理系影武者魔王の物理学無双〜喰らえ! E = mc2〜

ころぽっかー

物語はE = mc2から始まる

「あんたなんか一人で死ねばいいのよ!」


メデューサはそういって踵を返した。

だが、彼女の髪、朱色の蛇の一匹は、ぼくの腕に絡みつき、力の限り引っ張っていた。


メデューサは口が悪く、態度はツンケンしている。

だが、その深層心理は常に髪に現れてしまう。


彼女が振り返り、ぼくをにらんだ。

その目には涙がたまっていた。

顔を真っ赤にして堪えている。


ぼくはもう一方の手で、優しく蛇を外すと、脇に控えていたオークに目配せした。

彼がメデューサを抱え、全力で走り始める。


「ちょっと! 離しなさいよ! こら! 離せ!」

メデューサが細腕でオークを殴りつけ、髪で噛みつきまくるが、オークは物ともせず、凄まじい速度で丘の頂上から下っていく。時速五十キロは出ているだろう。たいへんな健脚だ。


ぼくは微笑みながら手を振った。

もし生きて再開できれば、ぼこぼこにされるだろう。


正直、彼女に、そばにいて欲しかった。

とてつもなく恐ろしいのだ。


ぼくは息を吐くと、丘の反対側に向き直った。


ヒースに覆われたカンザンア平原は、見渡す限り敵兵で埋め尽くされていた。遠く、シャルケ山塊まで、ぎっしりとハイエルフの大軍団が連なっている。


地面の上だけではない。

空には飛行戦艦が何百隻と浮かび、その周囲を数千、いや、数万匹の飛竜が飛び回っていた。


飛行戦艦軍団の中心部に、ひときわ巨大な母船があった。

ぼくの世界のニミッツ級空母よりもなお大きい。

流麗な船体には、優美なエルフ文字が所狭しと描かれている。


戦場全体に思念波が響いた。

「「魔王くん。君、まさか本当に一人で我々の相手をする気なのかい?」」


思念波は母船から来ている。

ぼくの頭の中に、ちらちらとエルフ王の姿が浮かんだ。


エルフ王は見た目は十歳ほどの美少年だが、その実年齢は三千歳を超えている。


彼が笑いながらいった。

「「聖王の幾人かを倒したからといって、のぼせあがっているんじゃないの?」」


ぼくは思念を返した。

「「警告する。いますぐ引くんだ。いまならまだ間に合う」」


戦場全体がどっと湧いた。

エルフたちの甲高い笑い声が山々が揺れるほどに響き渡る。


エルフ王が目を細めた。

「「魔族ってやつは。まあ、もうすぐこの地上から一匹残らず消えてなくなるんだ。そんな減らず口も聞けなくなるかと思うと、すこしさみしいよ」」


母船のまわりの空気が揺らいだ。

真っ赤な魔法陣が生成される。

火炎魔法。それも、これまでに見たことがないほど特大のものだ。


「「この世の理は、すべてボクの手の内にある。最後に見せてあげよう。これが、究極魔法だ」」


さすがにエルフ王だけあって、これまでに見た中でも抜群に複雑怪奇な魔法公式が、次々に魔法陣内に書き込まれていく。


この世界の魔法使いは、ああやって公式を使うことで、脳内のイメージを現実の物理現象として表出する。


そして、脳内イメージを描けるならば、公式の種類は問われない。エルフの神代文字だろうが、ぼくの世界の物理公式だろうが。


ぼくは頭の中に数式を思い描いた。


E = mc2


ぼくの世界でもっとも有名な公式だ。


エネルギー E = 質量 m × 光速度 c の2乗


この公式は、質量の消失がエネルギーの発生を、エネルギーの消失が質量の発生をそれぞれ意味する。


数式を頭の隅に残したまま、両腕を広げ、離れた位置に、半球型の二つのウラン235原子の塊をイメージした。これが、元の世界ならば、天然ウランからの同位体分離が必要となるために、たいへんな設備と時間を要するが、ここでならば、頭の中で必要十分に描くだけでいい。緻密に描けるほど、魔法という奇跡の力は増す。


エルフ王がどれほどイメージ力に長けていようが、原子レベルで考えられるとは思えない。


ウラン半球が、それぞれ十二キロになったところで、ぼくは生成を止めた。臨界量は二十二キロなのだ。威力は出来る限り〝抑えたい〟。


できることなら、いつものように燃料気化爆弾魔法でなんとかしたかった。この魔法は威力が大きすぎるのだ。だが、エルフ王の防御魔法を確実に突きやぶれるのは、これしかない。


