13話 計画通り
そうして迎えた放課後。ようやく辿り着いた学生の楽園。
しかも明日は4月29日、昭和の日。もともとは自然に感謝する日として、みどりの日と呼ばれた祝日。じゃあもう自然の恩恵を讃える必要はないのか、といえばそうでもなく、みどりの日は押し出されてしっかりと5月4日に移動し、ゴールデンウィークを構成する重要な一日と変化した。
つまり何が言いたいのかというと、明日は休みなので、皆めちゃくちゃ浮かれているという事である。
授業が終わった途端に騒ぎ散らすクラスメイトは見ていて爽快な程に。そんな5時間目を請け負って、全生徒の『早く終われ』という視線まで引き受けた先生が、教卓から去る姿はさぞ可哀想だったけども。まあ実際は、ついさっきまで俺も浮かれていたれども、
「もうワタシに関わらないで」
だが、どうやら目の前の夏取は違うらしい。
言葉は勿論、表情や声色、視線には逃げ場のない拒絶の意思が含まれている、と思う。
「どうして?」
ここは空き教室。
放課後、クラスメイトが居なくなるまで待てなかったのだろう夏取に、有無を言わさぬ勢いで腕を引っ掴まれて、強引に連れてこられた空き教室。放課後、クラスメイトの男女が二人きりで語らう空き教室。思わず舞い上がってしまいそうなシチュエーション達に、告白でもされるのではないかと1%程も期待していなかったけど、
やっぱり連れ出された理由は、思った通りに近いものだった。
「いいから……もう放っておいてよ。話すのもおしまい」
そうして夏取は『これも返す』と、机の上に1円をそっと置いた──放課後までいくらだって返す機会はあったくせに、わざわざ二人きりになってから。極論、そこまで突き放すならば返さずとも良かった1円を。
唯一あった繋がりを。
わざわざこんな時間になるまで後生大事に取っておいたのは、何故だろう。
その理由に気が付けない程、俺は鈍感系主人公でもないし、寧ろ主人公ではない。
女の子の『何でもないよ』は『辛い事があったから話を聞いて欲しい』だと、『大丈夫』は『大丈夫じゃない』と、下世話な心理本に書いてあった気がする。そしてそれらを参考にするのなら、夏取は関わって欲しい、放っておかないで欲しい──もっと話したいと、そう言っているのだ。
と思われる。
「いいよ。じゃあこれで、今日で最後にしよう。だから今日だけだ。今だけ俺とお話をしよう」
「……今日だけ、ね」
夏取の呟きは、こちらに向けられているようで、しかし自分自身に言い聞かせているように聞こえた。なので、すぐに帰られてしまわぬよう、即座に椅子を引いて彼女を座らせ、俺は一つ間隔を空けて前の机に腰を落とす。
夏取の表情が良く見えて、尚且つ近過ぎない、僅かに離れた距離。
この人ならもしかしたら、この人は他とは違うかもしれない──そんなことを考えていてくれたら良いな、と思いながら、まず聞かなければならなかったのは、
「さて、どうして関わらないでなんて寂しいことを言うのかね君は」
朝は楽しく会話をしていたのに、突然を突き放すことになった理由。
夏取は、目線を伏せるとしばし沈黙の後、語り出す。
「あのあと……『丁ちゃんってちょっと変わってるね』って、言われたの。せっかく上手くやれてたのに」
口先を尖らせて、いじける子供みたく。
「あなたのせい」
恐らく言ったのは眼鏡の女の子だろうと思うが、しかしそれがどうして俺と関係を断ち切ることになる。
「『普通に良い子だと思う』って、んな漠然とした評価より、ずっと夏取ちゃんに合ってると思うけどなー」
「だって……それじゃあまた、ワタシは一人になっちゃう。ワタシは、ワタシのままだとみんな好きになってくれない。話せば話すほど、ワタシを知れば知るほど、みんなは離れていく」
「変わってる、から?」
言うと夏取は見て分かる程に体を硬直させ、それから噛み締めるように、『うん』と。
「幼稚園も、小学校は……まともに行ってないけど、中学校も……高校に入れば何か変わるって思ってたけど、去年も結局一人だった。だから思ったの、自分が変わらなきゃいけないって。みんなと同じように話して、笑って……これでも結構頑張ってるんだ」
