中間試験3

「あ、副団長すいません、先程言ってた護衛見つけたんですけど、ちょっと妙な事を聞いたので報告です」


 カミルからの耳を疑う様な報告に、アシュレイは深呼吸とも溜息ともつかない息を吐き出した。


「お前の突飛な発言は今に始まった事では無いが……それにしてもたかが数十分で居るかどうかも分からない護衛と接触して話をしたとはどう言う事なんだ。……まぁ良い、良くやった。それでどんな話を聞いたんだ?」


「全然褒められてる気がしないっすけど……。ええとですね、先日エレノア様の部屋に忍び込んだらしいんですよ。エレノア様の部屋には洋服しか無くて、教科書の類い一つ無かったって言うんです。それで、もしかしたら華耀王子に全部やらせてるんじゃないのかって凄い剣幕で訴えられました」


「勝手に部屋に入っただと? その護衛は一体何を考えてるんだ!? いや、良い。過ぎた事を言うより、今は話を聞く方が先だ。一体何だってエレノア様の部屋に入ろうと思ったんだ?」


「はぁ、良かったっす、主人の為なら何でもする的な暗黙の了解があるのを、自分が世間知らずだから知らなかったのかと思ったんですけどそう言う訳じゃ無いんすね。余りにも堂々と言うから自分の方がおかしいのかと思ったんですよー……。あぁええと、何でもこの護衛の子なんですけど……どうやら騎士団員の娘らしくて。


 華耀王子が入学する直前迄は別の護衛がちゃんと居たらしいんですけど、年齢的にどうしても王子と一緒に入学するのは無理だから急遽年齢の近い護衛を探す事になった時に抜擢されたらしいっす。彼女も幼い頃から王子と一緒に騎士団に混じって剣術の稽古をしていたから顔馴染みだし、年齢も十四でちょっと早いけど丁度良いだろう、と抜擢された様で。王子と一緒で騎士団の稽古に参加していたのに、その頃から一度もエレノア様と王子が一緒に居る所を見た事が無かったので、ずっと気になっていたらしいんですが……。


 いざ入学してみると、その疑問は疑念に変わったらしいです。エレノア様と王子は同じ講義を取るのを徹底的に避けるし、王子は実技科目こそ顔を出しはするけれど、座学はほとんどお出にならない。それどころか自室から出て来る所すら見るのが稀だそうで。


 護衛とは言え、自室に一緒に入ってくる事を、王子は頑なに拒否した様です。なので、こっそり何処かから出入りしている可能性は否めないそうですが、そもそも王子がこそこそしているのは、それこそエレノア様の所為なのではと考えたそうで。そこでエレノア様の部屋に忍び込んだ話に戻ります」


「はぁ……。まぁ、我々も似た様な事を考えていたのだから、彼女の疑念はおかしくは無いと思うが、それにしたって部屋に忍び込むなんて有り得ない。まぁ彼女の所業の処罰は後々考えるとして……だ。カミル、この話をどう見る?」


「個人的には、エレノア様の部屋に洋服しか無かった、と言う点は気になるっすねぇ……。確かに教科書類が無いのは王子に押し付けている、と言う見方も出来ますが、流石に日常生活において教科書と洋服だけで事足りるとは思えない。有事の際に持ち出せる様に荷物をまとめている、と考える方が妥当かと」


「やはりそう思うか。しかし、一体何を警戒しているのだ? 中立を謳っているとは言え、自国内の学院だ。他国の人間ならともかく、エレノア様が警戒する様な事はそう無い筈……。それとも、王妃様の遠縁と言う事はエレノア様も緋藍帝国の血、それも紅家の血筋の筈だ。その辺りの事情で何かを警戒している、と言う事か? いや、これに関しては流石に情報が少なすぎて何も判断が出来ないな。


 ひとまず、今は華耀殿下の身の安全が最優先だが……。そちらに関しての進捗は?」


「うーん、実は、先程も言った通り普段から自室にこもりきりの様で……。今日も多分、特段何かが起こっている訳では無く、御自身が出場なされる種目迄自室に居るだけでは無いか、と護衛は言っています。


 多分エレノア様と王子は決して顔を合わせる事は無いので、エレノア様の出番が終わる迄出て来る事は無いだろう、と」


「流石に中間試験迄そんな状態なのだとしたら、子供の喧嘩としか思えないが……我々と違って護衛殿は普段から殿下を良く見ているのだろうし、信憑性は高いか。私はこのままエレノア様の動向を監視する。彼女が動く素振りを見せたら報告するから、殿下の部屋に向かってみてくれ。それ迄は聞き込みでも何でも好きにして良い。