エルフ王の魔法陣が唸りを上げ始めた。

「「さようなら、醜い魔物ども」」


ぼくは両の手を交差させた。

二つの半球が高速で宙を飛んでいく。

そして、母船の真上で一つに合わさった。


何もかもが白く染まった。

激烈な光。


核爆発の光だ。


ぼくは光の中、この異世界に初めて来た日のことを思い出していた。


☆☆☆☆


ぼくの目の前に、ぼくがいた。


もちろん微妙な相違はある。

もう一人のぼくは、目元に小さな傷があるし、髪の毛は若干長い。


だが、それ以外はぼくそのものといっていいほどに似通っている。着ているものが、ファンタジックな黒い皮鎧でなければ、親ですら間違えるかもしれない。


もう一人のぼくがいった。

「いっておくが、これは夢ではないぞ」

時代がかった喋り方だ。


ぼくは歯ブラシを口の中で動かし続けていた。

ついいまほどまで、筑波に新設されたばかりの高エネルギー物理実験センター地下三階の洗面所で、鏡に向かっていたのだ。

それが、鏡の向こうのぼくが、いきなり、この黒い鎧のぼくに変わったと思うと、次の瞬間にはここにいたのだ。


この魔物と人間ーーといっても、耳が違っているのでエルフの一種なのかもしれないーーが血みどろの戦いを繰り広げる戦場にだ。


ぼくたちのすぐ隣で、トロールとしか思えない巨大な猿人生物が、丸太のような柄の斧を振るって、銀色の鎧兜を纏った騎士を、馬ごと両断した。


臓物が飛び散り、血がぼくの制服のシャツに赤いシミを作った。生臭い匂いが鼻をついた。


トロールは鬨の声をあげながら、騎士の残骸を踏みしだき、そのまま次の獲物をもとめて駆けていった。


離れたところでは、軽装の人間戦士が、豚鼻の人型生物と絡まるようにして転がり、泥まみれになりながら互いの首筋を剣とナイフで狙っている。


そこに弓矢の雨が降り注ぎ、二人は共に動かなくなった。


コボルトの集団と人間の歩兵集団が激突した。人間たちはやすやすとコボルトたちを蹴散らし、高笑いしながらその首をはねていく。コボルトが背を向けて逃げ出した。人間が追う。すると、いきなり彼らが炎に包まれた。肉が焼ける匂い。


火を放ったのは、背の高い白髪の老人だ。その耳はエルフのようにとんがっている。老人が何か呪文を唱えた。手から生まれた火球が、宙を飛び、また別の人間の一団を黒焦げにした。


あたり一面、見渡す限り地獄の死闘が繰り広げられていた。


そして、ぼくはまだ歯を磨いていた。

歯ブラシを含んだままいった。

「いや、夢でしょ」

それも中学生が見るような内容だ。

ぼくはもう高校二年だというのに。しかも、物理クラブ世界大会で優勝したご褒美として、憧れだった高エネルギーセンターで、夏休み限定のインターンシップ中なのだ。

ぼくは『指輪物語』からは日本で一番程遠い学生のはずだ。


ぼくそっくりな男がいった。

「なぜそう思う?」


「だって、あのおじいさん、魔法つかったよね? 夢以外のなんだってのさ?」


「魔法なら君も使える」


「へー」ぼくは手のひらを上に向けた。「何も起こらないけど?」


「想像してないからだ。生み出したい結果を思い描け。心底それが真実になると信じられるなら、いかなる奇跡も起こりうるのだ」


「こう?」ぼくは手のひらに炎が生まれる様を思い描いた。果たして、火球が出現し、ふわふわと空に昇っていった。


「嘘でしょう!?」そう叫んだのは、もう一人のぼくの後ろに控えていた女性だ。モデルのような長身と、分厚いロープの上からでもわかるメリハリの効いたスタイル、整った顔立ちに真っ赤な瞳、その朱色の髪は激しくうねっていた。髪は蛇だったのだ。数十匹の蛇が頭にのっかっている。

つまり、メデューサだ。


彼女は目を丸くしてぼくを見た。

「詠唱なしに魔法を使った!」

頭の蛇たちもぼくを見つめている。


もう一人のぼくが頷いた。

「このわたしの代わりになってもらおうというのだ。これくらいは当然だ。幾多の世界から見出した適合者なのだからな」


「大げさな。夢なんだからぼくが魔法を使えることもあるでしょ」


「なるほど、現実ではないと思っていたことが、心理的制約を取り払ったのかもしれんな」


「現実ではないですし。だいたい、そちらのメデューサさんが日本語をしゃべってるじゃないですか?」


ここまでいって、ぼくは自分の話している言葉、考えている言葉が日本語ではないことに気づいた。英語にもフランス語にもスペイン語にも似た、知らない言語だ。

なんだこれは!?


もう一人のぼくが微笑んだ。

「召喚のさいに弄らせてもらった。影武者が言葉がわからないでは困るからな」


戦場のどこかで巨大な爆発が起こった。熱い風がぼくたちの髪を焦がす。メデューサの頭の蛇が悲鳴をあげた。


メデューサが顔をしかめた。頭の蛇の数匹が螺旋に絡み合う。

「陛下、影武者の必要性は常々進言しておりましたが、なぜ、このような状況下で召喚したのですか? 天下分け目の決戦の最中なのですよ?」


もう一人のぼくが頷いた。

「だからこそだ。いまここでわたしが消えれば、我らは総崩れになる」


「世界最強の魔法戦士を傷つけられるものなどおりません」


「そうでもない」

もう一人のぼくがそういって皮鎧を持ち上げた。

ぼくは息を飲んだ。

穴だ。脇腹に大穴が空いている。穴からは内臓の一部が覗き、真っ赤な血がとめどなく流れ出ていた。


「へ、陛下!」と、メデューサ。


「致命傷だ」もう一人のぼくが、僕の肩を叩いた。「頼むぞ。お主はいまから、亜人種連合こと魔族の王バシレイオス一世だ。わたしに代わり、我が軍を救ってくれ」


加えていた歯ブラシが、足元の泥の中に落ちた。


------------------------- 第2部分開始 -------------------------

【サブタイトル】

夢だというなら死んでみる?


