月神アルテミス

 入学してからひと月余り、既に四人と過ごす事が定着しつつあった。あの後結局、夜間の授業でイリヤから熱心なアプローチがあり、華耀として日中帯の体術実技にも時おり顔を出す様になった。エレノアとしても参加している総合実技は何かと理由をつけて頑なに日中帯の参加を辞退した為、ニーナの方が夜間帯に顔を出す様になった。


 変わった事と言えば、もう一人女生徒が共に昼食を摂る様になった事だろうか。名前をアルテミスと言い、月の女神と同名である。アルビノ特有の白髪に、中でも珍しいピジョンブラッドの瞳と言う外見的特徴。アルビノの月神と言えば、貴族に明るく無い人物でも分かる程にこの国では有名過ぎる異名だ。


 その現場を華耀は目の当たりにはしていなかったが、ニーナが息巻いていた所を見るに、相当ひどい嫌がらせだったのだと思う。


 アルテミスは大変神秘的な美しい容姿をしているが、その目立つ容姿故に幼い頃から注目を浴びていた。あがり症の彼女は、注目される事により多くの失敗をしてきた。そうして彼女は年を経る毎に自信を無くし、引っ込み思案な性格になってしまったらしい。


 すると今度はその容姿に似合わぬ挙動をあげつらわれ、馬鹿にされ始めた。それが原因で次第に引っ込み思案なだけでは無く、人と関わる事その物が怖くなった。ある時から公の場にも一切姿を見せなくなったのは有名な話だ。


 本人曰く、ここに来る迄は家でひたすら勉学に打ち込んでいたのだと言う。だが、家で学べる事には限界がある。アルテミスは、人と関わる事の恐怖と学院で学べる膨大な知識とを天秤にかけ、迷いながらもこの学院に入学した。


 アルテミス・リベルテ・ローズウォールはローズウォール伯爵家長女にして、四兄弟の末子である。この見た目と伯爵令嬢の地位を持ってすれば、本来は社交界の花となれる人物であるが、残念ながら卒業迄に果たして社交界デビューが出来るのかは、神のみぞ知る、と言った所である。


 そんな彼女にまつわる事件は、入学式のオリエンテーションが発端となっていたらしい。前列に座った華耀達は気付かなかったが、最後の方に会場に着いたアルテミスは空いていた中列に座り、後方からすこぶる目立っていたらしい。


 当然の如くオリエンテーションが終わった後に人々に囲まれて質問攻めに遭ったらしいが、社交の場に姿も見せずに家で勉学に励んでいた彼女は、引っ込み思案に拍車をかけていた。そしてその様子を見ていたとある令嬢を筆頭に、嫉妬に駆られた令嬢集団が、まともに受け答えも出来ない彼女を馬鹿にし始めたらしい。


 そしてニーナが目撃した状況に戻る。


 その日、体術の授業が早めに終わったニーナは、席を確保する為に皆より先に食堂に居た。そしてそこで、食事を持って歩いているアルテミスに対し、食事の最中だった女生徒の一人が足を突き出して転ばせたあげく、「あら、手が滑ってしまいましたわ」と自身の食器を机から落としたのを目撃した。落ちた食器は四つん這いになっているアルテミスの頭へと綺麗に吸い込まれて行き――。


「あいつら、悪びれもしないで大笑いしていたのよ!」とはニーナの言である。


 アルテミスのすぐ後方を歩いていたニーナは、悪意あるその行為を目撃し、即女生徒を問い詰めたらしい。だが彼らはニーナの言葉を意に介す事無く、それどころかニーナの名前を聞いた途端に平民風情が、と罵ったと言う。自身の持つ情報に存在しないからと言って平民と決めつける早急さ、そして貴族を特権階級だと思い込み、あまつさえ自分が貴族であると周りに宣言する様な迂闊な発言をした愚かな女生徒は、残念ながら我がライゼンアムド王国の公爵令嬢であった。


