これは、まずい。


 目が合った騎士団員の表情を見て、そう思った時には遅かった。


「お、王子殿下!?」


 動揺した騎士団の一人がそう口に出した事によって、他の騎士団員も次々と気付いてしまった。


「え、副団長これどういう状況ですか!? 背中預け合ったって事ですよね!? そうですよね!?」


「ばっかお前声がでけぇよ! 他の方々に聞かれたらどうするんだよ。どう考えてもお忍びだろ」


「いや、もう初手の叫びで手遅れだよ……」


「殿下は副団長と背中を預け合える程強いのか?」


「いや、病弱と言う事だったが……」


 一斉に話始める騎士団員達。誰かが放った、手遅れだと言う言葉に反応した華耀は、ギギギ、と油をさしていない歯車の様な動作で後ろを振り返った。


「君は今の叫びを聞いていなかった。聞いていなかった……そうだな?」


 思わず二度確認してしまった華耀だが、ドラゴは確実に聞いていただろう。ドラゴも可哀想な程顔面蒼白で頷いている。そのまま押し切ろうかとも思ったが、あまりにも嘘が下手過ぎる顔色に、思わず噴き出してしまった。


「……ふっ、無理に頷かなくて良い。どうせトレヴィルでのやり取りで何となく察していただろう。気付くのも時間の問題だった筈だ。何、言いふらしたり取り入ろうとしなければ別に何の問題も無い。


 まあ、何と言うか……そう言う事だ。私個人としては君とはこれからも親しくしていたいんだが……肝心のザシャを放置しておくのもまずいな。応援も来た事だし、話はもう一仕事してからか」


 そう言うと、華耀はアシュレイに向き直る。


「捕縛状の用意は?」


「出来ているそうですので、いつでも大丈夫です、殿下。


 さて諸君、これよりここにいる騎士団員は私を含め殿下の指揮下に入る。良いな」


「「はっ」」


 華耀に関する噂話を知らぬ訳が無い彼らは、突然の指揮権移譲発言に、思う所が無い訳では無いだろう。それでも、何の異論も唱えずに副団長の指示に従う姿に、華耀はアシュレイの統率力の高さを垣間見た。


 良いのか、と視線で問う華耀に、アシュレイは軽く頷いて同意を示す。城であれほど啖呵を切った彼の事だ。これも彼の中での、華耀を見極める為の試験の一つなのだろう。華耀は深呼吸で呼吸を整え、騎士団員の面々を見渡し、口を開く。


「現時点を持って館の主であるザシャ・アダルベルトを正式に重罪人として扱う事とし、これより、ザシャ・アダルベルトの捕縛作戦に入る。


 なお、彼の一人息子であるヴィクトール・アダルベルトだが、現時点では彼が関わっている証拠は上がっていないが、ザシャと共犯である可能性が高い。この屋敷に居るかは確認出来ていないが、見つけた場合は解放せずに丁重に騎士団の管理下に置いて欲しい。


 ザシャ本人だが、この建物自体は重厚で扉も分厚い。恐らく先程迄彼が居た執務室迄はここでの戦闘音は一切聞こえていない筈だ。誰かが知らせるか、魔道具で此処の監視でもしていない限りはな。


 二人、アシュレイと共にここで現在転がっている面々の捕縛と、これから屋敷を出ようとする人物の足止めを。


 他の者はまずは執務室から優先して当たって欲しい。居ない場合は三人その場で隠し通路の確認。残りは屋敷内の捜索を。執務室は一階最奥で、直接庭に面している。窓から逃げられると捕縛が面倒だ。三人、建物の外から庭に回ってくれ。


