ニーナの悩み

「ねぇちょっと」


「ねぇってば」


 アルテミスとの話が終わり、部屋を出る頃には嘘の様に身体が軽くなっていた。やはり全寮制の学院で、秘密を知り、手助けをすると言ってくれる人間が出来たと言う事は自分の想像以上に心身の負担を取り除いてくれた様だった。


 この行動が今後どう影響するかは分からないが、一先ずは束の間の平穏に身を委ねてみるのも良いかも知れない。そんな事を考えながら歩いていると、背後から服を引っ張られる感覚を感じ、慌てて振り向いた。


「何度呼んでも反応無いからどうしたのかと思ったわよ。華耀君、今アルテミスの部屋から出て来なかった?」


 問いかけて来たのはニーナである。


「あー、……まあ、そうだな」


「いつの間にそんなに仲良くなったのよ? 顔を合わせるのもいっぱいいっぱいだった筈なのに、気付いたら食事中も二人で楽しそうに会話してるし、アルテミスの方も華耀君に対しては壁が無いと言うか……挙動不審になる事も無くなってるし。私何も聞いてないんだけど!」


「いや、別にいちいち話せるようになっただとか、報告する様な事でも無いだろう」


「それはそうだけど! 部屋を訪れる程仲良くなったっていくらなんでもちょっとペースが早すぎてびっくりって言うか……」


 そう言ってニーナは一度口を閉じ、きょろきょろと辺りを確認してから、小声で切り出した。


「普段から華耀君の事知ってる私は何も心配してないけど、他の人に見られたら困ると思うわよ? アルテミスって、あの容姿の所為で国中の大抵の人が良い所の御嬢様だって知ってるでしょ。その上あの高飛車な御令嬢に目を付けられてる訳だし? 華耀君がアルテミスの部屋から出てくる所を目撃された日には、あの子、傷物扱いされてもおかしくないわよ。そこの所はちゃんと気を付けてあげないと」


「ああ、そうだな……本当に、その通りだよ」


 ニーナの言に頷きつつ、華耀は別の意味で胸を撫で下ろした。そう長い時間アルテミスの部屋に居た訳では無い分、エレノアとしてアルテミスの部屋を訪ねた所から見られていたらどうしようかと思っていたのだ。一応、部屋を訪ねる際には周りに気配が一切無い事を確認した上で訪問したが、気配を殺す事に長けた人物が居なかったと言う保証は無い。


 すぐさまエレノアと華耀を結びつける人間が居るとは思えないが、訪ねた筈の人物が出て来ず、別の男が部屋を出て来たとなればそっちの方が噂になりやすいだろう。


 安全を取るならば、エレノアに戻る迄アルテミスの部屋で過ごしていたかった訳だが、自然と魔力が戻る迄待つにしても、失った魔力を結晶で補うにしても、どちらにせよえらく時間が掛かる。流石に女性の――ましてや自分が意識している相手の――部屋にそう長い間滞在する訳にもいかない。と言うよりも今の華耀の修行不足な恋愛耐性では無理な話だった。


 ――然う然うそうそうアルテミスの部屋を訪れる事は無いと信じたいが、この問題に関しては次の機会迄に解決策を見つけておかねば、ニーナの言う通り、アルテミスの評判に傷が付いてしまう。今後の事を考えれば、別途密談が出来る場所を探すのが早いか……?


 等と思考に集中する余り、すっかりニーナの事を失念していた華耀だが、次の一言で現実へと戻された。


「それで、実際の所どこまで行ってるの? 今日のこの訪問が下世話な話に結びつくとは思ってないけど、部屋に招き入れる位親しくなったのは事実なんでしょ?」


「どこまでって……別に何も無いさ。ニーナと同じ様に友人の一人である事には変わりが無い。強いて言うなら、図書館に用事があって赴いたら、同じ書棚にアルテミスも用事があったらしくて偶然出会ったんだ。軽く世間話してる内に同じ問題に興味があった事が判明して意気投合した、それだけだよ。


 その後はまぁ……普段のアルテミスを見てれば分かると思うけれど、興味のある分野に関して話す時の彼女は生き生きとしてて、警戒心も緊張感もまるで無いから私もそれに釣られて普通に話せてる、それだけだ」


