第2話
「由隆、ゆたくん……」
わたしは何度も彼の名前を呼んだ。彼の顔はもう見ることはできない。
霊安室に運ばれるまで、わたしはずっと彼に付き添った。
暗い部屋に一人なんてかわいそう。
私たちはいつも一緒にいた、高校三年の秋から、大学の間も。
二年ほど少し距離を置いた。
由隆は進路で悩んでいた時にコロナが蔓延して、大阪と京都という住んでいた住居が離れていた事で、わたしは感染を恐れて大阪の大学には行かなかった。由隆は大学は閉鎖の間もバイトには、行っていたし、家族の中で妹も家にいた事もあり、わたしに会いたがった。
コロナ鬱という事だろうか。
自粛期間の間は彼の父もリモートワークで自宅にいたものだから、わたしのスマホには会いたいというメッセージが溢れていた。少し、壊れていたのかも知れない、彼のメンタル。わたしはそれには触れず、見ないふりをして努めて普通に自分の意見を彼に伝えた。分かってくれるとか、理解されようとかなんて思っていなかった。
こういう事態が自分たちだけの前にぶら下がっているのでも立ちはだかっているのではない。みんなの、すべての人の上に平等にある。日本だけじゃない、世界が,だ。
そんな事が理解できない人ではないとわたしは由隆をかしこい人だと思っていたから付き合っていたはず、だった。
「会いたいよ、わたしも。でも、ゆたくんが感染していても、症状がない。わたしも症状がなかっても、うちのお母さんは肺が悪い、一度肺炎をしてあとで慢性の気管支炎で今も吸引を定期的にしているって、言ったよね」
わたしは半ば切れそうになりながら、ゆたくんに言った。
「僕とお母さん、どっちが大事なの」
「選べないよ、そんな事。でもお母さんがいないとわたしは今、ここにいないんだよ。分かるよね、よしくん。今だけ……」
「もういいよ。僕には会えない。でも他のカップルはみんな普通に会ってるし。でも僕たちは会えないんだね」
それは夏休み前の事だった。
電話での言い争いはこれだけではなかった。
秋が来た、とは言いがたい。暑さはほぼ夏のもの。9月になり、大学の研究所が再開されて大学に行った。だらだらと汗は流れて、額には吹き出す汗にわたしは閉口していた。
その期間は父が借りた賃貸のワンルームにわたしは5日間そこで一人暮らしをして、異常がなければ家に帰るという取り決めをしていた。小型の冷蔵庫とスティックタイプの掃除機、マットレスと、布団。丸い折りたたみのテーブルだけが家財で、それ以外はボトルの水や、レトルト食品と電子レンジで最低限度の生活ができる。洗濯物はまとめて玄関先に置いておくと母が自転車で取りに来て持って帰る。その時に夕食をお弁当箱に詰めて冷蔵庫に入れてくれた。
よしくんはそのマンションに遊びに行きたいと言ったがわたしが断ると、
「もう、別れよう」
電話の向こうでため息を付いてよしくんは言った。
「そう、分かった」
わたしは簡単だったと思う、付き合って一年。そんなに簡単に別れるような存在でしかないのかと思った。体を許していないし、それもあったのかも知れない。セックスは求められても、わたしが最後の線を拒んだ。それは自分の最後の砦だったから。昭和の女に育てられたわたしは、自分が誰のものでもないとか古い理屈ではなく。単純にその行為自体を安全面で避けただけだった。
完璧な避妊などどこにもない、女性になれていないよしくんがミスったら、もしも望まない妊娠をしたらリスクを負うのは自分だ。
よしくんにとって、わたしがそれを口にしていた事もあり、不服に思う気持ちをこれ以上押し殺すのに限界がきたのかもと思えた。
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