 と言っても、こちらはもう決勝戦……、予想通りニーナ殿、イリヤ殿、エレノア様の三人だ」


「こうなる事を狙ったようなトーナメント表っすね。まぁ日頃から授業を受け持っているんです、三人が途中で潰し合わない様にそうしたんでしょうけど。騎士団としては誰をスカウトするか決めたんですか?」


「まぁ決勝に残った者に声を掛けない訳にもいかんが……エレノア様に至っては下手をしたら王妃候補だし、ニーナ殿も殿下と仲が良いのであれば、近衛の方に行きそうだし、イリヤ殿に関しては様々な思惑もありそうで触れたくないと言うのが本音だ」


「母国の再興、とか……?」


「もう何世代も前の話とは言え、本人がどう考えているのかは誰にも分からないだろう。あの容姿であれば、先祖が復興の悲願を託す為に血筋を保ったとも受け取れる。それに本人にその気が無くても、あの容姿だ、かつての家臣の末裔が接触して来ると言う可能性もある。前者であれば下手をしたら内部情報を漏らされるし、後者であれば事件に巻き込まれる可能性がある。実力だけで簡単に騎士団に入れる訳には、な」


「確かにあの容姿は目立ちますからね、復興を子孫に託すなら王族の外見は伝えられてるでしょうから家臣の血筋も気付いちゃう。ちょっと歴史に造詣が深い人間もすぐに思い当たるでしょうし、色んな思惑に利用されそうだ。


 ま、既に色々苦労しているからこそあれだけの強さと眼力を身につけた可能性もありますけどね。


 とりあえず、副団長にその気は無くても声だけは掛けるんでしょう?」


「ああ、決勝組に声を掛けずに他の人物に声を掛ける訳にもいかない。何よりスカウトは基本、どこの誰がどの様な条件で声を掛けたのかを秘匿する為に、生徒の自室に訪問する形で行なわれるだろう? 先程の護衛殿の言葉を確認する、絶好の機会だ」


「結局副団長も前々からエレノア様の事は気にしてましたもんね。了解っす。


 多分この後のチーム戦で、何事も無ければ王子と妹君のチームも良い所迄は絶対行くんでしょうし……ついでに王子の部屋も見れると良いですね」



   §-§-§



 カミルとの通信を切ってから待つ事暫し。休憩を挟み、いよいよ個人戦の決勝が始まった。


 先程の準決勝に至る迄は観客もまばら、いや、そこそこの人数は居たのだが、それぞれの選手の邪魔をせぬ様にと言う配慮なのだろう、遠慮がちに遠目で見ていた。だが、準々決勝、準決勝辺りから観客側もヒートアップしていき、決勝が始まった今、配慮も遠慮もどこかに置き忘れた様に沸き立っている。


 それもそうだろう。正直、いくら職業訓練校出身の特待生揃いとは言え、一年生、それも入学して数ヶ月の初めての試験は、実の所、例年は盛り上がりに欠けていた。だから彼等の本命は二年生以降、まだ正式に将来を決定しては居ないが、努力と才能により実力差をどんどんつけ始めた頃合の生徒なのである。


 それが、ついでの様に覗いた一年クラスでここ迄突出した実力者――それも武術家の家系等では無い――、完全に無注目ノーマークの無名の生徒が三人も居たのだから、驚きと興奮は尋常では無いだろう。


 だが、その内の二人の素性を確定では無いとは言え知っているアシュレイからしてみれば、そうだろうな、と言うのが正直な感想である。


 元々亡国の王族は武術によって最盛期には世界の覇権を握っていたと言うのであるから、王族独自の剣術なりが存在して、みっちり教え込まれていた筈だ。勿論、復興と言う悲願が前提の話ではあるが。


 エレノアに関しては、元々華耀よりは人前に出る事が多く、その才能も幼い頃から風の噂で聞いていた。だが一部の口さがない者達が、直系王族よりも目立つ等非常識だ、等と声を大にして嫌みを言ったからか、その後は華耀共々一切の情報が出回らなくなっただけの事。


 ――剣術はずっと王国騎士団直々に仕込まれていた。その上であの大魔導師三人に師事していたのだから、相当の実力がある筈だ。剣術の腕が華耀殿下とどちらが上なのかは分からないが、殿下は魔術が使えない筈。となるともし仮に二人が対峙した場合、エレノア様に分があるのだろうか……?