「ふーん……? まぁ良いけど。本当気を付けてよね。私にとっても二人は友達なんだから、根も葉も無い噂で陰口叩かれたりしたら嫌だからね」


「悪い。気を付ける。所で何か用事があって出て来たんじゃないのか?」


「そうそう。お昼ご飯食べようと思って出て来たら華耀君見かけたんだよー。もしまだだったら一緒に食べない?」


「丁度良かった。私もこれから食べに行く所だったんだ。食欲は無いが……次の授業が実技だからな。食べないと持たない」


「んじゃ行こ行こ。にしても大丈夫? 肌寒くなってきたし風邪とか? 中間試験も控えてるから余り無理しないで、休むのも手だよ?」


「確かに、無理して試験当日に寝込んだら意味が無いな。体調が悪くなったら無理せずに休む事にするよ。


 だが、試験の事を考えると余りのんびりもしてられないな。ニーナは筆記試験の方は大丈夫なのか?」


「あー、それ禁句。体術理論とか実践理論とか取った事を心の底から後悔してる……。私って勝手に身体が動くタイプだったみたいで、体術に関してとは言え、頭でごちゃごちゃ考える理論は全然駄目だった!


 どうしよー、割とやばいかもしれない……」


「ま、まあ同じ科目を取ってる人から聞くと良いんじゃ無いか? イリヤとかエレノアとか……」


「そうなんだけど! イリヤには断られた。自分で勉強しないと覚えないだろうって。その通りではあるんだけどそもそも何が分からないのかが分からない状態に陥っててどこから着手して良いのかが分からない……。講義聞いてる時は割と当たり前の事教わってるよなぁ、って理解した気になってたんだけど……。


 エレノアは……何て言うのかなあ。頼み辛いって言うか」


「……そうか。確かにイリヤが言う事にも一理あるが……流石にどこが分からないか分からない状態は一人じゃ無理な気がするな。それにまあ、人に教えた方が自分も覚えられて一石二鳥と言う場合も……あるから必ずしも悪い訳では無いと、私は思うが。


 それより、エレノアに頼み辛いとはどう言う意味だ?」


 自分の言動に何かおかしな点があったのかと、内心冷や汗を流しつつも努めて冷静な声で華耀は続きを促した。


「うん……、あのね、誤解しないで聞いて欲しいんだけど。エレノアが嫌いだとか、苦手だとか、そう言う訳じゃ無いの。ただ、何となく壁がある様な感じがして近寄りがたいと言うか。


 食事中も、私とイリヤが話している事に対して相槌を打つだけでエレノアの話は余り聞けないし、何か聞いてもはぐらかされちゃう。


 もっとちゃんとエレノアと仲良くなりたいけれど、そう思ってるのは私だけなのかなって思っちゃって。


 華耀君は知らないだろうけど、エレノアと一緒に食事するようになったのって、入学式の日にたまたま私が話かけたからなの。


 あの時は緊張してて、エレノアの気持ちとか一切考えずに誘っちゃったけど、今考えたら本当はエレノアは学院で親しい人を作る予定は無かったのかもしれないし、そもそも私みたいながんがん話しかけるタイプが苦手だったのかもしれない。


 でもあの時、私が馴れ馴れしくしたから。だから渋々一緒に居てくれているだけで、本当は迷惑だと思ってるんじゃ無いかなって、最近ずっと考えちゃって。もしそうなんだとしたら、これ以上無理に話しかけたりする訳にはいかないし、頼み事なんてもっての外かな、なんて。


 華耀君にも同じ事を感じてた。でも、アルテミスに接する態度がおかしくて話しかけてから……華耀君とはちょっと仲良くなれた気がするの。


 でもまだちょっとだけ。それなのに気付いたらアルテミスとは凄く親しくなってて……ああ、だからさっきの指摘も、半ば嫉妬みたいな物かも。


 ……エレノアと華耀君、知り合いだけど絶対に顔を合わせない様にしてるでしょ。


 それをわざわざ私がエレノアに変な質問しちゃった所為で、明るみに出た。だから、これはあくまで私の想像だけど、中間試験の後の休みが明けたら……二人の内のどちらかが、私達の前から居なくなるんじゃ無いかなって気がしてる。