 私とドラゴは屋敷の中に居るであろう使用人から聞き取り調査を行う。見つからない場合は適宜アシュレイに連絡。アシュレイは私に連絡してくれ。


 チーム分けの指示は……しなくても問題無いようだな。


 何かあれば適宜連絡をして来る事。何か質問や意見は? よし、では始め」


 これで良いのかと、脳内で自問自答を繰り返したくなるが、今は目の前の作戦に集中すべき時だ。恐らく、ザシャは何らかの方法で既に表の状態は把握していると見て良いだろう。そう思わせるだけの何かがザシャ・アダルベルトと言う男には感じられた。気味が悪い。得体が知れない。そういう雰囲気だ。何とか言質は取ったか、あれすらも演技だったのでは無いかと思わせる程、ドラゴが去った後の執務室で見せた表情は、既に冷静さを取り戻していた。


 故に、華耀は直感していた。執務室には居ない。或いは、執務室だからこそ隠れ場所が多々ある為に、このまま騎士団が帰る迄やり過ごすつもりか。


 華耀は執務室での出来事を思い返した。華耀とアシュレイが待機するこちらでは無く、執務室の扉から外に出る事を選択した後。



   §-§-§



 決定的な発言が魔道具に吸い込まれたのを確認した瞬間、アシュレイは騎士団員に連絡を取り、ザシャの捕縛状と応援要員、そしてリュフタ男爵家に居るラリ氏の保護を命じた。だが、応援が来る迄は暫くかかる。窓では無く室内扉から出て行ったドラゴの行動から、アシュレイが持つ音封魔道具の事を考えて合流をやめたのだと判断した二人は、そのままザシャを監視しようと考えていた。


 だが、ドラゴが扉の奥に消えてしばらくした所で、突然の高笑いが室内に響き渡った。


「逃げた所でどうせ門の外に出られはしないのに、馬鹿だなあ。単身突っ込んで来たのが運の尽きだよ、ドラゴ君」


 外にはわんさか用心棒として雇われた人々が居ると言う事か。人数が分からない今、華耀とアシュレイのどちらかがここに残ってザシャを監視すると言うのはリスキーだった。


 けれど、庭で音封魔道具を用いて自白を狙っていたと言うのはあまり褒められた事では無い。権利を逸脱した行為で証拠を集め、捕縛すれば、後々それが仇になって罰する事が出来なくなる可能性もある。そう考えると、ザシャを捕縛してから表へ駆けつけると言う選択肢は取れない。ドラゴが表に出ると同時に騎士団員が到着すれば問題無いが、一か八かの運任せにする訳にはいかない。


 ザシャから目を離す事は悔やまれるが、ドラゴの命には代えられない。あの独り言からして、恐らく外迄の道のりには誰も配置していないか、居ても数人の筈だ。執務室に居た用心棒は、ドラゴが扉を突破した後慌てて追いかけて行った。となれば例えドラゴが人気の無さに違和感を覚えても、玄関に直行しないで様子を見ると言う選択肢は取れないだろう。


 先程の戦闘を見る限り、ドラゴは確実に幻術を主体として、知恵を駆使して戦うスタイルだ。囲まれればひとたまりも無い。判断を迷っている暇は無い。


 数瞬の間検討した末、華耀は身振りでアシュレイに、”二人で表門へと向かうか”と問うた。


 そうして、迷うそぶりも無く同意の意志を示したアシュレイと共に、表の連中を片付けに向かい――。



   §-§-§



 ――やはりあの時無理にでも捕縛しておくべきだったか。いや、でもあの男の気味の悪さを考えれば、まず間違い無く違法捕縛と訴えられて減刑、もしくは無罪放免になっていただろう。褒められた手法では無いが音封魔道具で取った証拠は、もう一個ドラゴが隠し持っていた体で司法に提出する事も出来る。


 だが、捕縛状無しでの捕縛は誤魔化しようが無い。


 そんな事を考えている間にも、庭と執務室からは見つけられないとの報告が入り、焦燥感は更に募る。


 ――もし私がザシャだったら、どうするか。まず間違い無く屋敷のどこかに隠し通路を作るが……一番多くの時間を過ごすであろう執務室に作るだろうか。その場合、確かに逃げやすくはなる。が、同時に常に外からの侵入の可能性を孕む事になる。一日のほとんどを過ごす場所を危険な場所にするとは考えにくいか。

