第54話 師匠
「めえぇええーん!!」
「きええぇえぃっ!」
「やああーっっ!!」
判定が機械判定になっても、選手たちの気合は変わらない。声を出さないと体が動かないっていうのは本当だと思ってる。
「アイそれまでー! 半まで休憩ー!」
「ハイ!」
壁へ下がって座り、面を外す。
そうすると、もう寒くはなくなったけど、モワッと湯気が立つような気がする。
剣道は、熱い。
一瞬の刻を突き一瞬の刻を切る。
その瞬間の為にすべての神経を集中し、その瞬間の為に鍛えたすべてがある。
試合時間は5分だけど、その内の1秒にも満たない瞬間を待ち構え、その瞬間だけがクローズアップされておれの中に残る。
幾度も繰り返される練習の中で、その瞬間だけが。
給水して汗を拭き、水分が身体に染み込むのを待つ。
荒い息が整ってくる。
「さっきの凄かったな」
「うんうまく入った」
「ハハ」
短くしかしゃべれない。頭の中はまださっきの瞬間をリプレイしてる。
「敵わねー」
そう言って仰向けになった吉田くんを、おれはようやく振り返った。
「え?」
吉田くんは両腕で上体を支えて、ちょっとおなかを凹ませた体勢でうつむいた。心配になって顔を覗き込む。
「なんでもない。ハハ」
吉田くんはすぐにそう言って笑顔を向けた。
何も言えないでいるうちに、
「さー、トイレ行ってくる」
と言って、そそくさと出て行った。
運動の世界にいるおれ達は、競争から逃れられない。強いことがすべての基準で、強者は弱者に何かをすることはできない。
吉田くんは練習をしっかりやるし、さぼったり絶対しない。真面目だし、先輩や先生に叱られたりしてみんなが落ち込んでも、励ましたりしてくれる気遣いの人だ。
でも弱い。強くならない。
練習してるのにどうしてなんだろう。体力も運動能力も上がっているのにな。
真面目にがんばる人が勝てる世界じゃないことが、ちょっと寂しい。
まあ、運動部に限った話じゃないかもしれないけど。
半まであと少し。おれは立ち上がった。
長くやってれば強くなるかっていったら、そういう訳でもないしなあ。
おれが剣道を始めたのは小学四年生の時。
家の近所にある的場中学に道場があると、聞いてきたのは父さんだった。
若い頃剣道をやっていた父さんは、仕事から早く帰れる時にでもやりたいと、前から思っていたらしい。息子のおれと一緒にできれば理想的だと。
指導者が全員ボランティアのこのスポーツクラブは、そんな父さんの希望にぴったりだった。
一度見学に行って、その場で申し込みした。
当のおれとしては新しい武道の世界に興味しんしんで、父さんが一緒だってことはどうでも良かった。今から思えば、この一緒に運動した経験は、とても大切なものになっているんだけど。
でも、武道を始めた頃という話なら、もっと記憶を遡ることになる。
実際何歳の時なのかわからない。
もっとずっと小さい頃から、古武道の道場に通っていた。
初めてその場所に迷い込んだのは、たぶん5歳かそれより前、そんなだからよく覚えてないおぼろげな記憶。
誰かと遊んでたのか、それとも一人で家の近所に遊びに行くつもりでいたのか、ちょっとほそ道を曲がっただけで知らない場所に出た。
しばらくは元の道を探してウロウロしていたおれが、見つからずに泣いていると、声をかけてくれたのが師匠。
師匠は盲目で、でもまったく不自由なく生活してる、凄い人だ。
優しい声でおれをあやし、自分の家でもある道場に連れてってくれた。
道場は静かで小ぢんまりしていて、おれと師匠の他は誰もいなかった。
そこでお茶を飲んでから、落ち着いたおれから家の特徴を聞き出し、家まで送ってくれたんだ。
母さんはおれが迷ってたことには全然気づいてなかったから、めちゃくちゃお礼言ってた気がする。
それからおれは道場への道を覚えて、稽古する師匠を見たり真似したりするうちに、なんとなく弟子になり今に至る。
後から聞いたところによると、師匠には他にも弟子がいる。でも目が見えないから、積極的には取ってないって言ってた。その弟子も、ときどきしか来れないから会えないな、と。
目が見えないって言うけど、師匠はもの凄く強い、と思う。
身体の動かし方や受け身なんかが中心で、戦い方は教わってないおれだけど、わかる。
穏やかで柔らかな身のこなしで、優雅とも感じる師匠の動きには、おれが竹刀で打ち込んでも100パーかわされると思わされる。
師匠に向かってそんなこと、絶対しないけど。
中学になってから自由な時間が減って、あんまり行ってない。
もともと決まった時間に行く習慣じゃなかったから、長く行かないでいると行きづらくなってしまって。
なんだか行きたくなってきたな。師匠の声を聞きたい。
今日ちょっと、帰りに寄ってみようかな。
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