【本文】


メデューサが、もう一人のぼくこと魔王バシレイオスに駆け寄った。

「陛下!いつ、これほどの傷を!?」


魔王ーーいや、ぼくの目にはただの人間にしか見えない彼がいった。

「ついさきほどだ。まさか人間軍にあれほどの使い手がいるとは思わなかった」


メデューサが彼の傷に手を当てた。

「ああ!」と、絶望的な声を上げた。「医者を!いえ、治癒師を!」


バシレイオスが、その手をそっと掴んだ。

「無駄だ。これは魔法傷だ。現実を強烈に固定している。いかなる改変も受け付けない。このわたしの魔法ですらな。軍属の治癒師程度にどうこうできるものではない」


「そんな!」メデューサは泣いていた。


バシレイオスは彼女の頭の蛇たちを撫でた。

「約束を守れなくてすまない。もっと君と生きたかった」


「陛下!」


「リリス、ヴァムドラのことも頼むぞ」


「もちろんです」


戦場の音が急に小さくなったような気がした。


夢の中とはいえ、非常に気まずかった。

目の前で、ぼくそっくりの魔王と、その部下で、おそらくは恋人でもあるメデューサがロマンチックな別れのシーンを演出中なのだ。


まったく、なんなんだこれは。

亜人種と剣と魔法の世界でメロドラマ?

ぼくは寝る前に、少女向けファンタジー小説でも読んでいたのか?

いやいや、『現代物理学 基礎講3』と『近代戦争の進化と科学』だったはずだ。


しかも、魔王に自分を投影するとは。


彼の様子を見ると、ぼくは本心では他人とのつながりを求めていたのだろうか。


ぼくは物心つかぬうちに両親を亡くしている。父方の祖父母に引き取られたが、彼らは父の死を乗り越えられなかったらしく、それはぼくへの無関心として現れていた。


別に彼らを恨んでいるわけではない。衣食住の面倒はきちんとみてくれたし、おかげさまで日本有数の超進学校にも進めた。


クラスメイトの話を聞くと、みな過干渉気味の家族に苦労していた。それに比べれば、ぼくは恵まれているともいえる。あっさりした家族関係も悪くない。


魔王とメデューサは熱く抱きしめ合っている。


まさか、ぼくの潜在意識はこういったことを求めているのか? まさかね。


ともかく、お邪魔虫は退散しよう。


ぼくが後退ると同時に、魔王が顔をあげた。

「待て。どこへ行く?」


「いや、ちょっとそのへんに」


「やめておけ。ここは戦場だ」


いや、それくらいは分かるし。


魔王がメデューサにいった。

「ターメリア、彼を頼むぞ。彼の能力はわたしにも勝るとも劣らないものだ。だが、その力を導く者が必要なんだ」


「全力を尽くすと誓います」


「ありがとう」魔王が懐から、小さな手帳のようなものを取り出した。


メデューサが驚く。「これは!」


魔王が頷いた。

「わたしが見通した未来の記録だ。上手く使え」


未来? 予知能力者だってことか?

少しだけ、ぼくの夢らしくなってきたぞ。

未来予知、SF風じゃないか。

とはいえーー

ぼくは思わず口を出した。

「未来が見えるのに、そんな傷を?」


魔王が悲しげに笑った。ぼくそっくりの顔は、血の気が引いていまや真っ青だ。

「あいにく、強力な魔法は容易に未来を変えうるのだ」


「なるほど」

何がなるほどなんだ。ぼくは思った。この夢、いつ終わるんだろうか。


魔王がいった。

「お前の考えていることは分かるぞ。いっておくが、これは夢でもなんでもない。まぎれもない現実だ」


どこかで甲高い悲鳴があがった。

あの巨大なトカゲのような生物のものだろうか。


「現実ならなおのことおかしいでしょ。こんな典型的なファンタジックな世界がありえる? あそこで死にかけている小さいドラゴンみたいな生き物、あ、いま火を吹いた。そんな都合のいい生き物は創作物か夢の中にしかいないって」


魔王が首を振った。

「この世界とお前の世界は隣り合い、互いに影響を与えているのだ。お前の世界の人間が、この世界に似通った芝居を作ることは、なんの不思議もない。この世界では、お前の世界とは逆で、そちらの〝科学〟がお伽話扱いされているからな」


「なるほど、多少の筋は通ってますね」

多少は。


メデューサの髪の毛の蛇が鎌首をもたげた。

メデューサ本体がいう。

「無礼者! 陛下になんたる口の利き方だ!」

怒っている顔も美人だ。


「だって、夢ですし」


メデューサの髪の一匹が素早く動いた。

ぼくの首筋に噛み付く。


注射針で刺されたような〝痛み〟があった。それも二箇所。


ぼくは動けなかった。

もちろん、これまでの人生で蛇に噛まれたことはない。

だから、噛まれたことを夢に見たとしても、どこか嘘くさいものになるはずだが、これは〝真に迫っている〟。

蛇の顎があとほんの僅か閉じれば、首を走る柔らかな血管が食いちぎられる。

そんな予感に、背筋が総毛立っていた。


メデューサがいった。

「夢だというなら死んでみる?」


☆☆☆☆

死ぬ?

ここで死ぬのどうなるのだろうか。

ふつうに、現実の世界で目がさめるのか。

恐怖のあまり、現実世界のぼくもベッドの中で死ぬのか。

それとも、これは本当の本当に現実で、ふつうに死んで終わりなのか。


魔王がいった。

「試すのはやめたほうがいい」


なんだ? 彼は本当にぼくの考えを読んでいるのか?