 運良くと言って良いのかは分からないが、そこに華耀エレノアが通りかかり、激昂したニーナと食べ物まみれのアルテミスを回収して事無きを得た。


 その後、アルテミスは華耀達と食事を共にする様にはなったが、どちらかと言えば心配したニーナが彼女の時間割を調べ上げ、偶然の振りをして待ち伏せし、昼食に誘っているのであって、アルテミス自身から華耀達の元に来た事は未だに無い。それでも、彼女の事情を聞き出す事が出来たのは大きな進歩と言えよう。話し終える迄に三日分の昼食時間を要したが。



   §-§-§



「ちょっと良いかな」


 そうニーナが話しかけて来たのは金曜日の夜間の事である。


 二人で話したいと言外に匂わせたその一言に、華耀はイリヤとロランに断りを入れ、ニーナと二人で食堂の席を確保した。


「それで、話って?」


 そう促したのは、そろそろ食事も終えようかと言う頃合い。どうやら相当に言いにくい事だと察した華耀は、それ以上は何も言わず、食器が空になってもその場で静かに待った。


「あの、さ……もしかして私が昼食時にアルテミス誘って行くのって、やっぱり迷惑だったりする?」


「いや全然そんな事は無いが……何でそんな事を?」


「だって華耀君、ここんところ全然体術も昼食も顔見せに来ないじゃ無い。だから、もしかして本当はアルテミスが苦手なのか、それともアルテミスが来てからやたらと周りの視線を感じる様になって、その所為で居づらくなったのかなって……。」


「確かにアルテミスが来てから周りの視線があからさまにはなって来たけど、その前から私達は目立っていただろう。ニーナの髪は炎のように綺麗な赤だし、ロランの金髪碧眼だってどこの童話の王子様だって位には目立ってるし、私とエレノアの黒髪黒目もこの国じゃ珍しい。皆、イリヤの刃の様な視線が怖いからあからさまに見て来なかっただけだ。そこにあの色彩のアルテミスだ……、イリヤ一人の視線で抑えきれなくなってきただけだろう?」


「じゃあ何で来なくなったの? 原因はあるでしょう?」


「……アルテミスが……」


「やっぱりアルテミスなの? 私どうしたら良い?華耀君と疎遠になるのは嫌だけど、だからってアルテミスと食事しないって選択肢は取れないし、取りたくないよ……」


「違う、そうじゃなくて……アルテミスが眩しくて顔を見られないと言うか満足に食事が喉を通らないと言うか……」


「……ん? え? ええええ!? そう言う事!? もしかして華耀君……!」


 ニーナの声が食堂に響き渡る。何事かとこちらをちらちらと見る生徒もちらほら居るが、そんな事は気にも止めず、ニーナの表情がきらきらと輝いていく。想定と真逆の理由だった事に対する喜びと言うよりも、これは単純に恋愛話をしたい乙女の顔である。


「言うな、口に出さないでくれ。自分でも動揺しているんだ。落ち着いたら顔を見せるから、暫く放っておいてくれないか……」


 エレノアとして食事を共にするのは問題無い。それは、単純に華耀がエレノアと言う存在を己の舞台衣装と認識しているからである。女性と言う役どころで女性と接する。そう言う風に自分に暗示をかける為の舞台衣装。女性同士なのだから特に緊張する必要も無い。そう、半ば無意識に自分に暗示をかけ続けている。


 だが華耀としては違う。衣装を脱ぎ去った、ありのままの華耀という男性として、女性と接する。そもそも普段からその大半をエレノアとして過ごしている華耀は、男性としての自分で女性に接する免疫が皆無である。常日頃から王子として恥ずかしくない行動を念頭に、自分を律しているが故に表面上は上手くこなせている様に見えるが、正直、エレノアとしても自身から話題を振る事は余り無く、誰かの話題に対して応答するばかりの為、話題を振る話術の才も無い。幸い、いつも話題も振ってくれるニーナや、常に本気で討論出来るアイナにはそう言った緊張をせずに済んだ。


 そんな華耀が、アルテミスと初めて対面した時は、エレノアである舞台衣装を着ているにもかかわらず、動悸が治まらなかった。華耀として真っ正面に座ってしまった時、確信した。自分は彼女に一目惚れをしたと。


