覚悟2

 アルテミスの部屋の前に立ち、もう一度深呼吸をすると、意を決した様に華耀は扉をノックした。


「アルテミス……、エレノアだ。一度話がしたいのだが、少し時間を、私にくれるだろうか?」


「……分かりました、どうぞ」


 扉が開かれ、アルテミスに招き入れられる。そのまま、御茶を入れると言って席を外したアルテミスを待つ数分が、華耀には永遠にも等しい長さに感じられた。


「どうぞ」


 ティーカップと軽い茶菓子をテーブルに置き、アルテミスは、華耀の対面へと座った。その時になってようやく華耀は、アルテミスの目元が赤い事に気が付いた。


 ――一緒に受ける筈だった授業と父と話した時間を合わせておよそ二時間。その間ずっと泣いていたのだろうか。


「先程は、すまなかった。……教科書と、一応先程の講義内容の写しを持って来た」


「勝手に取り乱したのは私ですから、お気になさらないで下さい」


「……単刀直入に聞きたいのだが、貴方は私と華耀の関係を知って、どうするつもりなのだろうか。貴方の考えが聞きたい。


 私には、貴方が好奇心から探っている様に見えた。けれど……今日の様子を見て、そうでは無いと思った。好奇心だけで、貴方が中間試験の情報を入手出来るとは思えない。教官から聞いたのかは分からないけれど、誰から聞いたにせよ入手する為にはある程度親しくならないと無理な筈だ。


 貴方にとってそれは、とてつもない苦痛を伴ったと思う。とても私達に対する好奇心だけで成し遂げられる物では無いと、そう思った」


「あ……、わ、私、一番最初に華耀君に会って……その数日後にエレノアさんに会った時、同じ人だと思ったんです」


「は……? いやまさか流石に会っただけで分かる程何かをやらかしたつもりは無いんだが……」


「目が。私を見る視線に宿った感情が一緒だったんです」


 確かに華耀はアルテミスに一目惚れした上にまともに対面出来ないと言う有様だった。心当たりがありすぎて、沈黙で返す以外無い華耀である。


「エレノアさんと華耀君は体格が全然違います。ですがまとっている雰囲気と言うか、言葉には出来ませんが存在感はまるっきり一緒で、話し方も女性にしては珍しいですよね。


 いくら観察しても幻術を使っている様子は無いし、他の皆も二人を別人の様に扱っていました。でも私は会えば会う程体格の違いなんて些細な事に思える程似ていると感じてしまって。


 そうなると、幻術を使わずにどうやって別人になっているのかが気になって気になって……。だからエレノアさんの言う通り、確かに最初は好奇心でした。


 でも、華耀さんが図書館で事情がある、と話してくれて、そこから魔力制御のお手伝いをする様になってから、考えが変わりました。同一人物だと確信を得たのはその時です。華耀さんの苦労を目の当たりにして、手助けをしたい、そう思いました。知ってどうするとか、何も考えてはいません。信じてもらえるかは分からないですけど……」


「どうして完全に私と華耀が同一人物だと確信を持ったんだ?」


「華耀さんの魔力に触れた時に確信しました。エレノアさんの魔力に触れた事はありませんが、近くに居るだけで、同じ魔力だと何となく感じる事が出来ます。……言葉にするのは難しいですが」


「……そうか。魔力視が無くても同じ魔力だと断じられるとは、アルテミスは他人の魔力に敏感なのだな。


 改めて、貴方の好意を踏みにじる様な返答をしてしまって、すまなかった。恥ずかしながら、貴方が先程その……涙を流す迄、貴方の気持ちを微塵も理解していなかった。好奇心なのだと、ずっと思っていたんだ。だからその……貴方にとってただの好奇心でも、私にとってはそれを知られれば死命を制される様な物で、それで、貴方の助力を断ってしまった。


 あの時、私はそんなに困った顔をしていただろうか?」


「はい。困った様な、泣きそうな表情を、一生懸命堪えている様な……。


 きっと、初めて図書館で御話した時にも、そう言う表情をされてたんだと思います。


 でも私、昔から何かに集中すると、周りの人の気持ちを考えなくて……華耀君が秘密にしたいって分かっていたのに、手助けしたい、なんて……。秘密を知っている、って言ってるのも同然ですよね。


 その時初めて、自分がどれだけ愚かな事を言ったのか気付いて、自分の馬鹿さ加減に呆れて、恥ずかしくて、どうしたら良いか分からなくて思わず教科書も持たずに逃げ出してしまったんです。


 けど、今度は逃げ出した事を後悔して、涙が止まりませんでした。目障りだった私が、自分からエレノアさんの前から逃げると言う事は、エレノアさんにとって好都合なんじゃないか、二度と話す機会は訪れないんじゃないか、って……」


「いや、それは違う。私は……私は凄く嬉しかったんだ。


 ただ、私が抱えている事情を誰かに話す訳にはいかない、それで何とも言えない表情になってしまった。決して貴方の申し出を迷惑に思った訳では無い。


 あの後色々考えて、アルテミスには話したいと思った。でも私の一存で言える事では無いと思って、その前に父に相談したんだ。


 ……父に言われたよ。自分の事情を他人に話すか否かは、自分で決めて良いと。私はずっと家族に迷惑がかかるから駄目だと思っていた。だけど、父からしてみれば違ったらしい。


 一つ、断って置かねばならない事がある。私の身体の事とは別に、今はまだ話せない事情がある。もしアルテミスに身体の事を話した場合、その事情の所為で、アルテミスの命が危険に晒される事があるかもしれない。