魔王が首を横にふる。

「わたしにそんな能力はないさ。これは経験から来るものだ。そして、わたしの経験からいうと、そのメデューサのタリアータを怒らせるのは控えるべきだ。彼女は君が思うよりも、ずっと激情型だからな」


彼が手を伸ばし、ぼくの首に噛みついていた蛇をそっと外した。

メデューサにいう。

「やめるんだ。彼が死ねば終わりなんだ」


「終わり? もし、陛下が本当にもう長くないというなら、すべてが終わりです。この劇の舞台から抜け出してきたような間抜けな服装の子供に、あなたの代わりがつとまるはずありません」


「そんなことはない。わたしもかつては子供だった。彼とて成長するさ」


「そういう話ではありません! 我ら魔王軍が純潔軍とこうしてぶつかっていられるのは、あなたの力あってのことなのですよ? あなたがいなければ、わたしたちは烏合の衆に過ぎません!」


「彼の力はわたしと遜色ない。そういう人間を〝選んで〟召喚したんだからな。彼はこの世界を半ば夢だと思っている。その感覚は彼に全能感を与え、事実、彼は全能になる。〝魔法が使えると信じることこそ、魔法の要〟だからな」


ぼくたちの頭上を数本の矢が唸りを上げて横切っていった。


ぼくは片手をあげた。

「すみません。ぼくにあなたと同じ力が? ぼく、未来は見えないんですけど」


「いずれ見えるようになる。少なくとも魔法は使えただろう? いいか、信じることが要なのだ。信じればどんなことでも叶う。どんなことでもだ」


「へー」ほくは手をかざした。「じゃあ、元の世界に帰ろうっと」


メデューサが「ちょっと!」と叫ぶ。


何も起きなかった。

怒号、悲鳴、土煙の匂い、ぼくはまだ戦場にいる。

目が覚めていない。


メデューサが掴みかかってきた。頭の蛇がすべて牙を向いている。

「あんた! ふざけるんじゃないわよ!」


ぼくは首に巻きついた蛇を外そうともがきながらいった。

「信じれば何でも叶うんじゃないのかよ!」


魔王が脇腹を抑えながら膝をついた。

「お前は帰れない」


「なんで?」


「一つ、帰る過程を想像できないからだ。炎を起こす程度ならともかく、次元の壁を貫くには相応のイメージが必要だ。二つ、お前は本当に帰りたいとは思っていないのかもしれん。三つ、わたしは時が来るまで、お前を返すつもりがない。わたしの魔法が働く限り、お前は永遠にこの世界にとどまることになる」


ちょっと待て。

「永遠に?」

ぼくは精神が相当やばかったのか?

この魔王がぼくの潜在意識は現れなのだとしたら、彼の言葉は真実を表している可能性がある。

つまり、ぼくは永久に夢から目覚めないかもしれないのだ。

そんなに現実から逃避したかったのか?

いろいろ問題はあったが、暮らしそのものはまあまあ気に入っていたはずなのだが。


魔王がいった。

「お前、まだここが夢だと思っているな」


「さすがぼくの潜在意識、ぼくの考えが筒抜けだ」


魔王が腰の剣を抜き払った。

禍々しい文様が刀身に描かれている。

これぞ魔王の剣といった感じだ。


彼が剣を振り、ぼくの右の耳たぶが熱を持った。

熱い。

あわてて手をやると、あるはずの耳たぶがなかった。

足元を見ると、歯ブラシのとなりに肌色の肉の塊がぽとりと落ちていた。


遅れて痛みがやってきた。

痛覚が機能し、熱が苦痛に変換される。

ぼくは耳を抑えてうずくまった。

歯を食いしばって呻く。

文句をいってやりたかったが、あまりの痛みに口を開けることすらできない。


魔王がいった。

「夢ではないのだ」


ぼくはどうにか顎の力を緩めると、深呼吸を繰り返し、彼を睨んだ。

「痛みのある夢かもしれない」

耳に当てている手があたたかい。

これは相当出血している。


魔王が笑った。

「わたしそっくりの強情さだな。魔王たるものそうでなくては。たしかに、お前のいうように、ここは夢なのかもしれないな。だが、わたしのいうように夢でなかったらどうするのだ? 万一、わたしが正しければどうする?」


「あんたのいうとおりにしたほうが、リスクが少ないっていいたいのか?」


「お前はわたしにムカついている。それは分かる。だが、同時にお前はこの論理に納得もしている。お前は論理を重んじる人間だ。違うか?」


ああ、そのとおりだ。

彼のいうことは正鵠を射ている。

ぼくは論理を重視する。


だが、ぼくがこの世界もまた現実であるとして対応しようというのは、論理以上のものだ。


なぜか、さきほどから目の前にいる魔王の言葉が果てしない真実味を持って迫ってくるのだ。

息をしなければ死ぬ? といわれたかのようだ。 ああ、そうだろうとも。息をしないと死ぬ。

彼は絶対に嘘をついていない。なぜ、そう思うかって? わからない。彼の見た目がぼくに似ているからか?