 だが、華耀は話題を振れないしアルテミスはそれ以前に人と話す事すら難しい。それどころか華耀は、アルテミスのその好みど真ん中の容貌と守護欲をそそる性格に、直視する事すら出来なかった。暗黙の了解で男女で半々に向かい合って食べる今の状況で、これは非常に不味い。何となく、取っている科目的にもニーナの真正面がイリヤ、アイナの真正面がロランなのが暗黙の了解になっている今、華耀が昼食に行けば確実にアルテミスの真正面になってしまうのだ。


 だから華耀は、エレノアとして昼食を摂り、アルテミスの存在とその容貌に慣れようとしていた。だがそんな努力も、ニーナの次の一言によって終わりを告げてしまいそうになる。


「だったら余計一緒に食べないと! 話題とかはほら、私が提供するから!」


 ――勘弁してくれ!


「いや、良い、大丈夫だ。ニーナにそこまでしてもらうのは申し訳無い。もう何日かしたら必ず行くから、そっとしておいてくれないか」


「……分かった。ごめんね、余計な事言っちゃった。大丈夫、今の話は忘れるから! それじゃ、また来週ね!」


 そう言ってニーナは元気良く手を振って食堂を出て行った。ニーナは自分が失言したと思ったら必ず謝る。彼女のそう言う所が好ましく、何よりも自分も見習いたいと思う。自分であれば、そもそも失言をした事に気付かない可能性もあるからだ。


 食堂の入り口迄視線でニーナを見送り、それにしても、と華耀は呻いた。


 ――ああ言われてしまった手前、もう何日かしたら、なんて言ってみたが、まだまだ顔を見て食事が摂れる自信など無いんだがなぁ……。


 金曜日の夜間で良かったと心の底から思った。明日明後日は煩悩を払う為に、図書館で思い切り文献漁りに没頭出来る。



   §-§-§



 ――どうしてこうなった……。



 学生の本分である勉学、その中でも華耀の直近の課題である魔力保有量の拡張方法と制御方法。それについて調べる為に、華耀は図書館へと来ていた。


 今期の授業が始まったばかりだからか、週末と言う事もあってなのか、それとも規模の広さ故か。図書館内は閑散としていたが、目当ての本棚へと近づくと一人、見知った顔を見つけた。


 よりにもよってアルテミスである。


 ――彼女は勉強その物が趣味とは言っていたが……よりにもよってこの本棚で鉢合わせるなんて運が悪い。いや、顔が見れたのだから運が良いのか? ……しかしどうしたものか。無視するのもおかしいが、アルテミス的には話しかけられるのは迷惑な様な気がする。何より、話しかける勇気が……。


「おはよう、アルテミスさん」


「えっ、あ、はい……」


 意を決して話しかける華耀。話しかけると言っても挨拶だ。これくらいなら華耀的にもこなせる難易度で、尚且つアルテミスにもそこまで負担にならない筈。それでも会話が出来たと言う達成感を胸に本棚に向かい合い、書籍名をざっと読んでいく。


 魔法の歴史、魔術の歴史、魔力錬成、魔力制御。この辺りだろうが、既に読んでいる書籍が多々目に付く。それもその筈、華耀は五歳の頃からこの身体に悩まされているのだから他の書籍よりも優先してその類の物を片っ端から読みあさって来た。


 ――なかなか読んだ事の無い書籍が見つからないな……ん、これは……『魔力吸収適正について』か。その物ずばりの書籍名は初めて見たが……背表紙も無い、ただ紙を半分に折って中心を縫い合わせただけの、簡易的な作り。流通した書籍と言うよりも、ここの学生が作って置いたと言われた方がしっくり来る。だが、今の私にこれほどぴったりの書籍も無いな。


「……魔力吸収適正、あるんですか?」


「えっ?」


 突然頭上から降り注いだ声に、華耀は間の抜けた声を上げてしまった。上を見上げれば、アルテミスの視線が華耀の手元へと注がれている。


「あ、えっと、勝手に見てしまってすみません……。私今適正について気になって調べてて、その中でも存在はするけど保持者が滅多に見つからない吸収属性がとっても、とっても気になってるんです! 保持者が少ない所為で情報も少ないし、もし華耀さんがあるなら、一緒に研究出来ないかなって思ったんで、すけ……ど……すみません、私いきなり話しかけてしまってすみませんすみませんそれでは」