 グループの中で、絶対に顔を合わせない二人がいるなんて不自然に思われる。きっとそう言うのを考慮して、どっちかが居なくなるんじゃ無いかなって。


 本当はそれは、余り普段から見かけない華耀君の役目だったんじゃ無いかなって。だけど急激にアルテミスと仲良くなったから……エレノアの方になるんじゃ無いかな、って。


 エレノアもアルテミスとは珍しくたくさんしゃべるから何とも言えないけど、それでもやっぱり華耀君と話してる事の方が多い気がする。今も部屋に行ってたみたいだし。


 私の推測が見当違いも甚だしいって言うなら、笑い飛ばして。


 だけどもし――、事実なんだとしたら。二人の仲が悪かったとしても、何も言わない。だからこのまま二人とも今のまま居て。


 ……そう言いたい。でも私のわがままで嫌々一緒に居るだけなら、そんな事言ったら迷惑だよね。


 ごめんね!? 中間試験の勉強の話してたのに、急にこんな事言われたって困るよね!


 え、えーと、何か話してたら私食欲無くなっちゃったなー……なんて。や、やっぱり部屋に戻るね! こっちから誘って置いてごめんね!」


 言うや否や、脱兎の如く来た道を引き返すニーナに、華耀は声を掛ける事も出来ずに、しばらくの間、その場に立ち尽くしていた。


「あれ……華耀君、まだここに居たんですね。何かありましたか?」


 タイミング良く、と言えば良いのか、悪く、と言えば良いのか。ニーナが走り去った直後に現れたのは、アルテミスだった。


「ああ、うん、いや……ちょっとニーナと話してて、丁度今別れた所なんだ」


「そうですか。私は御昼ご飯でも、と思ったんですがせっかくですし、御一緒しませんか? 何だかとっても気になる顔色をしてますし。ただの世間話では無かったのでは?」


 早速鋭い考察を口にするアルテミスに、華耀は思わず二つ返事で了承した。今迄何も語ろうとしなかったのに、秘密を話したからと言っていきなり相談するのも図々しい気がする。


 だが、知らず知らずの内にあんなにもニーナの事を傷つけていたのかと思うと、他の面子も思う所があるのでは無いかと思ったのだ。


 アルテミスほど顕著では無いとは言え、そもそも華耀も人付き合いは決して得意では無い。何せ城では、この体質を隠し通す為に必要最小限の人間以外寄せ付けなかったのである。


 軽い世間話はすれど、頻繁に顔を突き合わせて過ごす人物は、両親と侍女、それに師匠達と一部の騎士団員位である。


 それでも何とかこの学院でやっていけたのは、ひとえに城下に住む人々と接し、初対面の人々との関わり方を事前に学んでいたからである。


 だがあくまでも初対面の人々と軽く話をする程度であり、長く付き合う友人関係を築く経験は一度も無かった。


 だからニーナが普段笑って過ごしている間、裏ではあの様に思っていようとは夢にも思わなかったのだ。


「少し考えれば分かる事なのに、どうして気付かなかったのだろうか」


 食堂へ向かう道すがら、突然の華耀の呟きに対し、話が読めないであろうアルテミスはそれでも返答をした。


「一体どんな話をしたのかは分かりませんが、一つ分かる事は、華耀君が欲張りだという事です。


 いえ、欲張りとは違うのかも知れませんが……まだ私達は十五歳なのに、華耀君は当たり前の様に大人と同じレベルを自分に要求している気がします。


 確かに十五と言う年齢は子供と言うには大人びていますが、それでもまだ成人する迄五年もあります。今から全て出来ていなければいけない、と言う事は無い筈です。


 誰かを頼る、相談する、そうして打開策を学んでいくのも、大人になる為には必要なのでは無いでしょうか。


 ……と、言うのはあくまでも私の考えですが、先程仰っていた様に考えれば分かる事に気付かなかったのならば、反省する事は大切だとは思いますが、自分を必要以上に責めず、次から気を付ければ良い、と良い方向に考えれてみるのも一つの手かと」