 いや、確か先日の一件で殿下は魔術が発動する前に解呪したと報告が上がっていた。となれば、分があるのは殿下の方だろうか。


 アシュレイがそんな事を考えている間も、三人の戦いは拮抗した状態が続いている。


 ニーナに関しての情報は一切持っていないアシュレイだが、その実力が残りの二人に対して引けを取っていない事拮抗している状況からして一目瞭然だ。


 武器は学院が用意した木製ではあるものの、形が全て微妙に違う所を見るに、それぞれの生徒の要望に合わせて作った物だと窺える。元々アシュレイが在学していた当時からその制度は存在していたが、通常は己に合うサイズや形を理解する迄、汎用片手剣から学び、そこから数年を掛けて短剣や大剣等、自分に合った武器に派生するのが当たり前だった。


 記憶が正しければ、アシュレイが一年の時、自分から要望を出して武器を作って貰うレベルに達していた者は皆無だった筈。その段階で彼等がどれだけの時間、武術に取り組んでいたのかは察する事が出来た。


 これ迄の戦い方と同様、イリヤは少し長めで、細長く、うっすらと湾曲した形の片手剣を。ニーナは短剣を。エレノアは無手で戦っている。


 ニーナは短剣と素手を使い分け、素速さと予想の付かない動きで次の一手を読ませない頭脳戦を得意としている様だ。小柄な体格にもかかわらず素手を得意としているのは、生まれ故の物だろうか。もしも彼女が平民で、その中でも治安が一段階劣る貧民街出身であれば、武器一つ入手する事が厳しかったのかもしれない。


 突然奇襲される、武器を奪われる。様々な可能性がある実戦において、常に武器を携行している状態で戦えるとは限らない。彼女のその戦闘スタイルは、今後大いに役立つ事だろうと、アシュレイは感じた。


 エレノアもニーナと同様の戦い方だが、一番の違いは魔法だろう。豊富な魔力で武器すらも己で作り出し、遠近両方を得意とした魔法戦士と言った所か。


 規定上、武器は学院が用意した木製のみが認められているが、魔法で生み出した物は、魔法と見做される。落とした短剣を拾い直さなければならないニーナに比べれば、壊れても投げ捨てられても、或いは奪われても生成自由な分、エレノアの方が有利だろう。


 ニーナも魔法は使用している様だが、エレノアの様に豊富な魔力では無いのか、防御や撹乱の為に部分的に使用している様だ。


 唯一長剣を使うイリヤも、速度というハンデをものともせずに残りの二人の反応速度に追いついている。


 見れば見るほど見慣れない形の長剣は、やはり用いている剣術の流派に合わせた特注の形だ。イリヤの剣先をぎりぎりで交わし続けているつもりのニーナも、うっすらと湾曲した形の所為でタイミングを取るのに苦戦しているらしく、少しずつダメージが蓄積している。


 リーチの長さは間合いの広さに直結し、個人相手でも多人数相手でも敵を近づかせずに有利に運べるだろう。反面、狭い所で戦う事は余り想定していない様に見える為、ダンジョンに潜る事が多いであろう冒険者には余り向かない形だ。


 ニーナは短剣を投げたり拾ったりと翻弄し、エレノアも魔法と自身とを囮やフェイントに使い、遠近から果敢に攻め入る。


 三者三様の戦い方で、実力は完全に拮抗していた。


 いや、手数が多い分、エレノアがやや優勢にも見えるだろうか。


 極端な話、イリヤとニーナは魔術に対する造形はエレノアよりも低いだろう。フェイントや武器の為にエレノアが消費している魔力の量を考えるに、彼女が戦闘が始まってすぐに規模の大きい魔法を二人に向けて放てば勝てていた様にも思える。


 それをしなかったのは多分、二人と同じ剣術という土俵で戦いたかったからだ。


 ――様々な武器種に精通した上で、魔術と剣術の両用を実戦でやってのける、か。難易度の高い事をエレノア様は一年生にしてあれだけ形になる程身につけている。これ程の実力であれば、今日の観客にも強烈な印象を残すだろう……。

 そもそも華耀殿下がこの場に居ないのも、エレノア様に注目を浴びせる為の手段で、殿下自体もエレノア様の知名度を上げる為に動いているとか……?