「あ、ま、待って待って!」


 そのまま立ち去ろうとするアルテミスを、華耀は慌てて引き留める。とは言え、魔力吸収適正があると言って良い物だろうか。別に適正を隠す暗黙の了解等無いが、吸収属性を持っている人物はほとんど存在しない。華耀は後から吸収属性の存在を指摘されたので周知の事実とはなっていないが、どこから王子だと特定されるか分かった物では無い。特にアルテミスは既に素性が知れている。彼女の家の情報力は、兄の職業と相まって同等の家格の他家よりは秀でている。侯爵クラスと考えて差し支えない筈だ。


 ――兄がアシュレイだと、騎士団繋がりの情報網が使える強みがあるから油断は出来ない……。それに、吸収属性があるのに魔法が使えない等と知られれば、どうなる事か。だがその一方で趣味で適性を調べる様な彼女であれば、私の知らない情報を既に持っている可能性もある。一緒に調べた方が捗る事は捗る、か。


「ええと、私は確かに魔力吸収適性がありますが、ちょっと特殊な事情があって上手く扱う事が出来ません。元々の魔力も皆無ですから、吸収が上手く行かない現時点では、私は魔法を使う事も出来ない状態でして。ですからこうして調べようとしているのです。貴方が私と居るのが苦にならないと言うのであれば、どうか私と一緒に調べてはくれませんか?」


 華耀なりに、精一杯言える範囲の事を正直に伝えてみる事にした。正直な所、最後はリスクやメリットを度外視し、アルテミスと仲良くなれるチャンスを逃したくない一心で決断したのは否めない。


「ほ、本当ですか!? では、お言葉に甘えさせて頂きます。……あ、特殊な事情と言うのは、無理に仰らなくて大丈夫です。


 その、私は今興味本位でお声がけしてしまったと言う自覚がありますが、本来は余り個人情報に触れる様な話題を振ってはいけないと言うのは、理解しています。ですから、華耀さんが御話しできる範囲で構いません。わ、私は興味のある分野の話となると、常識とか規則とかそう言うのが頭の中から抜け落ちて、不愉快と思われる様な言動をしてしまう癖がありますが、その時は不愉快と仰って下さい。な、直しますから!


 あ、えっと、その本読むんですよね。とりあえず、どこかに座りましょうか」


 華耀とアルテミスは、近場の長椅子に向かって腰掛けた。アルテミスは早速筆記用具を机に広げており、頼もしい限りである。アルテミスが隣に座っていると考えるだけで幸福感に包まれたが、最初のページを開いた瞬間、その感情は跡形も無くかき消された。


 【私と同じ魔力吸収適性を持つ者へ。まず最初に、これだけは心に留めて欲しい。魔力吸収は、寿命を縮める。順を追って説明するが、後述する私推奨の吸収方法を身につける迄は決して吸収した魔力は体内に入れてはいけない。】


「寿命を、縮める……?」


 不穏な一文に、華耀は思わず呟いた。手が震える。魔力吸収の保持者が居ないのは、皆短命だったからなのだろうか。思考が悪い方に引っ張られそうになるのを賢明に引き戻して、貪る様に続きに目を走らせる。


 【本来、魔力と言う物は体内で作られる、それぞれの人にあった物だ。だが、吸収能力を持つ人間は、外部から吸収出来る。それは利点だが、同時に異物を体内に入れる事であり、上手く体内に適合出来なければ身体に傷を負わせる事になる。一瞬であれば被害も少ないが、例えば大規模な魔術を行使する為に体内に長く留めておこうとすれば、その分傷は蓄積する。