 どんな話か分かっていないにもかかわらず、華耀の呟き一つで驚く程正鵠せいこくを射た助言をくれたアルテミスに内心舌を巻きながら、華耀は頷いた。


「はあ……さっき同じ事を父親に言われたばかりだ。だと言うのに、すっかりその事を失念するとは。


 ずっと、早く大人にならねば、と思っていたが、よくよく考えればその焦りその物が何よりも子供の証だったか」


「それから、これは余計なお世話かもしれませんが――、華耀君は色々と隠そうと……いえ、隠さざるを得ない事情がある様ですが、その落ち着いた様子や責任感の強さがかえって、将来責任のある立場に立つ人間なのでは無いか、と推察される恐れがあると思います。今一緒にいる方々がそうとは限りませんが、少なからず身分の高そうな人物に目を付けて取り入ろうとする方々も多い事ですし、もう少し砕けた様子を前面に出しても良いと思いますよ。


 最も、華耀君のその容姿であれば極東の出身だと丸わかりですし、そこまで遠方の人間と繋がりを持とうとする者は少ないかも知れませんが」


 アルテミスからの助言に聞き入っている間に食堂へと到着した二人は、会話を一時中断し、本日の食事メニューに目を通す事に専念した。


 二トラール学院の食堂は、都度その日の料理担当者が当日仕入れた食材を元にその場で料理を考えて提供するシステムを採用している為、事前にメニュー表が配布されると言う事は無い。故にどうしても事前に食べたい物を決めておく事が出来ず、混雑時間帯に更に拍車をかける原因になっているとも言える。


 だが、当日仕入れた新鮮な食材を、一番生かす形で作られる料理達は何処の学校よりも水準が高いとの噂であり、故にシステムに文句を言う物は皆無である。


「うーん、今日の料理もどれも美味しそうな物ばかりで、決めかねてしまいますね……。どの料理も美味しいので文句は無いのですが、二択で迷った時なんかは困ってしまいますよね、もう一方は次回食べる、が出来ないと」


「確かに、次にいつ同じ料理は出るのかは料理人とその日に仕入れた食材次第だからな……。その口ぶりだと二択で迷っているのか? 何だったら二つとも頼んで私と半分ずつにすれば良い」


「え!? いえ、流石にそれは悪いですよ。華耀君も食べたいものがあるでしょうし」


「いや、私は……朝は魚だったから次は肉、昨日は麺だったから今日は米、と言う風に適当に自分の中でバランスを取って選んでいるだけで、これが食べたい、と言う希望は無いんだ。だからアルテミスの好きな物を選ぶと良い」


「え、えっと、”モ=トダ=ゴ産鶏肉入りビーフシチューの煮込みハンバーグ”とリグユシアの海魚を使った絶品!アクアパッツァ”の二つがそそられているのですが、大丈夫ですか? 駄目でしたら別の物に……」


「大丈夫だ。肉と魚で丁度良いしな。ではその二つと、私は……それに合うパスタを」


「わ、私はパンでお願いします!」


 二人の会話を聞いていた料理人が心得たとばかりに頷くのを確認し、華耀とアルテミスはセルフサービスである飲み物を用意する。


 これまたこだわり抜いた茶葉や豆、仕入れたばかりの新鮮な野菜やフルーツをふんだんに使った果汁水ジュース、果ては酒の類迄もが豊富に用意されており、個々人が好みの飲み物を飲む事が出来る。


 最も、授業の前に酒類を飲んで前後不覚に陥ったとしても全て自己責任である。


 飲み物の準備が終わり、再び料理人の所へ戻ると、丁度料理が全て出揃った所であった。


 二人の話を聞いていたからであろう、ご丁寧に、取り分ける為の皿とカトラリーが別途用意されている。そのきめ細やかなサービスにお礼を言い、席の確保へと向かう。


 朝食には遅すぎ、また、昼食にはいささか早い時間帯であった為、周囲の席に誰も居ない場所にすんなりと座る事が出来た。


 早速、料理人が用意してくれた取り皿に半分ずつ料理を取り分けていると、突然頭上が暗く陰る。何事かと華耀が視線を向けた先には、例の食堂での一件――アルテミスを転ばせ、頭上に食事を浴びせた――を先導した公爵令嬢と、その取り巻き集団が居た。