 いや、エレノア様を目立たせたいなら、アルテミスを巻き込んで迄グループ戦にエントリーはしない筈。つまり、やはり護衛殿の言う様に、単に顔を合わせない為にこの場に居ないのであって、時間迄には戻ってくると言う事だろうか。


 ざわり、と空気が乱れた。ニーナが決着をつける為に動き出した事に、観客が反応したのである。


 恐らく、合間合間に休憩を挟んでたとは言え、小柄なニーナはこれ迄の戦いで既に体力を使い果たしかけているのだろう。一か八か、一気に勝負に持ち込む算段の様だった。


 ここに至る迄積極的に魔術を行使しなかったのは魔力量の少なさ故では無く、身体強化との合わせ技が十八番だった故か。先程迄の拮抗が噓の様に、ニーナの速度が目で追えぬ程に跳ね上がり、受け損ねたイリヤの身体のそこかしこに無数の傷が現れ始めた。恐らく、脚力の強化の他に風魔法等で攻撃を重ねているのだろう。手数の多さと、軌道の見えにくさから、イリヤは避けられない様だった。


 ――残体力を鑑みて、イリヤ殿一人に狙いを定めたのだろうか。いや、エレノア様を残せば必然、スピード対決へと移行する筈。彼女を優先して狙わねば、ニーナ殿の勝ちは望み薄に見えるが……。


 ふと、このチャンスにエレノアがどうして動かないのかと視線を動かし、愕然とした。イリヤ一人が狙われていたのでは無く、エレノアもまた同様に攻撃を受けていたのだ、と。先程から動かないエレノアは、だが、イリヤと違い、傷は受けていない。氷を無数に生成し、目にもとまらぬ速度のニーナの攻撃を全て受けきっていた。その証拠に、生成された氷が視認出来るか否や、と言う所で次々に砕け散っていく。


 最早、砕けたつぶてで攻撃の軌跡を判断するレベルであった。


「本当にこれは一年生同士の戦いなのか……?」


 アシュレイが思わずと言った様子で呟いたのも無理からぬ事だった。狭き門だと有名な二トラール学院の特待生と言えど、入学時の要求レベルは”魔力操作がしっかり出来ており、魔術を行使する事が出来る”、或いは”各種得意な得物の基礎が出来ている”事。つまり、実戦レベル迄完成出来ている生徒の方が少ないのである。


 それでも、基礎さえ出来ていれば後は実戦を重ねれば良いだけ。二年からぐんと伸びる生徒は多い。


 しかし、今目にしている戦いは、明らかに常軌を逸していた。


 尋常ならざる魔力制御で己の身体を強化しつつ、イリヤとエレノアの二人に同時攻撃を仕掛けるニーナ。


 身体がついていかないと判断したのか、或いは効率が良いと判断しただけか。いずれにせよ、ニーナの魔術なり短剣なりが襲い掛かるその一瞬を見極めると同時に氷を生成し、自ら動く事無く全てを捌ききっているエレノア。


 少しずつ傷が増えているとは言え、速度と機動力で不利な人物を相手に、一歩も引かずに勝機を伺うイリヤ。


 誰一人実戦慣れしていない者が居らず、あまつさえ、ここ決勝戦に来る迄切り札を隠し通していたのだから、信じられないのが当たり前だ。


 一体どれ程の時間を修練に注ぎ込めば、ここ迄の領域に達する事が出来るのか。


 高度な戦いを目の前にして興奮をしている筈なのに、どこか薄ら寒い物をアシュレイは感じた。


 やはり、と言えば良いのか、残念ながら、と言えば良いのか。押している様に見えていたニーナの勢いが徐々に削がれていくのが、遠目でも分かった。ニーナの体力がついに限界に来た様だ。


 最低限の防御姿勢を取りつつ、反撃のタイミングを見計らっていたイリヤが真っ先に動いた。


 彼等の戦いは、一年生にありがちな技の押し付け合いでは無い。序盤の攻防で、お互いの力量をどれだけ正確に読み取れていたか。それが勝敗を決した。


 彼の長剣は、速度が落ちたニーナの身体に正格に狙いを定めて伸びていく。槍かと思う程の射程の長さは、イリヤの体格と特注の長剣の為せる技だろう。離れた位置から攻め入っていたニーナにとってその射程距離は予想外だった様で、真面まともな防御姿勢を取る事も無く腹に一突き喰らい、己の身長と同等と思える程の距離を飛ばされた。あれ程吹っ飛ぶだけの重い一撃を喰らったのだ。恐らくニーナは気絶し、戦線復帰は出来ないだろう。


 イリヤはニーナの攻撃速度と体力を正確に読み取り、最低限の防御だけで時を稼いだ。一方のニーナは、体力の限界を感じた時点で遠距離からの魔術中心の攻撃へと切り替えた様だったが、イリヤの射程範囲を見誤った事により、真面な一撃を喰らってしまった。