 こんな事を急に言われても戸惑うとは思うが……もしも貴方がそれでも良いと言うのであれば、私の身体の事について話したいと思っている」


「……私が是と言えば、秘密を教えていただけると、そう言う事ですか? それこそ私は華耀君の死命を制する事になりませんか?」


「そうかもしれない。だけど、既に同一人物だと確信を持っている人に、今ここで”違う”と言った所でどうなる? 貴方はそれを信じるのか? 信じないだろう。


 だったら私の口から全てを話した上で、貴方の知恵と知識を借りたい。勿論、貴方が協力をしてくれればの話だが……すぐに答えを出せとは言わない。ゆっくり考えて欲しい」


「覚悟は出来ています。話して下さい」


「流石に命にかかわる可能性がある事をそんなすぐに決めるのは……」


「良いんです。そもそも最初から、華耀君の様な特殊な事情を抱えている人の秘密を暴こうとした時点で、華耀君に殺されたとしても文句は言えません。


 自分から首を突っ込んだのですから、話してくれるまたとないチャンスを棒に振るつもりはありません。


 勿論、話していただければ協力は惜しみません。私の知識が役立つかどうかは分かりませんが。


 ですから、私の身の安全は気になさらずにお話下さい」


 口でそうは言っても、簡単に覚悟等出来る筈も無い。そう考えた華耀は、あえて殺気を籠め、アルテミスを暫し見つめた。しかし、普段の気の弱さはどこへやら、予想に反し、揺らぐ事も無くしっかりと見返してくるアルテミスのその瞳に、華耀の方が根負けをしてしまった。


「殺気をぶつけても涼しい顔とは、予想外だな。覚悟は出来ていても顔色の一つや二つ、変わると思ったんだが。


 それじゃあ、少し長い話になるが……付き合ってくれ。


 その前に、下の修行場をちょっと借りても良いかな。直接目で見てもらった方が早いと思うから」


   §-§-§


「こ、こんにちは、華耀君……」


 散々人を同一人物だと断言しておきながら、いざ目の前に華耀が現れるた事により混乱したのか、アルテミスが改めて挨拶をして来た。


「目の前で変わったのにわざわざ挨拶をするのか?」


「あ、頭では分かっていても、やっぱり見た目が変わると改めて挨拶をしたくなるんです!」


 少し恥ずかし気に顔を伏せる様子が何だか可笑しくて、秘密を話すと言う行為に緊張していた華耀も、思わず笑ってしまった。


「そうか、じゃあ改めてこんにちは、アルテミス。


 さて……見てもらった通り、私は性別が変わってしまうと言う、ちょっと特殊で困った状況だ。


 生まれて来た時の性別は男。今のこの姿が私にとっての正常な状態だ。


 鍵となる行動は魔力の消費及び回復。エレノアは保有魔力過多の状態をどうにかする為に無理やり性別転換が行われている状態、だと思う。だから普段はほとんどエレノアの姿で行動せざるを得ない。


 反対に、魔力を極限まで使いすぎると元の私の姿に戻る。その状態で時間が経つと徐々に魔力が回復して、エレノアに戻ってしまう。


 普段からこの姿で過ごしたいが故に、常に魔力を消費し続けてみれば良いのではと考えた事もあったが……、回復した魔力は私が消費する間も無く全てエレノアを形作る為の、未知の魔術の構成に取り込まれてしまうんだ。


 今の私ではその領域に手出しが出来ない。だから勝手に回復して自然とエレノアの姿に戻ってしまう」


「どうしてその様な体質になってしまったのか、お聞きしても?」


「私の魔力吸収適性と魔力視が原因だった。五歳の時にとある魔導師の魔力を目にした時、心の底から綺麗だ、欲しい、と思ったんだ。それでどうやら、その魔導師の魔力を器ごと・・・吸収してしまったらしく、魔導師は魔法が使えなくなり、私は魔導士の強大な魔力をその身に収める事は叶わず、こんな身に。


 自分の行動一つで他人の人生をいとも容易く狂わせてしまうのだと、その時初めて知った」


「そんな……そんな事が……。それでは華耀君は、もう十年も女性の姿で大半を過ごしていると言う事ですか?」


「ああ、そうなるな。


 実は魔法が使えなくなった魔導師がそのまま私の師匠として面倒を見てくれていたんだが、曰く保有出来る魔力の上限を増やすか、魔力吸収の逆、要するに返却が出来ればこの体質も治るんじゃないか、と。


 だがもう十年経っても保有上限は吸収した魔力の半分にも満たない。返却の方も、そもそも吸収適性に関する資料が少なすぎて途方に暮れていたんだが……、この間からアルテミスと図書館で書籍を読んだり、仮説を立てて修行に励んでみたりしただろう。あれで少し、希望が持てたんだ。本当に、助かった」


「私は、お役に立てていたんですか?」


「ああ、とても助かった。何度も言うが、本当に今日だって中間試験に関する情報を教えてくれて感謝しているんだ。何度言っても足りない位感謝している」


「……そうですか。でしたら一つお願いです。


 話せない部分があるのは仕方が無い事ですし、華耀君が話してくれる迄は、そこにはもう触れません。


 でも、どうか今話してくださった範囲の事だけは、今後も私を頼って下さい。一人で苦しんでいる華耀君を見ると……私もとても苦しいです」


 そう言いながらも潤んでいくアルテミスの瞳に、華耀はぎょっとし、慌てて口を開く。


「分かった、約束する。……だから、もう私に関する事で泣かないでくれ。貴方に泣かれると、私はどうして良いか分からないんだ」


 困った表情で懇願する華耀に、アルテミスは暫し呆けた様な顔をしてから、くすりと笑った。


「そうですか、華耀君は私の涙が苦手なんですね、これは良い事を聞きました」


 とっておきのおもちゃを見つけた様な表情で笑うアルテミスに、華耀は閉口する以外なす術は無かった。

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