 元より華耀は王国の貴族令息及び令嬢の名前と顔は全て頭に叩き入れていた為、先の一件で顔を見るなりすぐに誰か分かったが、そうで無くともこの数ヶ月での彼女の言動で、多くの人間が彼女の身分が貴族、それもかなり上位の――当然だ、公爵と言えば王族の血筋である――だと気付いている。


 気付いた上で誰にも咎められないが故に、彼女の言動は日に日にエスカレートしていた。


 そして、今。


「嫌だわ、折角の御料理を取り分けるなんてはしたない真似をしている方々がいらっしゃるから注意をしに来てみれば――、アルテミスさんじゃありませんの。


 貴方程の家格の方がこんな真似をするなんて、ローズウォール家も落ちたものですのね。


 それとも、こちらにいらっしゃる殿方の影響かしら……? その容姿、極東特有ですものね。遠方ではこの様な食べ方が流行っているのかしら」


 公爵令嬢の難癖を右から左へと受け流しつつ、華耀はちらり、とアルテミスの方を伺った。先日の一件を含め、今迄の人生での周りからの理不尽な仕打ちは、彼女の心に大きな影を落としている。それはこれだけ言葉を重ねた華耀に対しても未だに上手く話せない事や、今、華耀の目の前で真っ青になって俯いてしまっている事からも窺える。それでも彼女は、彼女を守る家を出て、全寮制のこの学院に入学すると言う大きな決断を下したのである。


 それを知らない者が。己の手柄ですら無い、先祖から受け継いだだけの爵位を笠に着、傍若無人に振る舞う公爵令嬢が、許せなかった。あまつさえ、それがこの国の――将来華耀が守らねばならない国民の一人であると同時に、国民を守る義務を持つ貴族の頂点に君臨する一族の――人間だとは、認めたくなかった。


「はしたない真似をしているのは貴方がたでは無いですか?」


 反論されるとは思っていなかったのか、勝ち誇った笑みを浮かべていた公爵令嬢は、突然の華耀の言葉に、笑顔のまま凍り付いた様に固まった。


 その様子を見た後ろの取り巻きの一人が、声を荒げた。


「この方が誰か分かっていて仰っているの!?」


「誰であろうと」料理を取り分け終わり、カトラリーを静かに皿の上に置くと、しっかりと公爵令嬢に視線を合わせながら華耀は口を開く。


「他人の食事に口出しする方が無礼と言う者でしょう。まして、公の場であればともかく、学院での食事を取り分ける事に何の問題がありますか。


 それよりも、同席の許可を求めるでも無く、着席もせずに立ったままいきなり話しかける人物の方がはしたないと私は思いますが。


 更に言えば、貴方のその言動や後ろの方の発言からして、貴方は身分を公のするスタンスなのかもしれません。それは結構。ですが、許可無く他人の身分を明かし、その上家紋を貶める様な発言をする人が――はしたなくないとでも?


 混雑しているならばともかく、こうも無人の食堂で、わざわざここまで赴き、わざわざ食事作法の指摘をした事を、親切心だと信じる者が居ると思いますか?


 兎にも角にもそこに立たれては机の上に影が出来て不愉快です。今すぐ移動して下さい」


 顔色を青くしたり赤くしたりと大忙しの公爵令嬢であったが、彼女が言葉を発する前に牽制の意を兼ねて、力強く華耀は言い切った。


 結局言い返す言葉が見つからなかったのか、令嬢集団はすごすごと去って行ったが、これで終わるとは華耀も思っていない。いずれまた、何かの言いがかりを付けてくるのは目に見えている。


「すまない……あまりにも酷い言い草だったもので、怒りにまかせて余計な事をしてしまった。


 あれでは火に油を注ぐ様な物だったな。言った事は間違っていないとは思うが……あの令嬢がこれで諦めるとも思えない……反論するにしても、もっと手を打ってからにすべきだった。あの様子では、またアルテミスの元へやって来るよな……。いっその事、先程のやり取りで標的をアルテミスから私に変えてくれれば良いのだが」