 つまり、寿命を縮めずに吸収する為には次の二種類の方法を身につけなければならない。


 一つ、吸収した魔力を体内に入れず、周囲に漂わせた状態で魔法ないしは魔術を編む事。


 二つ、吸収した魔力を体内に入れる場合は、必ず自分の身体に合う様に不純物を取り除き、練る事。


 私はこの二つを習得する為に、魔力視を持つ友人に協力して貰った。必須では無いが、魔力視が出来る人物が居れば、己の魔力と同じ様に調整するのは格段に楽になる筈である。


 今の所私は、無理な吸収によって傷ついた体内を治す方法迄は見つけられていない。故に、これを読んでいる君が少しでも傷を負わない様に警告するのが精一杯である。】


「大丈夫ですか……?」


 よほど怖い顔をしていたのか、アルテミスが震えながら聞いてくる。


「あ、ああ、大丈夫だ。これを読む限り、私の体内はほとんど無傷だ。私は吸収した魔力を体内に入れる事はほとんどしていない。先程も言ったが特殊な事情で、吸収した魔力は魔法にする前に勝手に体内に吸収されてしまうんだ。だから色々と模索して、吸収される前に魔力その物を叩き付ける使い方をして来た。勝手に吸収された分以外は自ら取り込んだ事は無い。多分大丈夫な、筈」


 そう自分に言い聞かせる様に話す華耀に、アルテミスは安心した様に微笑んだ。華耀は華耀で、軽い恐慌状態に陥っているからか、アルテミスに対して敬語を使う事を忘れてしまっている。


 ――実際の所、どうなんだろうか。そもそも私の体内にある魔力は、三人の師匠の物と、人並み以下の己の物の四種類。師匠の魔力は一人あたり優秀な魔導師五人分に匹敵するから、単純計算で十五人分プラスαが今体内に渦巻いている事になる。この書籍に書いてある通りならば、そもそもこの時点で体内はぼろぼろな筈だ。

 ああ、でも最初にリカルドから聞いた話によると、この呪いじみた性転換魔術のおかげで大半の魔力は使用されているから、多少は負荷が軽減されているんだったか。その上で、確かヴァネッサ師匠が掛けてくれた頑強な身体・・・・・の加護が効いているから、そこまで深刻な状態にはならないと言っていたな……。

 普段、華耀からエレノアに戻る時の魔力は無理に吸収している訳では無く、師匠の魔力が自然回復するのを待っているだけだから問題は無い筈だ。


「ではつまり――、華耀さんは既に一つ目の方法は半分は習得していると言う事ですね。魔力を吸収して一時的とは言え周囲に漂わせる事は出来る。問題は、何かしらの事情によって魔法を編む前に吸収されてしまう、と言う事。故に吸収される前に放出しているのが現状。そう言う事ですよね。


 二つ目の方は、魔力視を持つ方が居なければ、習得する過程で体内を傷つけてしまいそうですが……」


「ああ、それは問題ない。私は魔力視を持っている」


「魔力視! 凄いです華耀さん、適正では無いとは言え、魔力視も相当珍しいですよ。でもこれで二つ目も解決の糸口が見えてきましたね」


「それもそうだが……いや、それもそうですけど、そもそも自分の魔力を見て、それと同じ様に練るって言うのは別の技能を求められますよね。例えるなら模写が上手いかどうか……みたいな」


「なるほど。私は魔力がどの様に視えるのかも想像がつきませんけど、模写と言われれば分かります。私には無理ですね。芸術全般壊滅的ですから……。あ、あの、それと、普段皆さんに話してる様な口調の方が、私的にはちょっと、嬉しい、です……」


 どうやら、勉強の話から少しでも逸れると途端にいつもの内気な性格が頭をもたげてくるらしい。もごもごと口内で呟くアルテミスの言を聞き取るのに苦労はしたが、普段通りの口調の方が仲間内感が出て嬉しい、とそう感じてくれていると解釈をして良いのだろうか。


「そうか。それは良かった。では御言葉に甘えていつも通りにするとしよう。アルテミス……も好きな様に話してくれて構わない。今すぐは難しいかもしれないが」


「は、はい! えっと、努力します……。華耀……君。


 そ、それじゃあ続きを読んでみましょうか!」


 アルテミスの言葉に、華耀は微笑みながら頷いて、書籍へと視線を戻す。なかなかに衝撃的な内容ではあるが、さして不安を感じないのは、アルテミスが隣に居てくれた御陰かもしれない。