 そうなると、執務室には屋敷内のどこかに通ずる隠し通路を作っておき、その場所の近辺に外への隠し通路を作るか。直接外への隠し通路を探しても良いが、それでは捜索範囲が広すぎる。既に騎士団が隠し通路を探している筈だが、魔力隠蔽が施されている可能性を考えれば、魔力視を持つ私が観た方が早いかもしれないな。


 そう考え、華耀は執務室を目指す。念の為、途中の廊下も観察しつつ進むが、怪しいところは見受けられなかった。


 執務室に入ると、まだ室内を探している様子の騎士団員が三名居た。


「怪しい所は見つかったか?」


「王子殿下! いえ、今の所は見つかりません」


「そうか。私も探したいのだが、邪魔しても良いか?」


「もちろん、私共の事は御気になさらず」


 騎士団員の言葉に頷き、華耀は執務室全体を見渡す。


 魔力視があるとは言え、使用直後はくっきりはっきり見えるものの、普段使用していない時はじっくり目を凝らさねば難しい。ザシャがこの部屋の隠し通路を使用したとして、それに何らかの魔力隠蔽が施されていたとすれば、今ならまだそれなりに気付ける範疇の筈だ。


「うん?」


 部屋の一角、入り口から見て左の壁の上部に微かな残滓を感じた。近づき、目を凝らしてみるが間違いなく感じる。想定よりも大分上に反応があった事に驚きつつも、残滓付近をじっくり観察する。見た所、絡繰り等を一切使わない、ただの扉に何の変哲も無い、周囲に溶け込ませる種類の隠蔽魔法が使われている様だ。


 何の変哲も無いとは言え、隠蔽した扉を見つける為にはひたすら手の感触や壁の音に頼る他無い。扉と言えば普通地面から人の背の高さ程、と言う先入観がある中で、この高さにある扉の発見は難しいだろう。


 何か踏み台になる物は無いかと華耀が辺りを見渡すと、騎士団の一人が気付いた様子で近づいて来た。


「殿下、どうされましたか」


「ああ、そこの上に魔力反応がある。恐らく隠し扉の類だろうとは思うが、単純に解呪をしてしまっては、隠し通路へと至るギミックも消してしまう。とりあえず何もせずに開けてみようと思って、踏み台になる物を探していたんだ」


「は……もう見つけられたんですか? しかしもし、罠が発動したらどうするおつもりですか。こう言う類いの隠蔽魔法は何かしらの起動呪文ウェイクワードが設定されていると聞きますが」


 どこは不審げな声音でそう言いつつも、直接的に華耀の言葉は否定しない。更には渋々と言った体ではあるが、ザシャの執務椅子を壁付近に設置してくれた。アシュレイの命は絶対と言う事だろう。


 そんな騎士団の言葉を不思議に思いながら、華耀は口を開いた


「罠が発動しそうになったら解呪すれば良いだろう」


「いやいや、そんな一瞬で発動出来る人物がう居る訳が……そもそも、発動しそう・・・・・だなんてよほど熟練の騎士か魔術師で無ければ分からないではありませんか」


 騎士団員の言葉に、内心華耀はひどく驚いた。発動しそうな魔法が分かるのは魔力視による恩恵が大きい為華耀も理解出来るが、”解呪”系統の魔法は、一瞬で出来るからこそ有用なのであって、時間がかかる事はすなわち死を意味する。曲がりなりにも王子である華耀はそう師匠から教わった。


 だから魔力が豊富で自由自在に魔法を操れるエレノアとしての自分は勿論の事、魔力が無く、魔力吸収をしても身体が勝手にエレノアに戻る為の魔法へと吸収構成してしまい、魔法発動まで持っていけない華耀としての自分でも、ひたすら練習を繰り返し、吸収構成される前に解呪魔法へと昇華出来る迄にしたのである。