 ニーナの些細な読み間違えが、イリヤとエレノアだけが残ると言う結果を招いたのである。


 エレノアはと言えば、イリヤがニーナに対して一撃を喰らわせる正に丁度その時、ニーナからの攻撃が止んだ事を瞬時に理解し、イリヤの背後へと静かに回り込んでいた。


 それはイリヤからしても想像の範疇だった様で、ニーナに一撃を喰らわせた直後、ニーナの状態を確認する事も無く即座に背後を振り向き、エレノアの奇襲を警戒した。


 しかし、皆の予想に反してエレノアは奇襲をするでも無く、ただ黙って背後に佇んでいた。手には――、先程迄とは違い、一本の長剣が握られていた。氷で出来ているとは到底思えない程薄く、滑らかで美しい出来映である。


 その姿は、最後の一勝負はイリヤの土俵に立ち、真正面から受け止めると言う意思の表れの様に見えた。


「――――」


 イリヤが一言、何かをエレノアに言った様に見えた。対して彼女は一度首を縦に振った。


 先程迄の激しい攻防とは打って変わり、静かな、それでいて苛烈な戦いが始まった。


 最初に踏み込んだのはイリヤ。頭上からの振り下ろし一閃。無駄の無い動きと筋肉の使い方の相乗効果で、凄まじい威力を持っているのは一目で分かる。元々速度重視のエレノアである。誰もが避けるものと思ったが、彼女はニーナと違い、女性の中では相当な高身長である為に、ニーナ程の身のこなしは出来ない分比較的膂力りょりょくに自信があった様だ。手に持った長剣を横に流す様に軽く一閃し、イリヤの剣筋をずらした。


 いなされるとは思っていなかったのか、軽く動きを止めた様に見えたのも束の間、ずらされた剣筋をそのまま利用するかの様に、右上から左下にかけての袈裟斬りを放つイリヤ。


 いなした本人は当然その軌道は読めているとばかりに、剣筋の一瞬の隙を見逃さずにイリヤの懐へと潜り込んだ。


 しかし、ここでエレノアの動きが一瞬止まった。


 本来の彼女の戦法であれば、長剣に拘らずに、敵の懐で扱いやすい短剣にでも変えたのだろう。だが、先程のやり取りで何かを約束したのか、エレノアは長剣のままだった。懐で振り回すには無理があると判断したのか。一瞬の停止の後、留まり続ける事をやめ、そのまま無理にイリヤの背後へと駆け抜けざま、脇腹を一閃した。


 無理な体勢のまま、無理やり剣を振るい駆け抜けた反動で、エレノアは更に体勢を崩した。先程の御返しとばかりに、当然イリヤはその隙を見逃さなかった。浅からず脇腹に傷を負ったと言うのに、おくびにも出さずに背後を振り向き、エレノアの姿も確かめずに横に薙ぎ払いを放った。


 体勢を崩したままのエレノアはイリヤの方に向き直る事も出来ず、依然として背を向けたままである。治療を得意とする支援術師が待機しているとは言え、この場は何としても避けねば流石にただでは済まないだろう、とは誰もが思った筈だ。


 彼女の魔術生成速度をもってすれば、避ける事それ自体は容易いだろう。背後に盾となる様な巨大な氷を生成するなり、爆発エクスプロージョンを起こすなり、なんだって出来そうな雰囲気は感じる。だが、今のエレノアはそれを良しとはしないだろう。


 やはりエレノアはここでも魔術は使用せずに律儀に剣で受け止めた。それも、誰も想像しえないであろう、剣を地面に刺すと言う方法によって。地面に剣を刺す膂力も凄まじいが、何よりもイリヤの横薙ぎの威力にも折れない氷魔法の頑強さには誰もが目を疑った。


 ふと、その瞬間、アシュレイにはイリヤが笑った様に見えた。これだけ離れた距離から、常に動き続けている二人の表情を判断出来るとは思えない。一撃を止められた事による苦々しい表情の方がまだ可能性がある。だが決して気の所為では無く、間違い無く笑ったとアシュレイは根拠も無く確信した。


 とても奇妙な話だが、その攻防の後は、イリヤからは先程迄の気迫が感じられなくなった。それでも、御互い試合を放棄している気配は微塵も感じられ無いのだが、最早どこかが先程迄とは致命的に違っていた。


 結果はと言えば、御互い一歩も譲らず、試合開始から三十分後――、これ以上の継続は後続の試験に差し障りがあるとして、同率一位とする事で決着がついた。試合終了と同時にイリヤの血の気が失せ、慌てて支援術師達が止血をした事を鑑みれば、イリヤが無理をしていたのは火を見るより明らかだった。


 そして――空気を切り替える為か――、次の種目迄、少し長めの三十分の休憩との告知がなされたと同時に、エレノアの姿は会場から消え失せたのだった。

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