3話 ぐーってあり得る?
失恋の経験が無いという人間はこの世界にはごく僅かである。
言い切ってもいい。だが大半は、伝えられないままで終わってる。ラブコメの世界ならいざ知らず、現実の恋愛なんて『好き』って言えばそれで良い。寧ろ言わなくて良い。チューでもなんでもすりゃ結果的にそういう関係になるし。
視線が交わされた瞬間、何気ない日常で目にした表情、ギャップ、言葉、仕草、髪型、胸、尻、雰囲気など、恋をする生き物である人間にとって、この世界はあまりにも出会いに溢れ過ぎていて、カップル誕生となるかは本人の努力次第。
しかしどういうわけか俺が恋をする相手にはいつも……他の誰かが居た。それも百発百中の勢いで、自らに『ヒロインに恋する報われないサブキャラ』という性質があるのだとさえ思ってしまう程に。両手では数え切れない程経験した、甘酸っぱい記憶。
「じゃあこの問題分かる人……はい、じゃあそこでぼーっとしてる折上君。答えなさい」
と、突然自分の名前を呼ばれ、我に返る。どうやら羽佐木の強烈な一言に打ちのめされ、過去の恋愛を思い返している内に授業が始まっていたらしい──などということはない。そこまで俺は馬鹿じゃない。普通に全然聞いていなかっただけである。
とりあえずと適当に、当てずっぽうで答えてみた。
「X=2、ですかね」
答えて、しかしそれが間違いである事にはすぐに気が付いた。
「今は現国の授業なんだけど」
それから黒板を見ずとも、教壇に立つ教師を見れば分かる。何故なら彼女はこのクラスの担任であり、かつ現代文の教えている事は重々承知しているから。
「じゃあ……『タカシはその時、X=2だと思って口を開いた』に訂正します」
「放課後、生徒指導室へ来なさい」
「はい」
教室を包む、クスクスと小馬鹿にしたようなざわめきが心地良い。隣に目を向ければ、顔こそ背けられているけど、羽佐木もまた肩を震わせていた。時計を見れば授業が終わる間近だったので、教室の弛緩した雰囲気にでも呑まれたのだろうと、きっと、あの隠された向こう側ではさぞ可愛い表情をしているのだろうと、そう思う。
本当に良かった。
「はぁ……じゃあ、今日の授業はここまでね。みんなは折上君みたいにならないで、お願いだから」
教師の一言で、教室のあちこちから晴れやかな声が響く。これから放課後なので仕方がないのかも知れないが、友人と遊んだり恋人と遊ぶ予定がある者ははしゃいで当然かも知れないが、説教を喰らうことが確定している俺にとっては酷く耳障りな音に違いがない。
そう思い、教室を去っていく先生を見ていると、彼女もこちらに視線を送っていた──意味深に、扇情的でエロティックで、背筋を震わせるような上目遣いで。
「ふーん、エッチじゃん」
「気持ち悪いから声に出さないでって言ってるじゃん」
どうやらまた地の文を発声していたらしく、すっかりツンとした顔に戻った羽佐木が『このバカ』と。
「放課後家に帰るくらいしか予定がないんだ。これくらいの妄想は許せよ」
「家に帰るのを『予定』と呼ぶことに寂しさはない?」
「家に帰るのはそれが必要だからだ。俺はあくまで家で、することがあると言っているだぜ」
「例えば?」
「ご飯食べたりお風呂入ったり」
「しょーもな」
「お前は良いよな。この後カレシとデートで」
他校の男子と付き合っている彼女は、放課後になるとすぐに教室を出るのが常。そんなドキドキとドクドクが満ち溢れる予定を保有しているくせに──どうしてだが、こう、どこまでも冷え切った顔をするのが不思議で、
「そうそう……カレシ……カレシ、ね」
頬杖を突いて、俺を見ていた。
その陰鬱な表情に、思い当たる原因は一つ。
「さてはお前……セックスレスか?」
羽佐木は突いた頬杖を外して、見開いて。
次の瞬間には予想していた張り手ではなく、
真っ直ぐな拳が、顔面に直撃した。
一瞬だけ触れた手の感触を堪能する暇もなく、感じられたのはただの痛みだけで、気が付けば机に伏して、卓上を血で染め上げていたと思う。思うというのは横目に見えた羽佐木の表情が原因で、意識がそちらに集中してしまったのだ。
本気で怒っているとも言えず、羞恥を隠しているとも言えない。
いつもと同じような冷めた視線だったけど、決定的に何か違っていた。何がとははっきり分からないが、
「……アンタって最低だよ」
しかしよくもまあ、これだけやっても次の日になれば話してくれるのだから、女子とは難しい。
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