくれるのか? 取り合ってくれるまでどれくらいの時間が掛かる? 


 悩んでいるのか、俺は。


 どうするべきか、俺は。


「はぁ、面倒臭えなほんとに。ふざけんなよマジで。なんだよ魂って」


 夏取が『お母さんが呼んでるからちょっと行ってくるー!!』と、部屋を出てから暫く経つ。しかし、時間を幾ら自由に使っても、無意味だった。結論は最初から出ているのに、俺は迷っているのだ。


 部屋に一人取り残され、彼女の笑顔が忘れられない。


 まだそこにいるみたいに、彼女の言った言葉が頭から離れない。


「ったく、葛藤するなんて……主人公みたいで気持ちいいな」


 何が判断を鈍らせているのかは分かっていた。かつてなく繊細で、常軌を逸した現状に足が竦んでいるのだ。多分これを乗り越えられたら、この先何があっても平気になれるくらいの、それくらい。


「よし、やるかー、いくぞー、今いくぞー」


 立ち上がる。


「1、2、3……で行こう。いややっぱり5にしようかな。ダメダメ、それじゃあ弱気過ぎるぜ。ここは男らしく、いっせーのーっせ、で行こう。よし、それにしよう。よし、いっせー」


 と、せっかく意気込んだのに、


「っおわッ」


 突如、響く雷鳴。


 漆黒に染まる室内。いや厳密にはまだ夜になっていないので、カーテンの隙間から僅かに光が差し込んでいるけど、それでも突然暗くなるもんだから、もうお先真っ暗である。


「あたぁ!!」


 もつれて転んで、床に全身を強打してしまって、情けない声を上げてしまった。


「つつつ……ったく、停電とか勘弁してよっ、と」


 暗い場所は苦手だ。怖いから。いや全然幽霊とか信じてないけどね。さっきそういう話をしていたから、暗がりで、スマホのライトを明かりにすると、何とまあタイムリーでホラーチックな状況だと、そう思っただけである。


 しかし、そうなってくると、戻って来ない夏取が心配だな。


 あの子はちょっと抜けてるから、ブレーカーの場所なんて知らないんじゃないか。


「……まずは電力か」


 ますますホラーっぽいと心中愚痴を垂らしながら立ち上がり、部屋を出ようとした時だった。


 背筋が凍ったとは、月並みな表現だけど、


 月並みなだけあって、これほどピッタリな言い回しも無い。


 そう、ライトで行き先を照らした瞬間、


 開いていた扉に、白いワンピースを着た少女が立っていたのだ。


「いやあああ!! ごめんなさいごめんなさいッ!!」


 だから背筋が凍って、思わず絶叫してしまったのである。


 それからその少女はゆっくりと、こちらに近付いて──腰を落として座った。暗がりでもお構いなしに流れるような動作で、まるで自分の部屋であるかのように、淀みなく座ったのだ。


 そもそも『ごめんなさい』の『ご』の時点で、白いワンピースの少女が夏取だということは分かっていたけど、叫び出したら途中では止まれないのも、こんな状況なので仕方が無いじゃないか。


「ふざけんなよお前、まじビビったんだからね!!」


 しかし、電気はまだ点いていないんだけど、彼女は何故戻って来たのだろう。もしかして一人では怖かったのだろうか。だとすればそれは『え可愛い』で済む話だけど、それだと、どうにも母親の幽霊と交信する人間とは思えない。


 こんなにも暗がりで、こんなにも姿勢良く、足を折り畳んで座っている人間とは思えないのだ。


「折上君」


 状況に反してその声色は穏やかに、だけども雷鳴に勝るとも劣らず、印象強く耳に残る。


「丁は学校でどう? ちゃんとやれてる?」

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