 実際、正体不明の魔法に襲われ、解呪で身を守った事は一度や二度では無い。


 故に罠が発動する、と知覚した段階で瞬時に解呪出来るのが当たり前・・・・だと言うのが華耀の感覚であった。


 魔術を生業とする魔術師であれば珍しくないのかもしれないが、騎士団の中にその基準で解呪が出来る者はこの場に居ないのであろう。そうなると、このまま華耀が受け身で騎士団に判断を任せてしまえば、十中八九解呪出来る者を待つ羽目になる。ザシャを捕縛出来るか否かと言う瀬戸際の今、悠長に待っている暇は無い。


「とりあえず私が調べてみよう」


「あっ、殿下! 困ります! 殿下に何かあったら私共は……!」


 瞬時に解呪出来る、と口頭で説明した所で、目立った実績が無い上に”王子”と言う称号の所為で反対されるのは分かっている。多少強引ではあるが、悲鳴に近い騎士の声を受け流し、華耀はさっさと椅子によじ登った。扉にさえ触れてしまえば、妨害する訳にも行かず、華耀の独擅場になるだろうと、彼らにとって酷な事を考えた結果である。


 彼らも許可無く王子に触れるのは不敬罪に問われかねないと知っている。無理やり椅子から降ろされる事も無く、華耀は一息ついてから扉へと触れた。


「――解呪ディスペル


 触れた途端極僅かにうねり始めた壁は、華耀が唱えた呪文により、一瞬にして何の変哲も無い元の壁紙へと戻った。後には人が一人通れるだけの通路と、通路へと登る為の縄ばしごが残るだけである。


「で、殿下、御怪我は!? 今壁が動いた様に見えましたが……」


「怪我は無い。それにしても君、今のが分かったのか。……そっちの君達は?」


 話を振られた残りの二人の騎士団は、慌てて首を横に振った。そもそも彼らは積極的に華耀を止めて居なかった辺り、含む所がかなりあるのだろう。故に本当に見えなかったのか、それとも単純に見ていなかったのかは分からないが。


「だろうな。私も主に魔力の流れを見ている節がある。直接的な予兆に気付くのは難しいかもしれない……気付けた君は解呪を練習してみるのも良いかもしれんな。魔法が発動する予兆を感じやすいのであれば、解呪には有利だろう。咄嗟に対応出来る位になれば騎士団でも重宝されるかもな」


 見えた者は喜び、見えなかったと答えた二人は、やはりまともに見ていなかったのだろう、華耀の言葉に悔しそうに歯がみした。みすみす目の前で出世の機会を棒に振った可能性を考えれば当たり前だが、自業自得である。


「さて、通路も現れた事だし、進むか」


 そう言って華耀が進もうとすると、今度こそ三人がかりで止められた。


「「「私共が先に行きますから!」」」


「この際私の身の安全を考えるのはやめて合理的に考えてくれ。君達は金属鎧だろう。通路の広さ的にも歩きにくいし、音もうるさい。この先に罠が無い保証も、奇襲されない保証も無い。


 通路を抜けない限りは剣で応戦するのも難しいのだから、私が先に通路を抜けて、安全を確認してから呼び寄せた方が確実だろう」


「確かにそちらの方が理には叶っていますが、殿下の身の安全は私共の最優先事項ですから……」


「君達王国騎士団の最優先事項はあくまで民の安全であって私の身の安全では無い! 私の身は私が守る。もしくは今は居ないが私個人の護衛の仕事であって君達の仕事では無い。


 今ここで私が怪我をした所で、君達を責める事は決して無いから気にせずに任務を続けたまえ。良いか、急いでいた故にアシュレイからあまり事情を聞いていないだろうが、今は一刻を争う緊急事態だ。最優先はこの館の主であるザシャ・アダルベルトの捕縛だ。それ以外の事は後回しだ。もちろん、自分の命が最優先なのは構わん。分かったな? では行くぞ」


 有無を言わさず強引に華耀は通路を突き進む。いい加減、いちいち議論を交わしている時間が鬱陶しい。こちらの身の心配をするのも、自身の保身が大半を占めるであろうし、怪我をしても責任を問う事は無いと言えば文句は無い筈だ。


