7話 夏取丁は、誰のヒロインであるか
「このおおーぞらにぃ!! つばさをひろーげぇー!!」
歌いながら近付いて、逆光になっている姿を良く確認しつつ、高橋先生の言葉を思い出していた。
『夏取丁さん。見た目は、そうねえ……可愛い子ってこんな感じ、というのを凝縮して丸めたみたいな、そんな感じの女の子、かなぁ』
少し開いた窓枠に寄り掛かって、夕日を背に受ける彼女。肩程に切り揃えられた、癖のある栗色の髪がふわふわと揺れて、少し低めの鼻先を擽っていた。幼さの残るあどけない顔立ち、まんまるの瞳が更に大きく開いていて、その視線の先にはさぞ滑稽な自分が居るだろうと。
聞いた特徴と一致する容姿から、やはり彼女こそが夏取丁その人のようである。
「とんでー、いきたぁーい、ヨォヨォぉいぉいぉい!!」
歌を聞かれたと恥ずかしがられて今後避けられたり、また、この二人きりという話し合うには絶好の場から逃げ出されても嫌なので、思い切って突飛な手段を選択したが──正直ホッとした。ここまでやって人違いでしたとなればそれこそ、恥ずかしくてもう不登校になるところだったからである。
しかし、計画は概ね成功だ。
「……」
彼女はポカンと口を開けたまま硬直しているし、いや、もしかしたらちょっとやり過ぎたのかもしれない。衝撃が大き過ぎたか? そりゃそうだろう、だって突然見知らぬ男子生徒が熱唱しながら教室に入って来たんだから。俺だったら『なんだこいつやべえ』と思うし、多分ドン引きしている。
全く、これだから変人は困るな。
「……」
それにしても、想定していたリアクションとは随分違っているように思える。てっきりノリノリで割り込んで来るとか、笑い飛ばしてくれるかなどの反応を期待していたのだが。
「……」
彼女は呆然としていて、しかし、じっとこちらを見つめるばかり。しかし、俺はこの視線を知っている。含蓄のある、言ってみればそう──期待を込めた瞳だった。
「……いい曲」
そうしてポツリ、彼女は一言。
「すごくいい曲。歌は……下手っぴだけど。こんなに綺麗な夕焼けだもんね。誰だって歌いたくなっちゃうよ」
放課後の、窓から差し込む夕暮れを、憂い、微睡んだように見つめるその横顔。
「何だかこうしていると……感じるの、お母さんがそこにいるって」
ああ、なるほど。そういう。
微笑むでもなく笑っているとも違い、はにかんだように。
「ねえ、続きはないの?」
いつも湯水のように溢れてくる下らない冗談が、嘘が、言葉が、そんな表情で吹き飛んだ。貶された筈なのに、あまりにも純粋で飾りも無くて、すぐにでも返さなければいけないのに、どうしてだか声が震えて思うように出てきてはくれず。
「あ、急に話しかけたりして、い、嫌だったよね。それに下手とか……ごめんなさい……」
そうこうしている内に、『うぅ、気をつけてたのに……』と、何故だか彼女は怯えた顔になってしまって、突然謝罪をした。一体全体何だかさっぱり全然分からんが、寧ろそんな顔をさせてしまって、ごめんなさいしたいのはこっちだと言うのに。
だが、そんな彼女の豹変ぶりでようやく口が動きそうだ。
「お前の名前を聞いてもよろしいか?」
脳内でスイッチが切り替わったように、のぼせ上がった視界がクリアになった。
「え、な、なんで?」
「いいから、名前を聞かせてくれ」
近付いて肩を掴んで、殆ど脅した状態。
彼女は当然躊躇い、身を縮こめては怯えた様子で、やがて観念すると徐に口を開く。彼女が夏取丁ではない事を必死に願いながら、それでも開口一番、縦に開かれ発声された『な』という音に、俺は消沈したようで、実際安堵していたと思う。
だって彼女が夏取丁でなければ、俺はきっと──恋をしていた。
好きになって、また誰かの元へ行くのを見送るだけだっただろうから。
しかし彼女が夏取丁ならば、きっと先生からの頼み事として、全てを終えられる。
「夏取、丁、です」
そうして彼女が口にした名前で、脳が完全にお仕事モードへと切り替わる。
「……そっか。そっかそっか」
何度も『そうか』と呟いて、必死に心を調律して。
「あ、あの」
浅く済んだ傷を噛み締めると、改めて彼女──夏取に目を向けた。
忙しなく動かしている指先、腕。キョロキョロと置き所を探す視線など、彼女の体のあちこちから防御反応が見て取れる。最初に口を開いた際の朗らかな様子は既に消失していて、しかしあれが本来の姿だろう。今出ているのは恐らく外殻、何か嫌な経験に基づく、身を守る盾のような、ともかく、めちゃめちゃ警戒されてる事には違いない。
「俺の名前は折上京子郎って言うんだけど、君は好きな人とか付き合っている人っている!?」
自分の読み仮名を強調して、まず確認したのは恋人の有無。
「え、え、え?」
「もしくは幼馴染とか小さい頃に命を救われた経験があるとか、将来結婚を約束したとかそういうのある!?」
「えーっと……」
肩を掴んでは揺さぶって、きっと夏取の目には、自分がとんでもない狂人に映っているのだろうがなりふり構っている場合ではない。
「答えろ貴様ァァァぁ!!!!」
決めた。この可憐な女子を俺のヒロインにしてみせると。
「だ、だれか助けてぇ……」
先生の頼み事など、知ったこっちゃねえと、
この時の俺は、浮かれた気持ちで一杯だった。
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