ともかく、ここはまぎれもない現実だ。

なぜそう感じるのだろうか。


ぼくはいった。

「永久に帰れないといわれて、やる気になると?」


魔王はニヤリと笑った。

「調子が出てきたな。ああ、お前がわたしの代わりを務めあげ、魔族の平和を確立したなら、お前は自分の世界に帰還できる。そのように〝設定〟した」


魔王が血のついた手を差し出した。

ぼくは恐る恐るその手を握った。

死にかけとは思えないほどに熱い手だった。


「すまないと思う。だが、お主だけが、わたしの仲間たちを救えるのだ。頼むぞ」

魔王はそういうと、腰から剣を鞘ごと取り外し、ぼくに渡した。

「思考剣ヴァランダルだ。わたしになる以上、これがなくてはな」


「しこう?」と、ぼく。


すると、頭の中で声が響いた。

(考える剣、です。ご主人様)


「うわ!」ぼくは思わず後じさった。「しゃべった!?」


だが、頭の中で響いたはずの声は応えない。


メデューサが横からいった。

「陛下のヴァランダルは、念波で会話できるけど〝無口〟なの」


なんだそれ?


突っ込む前に異常に気づいた。


燃えているのだ。

魔王が目の前で燃え始めている。

全身を炎が包みつつあった。


メデューサが悲鳴をあげた。


魔王がいった。炎の中でも話ができるのか?

ともかく、声が聞こえた。

「わたしの遺体があっては、わたしの死を疑われるからな」


「陛下!そんな!待って!」

メデューサがすがろうとしたが、その前に火勢が一気に強くなった。

戦場に炎の柱が上がり、あっという間に消えた。

後に残ったのは、白い灰だけだった。


風が吹き、灰はさらに舞い上がった。


ぼくもメデューサも呆然としていた。


いまのいままで目の前にいた魔王が消えてしまった。


ぼくはメデューサと顔を見合わせた。

メデューサの髪の蛇の一匹が、彼女の涙を身体でぬぐった。


そのとき、ひときわ大きな鬨の声があがった。

見れば、槍型に陣形を組んだ騎馬たちが凄まじい勢いで戦場を貫いている。

目の前にいるものは敵も味方もすべて踏みしだく。

泥まみれになってもみ合っていた、コボルトと人間の戦士はあわてて逃げようとしたが、二人ともあっという間に蹄に潰された。


騎馬たちはこちらにまっすぐ向かっていた。

もう目と鼻の先だ。


メデューサがいった。

「魔法よ!魔法で撃退するの」


「あ、ああ!」

ぼくは両手を正面に突き出した。

「ほ、炎!」


炎が出た。ただし焚き火程度のサイズだ。

ふわふわと宙を漂っている。


「ちょ、ちょっと!」メデューサが叫んだ。


騎馬が突っ込んできた。


☆☆☆☆


ぼくはもう一度手のひらを突き出した。

だが、出たのはまたしてもちっぽけな蛍火だった。


騎馬の集団が地鳴りを響かせて近づいてくる。

個々の騎士が構えたロングスピアが、イッカクの角ののうに情け容赦なく亜人たちを貫いていく。


メデューサが「いわんこっちゃない。あんたみたいなただの子供に陛下の代わりが務まるはずないのよ!」といって、ぼくの前に立った。


彼女が、何か小難しい呪禁を唱えて手を振ると、ぼくのものよりも遥かに大きな炎が飛び出した。

炎は騎士たちに向かって飛んだ。

数匹の馬が挙動を乱したが、それだけだった。

騎馬はあっさりと彼女の炎を蹴散らした。


メデューサが青ざめた。


ぼくの頭の中で、ヴァランダルの声が響いた。

(具象化不足です。あなたは先程〝大きな炎よ出ろ〟と、言葉で考えました。それではいけません。もっと細かく想像するのです。炎の色は? 温度は? 匂いは? どのようなものを燃やせますか? また燃やせないものは? いつまで燃えていられますか?)


つまり、燃焼過程をきっちり考えろってことか?


ぼくはめげずに、再度手を掲げた。


騎馬との距離はもう五十メートルを切っている。


これが失敗すれば、ぼくもメデューサも終わりだ。

であれば、小規模ながら生成に成功した炎以外に手を出すべきじゃない。

氷を出したり、土を操ろうとするのはリスクが高すぎる。


メデューサが振り向いた。

恐怖が宿っている。

「何をする気?」


ぼくは息を吐いた。

落ち着け。


ぼくが炎を起こせたということは、無意識にその性質を、ぼくの知識に基づいて思い描いていたということだ。つまり、この世界の基本法則は現実世界とほぼ同じなのだ。


燃焼の化学反応機構を細かく組み立てる必要はない。

炎は即座に出せるんだ。

なら、あとは燃料を追加してやればいい。


ぼくは空気中を漂っているであろう水分子を思い描いた。足元は泥地だ。さぞかしたくさんの水分子が漂っているだろう。


頭のなかで、極薄のナイフをイメージする。

原子同士の結合をちょん切る〝単原子ナイフ〟だ。

原理的には、こいつに切れないものはない。


無数のナイフが水分子を切り裂き、酸素と水素に分離する。分離範囲は騎馬たちの前方十メートル、縦横高さ十メートルの範囲だ。


で、そこに火を送り込む。


次の瞬間、閃光が走った。


衝撃波がぼくとメデューサを吹き飛ばした。

ぼくたちは数メートル後ろに転がって、泥の中に顔を突っ込んだ。


轟音が戦場全体になり響く。


ぼくは完全に耳が麻痺していた。どうにか立ち上がったものの、よろけてしまい、また泥の中に膝をついた。頭がいたい。鼻もだ。手を当てると、鼻血が出ていた。視界は真っ赤に染まっている。眼球から内出血しているらしい。


顔を上げると、真っ白なキノコ雲ーー小さいがたしかにキノコ雲だーーが、ふわふわと空に昇っていくところだった。


その下には、騎士たちの〝残骸〟が散らばっていた。


ぼくは呆然とそれを眺めていた。


現実感がない。

これぞ夢だ。

ぼくの手で人が死んだ。

それも、少なく見ても十五人。

元の世界なら間違いなく死刑だ。

ぼくが、魔法で、人を殺した?