 通路自体は長くも無く、何事も無く隣室へと辿り着いた。そこは書庫の様相を呈しており、普段からザシャが頻繁に使用していた事をうかがわせる物だった。だがしかし、今は誰の姿も見えない。


 とは言え、別途どこかに続く通路がある様子も無く、この部屋にもさらなる仕掛けがある筈だと華耀は睨む。


 魔力視を用いても何も感じない。あるとすれば物理的な仕掛けの可能性が高いだろう。部屋に入っても罠の類いは発動しなかった為、とりあえずは安全だと判断し、騎士団を呼ぶ。念の為書斎は引き続き見張ってもらう事とし、誰か一人だけ来る様に指示をした。


 少し遅れてやって来たのは、先ほど魔力を感知出来た彼では無く、出来ないと答えた二人のうちの一人だった。


「王子……、様子はどうですか」


 ちらり、と華耀は騎士を見やる。先程の騎士は華耀を”殿下・・”と呼んだ。だが、今目の前に居る彼は一瞬迷うそぶりを見せながらも、”王子・・”と呼ぶ。


 親しい間柄であれば”殿下”と堅苦しく呼ばず、”王子”と呼ぶ事もあるが、この場合はそうではないだろう。単純にこの騎士が華耀を王位継承者と認めていない。故に単なる王の子供である王子と呼ぶ。


 病弱の噂がある華耀を快く思わず、嘲ったり蔑む人物は多々居るが、こうも正面切って分かりやすく敵対してくる人物も珍しい。面白いと感じながらも、華耀は特に何も言わずに問いかけに答えた。


「見ての通り本棚以外何も無い。書斎以外の部屋から逃げた可能性もあるが、ただの書庫が隠されているとは考えにくい、ここに更に仕掛けがある筈だ。私の眼が何も感じない事を考えれば、物理的な仕掛けだろうか。これだけの本棚があるのであれば、典型的なのは回転扉だが……隠し通路では無く、ただの隠場の可能性もあるか」


 淡々と壁面の本棚を調べながら話す華耀に、騎士が更に話しかける。


「屋敷内の立ち入りが終わる迄の隠場と言う訳ですか。確かに、彼の様な豪商が身一つで出て行けるとは思えませんが、そんな危険を冒して迄屋敷に留まるものですかね」


「さあな。認められる事では無いが、貴族の中にはアダルベルト家と繋がって甘い蜜を吸っている者も居るだろう。今回の様に突然捕縛状が用意された場合を除けば、事前に情報を貰い、捕縛状が出る前に堂々と正面玄関から逃げられる。


 或いは、捕縛状が出たとしても、大抵の事は金の力で揉み消せるから一時的に姿さえ隠せれば何でも良い、とかな。


 外部への抜け道を作ると言う事は、屋敷への侵入の容易さにも繋がる。彼程あくどい事をしていれば、命がいくつあっても足りないだろう?」


「作りたくても作れない事もある、と言う事ですか……なるほど。その発想はありませんでした」


 啖呵を切った割に素直に同意する騎士に、華耀は拍子抜けしつつも続けた。


「騎士団として今後、抜け道を逆手にとって制圧しに行く事もあるかもしれないな。どういう所に抜け道が作られやすいのか、注意してみるのも一つの手かもしれないぞ、っと……。これは……おかしいな」


「何か見つかりましたか?」


「本の並び順だ。ここにある全ての本は作者名順に並び、一つの作者の中では書かれた年代順に並んでいる。けれど先程から各棚の一部の本だけ、並び方がおかしい。見たところ棚そのものを押しても回転しない所を見ると、これらの本を何らかの順に押せば仕掛けが解除されるのかもしれないな。とりあえず一冊抜いてみるか……、ああ、後ろにスイッチがある」


