1話 裏切りのバレンタイン

 今から語る物語には、一貫性がない。辻褄が合わない。矛盾していて、誠実さを欠いていて、正義ではなく、悪でもないし、信用に値しない物語だ。ドキドキしたいとか、センチメンタルな気分を味わいたいとか、そういう方には全く不向きな物語。


 失恋を語る、心を語る。


 その複雑さは、現代の科学を以ってしても解明出来ない程に、語り尽くせない程に入り組んでいるらしいから、仕方が無いと自分に言い訳をして、始めようと思う。



 さて、世界ってなんで自分を中心に回ってないんだろうと真剣に考えてしまう今日この頃。


 あー、カノジョ欲しい。


 現時点で最も切実な悩みを打ち明けろ、そう言われたら俺は真っ先にこの言葉を返すだろう。16歳の高校2年生の男子にはありがちで、ありふれたものだが、カノジョが全然出来ない自分にとっては逼迫した問題である。


 告白された経験もある。見た目も良い方だと評判だ。寧ろそれ以外に褒められた試しがない。


 加えて、そこら辺に溢れているような、ただ『カノジョが欲しい』とのたまう連中のように、何の努力もせずに嘆いているわけでもない。髪型には気を遣っているし、女の子には積極的に話しかけるし、ご飯に行けば必ず奢るし。


 であるならば、何故俺にはカノジョが居ないのか。その理由は至極シンプルである。


 それは俺が、主人公ではなく脇役だから。好きになった人はもれなく、もうすでに、運命の相手というのが居て、しかしそれは俺ではないのだ。


 これを、仮に『ヒロインに恋する報われないサブキャラ体質』と名付けた。


 朝起きると『おはよう、えへへ、今日も寝顔見ちゃった……』と耳元で囁いてくれる幼馴染がいるわけでもなく、母親が小学生くらいのロリとしか思えない見た目をしているわけでもなく、父親が実は凄い人間で俺には秘められた力がある、というわけでもなく、空から美少女が落ちて来る事もなく、曲がり角で転校生と衝突するといったイベントもなく、そんなの何処の学校にあるんだよと思うような謎の部活に入っているわけでもなく、トラックに撥ねられて異世界に転生するとかも全く皆無の、


 今年から高校2年生に進級した、ただの16歳の男子学生。


 名前は、


「長い。昼休みまるまる使う気?」


 左隣の席に座る彼女は、自作と思われる可愛らしいお弁当を突く箸を一度止めると、優しくも冷たい視線をして言った。


「いやまだ地の文で、名前も紹介してないんだけど……」


 過去の恋愛話を、盛大なプロローグを付与して披露しようと考えたのだが、ツッコミが入ったので一時中断。どうやら彼女のお気には召さなかったらしい。


「地の文かなんか知らないけど、なら声に出さないでよ。その気持ち悪い、妄想みたいなやつ」


 進級し、こうして晴れて隣席になってからというもの、それこそ毎日のように話しかけているのだが、彼女の返しは今日も冷ややかで気持ちが良い。


「……で、結局何が言いたいわけ?」


 しかし、何やかんやで話を引き戻してくれるので、多分根は相当良い子であるに違いないと思う。


 彼女は羽佐木菖蒲うさきあやめ


 苗字のイントネーションはまさしくウサギだが、うさちゃんでもなく、さきちゃんでもない、羽佐木うさき。名前の菖蒲あやめというのは、確か花の名前だったか。ショウブ、とも読むけれど、事実俺も最初はそう呼んだけど、読みはアヤメ。


 長い、枝毛の無い黒髪ロングは右目を境に大きく分けられていて、毛先がくるっとカールしていて、艶やかで、僅かに覗く右耳には簡素なピアスが一つ輝いていて眩い。清楚系のギャルとでも言えば良いのだろうか。キリッとした目元にすっと通る鼻筋、アルプスの天然水のように透き通った白い肌。抜群に可愛い子である事には間違い無いが、どうにもこうにも──カレシが居るらしいので、性的な興味は一切消え失せているのが惜しいところである。いや早く別れてくれねえかなとは思っているが、ただそれだけだ。別に好意とか、羨ましいとかは一切無い。


 そして俺の好きだった人でもある。


 勿論過去の話で、本当に、今ではもう吹っ切れているのでたまにまた好きになるくらいだ。他に可愛い子がいればすぐに目移りするのでそこら辺は安心して欲しいと──彼女には言ってある。ぶん殴られたけれど。


 出会ったのは去年の冬だった。


 彼女は最初に話した時、口数も少なくて、目も合わせてもらえず少々気の強い印象を受けていたけど、


「どうせまた下らない話でしょ? 聞かされるこっちの身にもなって」


 とこのように、今ではすっかり仲良しに。


「『うわ、また話しかけて来たよこのウザい奴。早く死んでくれないかな』みたいな冷たい視線が心に刺さって清々しい」


「ああ、凄いね。アンタって人の心読めるんだ」


「秘めた能力に気付かせてくれたのはありがたいが、こんなに悲しい気持ちになるとは思わなかったぜ」


「そう。じゃあそろそろご飯食べていいかな。さっきから邪魔されて全然箸が進まない」


「はいはい。また今度聞いてもらうことにするよ」


 俺が頭を下げると、羽佐木ちゃんは白米にミートボールを乗せ、口へと運ぶ。


「……第一話 裏切りのバレンタイン」


 そうして咀嚼を始めた瞬間に、彼女は込み上げる何かを堪えるような、くしゃみを押し留めるような、そんな音を出して硬直した。俺としてはただ話を続けたかっただけなのだが、何か気に障ったのだろうか。


「ちょっと、吹き出すとこだったじゃん」


「チっ」


「ほんとアンタって最低」


 ちょっとした悪戯に僅かに微笑んだ口元を堪える羽佐木ちゃんを、俺は見逃していない。こうして笑顔を目にするのも、最近では機会も増えて来て素直に嬉しく思う。


 出会った頃の彼女はそりゃもうツンツンしていて、何度話しかけても無視、無視、まるで這いつくばる虫でも見るような視線で、俺の中に眠るMを覚醒させんばかりの勢いだったから。


 まあそれも去年の──羽佐木ちゃんが、クラスでイジメられていた頃の話。


 放課後の教室で、一人、無表情で黙々と、机の落書きを拭き取る姿は忘れられない。


 今となっては昔の、過去の、ちょっとした嫌な思い出くらいに消化されていてくれているならばと、そう願って、俺は今日も彼女に話しかけ続けるのだ。

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