6話 そうして俺は、また出会う

「やれやれ」


 新たに舞い込んだ頼みに、やれやれ系主人公を装ってみるが、どうにもしっくり来ない。


 月に一度の定期面談が終わり、鞄を取りに教室に戻る道すがら、窓から差し込む夕陽がどれだけ美しくても、見せられた用紙の内容が頭から離れなかった。高橋先生は、俺が『他の生徒を救っている』と言っていたが、それは大きな勘違いである。まず動機からしてなどという華やかなワードで飾るのはおこがましく、


 可哀想で、見ていて不憫だから、と極めて独善的で人を見下した考えに過ぎない。


 周囲から浮いた誰かを馴染ませるという遊びを、最初に思いついたのは、一体どれほど前のことだったろうか。今ではもう思い出せないが、いずれにしろ無意識で行っていたことだ。きっと、高橋先生に頼まれずとも、勝手にやっていただろう。


 方法は単純明快で、ただ──浮いた人物と仲良くお喋りすれば良い。


 この人はこういう話も出来るんだ、こうやっていじれば良いんだ、こういう話が好きなんだと、周囲が取り扱い方を正しく理解していないなら、説明書を提示してやれば良いだけ。無論、相手には動機や考えを悟られてはならない。あくまで自然に出来た繋がりだと実感させなければ。人は同情を嗅ぎ付けると、猜疑心を強める。


 しかし、それに、こんなことを言ったら絶対『性格悪い』と思われるに違いないので言えるわけがない。まあつまり、俺は余計なお世話が好きなのだ。


「……やれやれ」


 だってそれきっかけで付き合えるかもしれないし。


 しかし、今回の相手は少し毛色が違っていると言えるだろう。今までは、まあ変わった奴も多かったが、探ってみれば過去のトラウマやら何やらが原因で、少し捻じ曲がっていただけの、話してみれば極々マトモな思考の持ち主。だからこそ、周囲に馴染ませるのも容易だったのだ。


 しかし彼女、夏取丁は違う。


 進路希望に書かれた『死んだ母に会いたい』そして、消されていた『友達が欲しい』という願い。第一希望に関しては、訂正された様子はなく、真っ先に書かれたのものであると。つまり、今まで経験した事のない性質を有する人間であるという点に於いては、否定の仕様が無い。


「本当に、やれやれだぜ」


 と、だからこそ、こんな言葉が溜息と共に吐き出されてしまうのも仕方がない。


 ないのだが、


 高橋先生があんまり煽てるから、つい拒否する姿勢を見せたけれど──実は物凄く関心があったりする。何せ今まで経験のないタイプ。どんな子で、何を考えて筆を取ったのか、好奇心を掻き立てられるには充分な理由だ。しかしそれと同時に、まあまあ重たい事情も含まれているという。


 それに高橋先生によれば『結構可愛い』らしい。だがしかし、ぶっちぎりでやべえ奴でもあるようだった。


 ウキウキと魚の骨が喉に引っかかる感触を同時に味わっているような、何とも言えない気持ちを抱えたまま、さて明日からどうしようかと思案した、


 その時、


「……ん」


 辿り着いた教室、何か聞こえた気がして、扉に掛かった手が止まる。てっきり誰かの話し声かとも思ったが、瞼を閉じて耳を澄ますとどうにも違っていた。


 そう、これは──歌だ。


 一定のリズムを確かに感じ取れて、わずかに漏れ聞こえる音。少しだけ扉を開き、そっと耳を近付けると、確かに聞こえて来る歌。


「ふんふーん、ふふん、あいあい会いたいよー」


 調子外れの、


「会いたい会いたい、会い太陽、サンセットー、セット、セットで今日も、髪をセットー」


 形容し難い、


「いつもいつでも結んでくれた、でもそこにあなたはいない、だってーもう灰になって、今は箱の中ー」


 右肩下がりの、最早歌かどうかも分からないような、語りような、聞いているだけで気が滅入るような、歌が。さて、困った事になったぞ。


 僅かに開けた扉を閉めて、廊下の冷たさを尻で感じながら座り込み、頭を捻る。


 どうやら今、教室にはとんでもないモンスターが生息しているらしい。そして重要なのはそんな怪物の住処に鞄が取り残されていて、取りに行かねば帰れないという点。


 分かっている。


 恐らくだが教室に居るのはタイムリーにも、夏取丁なとりてい、その人だと思う。


 これはもしかして出会いなんじゃないか?


 いやいや今まで何度それで傷付いて来た?


 ここは落ち着こう。落ち着いて状況判断に徹しよう。そうしよう。


 さて、流行りの歌を、教室でつい口ずさんでしまうのなら充分理解出来るが、いや、もしかしたらあれが流行りの歌で、ヒゲダンやヨアソビの新曲か何かという可能性も一瞬考慮したが、話の種に流行の研究を怠る事のない俺には、あれが流行りの歌ではないという確信がある。寧ろあんなものが流行っている世界なら多分俺は自殺しているだろう。


 とにかく、


 歌詞の内容を鑑みても、歌い方からして常人ではないし、かつ自分の教室に居るのだから、彼女が夏取丁である事はほぼ間違いない。決めなければいけないのは、初対面での対応についてだ。第一印象はとても肝心で、今後の付き合い方にも大きく影響が出ることが予想される。


 だって多分、めっちゃ変人だろうから。


「歌……歌、か……」


 だとすれば、温度を合わせなければ、調子を合わせるのが、最も手っ取り早い。方向性が決まると、それからの行動の全部を粗方で筋を立てられる。


 汗が滲み始める掌、迸る緊張の中で決意を固めた俺は立ち上がり、手を伸ばした。そうして扉をゆっくりと、しかし音を立てるよう開けながら、


「いーまー」


 一発目の発声に注意しつつ、入室する。


「私のー」


 窓辺に立つ彼女の視線がこちらへと振り向く。見開かれた、夏取丁の瞳がこちらを捉えて、より声を大きくする。


「ねがーいごとがー、かなーうなーらばー……つばーさがーほしーい」


 恋愛における重要なポイントは、最初のインパクトである。第一印象を覆すことは、何より難しいのだから。


 だがしかし、今思うと、時既に遅しだけども、これははっきり言ってやり過ぎである。


 本当に、俺は何をやっているのだろう。


 

 これが俺と、夏取丁という少女のファーストコンタクト。母親を失い、自分を見失い、自分を分裂させてしまった少女との、最初の遭遇。

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