まさか。


どれくらいそうしていたのか。

誰かが、ぼくの肩を叩いた拍子に、ぼくは身を折り曲げて吐いた。

昨晩食べたハンバーグが胃酸と共に飛び出した。


頭のなかで声が響いた。

(あなたは今、激しく混乱しています。わたくしには多少の心理操作が可能です。一時的に負荷を退避させましょうか? ただし、いずれは処理していただかねばなりませんが)


(た、頼むよ!)

ぼくは四つん這いになり、激しく嘔吐しながら願った。


途端に、心が冷静になった。

いや、もちろん人を殺した罪の重さは理解しているのだが、〝それはそれ、これはこれ〟と気持ちになっている。


論理的に考えて、殺さねばこちらが殺されたのだ。

これは間違いなく緊急避難、いや、正当防衛だ。


「ねえ、大丈夫?」

メデューサが、ぼくの肩に手を置いたままいった。


「ああ」答えながら立ち上がる。


メデューサの顔は泥だらけだった。

それでも、笑みは隠しようがなかった。

「なんなの、いまの?」と、彼女。


ぼくはこめかみを指で押しながらいった。

「自由空間蒸気爆発。大気中に拡散した可燃物質が爆発的に燃焼したんだ」


これは、昨晩読んだ『近代戦争の進化と科学』にあった現象だ。燃料気化爆弾の基礎理論として掲載されていた。


燃料気化爆弾は、エチレン系の可燃物を広範囲に散布した上で着火し、散布空間そのものを一個の巨大な爆薬と化す。通常の爆弾が、衝撃波で外装を覆う金属片を炸裂させ、それを持って敵を攻撃するのに対し、こちらは激烈な〝衝撃波そのもの〟で攻撃する。その殲滅力は通常爆弾の比ではなく、〝すべての爆弾の母〟と称される。


「くそ、ここまでやるはずじゃなかったのに。可燃物の散布範囲を間違えた」


ぼくはつぶやいた。

十メートル立方? バカか?

とっさにイメージしたゆえとはいえ、あまりにでかすぎる!

十メートル立方の通常爆薬が炸裂したも同然だ!

まったく冷静さを欠いていたじゃないか。

ぼくやメデューサ含め、周囲数百メートルのすべての生命が即死してもおかしくなかった。


とすれば、現実の燃料気化爆弾ほどの威力は出なかったということだ。イメージの精度の問題だろう。〝炎よ出ろ〟よりは遥かに詳細だったとはいえ、ありえない物理バサミを使ったりと、適当な部分があったせいで、理論通りの破壊力には届かなかったと見える。


「間違えた?」メデューサが首を横に振った。「何いってるのよ! これでいいの! 大成功じゃないの! 陛下に匹敵する大魔法よ!」


ぼくは戦場が静まり返っていることに気づいた。

もう耳は回復しているのに、さきほどまでの騒々しさがない。


見れば、周りの戦士たちは、敵も味方も一様に手を止めて、ぼくの方を見つめていた。


メデューサが大声でいった。

「バシレイオス陛下、万歳!!」


たちまち、魔王軍の亜人種たち全体に万歳の輪が広がり、戦場全体に轟いた。


魔王軍の誰もが闘志を高め、敵に切り込んでいく。

ゴブリンの大隊が、オオトカゲに乗ったコボルトたちが、オークの一団が、鬨の声と共に陣形を組み直し、突撃する。


(主人の鼓舞に、みなが応えました)と、ヴァランダル。(だが、それは向こうも同じです)


どういう意味だ? と、聞き直す前に、意味がわかった。


人間の騎士、歩兵、魔法使い、とんでもない数の敵が、混戦のなか縫って、ぼくめがけて突撃してきたのだ。さきほどの騎士たちの十倍はいる。


ヴァランダルがいった。

(いまので、主人の位置が、総大将の位置が敵にバレました)


☆☆☆☆


敵が近づいてくる。


敵? ふと思った。彼らは人間だ。

そして、ぼくも人間だ。

投降すれば助かるのでは?


ぼくは頭をふった。

ついいまさきほど騎士たちを大勢殺したのだ。

しかも、ぼくの外見は魔王そっくりなのだ。

処刑されるに決まってる!