夏取の自嘲気味に笑う姿は健気で、見ていて心苦しい。
「変わっているから、変わりたい、か……なんとまあ」
それはそれでやっぱり変わっているのだと、気が付けない部分が彼女らしいといえばそうかもしれない。
「あなたはどうしてワタシに関わるの?」
さて困った質問だ。まさか先生に頼まれたからとは言えないし、可愛かったからとも言い出し辛い。
「下心」
だから少しオブラートに包んで、結局口から飛び出したのは後者に近いものだった。
が、彼女とこうして向かい合って話したことで、気は変わっている。最早恋愛対象として見る事は出来ないだろうけど、それよりも俺は、夏取という少女の問題を見過ごせなかったのだ。
「最初はね。でも今は違う」
「……それはどうして?」
「夏取ちゃんはこのままだと、一生に一度しかない高校生活を無駄にしてしまうから」
彼女は首を傾げて『どういう意味?』だと不機嫌そうな顔をする。
「君は確かに変わろうとしてるし、それ自体は素晴らしいことだ。けど、方向性が間違ってると思わん?」
「へ?」
「ありのままだと皆が離れていくから、君は自分を変えたい。でもそれは周囲が君を殺すか、君が君自身を殺すかの違いで、結局は同じ事だろ。夏取ちゃんという存在が、拒絶されている状況は全く変化がないじゃねえか」
「え、えーっと」
「いやいやもっと酷いし最悪だ。だって君が君を受け入れていないのに、誰が君を受け入れるのさ。大体、そんな状態でこれから2年間過ごして、卒業式の日に『ああ充実した学生生活だった』って泣けるのか? 寧ろ『はぁ、やっと終わった』って溜息出るんじゃないの? いやー、俺だったらそんなの絶対嫌だわ」
「……つまりどういうこと?」
「だから、そんなんで満足な卒業出来るんですかって事」
「あー、そういうことかぁ、なるほどね」
ようやく合点がいったと、掌を拳で叩くという随分古臭いリアクションをしたかと思えば、
「ってうるさいよ!! 嫌われるより、その方がずっと良い! 人生はまだこの先もあるんだし、苦い思い出にするよりずっとマシ!!」
思ったよりも良い角度の反論で返されてしまう。
だが、甘い。
「この先ずっと『普通に良い子』をするつもりか? 人はそんなに馬鹿じゃない。お前が手を抜いているのなんてすぐバレるし、本当のことを語らないなら、そこに集まるのは同じような薄い関係だけだ」
「っ、あなたに何が」
「分かんない。多分この先一生分かんない。誰だって分かんない。気が合うとか、共感とか、そんなことは出来るかもしれないけど、君を本当の意味で理解出来る人間は多分現れない。俺達は所詮別の生き物なんだし、心は外から見えないし、全く同じ経験をして全く同じ生き方を選んだとしても、別の考えを持つ。それが人間だし──つーか、夏取ちゃんは夏取ちゃんが思っている程変わってないと思うけどね」
受け答えに難がある、場面が無い訳ではないけれどそれでも会話に支障もなく、突飛過ぎるということもない。そりゃあちょっとは普通と違うかも知れないけれど、しかしそこまで他者が避ける理由も思い当たらず、
ならば、原因は彼女のありのままではない。
「だったらどうして!!」
声を荒げて、『みんな、離れていくの』と、徐々に萎んでいく夏取には、なんの落ち度もありはしない。
「今は分からない。けれど、今は君が遠ざけている。俺から離れようとしているのは間違いないじゃないか。さっきも言ったけど人は人を本当に理解なんて出来ない。だから自分で納得して、受け入れることが出来るのは自分しかいないんだよ……だからさ」
そうして近付き、沈む肩に優しく触れて、言った。
「まずは君が俺を受け入れてくれないかな?」
顔を上げて、交わされた視線に一つ光ったものを見つける。
「……分かった」
言葉には出さないし、表情にも出す事は絶対にしないが──内心、計画通りと、ほくそ笑んだ。
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