 【一つ目の方法は、周囲と己の身体との間に魔力による壁を作るイメージから始めるとやりやすい、と私は思う。これに関してはひたすら周囲の魔力を己の物としながらも決して体内に入れない様に、魔力視を持つ友人に指摘してもらいながら繰り返し練習を重ねた。


 二つ目の方法は、まずはなけなしの己の魔力を指先に出現させ、それを魔力視を持つ友人にどのような物かを説明して貰い、吸収した魔力をそれに近づける練習をした。己の魔力その物を体外に出せない者は、別途魔力制御系の書物を読んでみる事を推奨する。


 とは言え、自分で見る事が出来ないので、本当に再現出来ているかは判断が難しい。


 だが、見た目上そっくりになったと太鼓判を押された魔力を試しに体内に入れてみた所、魔力を直接吸収したのとは違う、肌に馴染む様な感覚があったので、是非とも参考にして貰いたい。


 ここまでの二つが完璧にこなせる様になってから次の項に進む事を推奨する。先走って挑戦した者の生死の保証は出来ないので留意する事。】


 これまた不穏な終わり方をしているが、要するにこの基本が出来ていない限りは吸収と言うのはかなり危険な代物だと言う事だろう。


「なるほど、続きを読んでみたい気もするが、急いては事を仕損じると言うし、暫くは今の二つを習得する事に専念するよ。続きが気になるのであれば、申し訳無いが一人で読んで欲しい」


「いえ、華耀さ……君が読まないのであれば、私も読みません。むしろその……私は魔力視が無いので役には立てませんが、習得する為の練習に御一緒させて貰っても宜しいでしょうか、御迷惑で無ければ……」


 ――迷惑どころか最高だ! なんて思ってる辺りもう末期かもしれないな……。ああ、でもこうして一緒に書籍を読んで会話する分には、アルテミスも嬉しそうだし私も話題で困る事は無い。この調子で行けば、ニーナと話した期限迄には何とか昼食を共に出来そうだ。


「迷惑なんてとんでもない。だが、本当に地味な練習だから見てて退屈かもしれない。それでも良ければ、今日これから部屋でしようかと思っているが……」


 対魔法防御が張られている地下室で練習するのが日課になっていた為、深く考えずに口にしたが、考えてみれば女性を自室に招く等破廉恥と受け取られても言い逃れが出来ない事に気が付いた。どこか屋外で、と言い直すべきか、それとも言い直した方が下心があると勘違いされるだろうか等と華耀が混乱している間に、アルテミスが口を開いた。


「地下室であれば気兼ね無く練習出来ますね! 遠慮無く、御邪魔させて頂きます」


 額面通りに受け取ってくれたのか、アルテミスは快く了承してくれた。ならば彼女の気が変わらぬ内にと、華耀は本棚に書物を戻し、アルテミスと共に図書館を後にした。



   §-§-§



 自室の扉の前迄やってくると、華耀はアルテミスに一言断り、先に部屋へと入った。地下室へ直行するだろうとは思うが、万が一を考え、エレノアの部屋と繋がっている寝室の絵画の起動を解除してから室内をざっと確認する。基本的に普段からエレノアの私物はエレノアに割り当てられた部屋へと置いている。特に問題が無い事を確認してからアルテミスを部屋へと招き入れた。


「あ、部屋の造りは一緒なんですね。実は内部は人によって全然違うんじゃ無いかって、想像してたんです」と部屋を見渡しながらアルテミスは話す。


 今は特に勉強の話では無いが、噛んでいないな、と些細な事に気付き、華耀は少し嬉しくなった。興味のある事柄という意味では、アルテミスの中では勉強と同じ括りかもしれないが、華耀にとっては世間話の一環である。


「そうなのか。私も人の部屋に入った事は無いから知れて良かった」


 そう返してから、地下室へと誘う。練習を始める前に軽くお茶でも入れるべきかと思ったが、アルテミスにはまだ難易度が高いかも知れないと考え、椅子を一脚だけ持ち出し、地下室へと直行した。