「どうして……」


 絞り出す様にアルテミスが口を開く。


「華耀君がそこまでする必要は何も無い筈です……。華耀君も指摘した通り、彼女の身分は私より高いのでしょう。更に言えば私の家紋を口にした辺り、ライゼンアムドの貴族である可能性が高いのは分かりきっている筈。


 ならば、仮に華耀君が極東のかの国の方だったとしても、今現在ライゼンアムド王国内にあるこの学院に居る以上、彼女に睨まれれば身の安全が脅かされる可能性は十二分にあります。


 勿論、中立を掲げる学院の長や教職員の方々が介入するとは思いますが、それでも万全では無いでしょう。


 そこまでして私を庇う意味が分かりません」


「何故? 先程話した時、貴方は私の目に宿る感情を知っていると言った。ならば答えは一目瞭然だと思うが?


 そもそも私の事情を知ってしまえば貴方の身に危険が及ぶ可能性もあると説明した筈だ。その問いに対して、それでも良いと先に即答したのは貴方だ。私がしたのは、それと同じ事だと思うが。一体何をそんなに不思議がる?


 貴方の身に及ぶかも知れない危険は場所も相手も未知数だが、それに比べれば学院内と言う場所と、先程の令嬢集団と言う相手が特定されていれば、ある程度の脅威は未然に防げる。私からしてみれば貴方の方が余程、どうしてそこまでして私の手助けをしてくれようとしたのか分からないが……。」


「私は……私に向けられた感情がどう言う類いの物かは分かりますが、私自身がその感情を持った事がありません。ですから、その様に言われてもどうしてどこまで、と言うのが本音です。でも……、感情の種類は違っても、私が華耀君の力になりたいと思うのと近いのかも知れない、と考えれば確かに少しだけ理解が出来る気がします。あくまで少しだけですが……」


「今はそれで良い。貴方もいずれ私の感情を理解する日が……やって来るかもしれないしな。それが良い事なのか悪い事なのかは分からないが。


 何はともあれ、折角の料理が冷めてしまう。先に食事を済ませてしまわないか」


 そう言いながら、華耀は自分の発言に密かに胸が痛んだ。アルテミスがもし恋と言う物を知ったとして、その相手が必ず結婚相手とは限らない。そう言う点では、恋を知らずに居た方が幸せと言う事も有り得る。貴族とはそう言う物だ。特にアルテミスの様に女神と紛う程の美貌の持ち主は、その手の話は――国内に留まらず――引く手数多だろう。むしろ、華耀が言えた事では無いが、既に十五になっているにもかかわらず、婚約者が居ない事の方が貴族としては珍しい部類であり、それもまた彼女が注目される要因の一つになっている。


 子供を学院に入れ、そこで身分の高い人物に近付く為に敢えて婚約しない、若しくはいつでも一方的に婚約破棄が出来る様に家格の低い相手と婚約をしておく等の措置を取っている家もある。だが、アルテミスの実家であるローズウォール伯爵家はその様な野心を一切持たず、代々王国騎士として邁進し、団長職を排出する程の根っからの騎士の家系である。


 その職業柄、命の危険も伴う為にローズウォール家の人物は、早くから婚約者を決める習慣は無い。とは言え、それは騎士を目指す人物の話だ。アルテミスの様に明らかに騎士を志していない者が婚約していないのは珍しい。


 ――アルテミスの場合は事情が事情でもあるし、婚約させる事によって更に畏縮する事を恐れたのかもしれない。


 それはアルテミスに恋慕の情を抱きつつある華耀にとって幸いな事である反面、いつ婚約を申し込まれるか分からないと言う意味では気が気で無い。


 二トラール学院に通う生徒に注目されると言う事は、必ずしも求婚相手がこの国の貴族とは限らないのである。行おうと思えば国内の貴族に対しては縁談申し込みをそれとなく辞退させる事は可能だが、流石に他国の貴族からの申し込みには介入出来ない。


