5話 次の依頼
物心ついた頃から、誰かと仲良くすることが好きだった。
自分の話で誰かが笑ってくれて、笑顔を見ているのが好きだった。だから俺は、少しでも多くの人間と関係を築こうと必死に努力したのだ。音楽、文学、映画、アニメ、その他様々なジャンルを浅く広く学び、一人でも多くの人間と話せるように。そうして多種多様な考えや、物の見方に触れていると──いつしか、それは、曰く『誰とでも仲良く出来る』という長所に変わっていたと思う。
高橋先生はそんな部分に目を付けて、幾つかの頼み事をするのだと言うが、勝手にも、それが短所であると言っている。誰とでも仲良く出来るということは、裏を返せば──誰でも良いのだろうと。好きも嫌いもなく仲良くとは、凡そ通常の人間の精神ではなく、僅かに破綻していると、
貴方の意思はどこにあるのと、そう言ったのだ。
無論、意思はある。誰でも良いわけじゃない。美少女しかお近づきにはなりたくないのだから好きも嫌いも十二分にあるのだから──全く失礼な女である。
放課後、締め切られたカーテンの向こうからは楽しそうな声、熱中する声が聞こえていて、それでも未だ、俺は解放されないようだった。
理由は分かっている。きっと先生は俺にまだ、何か言いたい事があるのだろう。もっと言えば頼み事が、あるのだろう。
「え!? 先生がカノジョになってくれるんすか!?」
「いや言ってないけど!?」
場面を跨ぐ瞬間だったので改ざん出来るかと思ったが無理らしい。まあ年齢差や彼女が独身という点を加味して考えれば、それは俺の考えるお付き合いというより、将来を見据えた交際になりそうな気配がしたので、ちょっとご勘弁願いたかったのでオッケーか。
「折上君、ひょっとして何か失礼な事を考えてない?」
高橋先生はじとっと絡み付く視線を向けると、言った。
「あれ、もしかして心を読めたりします?」
「……そんな風に大人をからかっていると、いつか痛い目に遭うわよ。今はまだ学校という壁が貴方を守っているから良いけど、先生はとても心配。何か危ないことに巻き込まれるんじゃないかって」
慈愛溢れる言葉、思わず感銘を受けてしまって、ポツリ呟いてしまう。
「か、母さん……」
ずっと焦がれて来たものに手を伸ばすように、小学生が間違えてそう呼んでしまうように。
「え、私ってもうそんな歳に見える?」
「いえ先生はいつまでもお綺麗なままですよ。そのまま、この先もずっと」
「……何か含みを感じてるんだけど、気のせいかな?」
「分かりません。っていうかもう帰ってよいですか?」
「良いわけないでしょう。まだ話は終わってないんだから」
やっぱりだ。やはりまだ終わっていないらしい。
「えー、でもちょっと帰らなきゃいけない用事が」
「へー、折上君にしては珍しい。友達と遊ぶ予定でもあるの?」
「家に帰って晩御飯を食べて、お風呂に入って寝ないといけなくてですね……」
他にも録画していたドラマや今日配信のバラエティ。アプリゲームのログインボーナス。読みたい漫画、見たい映画などなど、帰宅部をわざわざ選ばざるを得ないくらいには、俺の人生には予定が詰まっている。
「座りなさい」
「はい」
ピシャリと突き放されて、正座で居直った。
「今の今で、少し躊躇ってしまうんだけど……」
高橋先生は、酷く面倒そうな前置きをして、言った。
「
あー、まただ。
「ありません」
「一応クラスメイトなんだけど、知らない?」
「スミマセン、ヨクワカリマセン」
高橋先生の怪訝な顔を見るに、これはどうやら真剣な相談であり、かつ先生はiPhoneユーザーではないという事を理解した──しかし、ナトリテイ、記憶を掘り出すと、確かにそんな名前があった気がする。
「それで、またいじめか何かっすか?」
「いえ、まだそういう段階にはなっていないけれど……」
視線を僅かに落とし、今後を憂うような顔付きに、凡その状況を理解した。
「なるほど、前のクラスの担任教師から『周囲から孤立していた生徒』とか『変わった子』だと聞かされましたか。しかも先生自身『ああ、何となくそんな感じがする』と納得している様子だし、大方進路希望調査に突飛なことでも書いてあったんでしょうね。何て書いてあったんですか?」