「さて、じゃあ早速始めるが、退屈になったらいつでも出て行っても、何かして貰っても構わない。自由にしてくれ」


「分かりました。御気遣いありがとうございます」


 華耀に差し出された椅子に座り、アルテミスは嬉しそうに応じている。この分だと本当に最後まで居てくれそうだと思いながら、華耀はまず自分の魔力を左の掌の上へと放出する。


 まだ三人の師匠の魔力を意識的に切り替えて使う事は出来ないが、自分の魔力だけは制御出来る。黙々とやる方が性に合っているが、流石にアルテミスの手前、無言で行うのはおかしいだろう。彼女は魔力視を持っていないので、口に出して説明する事にした。


「私の魔力は……黒い色だ。黒と言っても黒魔術を連想させる様な禍々しさは感じられない、……と思う。自分の魔力だからそう見えるだけかもしれないし、自信は無いが」


「華耀君の髪や瞳の色と同じ色でしょうか。初対面で、私はとても神秘的で美しいと思いましたから、きっと魔力も綺麗な色だと思います」


 とんでもない殺し文句である。思わず動揺して魔力を消し飛ばしてしまいそうになるが、慌てて自制した。


「吸収した魔力でこれを模倣するのならば、これはこのまま維持して置いた方が良いだろうな。次は、右掌の上に魔力を吸収してみる……」


 とりあえず、何も考えずに掌の上に意識を集中し、そこへ吸収した魔力を集めるイメージをしてみる。イメージ自体は上手くいき、掌の上に魔力は集まってきたが、すぐさま霧散してしまう。


「駄目か……。私の場合、そもそも集めた魔力をすぐに使用しない限り体内に問答無用で吸収されてしまう。右掌の上に魔力は集められたが、模倣する前に体内へと消えていってしまった……」


「それでは、その練習を続けてしまっては身体を傷つけてしまうと言う事ですよね?


 ええと、では一番目の魔力を周囲に漂わせる方法。あれに確か、身体と周囲の間に魔力の壁を作るイメージって書いてましたよね。それをやってみて、吸収出来ない様にさせるのが先決、でしょうか」


「そうだな、そちらを先にやるしか無いか。だが、吸収した魔力で壁を作っても、壁その物が体内に吸収されてしまう気がする。私の魔力で壁を作るのが正解なのだろうが、保有量は微々たる物……。


 これはなかなか難しいな。魔力視を生かして、吸収されそうになっている部分にだけ壁を作ってみる等の工夫が必要そうだ」


 ――師匠の魔力が使えれば一番良いのだろうが、生憎と今はまだ自分以外の魔力は感知も出来ないしな。


 今自分が言った通りの事を試しに実践してみる。先程同様、右の掌の上に魔力を吸収させ、その行く先をじっと見つめる。今度は霧散では無く、確かに吸収される軌跡が確認出来たが、壁を作るより前に吸収されてしまった。


「……吸収されるのが早いな。軌跡は追えたが、壁を作るのが間に合わない」


「あ、華耀君は他人の魔力も吸収出来るんですか?」


「いや、それはまだ出来ないな」


 ――三人の師匠の魔力を吸収して以来、人の魔力は吸収出来ていない。私の本能的な恐怖故か、本来出来ない物が五歳の頃は出来てしまったのか、それは分からないが……。


「それでしたら、私が華耀君の身体に壁を作ってみるのはどうでしょうか。や、やった事無いので出来るかは分かりませんが、これなら吸収した魔力が私の魔力に弾かれて体内に入らない筈です」


 ニーナが調べた時間割によると、アルテミスは魔法実技や魔法理論を選択している。つまり、魔法適性はあるのだろう。


「確かに……でも、良いのか? 迷惑なら……」


「迷惑ならば最初から提言しません。大丈夫です。出来なかったら申し訳無いですが、とりあえず試してみる価値はあると思います。私は魔力は見れないので、華耀君の周囲に膜を張るイメージで作ってみます。細かい指示は、よろしくお願いしますね」


 思いの他力強く言い切ったアルテミスに、華耀は頷く。


 華耀が了承した事を見て取ったアルテミスから、魔力が放たれる。綺麗な白い魔力だ。それは華耀の身体を覆う様にぴったりと張り付き、暖かく包み込んで来る。


 ――何だか思ったより緊張するな……魔力だからと気にも留めていなかったが、まるで抱擁されている様でいたたまれない……!