「並び順とは……スイッチがあったという事は、たまたま間違えて刺したのでは無く、推察通りと言う事ですか」


 信じられない物を見たと言う表情を浮かべながら、騎士は続ける。


「順番……書籍に関してはさっぱりで。私では完全に役者不足です」


「騎士団の中に、ここにある様な商業関連・経済関連の本に詳しい者が居る方が希有だろう。ただ、この仕掛けは完全に家主さえ知っていれば良いだけの仕掛けだ。どの順番が正解か、明示してくれる物は無い。いくつか試す事になるだろうが、間違えればまず間違いなく罠が発動すると思ってくれ」


「分かりました。罠は私の方でも警戒出来ます。王子は謎解きに集中なさって下さい」


「そうだな……とりあえず、他の書籍に習って年代順押してみよう」


 慎重に、記憶違いが無いか、奥付に発行年月日がある物は確認しつつ、奥付が存在しない物は記憶を頼りに年代の古い順にスイッチを押していく。


 最後のスイッチを押した途端、ガコン、と音が鳴り――。


「上です!」


 騎士の声と同時に、華耀は上空に魔力による衝撃波を放っていた。魔法に昇華出来ない華耀が、無理矢理編み出した攻撃手段である。


 上空から降り注いだ無数の太い針は、衝撃波によって華耀と騎士からそれ、周囲へと突き刺さっていた。


 ばらばらと十数本の針が遅れて落ちて来るが、これは危なげ無く騎士が全て剣で弾く。


「王子、御怪我は」


「いや、無い。済まないな、古い年代順では無かったらしい。押し終わってから罠が発動した所を見ると、スイッチの数に見落としが無かったと分かっただけ良しとしてくれ。


 しかし、来た道通路が閉じてしまったな。侵入者は生き埋めになれと言う事か。まあ、隠し通路は魔法で隠されていただけで別空間に存在する訳では無い。最悪、蹴破れば何とかなるだろう。今更だが、アシュレイに報告を入れておこうか……」


「はあ。罠の一つや二つ、覚悟してたので別に私は気にしてませんけどね……これ、次外したら別の罠が出てくるんですかね。それとも閉じ込めた事で満足して、今ので打ち止めですかね」


「さて……な。次に外したら分かると思うが……分からずに終わる事を祈っててくれ」


 執務室で隠し通路を見つけたが閉じ込められた事をアシュレイに連絡し、こってり絞られた後に気を取り直して年代の新しい順からスイッチを押し込んでいく。最後の一つを押し込むと――。


「下か!」


 微かな振動を感じ取った華耀と騎士が本棚に手を掛けよじ登った直後、床板を突き抜け針山が出現する。間一髪とはこの事か。幸い、床がせり上がってくる罠では無い様で、暫く眺めても動く様子は無い。逆に言えば、引っ込む様子も無い。


「別の罠が出てきちゃいましたね。……床、戻りませんけどどうしましょうか。私も流石にこの針を叩き折れる自信はありませんが」


「……仕掛けに関係無い本を叩き落として足場を作るしかあるまい。並びと書名は記憶したし、問題無いだろう……多分だが」


「了解です、上の方のをぐるっと一周叩き落とします」


「しかし、年代順では無いとなると、作者の名前順も怪しい所だな……他に何か、もっと個人的な情報と言う事もあり得るか。スイッチは全部で七つ。七と言えば……」


「年月日?」


「それが一番妥当だな。だが、何の年月日を表しているのか……そもそもこれらの書籍の題名に数字は入っていない。考えられるのは題名の文字数か?」


 二、八、七、五、一、二、八。


「二と八が多いな。二はともかく八文字なんて長さが被るのは……やはり文字数が関係ある気がするが。

 上下の罠が発動したとなると、次に間違えたらどこから罠が出てくるか……考えるだけで恐ろしいな」


『――殿下! 聞こえますか、殿下!』


 腰にぶら下げた革袋から、アシュレイの声がうるさく響く。大方、今の音が聞こえたのだろう。怒られるだろうな、と思いながら、華耀は声を出す。


「聞こえている。こちらは二人とも無事だ。二回目の罠が発動しただけだ」


『だけでは無いでしょう! 命がかかっているのですからもう少し自重して下さい! こちらは今、執務室の壁をたたき壊そうとしていますが、どうやら魔法障壁も張ってある様で、すぐにとは行きません。もうこれ以上何もせず、大人しく待っていて下さい』