早く話を切り上げたくて色々過程をすっ飛ばしてみたが、何故だろう、少し不気味がられている気がする。
「は、話が早くて助かるわ……やっぱり学年2位の成績は伊達じゃないのね。すごいすごい」
それどころか今度はオダられてしまって良い気分にもなりそうだったが、それ以上に、どうして煽てる必要があったのかの方が気にかかる。具体的に言えば、嫌な予感がしていた。
しかも、この先生が持ってくる話には、いつも碌な事情がない。
「先生、答えて下さい」
「……最初は、活発でハキハキとした、普通の良い子だったらしいのよ、それで……」
もぞもぞと足を組み替えると、先生は小さく、か細く答える。
「進路希望の第一希望は『死んだお母さんに会いたい』と」
「へー」
そういうのは、あんまり生徒に言わない方がいいんじゃないですかね。この学校の個人情報の管理体制はどうなっているんですかね。
と、だが面倒なので口には出さず。
「他にも家庭科の授業中に突然錯乱して暴れ出したり、何だか訳の分からないことを言って先生を困らせたり……とにかく変わった子だったらしいわ。それに本人に理由を尋ねても『覚えていない』んですって」
なるほど、かなりやべえ奴らしい。
「ただ……『お母さんが来た』だけ、と……どうかな?」
違う。もっと危ない何かだ。
「よく分かりました。では俺はこれにて失礼」
聞かなかったことにしようと、反射的に立ち上がっていた体は、もう逃げ出す準備を万端にしていた。
「待って行かないで!!」
しかし、先生は強引に袖を掴むと叫ぶ。意外にも力が強いが振り解けないほどではない。
「どうやら話の通じる相手じゃなさそうなんで俺には無理っす」
が、怪我をさせてもいけないので、手を離してもらえるよう簡単に理由を説明するが、尚も拘束は解かれなかった。
「貴方に無理な子が私の手に負えるわけないじゃない!!」
本当に、教師に向いていない人物だと痛感した。寧ろ何故教師を志したのか気になるよ全く。
「それでも教師ですか? まず努力をして下さい。ネバギバ」
「私にそんな子を1年間担当する自信があると思う!?」
「知りません」
ケーキ屋さんならまだ良い。お嫁さんなら可愛らしい。お花屋さんでも声優でもユーチューバーでもVチューバーでもプロ野球選手でも宇宙飛行士でもいい。進路希望調査で何を問われているかを正しく理解しているとは思えないが、しかしそれなら可能性はゼロじゃないし、進路は提示出来るし学ぶべき事もあるだろう。極論、世界平和だって、NPO団体に所属して飢えや貧困に手を差し伸べたりと、貢献する方法はある。しかし『死んだ人間に会いたい』という願望だけはどうしたって叶わないし、今後叶える手段を発見されるということもない。現実的ではなく、常軌を逸した、飛び抜けた脳内お花畑。
加えて言動までぶっ飛んでいるらしい。
つまり、俺の許容を遥かに超えているのである。
「夏取さんは女子よ!! それに結構可愛い顔立ちをしてるわ!!」
およそ教師の口から飛び出して良い類ではなかったが、しかし、そういう事なら事情は変わって来るのが男というもの。
「さて、詳しく話を聞かせてもらえませんか?」
改めて腰を落とし、顔を顰める高橋先生の言葉を待った。
「……折上君の将来の方が心配になってきた。でも、まあこれを見たら、きっと貴方も気が変わる筈」
俺は先生の生徒に対する考え方の方が心配ですけどね。可愛い顔とか何とか。
「もうとっくに気は変わってますけど?」
「いえ、そういうことではなくてね」
そうして、高橋先生は楽譜に紛れた一枚の紙を、目の前に差し出した。
「……ああ、なるほど」
提示された進路希望調査の用紙を見て、先生の告げた『気が変わる』という意味を理解する。第一希望は上記の通り、第二と第三は一見すると空白と思えたが、確実に空いていたのは第三希望だけ。
第二希望の欄には、薄らと、何かを書いては消した痕がある。
自分の抱く切実な願いにも似た──『友達が欲しい』と、そう書いて、消した痕が。
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