 内心の動揺を押し隠し、アルテミスの行為を無駄にしない為にも魔力吸収に集中する。右の掌の上に掻き集められた魔力は、先程同様体内に入ろうとするが、アルテミスの魔力に遮断されて入り込めない。


 何度も侵入を試みるその魔力を、華耀はありったけの集中力を持って拒絶・・した。すると、最初の内は何度も侵入しようと体当たりを繰り返していた魔力が、次第に掌の上でじっと動かなくなった。


「もしかして、上手くいきましたか? 何だか攻撃を受けている感じが無くなりましたけど……」


「ああ、とりあえず掌の上に落ち着いた。自分の魔力に同化させるのはここからだ」


 先程強く拒絶した魔力に、今度は少量の自分の魔力を練り込んで行く。すると無色透明だった魔力は、次第に自身と同じ黒色の魔力へと変じていく。


「本来は自分の魔力が空でも吸収出来る様に、魔力を練り込まずに同化する方法を模索するべき何だろうが……そもそも魔力を変じる術が皆目見当もつかないから、一旦試しに自分の魔力を合成させる方法を試したら黒色にはなった」


「には、と言うのは……?」


「音が違う」


「音、ですか?」


「ああ。私は魔力聴……と自分で呼んでるだけで正式な名前があるのかは分からないが、視るだけで無く聴く事も出来る。だが、今左手にある元々の自分の魔力と、右手の魔力とでは見た目はそっくりでも音が違うんだ。多分内部的に違う魔力何だろうが……流石に音迄一致させる方法が思いつかないな」


「音ですか……魔力視は時々文献にも出てきますが、聴覚の方は私も見た事がありません。でも音が違うという事はどこかしら違うと言うのは賛成です。


 多分、見た目がそっくりと言う事は今の時点であの書籍に書いてあった様に、その魔力を体内に入れても肌に馴染むのかもしれませんが、微妙に違う分、長い目で見れば体内を傷つける事にはなりそうですね。


 ……顔色、悪いですよ。そろそろお昼時ですし、今日はここまでにするか、一度昼食を摂って休んだ方が良いと思います」


 確かに、華耀は疲労感を感じていた。時間にしてはわずか数時間の筈だが、実技の授業以上に疲れている。身体を動かすのとはまた別の疲労感である。


「そうだな、今日はここまでにして、後は適当に座学の予復習をする事にする。……その前に昼食にするが……アルテミスはどうする?」


「あ、え、えっと……御迷惑で無ければ御一緒させて下さい。上手く話は出来ないかもしれませんが……」


「じゃあ行くか。世間話が苦手なら、アルテミスの好きな勉強の話をしたら良い。


 例えば、そう。さっき疑問に思ったんだが……魔力吸収が駄目なら、魔力結晶も駄目なんじゃ無いかと思うんだが、どう思う?」


「とても興味深い考察です。でも、魔力結晶を使ったからと言って短命だという話は聞きませんね。どう言う事でしょう」


「もしかしたら、魔力結晶を使うのは戦争に赴く魔導師や冒険者が多いから統計が取れていないだけ、と言うのはあるかもしれない。彼らの様に死と隣り合わせの状況下では、寿命を全う出来る者は少ないだろう」


「なるほど、それは一理あります。或いは、もしかすると魔力結晶は万人の魔力に馴染む様に作られているか」


「それならば魔力結晶を研究すれば私の吸収にも役立つかも知れないな」


「では、後で図書館で調べてみましょうか」


 こうして、当初の思惑とは違うと言えど、勉強と言う話題を通して難なく会話は出来る様になった。結果的には華耀の課題に対する活路も開け、公私共に充実したと言える。


 最初の一月の成果としては悪くない結果と言えるかもしれない。


 そんな中、一つの知らせが華耀の平穏な日常に影を落とし込む。

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