ぼくは逃げ道がないか、周りを見回したが、どの方向からも敵が近づいてくる。散らばっている魔王軍の軍団、兵士たちの間を縫うように近づいてくる。


くそ、そもそもこの戦いは何なのか。

なぜ、総大将である魔王がこんな前線にいるのか。


(主人は、常に先頭に立って味方を鼓舞しておりました)頭のなかで思考剣ヴァランダルの声が響いた。(これが戦闘経過です)


ヴァランダルが、ぼくに戦闘の光景を寄越した。じつに不思議な感覚だ。記憶の中にある光景のようであるのに、いまのいままでぼくのなかにはなかったものなのだ。


泥炭地質の平原で対峙する魔王軍と人間軍。


魔王軍はまさにごった煮にともいうべき陣容だった。

コボルト、オーク、ゴブリン、メデューサ、それにぼくの知らない何十もの亜人種たち。

みな、なんとなくな形で、大きな長方形よ陣形をとっていた。統制はいまいちで、長方形の形は大きく歪んでいる。

兵士一人一人が持つ武器はてんでバラバラ。

剣、槍、斧、ナイフ、棍棒、モーニングスター。

まったく統一感がない。

防具を着込んでいるものの方が珍しく、せいぜいが皮鎧といったところだ。


それに対して、人間軍はきっちりしている。

乱れのない三角型の陣形を組み、騎兵、歩兵、弓兵といった種別ごと綺麗に装備を揃えている。みなキラキラ輝く鎧兜を装備していた。


人間軍の中央には一人の指揮官。

ーーそもそもこの光景は誰のものだ? ヴァランダルは剣だから視覚などない。となると、死んだ魔王がかつて見ていたものか? とんでもない視力だ。双眼鏡でも使っていたのか?ーー

周りの兵士たちが彼に尊敬の念を抱いているのがよく分かる。

指揮官は、白馬に乗った白髪頭の老人だった。ただし、年経てはいるがその身体は大きく、筋骨隆々としている。

白銀の鎧は周りの騎士たちのそれよりも、いっそうキラキラと輝いている。


魔王軍のなかでもとりわけ巨大なトロールが一匹、血まみれになりながらも人間軍の陣形を突破して、指揮官に近づいていく。


指揮官は周囲の部下を下がらせると、騎乗しているとはいえ、たった一人で対峙した。


トロールが雄叫びをあげながら、丸太のような棍棒を振り下ろした。


指揮官が腰の剣を一閃した。


次の瞬間、トロールは棍棒ごと胴体を寸断されていた。下半身はそのままに上半身だけが臓物を撒き散らしながら吹き飛んだ。


なんだ?

指向性の衝撃波?

それともカマイタチのような現象か?


人間の兵士たちが、指揮官の勝利に拳を突き上げた。

指揮官が右手を天に突き上げ、応えた。


次のシーンでは、魔王軍と人間軍が正面からぶつかっていた。

統制が取れているのは人間側だが、亜人種たちは獣のように襲いかかり、命を惜しまない戦いぶりを見せた。


その次のシーンでは、現在の大混戦に突入していた。

魔王は、この野人のような集団を、よほどうまく指揮したようだ。

いまの状況なら、人間側も集団としての力を生かしきれなき。


(どうやったんだい?)

ぼくは頭のなかで言葉を並べた。


ヴァランダルがいう。

(主人自身がエサとなり、身を差し出したのです)


総大将自ら先頭に立つことで、人間軍の部隊間の巧名争いを起こしたらしい。


人間は、それほどまでに魔王の首を欲しているのか。

つまり、いまはぼくの首を。


湧き出した人間の戦士たちは、ぼくに近づくことなく、ぼくを遠巻きにして大きな円を作った。


その外で、二メートルはありそうなゴブリンが「魔王ざまああ!」と叫んで、包囲円に突撃した。だが、人間たちは短い間にがっちりと陣形を組んでおり、ゴブリンはなかなか突破できなかった。


包囲円のあちこちに、魔王軍の兵士たちが取り付いた。みな、ぼくを救おうと必死なのだ。それでも、人間の陣形は固い。


人間たちの間から、さきほどヴァランダルの記憶の中で見た指揮官が徒歩で現れた。巨大なトロールを一撃で瞬殺したあの剣をすでに抜き払っている。


指揮官がぼくに剣を突きつけた。

声を張りがあげる。

「感謝するぞ、魔王バシレイオスよ」


メデューサが小声でいった。

「あいつ!」


「誰?」と、ぼく。


「浄化王メルカバ、世界を支配する人間七王の一人で、魔族狩りの急先鋒」


浄化王メルカバが続けた。

「お主のおかげで、わしはまたしても人々の幸せに貢献することができる。お主を殺せば、ここに集まった魔物どもはもはや烏合の衆。殲滅は容易い。それにて、無辜の民は平和を取り戻すのだ」


「ふざけるな」メデューサが舌打ちした。「何が平和よ!人間どもはわたしたちの土地を奪い取ろうとし、わたしたちは抵抗しただけなのに!」


浄化王メルカバが手のひらを額に当てた。

ぼくをじっと見つめていう。

「しかし、その、お主は本当にバシレイオスなのか?」


☆☆☆☆☆


「どういう意味だ?」


メルカバが白い顎鬚をかいた。

「お主は、魔王バシレイオスなのじゃろう? 亜人どもを統一したはじめての王、それにしては少々若く見えるのでな。十七、八か? それに、その外見、耳の形が少々いびつな以外、我ら〝純血〟そっくりではないか。お主ながら、〝純血〟は無理にしても〝下層民〟として生きられるだろう」


メデューサが深く息を吐いた。

「陛下は、唯一無二の亜種族。その誇りにかけて、純血に与することなどありえない!」


ぼくは自分の耳を触った。

なるほど、ぼくは自分が人だと思っていたけど、この世界の基準ではどうやらそうでないらしい。


純血と呼ばれる見目麗しいとんがり耳の種族だけが人

であり、それ以外は全員亜人種というわけか。


メルカバが頷いた。

「それならそれでよい。しかし、切り捨てる前にもう一つだけ聞かせてくれないか? なぜ、そんな演劇のなかから出てきたような服装をしているのだ? それは、なんというのだったか? たしか、都の子女の間で流行っておる演目の服装だろう? 異なる世界の〝学校〟を舞台にしておるとかいう」


