9話 憂鬱な朝、朝ルーティン
1グラムを正確に知れる。コンビニや郵便局では1円切手を購入出来る。あの硬貨には使い道がある。
だが、そんなことはどっちでもいい。
金額は問題ではないのだ。重要なことは、俺の私物が彼女──夏取丁に手渡ったこと。いきなり連絡先を交換するよりも、警戒心を解きながら印象を残し、次の会話に繋げる手段としては充分効果を発揮すると。
夏取丁。
高橋先生からの情報によれば、成績は中の下で部活動は未所属、ボランティア委員会を担っているらしい。聞いた話や実際に対面してみた感想として、確かに変わった子で、浮いた存在というのも納得だった。一般的な教養の欠如、幼い話し方や思考。『死んだ母に会いたい』という非現実的な願いを真っ先に書くくせ、歌に対価として金銭を求める堅実さを持ち合わせた少女。この違和感のあるズレは、恐らく幼少期の、それも生まれ、育ち、もっと言えば家族に問題があると考えられる。
しかし、そこまで変わっているかと言われれば微妙。
充分許容出来る範囲に留まっている。変人には変わりないが、当初予定していた程ではないが、まあそこは追々。
さて、どうにもややこしい出自を持っていそうな彼女と、どうやって付き合うか。
ん? 高橋先生からの依頼はって?
知らん。俺はカノジョが欲しい。
笑顔が魅力的だった、好きになる理由はそれで充分である。
「……」
話が進んだのか進んでいないのかも分からないが、とりあえず翌日。俺は今日も通学路を、対向する自転車を駆ける女子高生のパンツが見えたりしないかどうかを考えながら、一人歩いていた。
4月28日、季節は春。進級してから学校近くに引っ越して、こうして徒歩で向かえる距離になったのは便利だし、今の時期は問題無いけど、夏や冬になればきっとバスや電車の空調が恋しくなるだろうと。
恋、そうだ、俺は今恋をしている。
考えてみれば、高1の冬に失恋してから随分久しぶりの、だからだろうか。見知った景色が違って見えるとそんな評判を聞いたことがあるのだが、
胸が躍らない。気が乗らない。
自らの抱える感情に名前をつける事が、出来ない。
この複雑さもまた恋と言われればそうだろうけど、しかしどうにもしっくりこない。それこそ物凄い期待して見に行った映画で、好きな役者も出ているのに、何故だか内容が頭に入って来ないような、そんな感じの違和感。オープニングが気に入らなかったのか、それとも単純に好みのストーリーでは無かったからなのか。
「なあ、どう思うよ?」
そうこうしている間に教室に辿り着いたので、既に着席していた羽佐木に挨拶代わりの疑問を投げ掛けた。
「何が?」
すると彼女は今日も彼女らしく振る舞っていて、形容出来ない程の安堵を覚えてしまう。腰を下ろせば溜め込んでいた空気が一気に溢れ出して、ジジイみたいな声を上げる程に。
「あーよっこらセックス……っと、時に羽佐木ちゃん、好きな映画とかある?」
「あんま見ないし、ない」
「そっかー……血液型なんだっけ?」
「なにその会話に困った時に出ちゃう質問みたいなやつ」
まさにズバリと、ピタリと言い当てられてしまって、思わず『ぐぅ』の音が出る。極め付けにはそんな俺の『ぐぅ』の音に対し、羽佐木に『はぁ』の音で返されてしまって、いよいよ情けない気持ちになっていると、
「いつもの鬱陶しいテンションはどこ行ったってくらい、アンタ今日は様子が変」
羽佐木は前髪を弄りながらで、しかし、
「……なんかあった?」
と一言。
「衝撃だった。同時に気遣われているのだと気が付いて視界が滲んだ、とさえ思える程に」
「滲んだと思うって、結局何も起こってないじゃん」
そんな突き放す言葉も、きっと彼女なりの優しさなのだろう。
「またふざけてる……人がせっかく」
「ありがとう、元気出た」
羽佐木は『フン』と鼻を鳴らしてそっぽを向くが、そんな仕草さえも、
いや、もうやめておこう。というかいい加減にしないとまた、容赦のない拳が飛んできそうだ。
さて、モーニングルーティーンは適当なところで切り上げて、夏取を探さなければ。
「……ふーむ。なるほどなるほど」
と、意外なことに目的の人物はすぐに見つける事が出来てしまった。
進級して2週間弱が経過したこの頃。見知った顔も多く、クラスの関係性も一通り構築されていて、しかしながらきっかり40名もの人数を保有する空間の中で、彼女を見つけられて、
同時に、今の今までその存在を気に留めていなかった理由を知る。
考えてみれば奇妙な話。
俺は夏取丁という少女について、一つ思い込みと勘違いをしていた。
周囲から『浮いた存在』であるとか『変わった子』だという又聞きの情報に踊らされて、もっと言えば高橋先生のせいなんだけど、きっと空き時間は机に突っ伏していて、昼休みはトイレでご飯を食べているのではと。
しかしあり得るだろうか、そんな存在を、自分が見落とすなど。
あり得ない。そんな可哀想な人間がいれば、すぐに気が付いている筈。あまりに不憫で可哀想で、周囲に馴染ませようと努力していた筈なのだ。
つまり結論から言えば、彼女は俺の想像と全く真逆の姿で、ほぼ真逆の座席で──友人と仲良く話しながら、ぎこちないながらも笑う夏取が、そこにいたのだ。
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