 そもそも、華耀はここライゼンアムド王国の王子という特殊な身分故に気軽にアルテミスに求婚する事もままならない。


 華耀が己の欲望の為にアルテミスの縁談を妨害する事は許されないだろう。


 華耀が一人で先走った想像をしている間にも、アルテミスは華耀の提案通り、華耀が取り分けた皿の中身に手を付けていた。


 余程美味しかったのであろう、先程の令嬢集団の一件であれ程強ばっていた表情は徐々に緩んでいき、最終的には極上の笑みへと変わる。


「これ、二つとも美味しいですよ華耀君! 早く食べてみて下さい! どうですか? モ=トダ=ゴで育てた食材は、どれも同じ国内だとは思えない程他の地方との違いが顕著だと聞いた事はありましたが、ここまで違うとは思いませんでした。


 実は私、自宅に居た頃は食事に興味が全然無くて、生命活動に必要な栄養補給、程度の認識だったんです。ですからモ=トダ=ゴ産の物を食べた事が……あったのかどうかすら分からない状態でして。


 学院に入学して、食堂で皆さんと食事を摂る様になって初めて、食事を美味しいと感じる様になったんです。


 あれもこれも、全て食べてみたいと思ってしまう所為で、時々メニューを決める事が出来ず……今日の華耀さんの申し出は、本当に嬉しかったです」


「はは、確かに、書物に夢中で食事が二の次のアルテミスは想像がつくな……。うん、本当に美味しいな。ビーフシチューだと言うのに、牛よりもこの鶏肉の存在感が強い。不思議な感覚だ……。


 モ=トダ=ゴにはいつか行ってみたいとは思うのだが、あそこはこの国であってこの国に非ず……独立国家の様な物だと聞くし、なかなか厳しいかも知れないなあ」


「確かに、モ=トダ=ゴの領土は代々地元の貴族が領主も兼ねてますし、情報もこちらに届かず、封鎖的ですよね……。


 対照的に、リグユシアの方は海産物の買付市場として活気があると聞きますし、行ってみたいです。こちらは距離的に離れていると言う問題がありますが」


 アルテミスの発言に、華耀は頷きながら続けた。


「確かに、リグユシアは海に面していて、国の最南端……最西端のここからでは気軽に行ける距離では無いな」


 料理から、思いの他広がった地方の話題に花を咲かせつつ、食事を食べ終わった二人は飲み物片手に暫しの余韻に浸った。


「それで……先程のニーナとの話で何かがあった様ですが、お聞きしても……?」


「……そうだな、しかしどこまで話して良いのやら……。どうやら私は、知らず知らずの内にニーナを傷つけていた様だ。


 簡潔に言うと、エレノアに壁を感じる、と言われた。


 アルテミスは知らないだろうが、元々入学式の日にニーナに話しかけられたのが切っ掛けで行動を共にする様になったんだ。ニーナはその事を後悔しているらしい。自分が無理に誘ったのでは無いか、本当は迷惑だったのでは無いか、と。


 エレノアと私の関係性を質問した事によって余計にエレノアに嫌われたのでは無いか、長期休み明けには今のグループから居なくなっているんじゃ無いか、と……。


 正直な話、否定出来るかと言えば出来ない。事実、私は休み明けに距離を置くつもりだった。ただ、それはエレノアでは無く華耀としての私だ。現実的に考えて、日々の大半を過ごしているエレノアがグループを離れるよりも、華耀が離れた方が都合が良いだろう」


だった・・・と言う事は今はそのつもりは無いと?」


「言い方は悪いが、一番厄介だったアルテミスがこうして相談出来る間柄になった訳だからな……無理に離れずとも良いかとは思っている。


 このままエレノアと私が犬猿の仲で顔を合わせたく無いのだ、と誤解したままならばそれはそれで好都合だからな。ただ、中間試験すらも顔を合わせない為に片方棄権、は流石常軌を逸しているだろう? この辺りは何かしら対策を練らねばとは思うが……。