 次に罠が発動した場合を考え、ここは素直にアシュレイに従った方が良いと華耀は判断した。だが、その旨を伝える前に微かな違和感を感じ、しばし考える。


「カレル君、風魔法は使えるか」


「え、俺の……、いえ」


 華耀の質問に何かを察したのか、カレルと呼ばれた騎士は余計な話をせずに首を横に振る。


「アシュレイ、状況が変わった。ザシャとヴィクトール、それから亡くなった奥さんの生年月日、すぐに分かるか?」


『殿下! 少しは私の話を聞いて……』


「いや、どうもな。余り広い部屋でも無いし、元々書籍管理の為に空気を薄くしているみたいだ……。私もカミル君も風魔法は使えない」


『――っ! おい、誰か至急三人の生年月日を調べろ!』


 暫く、アシュレイからの報告を無言で待つ。窒息死の可能性を示唆されてもカレルの呼吸は落ち着いている。内心がどうあれ、混乱に陥って無駄に空気を消費する事は無い様だった。


 連絡を待つ間、試しにこちらから壁に衝撃を与えてみたが、びくともしない。動く事で多少なりとも呼吸は荒くなる。無理に試みる事はやめた。


『殿下、三人の生年月日が分かりました。ザシャは王国歴八五三年花曇月かうんづきの三日。ヴィクトールは八七五年の黄落月こうらくづきの十九日。最後に奥方のユーディットが八五七年天泣月てんきゅうづきの二十八日です』


 月を数字に変換すると、花曇月は四月。黄落月は十月。天泣月は十二月。


 八五七一二二八。ユーディットの生年月日は書籍の文字数に一致する。


「助かった」


 アシュレイへと一声掛け、華耀は慎重に対応するスイッチを押し込む。八・五・七・一・二・二・八。数字が重複する部分は、本棚の規則に合わせて年代が古い順に押し込んだ。


 ――ガコン。


 音と同時に、元来た通路は再び開かれ、その真正面の本棚もまた、静かに上へとスライドし、地下へと続く階段が現れた。


「地下とは流石に予想していなかったな……水路に繋がっていたら絶望的だ」


「水路は騎士団の見回り範囲ですから、不審な穴が増えれば気付きます。私が把握している限りでは、王都の水路に隠し通路はありません」


 華耀のつぶやきに答えたのは、カミルでは無くアシュレイだった。通路が開いた瞬間に急いで飛び込んで来たらしい。


「そうか、ならばひとまず安心か」


「この様な無茶はこれきりにして下さい」


「それは約束出来ないが……頼む、ドミニクには黙っていてくれ」


「なるほど、元団長の耳に入ればどうなるか分かる程、いつもこう言う事をしている訳ですか。この件は私がしっかりとドミニク元団長に御伝えしておきますので御安心を。


 ……ここまで来たからにはこの先へも進むとおっしゃるのでしょう。良いですか、止めても無駄でしょうから何も言いませんが、何があっても先頭は私が歩きます」


 静かに怒るアシュレイの傍に近寄りたくないのか、はたまた華耀に遠慮をしただけか。本来であれば華耀が真ん中に来る様に並ぶであろう所を、アシュレイのすぐ後ろが華耀、そしてその後ろにカミルを含めた先程の三人の騎士が連なった。書斎の方は、どうやらアシュレイが駆けつけた際、新たに何人かを連れてきた様である。


 並びがおかしいと言いたいのか、アシュレイはちらりと後ろを振り向いたが、結局何も言わなかった。先頭が駄目だと言われれば二番手にと、華耀が割り込む事を想定していた様な対応である。

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