ぼくは自分の学生服を見下ろした。

そういえば、魔王がいっていた。

ぼくの世界とこの世界は互いに影響を与えてある。

ぼくの世界の誰かが、こちらに迷いこんでオークやコボルトを目にしたように、こちらの世界の誰かが、現代日本の中学や高校に迷い込んだりでもしたのだろうか。


メデューサが、またしてもぼくにかわって声を張り上げた。

「ごちゃごちゃとやかましいやつ。そんなに陛下と立ち会うのが恐ろしいのか!?」


「是非もない」メルカバが歩を進めた。「余が恐れるだと? たしかに平民たちは邪悪なる亜人種に恐れをなしておる。だが、余が恐れる? 下賎な魔物の小娘よ。口が過ぎたな。そこの愚かな王のあとは、お主の番だ」


ぼくは小声でメデューサにいった。

「ちょっと! なに焚付けてんのさ!?」


「わざとよ! 決闘に持ち込んであげたんだから感謝しなさい! もし、あいつが部下共々襲ってきたら、わたしたちは嬲り殺しにあうだけなのよ」


「そりゃあどうも。でも、決闘だって、ぼくが殺されることにはかわりないと思うけど」


メルカバは遠慮なく距離を詰めてくる。

残りは三十メートル。


ぼくの、いや、魔王の部下たちは包囲陣内からぼくを救出しようと突撃を繰り返しているが、メルカバの部下たちはびくともしない。彼らの構える盾がぼんやりと青く光ったいることから見て、なんらかの防御エネルギーのようなものが陣形全体を覆っているのかもしれない。


魔王さまあ!と、中に入らない魔物たちの声が聞こえる。


メデューサがいった。

「あなたは死なないわよ。あれがあるでしょ! さっきのやつよ。騎士たちをふっとばした魔法」


「いや、あれはもう使えないんだ」


ーーーーーー


時間感覚が引き伸ばされていた。


ぼくは核の光に包まれながら、この世界に転移してからのすべてを思い返していた。


メルカバをレーザーで倒したこと、魔王軍の幹部たちとの軍議、魔王と政略結婚していた魔物の娘たちをどうにか誤魔化したこと、そしてメデューサのこと。


彼女を救えるのなら、こうした最後も悪くない。


〝救う?〟


ヴァランダルの意識が割って入った。


〝主はまだ何も救ってはおりませんよ〟


ヴァランダルが信じたがたいほど複雑な数式を寄越した。

ぼくは読み取って驚愕した。


これは四次元を操作するための式だ。


出力条件はただ一つ、これまでにこの世界で使われたすべての火炎魔法を合わせたよりも巨大なエネルギーさえあれば、即座に実行できる。


いま、まさにぼくに襲いかかろうとする核エネルギーがあれば。


ーーーーーー


ぼくは平原に立っていた。


さきほどまで眼前を埋め尽くしていたハイエルフの軍団は消え去り、ただ、エニシダが冷たい風に吹かれている。遠くの山塊にかかった黒雲から、微かな雷鳴が聞こえてきた。


「ここは……」


呟くと、ヴァランダルが答えた。


(新生歴5868年8月23日です。つまり、さきほどの時間軸の六年前となります)


「時間を飛び越えた? しかも六年前? メデューサは? 魔王軍のみんなは?」


(この世界で、ハイエルフたちの圧政に苦しんでおります。彼らを救うことができるのは主だけです)


「いや、魔王は? 魔王本人も生きてるってことでしょ? どこにいけば会える?)


そうだ。ぼくをこの世界に引きずり込んだ張本人にして、世界最強の魔法使いだったバシレイオス。ぼくそっくりのバシレイオス。いまのぼくと彼が力を合わせれば、エルフ王にだって核なしで十分立ち向かえる!


ぼくが意気込んでいると、ヴァランダルがいった。


(魔王様はおります。あなたです。あなたが魔王バシレイオス様ご本人なのです)


また雷鳴が響いた。


ぼくの背筋に鳥肌が立っていた。


未来が見えるバシレイオス。

この世界の誰とも違う魔法を使うバシレイオス。

ぼくそっくりなバシレイオス。


何もかも当然だったのだ。

彼は、過去に戻ったぼく自身だったのだから。


ぼくは、魔王がどのようにして魔王軍を結成したか知っている。それに基づいて行動する。そして、あの日、暗殺者に傷を負わされ、死ぬ前に元世界から自分自身を召喚する。


ああ、できるだろう。次元を操作する公式はすでにぼくの手の中にあるのだから。


ヴァランダルがいった。

(よろしいのですか? あなたが行動を変えれば、あなた自身の死は避けられるかもしれないのですよ?)


ぼくは微笑んだ。

「いいさ」


ぼくは平原を進み始めた。


今日は新生歴5868年8月23日、メデューサに耳にタコができるほど聞かされた日付に近い。


魔王が初めて世に姿を現したのは、二日後の都市ゲラードグランの奴隷市だ。そこで、競りにかけられていた一人のメデューサを救うのだ。


ぼくはバシレイオス、まもなく魔王と呼ばれることになる男だ。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

理系影武者魔王の物理学無双〜喰らえ! E = mc2〜 ころぽっかー @sikiasaka

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