 とりあえず直近の問題は、ニーナに対してエレノアがどうするか、と言う話だ。私としては迷惑だとは思っていないし、試験勉強を手伝うのは吝かでは無い。ああ、そもそも自力で試験勉強が出来ず、かと言って教えてくれる相手が居ない云々、と言う話からこの流れになったのを説明していなかったな。


 ただ、それをそのままエレノアとして伝えに行くと、当然華耀である私が話した事が丸わかりなのだが……、一つ、犬猿の仲で話をするのは不自然じゃ無いか。二つ、内密に相談された事を本人に勝手に言った体になる訳だが、私はニーナに嫌われないか。


 この辺りが気掛かりだ」


「なるほど、事情は良く分かりました。しかし、エレノアと華耀君が同一人物だと誰も知らない状況かでは、今後もこう言った問題は多々出て来そうですね。正直な話、私も相談するならエレノアか華耀君、と思う気持ちは分かってしまいますから。


 話を戻しますが……、そうですね。ニーナがどう考えているのかは分かりませんが、私がその立場ならば、エレノアに伝わる事前提で御話していると思います。


 ほら、前にエレノアを尋ねて来たヨハネス先輩……でしたか? 彼の発言は、エレノアと華耀君が何らかの行動を共にした事を示唆しました。それに対して、エレノアは自分が華耀君に伝える、と言っていたではありませんか。ですから、少なくともエレノアと華耀君は普段顔を合わせたくない事情があるけれど、何かの事情で行動を共にする事もあるのだ、と私はその時思いました。


 ニーナも同じ様に考えたのであれば、華耀君経由でエレノアに今日の件が伝わるのを期待していても不思議ではありません。勿論、これはあくまで私の推察ではありますが」


「なるほど、確かにそれであれば一つ目も二つ目の懸念事項も問題は無いな。後はニーナも、アルテミスと同じ考え方をしたと祈るしか無い、か」


「はい。後はエレノアの気持ちをどう伝えるかが肝心だと思います。今の話から行くと、少なくとも事情があるからグループを離れようと考えていただけであって、決して嫌っている訳では無いのですよね」


「ああ。そうだ。正直に言えば、今のグループは何と言うか……居心地が良い。本心で何を考えているのかは分からないが、少なくとも表立って権力を誇示したり権力を求めて行動する人物は一人も居ないからな。良くも悪くも、素性がほぼほぼ露呈しているアルテミス以外は、ほぼ・・全員貴族では無いのでは無いかと思う位に」


ほぼ・・全員」


「ああ、ほぼ・・全員、だ。アルテミスも分かっているかと思っていたが?」


「ええ、まあ。所作や言葉遣いに隠しきれない育ちの良さが滲み出ている方が一人居ましたからね。ですが……何処のどなたかなのか迄は流石に。それにその方が何の目的でこのグループに入って来て居るのかもまだ検討はついておりませんが」


「流石に私もそこまでは分かっていない。まあ、何処の、はともかくとして、身分の方は検討がついているが……。もしもこの推測が正しいのであれば、目的も何となく見えている。一応行動を気に掛けては居るが、要注意人物では無いと思う」


「そうですか。それにしても、ふふ、そうだろうとは思っていましたが、その洞察力と口振りからして、華耀君も貴族こちら側なのでしょうね」


「さて、どうかな。もしかしたらただの考察中毒かもしれないし、或いは他国のスパイ、なんて事もあるかもしれないよ」


「ただの考察中毒で無いのはそれこそその所作で分かると言う物ですよ。


 確かにその体質はスパイに向いているかもしれませんが……もし本当にスパイなのならば、こう言っては何ですか、私に近付くのは得策では無いですね。まず真っ先に例の御令嬢集団に目を付けるのでは?」


「自分で言うとはな。まあ確かに、私がスパイだったら彼女達に付け入るだろうな。正直、それ程危ういとは思う、彼女の言動は。御家族がそれを見越して彼女に何の情報も持たせていない事を祈りたくなる程にはね」


 穏やかに始まった筈の昼食は、絡まれたり不穏な空気が漂う会話をしてみたりと、余りに穏やかとは掛け離れた様相を呈していた事もあり、飲み物を飲み終わったタイミングで御開きとなった。

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