11話 イマジナリーフレンドって知ってる?

「ぐへへ!! おはよう、夏取ちゃん」


 さて、どう会話を切り出そうかと苦心した結果。


「っぉあっ!!」


 談笑している夏取に、背後からニュルッと忍び足で近付き、声を掛けると概ね予想通りの反応で大変満足であった。


 前席に座る友人と思わしき女子学生には大層妙な視線を向けられているけれども、まずは知らねばならない。夏取を現在取り囲んでいる状況。


 と、この眼鏡を掛けた女子生徒がどういう人物なのかを。男じゃなくて安心した、というのはここだけの話だ。


 その為にまず何よりも重要なのは、会話の波長を合わせる事。


「で、出たなこの悪魔め!!」


 速度を、歩幅を、距離を詰める。


「誰が悪魔だゴラァッ!! へへへ、お前を喰ってやろうか」


 昨日まで悪魔の手先だった筈がいつの間に昇進したらしい。しかし、夏取は声を上げたことで教室中の視線が集中している事に、ようやく気が付いたのだろう。


 彼女はまさしく『ハッ』と、顔や声色を落とす。


「て……ワタシに何の用、ですか?」


 恐らく『丁』と言おうとした言葉を飲み込んで、遠慮がちに。


「友達に話しかけるのに理由が一々必要とは知らなかったなあ」


「……いつ友達になったの」


「友達になるのに理由が一々必要とは知らなかったなあ」


 そんな顔をしなくてもいいじゃんかよ思ってしまうような、細められた目線がしかし、ぷいっと背けられて、どうやら昨日の今日で悪魔認定される程には嫌われてしまったらしい。


「ワタシ、もう話さないから」


「どうして?」


「だって……あなた変わってるし」


 お前に言われたくはない。


「まじ!? そんなこと始めて言われたよ。なあ、俺のどこが変わってるのか聞かせてくれないか? 今後気を付けたいからさ」


「急に後ろから脅かしたり、昨日だって……」


「あはは、話さないと言ってたくせに随分乗ってくれるところが可愛い」


 お、顔が赤くなった。


「ああもう!! とにかくっ、丁は」


「丁?」


「あ、う……」


 夏取があわわわしていて可愛い──じゃなかった。夏取の慌てふためく様子はとても愛おしく、思わず頭を撫でようとした手を、咄嗟に引っ込める。


 さてこの隙に。


「ね、君から見て夏取ちゃんってどんな子?」


 前の席に座る女子学生に声を掛けてみる。確か名前は……分からないので鈴木と名付ける。


「え、わ、私?」


 突然の事で動揺しているのだろうか、鈴木は上擦った声で。


「そうそう」


 返答の合間に夏取を見ると、彼女もまた次の言葉を待っているようだった。


 強張った体で聞き耳を立てて、何をそんなに怯える。


「えーっと、丁ちゃんは……うん。大人しくて、普通に良い子だと思う、けど」


 赤渕の眼鏡を掛けたロングヘアの、如何にも『趣味は読書です』と言いそうな大人しめの彼女から、返ってきたのは当たり障りの無い答え。なるほど、二人はまだお互いについて殆ど何も知らない間柄らしい。関係が構築されてからまだ日も浅いだろうし、当然と言えば当然だが、これほど人間味の無い回答が返って来るとは。恐らく、仮に夏取に同様の質問をしても、答えはまた同じか。


 それにしても『普通に良い子』とは、夏取の人柄であれば『ちょっと変わっているけど良い子』という評価が妥当だろうに。


 しかし、これで理解出来た。


 彼女が如何に周囲に対して遠慮し、抑えた対応をしているかを。


 全人類の普通を代表するような表現に、夏取は安堵したようで──実際は少し寂しいと、そういう風に吐息を漏らしたと思う。


「折上君は、丁ちゃんとどういう知り合い?」


 田中は──いや鈴木だったか? まあどちらでもいい。寧ろ眼鏡で良い。先程友達だと明言したばかりだというのに、眼鏡は『まさか友達には見えないし』的な顔をしていた。


「実は幼稚園が一緒でね。こうして話していれば思い出してくれると思ってたんだけど」


 勿論嘘である。


「え、そうだったの!?」


 しかし夏取はいとも簡単に騙されてくれるので、後にも引けない。


「もしかしてあなたって……ゆり組で一緒だったケンタ君?」


 違え、誰だそれは。だが面白そうなので黙っておこう。


「あーそうそう。ケンタだよ」


 夏取の純粋過ぎる発言に、既に眼鏡は嘘であると気が付いているが、尚も夏取は信じ込んだまま。というか苗字なら家庭の事情で幾らでも言い訳が出来るものを、名前が違っているのだからもう良い加減察して欲しい、というのは無理な話か?


「そっか良かった……だってケンタ君、お父さんの借金が原因で夜逃げしたって聞いてたから……名前まで変えて、大変だったんだね」


 どうやら中々にエキセントリックな勘違いをしているらしく、ネタバラシのタイミングは完全に失われてしまう。


「マジ? 心配だなケンタ君」


「……丁ちゃん、この人はケンタ君じゃないよ」


 見かねた、という言葉がこれほど相応しい顔も無いと思える表情の眼鏡。彼女の助け舟が、氾濫する会話の流れを勇敢にも滝登りしたようである。素朴で地味な外観とは違い、意外にも勇気と豪胆さを持ち合わせているらしい──今度、食事に誘いたい相手が一人増えた。間違えた、この眼鏡さんがどういう人物が知る事が出来た、だった。寧ろこれが本来の目的の二つ目。


「え、でも……」


 お、なんだ。どうしてか凄く見つめられている。


「確かに……そういえばケンタ君って国籍は日本だけど、生粋のブラジル人だったの思い出したよ!!」


 いやそれならもっと早くに気が付けただろ。


「借金取りから逃げる為……顔も変えなきゃいけなかったんだよ」


「そっかぁ……」


 と、夏取は再度納得しかけたようにも見えたが、『ううん違う』と首を振って。


「あなたはやっぱりケンタ君じゃない。だってケンタ君は丁の空想のお友達だったし、ここにいるわけなかったや」


 朝の貴重な時間を返して欲しいと、心底思うが──まあいい。


「……それじゃあ」


 始業のベルが鳴り響き、立ち上がっていたクラスメイトが着席し始める。本当はもう少しお喋りをしていたかったけど。何せ下らない会話しかしてない。


 しかし、立ち去るにはこれ以上ないタイミングとも思っていた。


「放課後待ってるよ」


 皆が自然と閉口する中で、俺は夏取に一言告げると、踵を返す。


「え、え?」


「歌。まだ聞かせてもらってないし、金は渡したろ?」


 ポカンと口を開く彼女を残して立ち去る背中には、『一体何だったんだアイツは』という視線が突き刺さっているに違いない。


 寧ろそうでなくては困る。


 そうでなくては、記憶と印象に残るような、毒にも薬にもならない下らない会話をした甲斐が無い。


 だけど、話せば話すほど、


 探れば探るほど、分からなくなる。夏取丁という少女がなぜ教師達に『変人』の烙印を押されているのか、印象は靄の中に入ったまま。






 振り返って思うと、これこそが余計なお世話の始まりで、墓穴を掘った瞬間であり、彼女のに足を踏み入れたきっかけだった。

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